{"秦（朱泚）":"秦（｜朱泚《しゅせい》）","楚（李希烈）":"楚（｜李希烈《りきれつ》）","斉（黄巣）":"斉（｜黄巣《こうそう》）","吐蕃":"｜吐蕃《とばん》","回鶻":"｜回鶻《かいこつ》","唐の安西都護府（安西節度使の治所・四鎮の一つ）":"唐の安西都護府（安西｜節度使《せつどし》の治所・四鎮の一つ）","北庭が吐蕃に陥ち、安西と唐の連絡が絶える。通鑑は「存亡を知る莫し」と書き、この後の持ち主は記録にない":"北庭が｜吐蕃《とばん》に陥ち、安西と唐の連絡が絶える。通鑑は「存亡を知る莫し」と書き、この後の持ち主は記録にない","回鶻の可汗厖歴が安西に寓していると詔が述べ、唐は安西へ使者を遣わして回鶻を鎮撫する（回鶻が安西にいることが確かめられる最初の年）":"｜回鶻《かいこつ》の｜可汗《かがん》厖歴が安西に寓していると詔が述べ、唐は安西へ使者を遣わして｜回鶻《かいこつ》を鎮撫する（｜回鶻《かいこつ》が安西にいることが確かめられる最初の年）","大中十年三月":"｜大中《たいちゅう》十年三月","北庭が吐蕃に陥ち、安西（四鎮）と唐の連絡が絶える。この後の持ち主は記録にない":"北庭が｜吐蕃《とばん》に陥ち、安西（四鎮）と唐の連絡が絶える。この後の持ち主は記録にない","唐の焉耆鎮（開元七年に碎葉に代わって四鎮の一つになる）":"唐の焉耆鎮（｜開元《かいげん》七年に碎葉に代わって四鎮の一つになる）","京兆府（長安）":"京兆府（｜長安《ちょうあん》）","西安市":"｜西安《せいあん》市","潼関が破れて玄宗が蜀へ逃れ、安禄山が孫孝哲らに長安を取らせる":"｜潼関《どうかん》が破れて｜玄宗《げんそう》が蜀へ逃れ、｜安禄山《あんろくさん》が孫孝哲らに｜長安《ちょうあん》を取らせる","至徳元載六月":"｜至徳《しとく》元載六月","広平王・郭子儀の軍が西京を回復する":"｜広平王《こうへいおう》・郭｜子儀《しぎ》の軍が西京を回復する","至徳二載九月":"｜至徳《しとく》二載九月","涇原の兵変で徳宗が奉天へ逃れ、朱泚が長安で大秦皇帝を名乗る":"｜涇原《けいげん》の兵変で｜徳宗《とくそう》が｜奉天《ほうてん》へ逃れ、｜朱泚《しゅせい》が｜長安《ちょうあん》で｜大秦《だいしん》｜皇帝《こうてい》を名乗る","建中四年十月":"｜建中《けんちゅう》四年十月","李晟が苑の北から攻め込み長安を回復する（朱泚は西へ逃れて殺される）":"李晟が苑の北から攻め込み｜長安《ちょうあん》を回復する（｜朱泚《しゅせい》は西へ逃れて殺される）","興元元年五月":"｜興元《こうげん》元年五月","黄巣が長安に入り、含元殿で皇帝に即位して国号を大斉とする":"｜黄巣《こうそう》が｜長安《ちょうあん》に入り、｜含元殿《がんげんでん》で皇帝に即位して国号を｜大斉《だいせい》とする","広明元年十二月":"｜広明《こうめい》元年十二月","李克用らが光泰門から入り、黄巣は宮室を焼いて藍田から商山へ逃れる":"｜李克用《りこくよう》らが光泰門から入り、｜黄巣《こうそう》は宮室を焼いて｜藍田《らんでん》から商山へ逃れる","中和三年四月":"｜中和《ちゅうわ》三年四月","朱全忠":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》","韓全誨らが昭宗を鳳翔へ連れ去り、朱全忠が長安に入って百官と住民を華州へ移す":"韓全誨らが｜昭宗《しょうそう》を｜鳳翔《ほうしょう》へ連れ去り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜長安《ちょうあん》に入って百官と住民を｜華州《かしゅう》へ移す","天復元年十一月":"｜天復《てんふく》元年十一月","鳳翔府":"｜鳳翔《ほうしょう》府","宝鶏市鳳翔区":"宝鶏市｜鳳翔《ほうしょう》区","唐の扶風郡（756年に鳳翔郡と改称）":"唐の｜扶風《ふふう》郡（756年に｜鳳翔《ほうしょう》郡と改称）","李茂貞":"｜李《り》｜茂貞《もてい》","節度使李昌符が僖宗に背いて隴州で斬られ、李茂貞が鳳翔節度使となる":"｜節度使《せつどし》李昌符が｜僖宗《きそう》に背いて隴州で斬られ、｜李《り》｜茂貞《もてい》が｜鳳翔《ほうしょう》｜節度使《せつどし》となる","光啓三年八月":"｜光啓《こうけい》三年八月","朝廷が李茂貞の官爵を削り、討伐を命じる":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削り、討伐を命じる","乾寧四年":"｜乾寧《けんねい》四年","昭宗が詔して兵を罷め、李茂貞の官爵を戻して鳳翔節度使に復す":"｜昭宗《しょうそう》が詔して兵を罷め、｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を戻して｜鳳翔《ほうしょう》｜節度使《せつどし》に復す","光化元年":"｜光化《こうか》元年","洛陽へ移った朝廷（朱全忠）が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる":"｜洛陽《らくよう》へ移った朝廷（｜朱全忠《しゅぜんちゅう》）が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる","天祐元年":"｜天祐《てんゆう》元年","華州":"｜華州《かしゅう》","渭南市華州区":"｜渭南《いなん》市｜華州《かしゅう》区","唐の華陰郡（華州）":"唐の華陰郡（｜華州《かしゅう》）","潼関が破れ、華陰の防禦使が郡を棄てて逃げる":"｜潼関《どうかん》が破れ、華陰の防禦使が郡を棄てて逃げる","郭子儀が潼関まで追撃して華陰・弘農の二郡を回復する":"郭｜子儀《しぎ》が｜潼関《どうかん》まで追撃して華陰・弘農の二郡を回復する","至徳二載十月":"｜至徳《しとく》二載十月","黄巣が潼関を破って華州に入り、部将を留めて守らせる":"｜黄巣《こうそう》が｜潼関《どうかん》を破って｜華州《かしゅう》に入り、部将を留めて守らせる","李詳の旧卒が黄思鄴を逐い、華陰鎮使王遇を推して華州ごと王重栄に降る":"李詳の旧卒が黄思鄴を逐い、華陰鎮使王遇を推して｜華州《かしゅう》ごと｜王重栄《おうちょうえい》に降る","中和二年":"｜中和《ちゅうわ》二年","僖宗が長安へ戻り、韓建が潼関防禦使・華州刺史となる（のち鎮国軍節度使）":"｜僖宗《きそう》が｜長安《ちょうあん》へ戻り、韓建が｜潼関《どうかん》防禦使・｜華州《かしゅう》｜刺史《しし》となる（のち鎮国軍｜節度使《せつどし》）","光啓元年":"｜光啓《こうけい》元年","朱全忠が関中に入り、韓建が降って許州へ移され、華州は朱全忠の任じた者が治める":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜関中《かんちゅう》に入り、韓建が降って許州へ移され、｜華州《かしゅう》は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の任じた者が治める","同州":"｜同州《どうしゅう》","唐の馮翊郡（同州）":"唐の｜馮翊《ひょうよく》郡（｜同州《どうしゅう》）","潼関が破れ、馮翊の防禦使が郡を棄てて逃げる":"｜潼関《どうかん》が破れ、｜馮翊《ひょうよく》の防禦使が郡を棄てて逃げる","郭子儀が河東へ向かい、兵を分けて馮翊を取る":"郭｜子儀《しぎ》が｜河東《かとう》へ向かい、兵を分けて｜馮翊《ひょうよく》を取る","至徳二載二月":"｜至徳《しとく》二載二月","黄巣が長安に入り、同州に朱温を置く（河中を撃たせる）":"｜黄巣《こうそう》が｜長安《ちょうあん》に入り、｜同州《どうしゅう》に朱温を置く（｜河中《かちゅう》を撃たせる）","黄巣がいったん長安を棄てた際、斉の置いた同州刺史王溥が州を棄てて鄧州へ逃げる（翌年二月には唐の刺史米誠が同州にいる）":"｜黄巣《こうそう》がいったん｜長安《ちょうあん》を棄てた際、斉の置いた｜同州《どうしゅう》｜刺史《しし》王溥が州を棄てて｜鄧州《とうしゅう》へ逃げる（翌年二月には唐の｜刺史《しし》米誠が｜同州《どうしゅう》にいる）","中和元年四月":"｜中和《ちゅうわ》元年四月","同州の王行約が鳳翔・静難・鎮国・秦州とともに上言する（同州の主として見える最初の記事）":"｜同州《どうしゅう》の王行約が｜鳳翔《ほうしょう》・静難・鎮国・｜秦州《しんしゅう》とともに｜上言《じょうげん》する（｜同州《どうしゅう》の主として見える最初の記事）","景福元年":"｜景福《けいふく》元年","李克用の南下で匡国節度使王行約が同州を棄てて逃げ、李克用が同州に入る":"｜李克用《りこくよう》の南下で匡国｜節度使《せつどし》王行約が｜同州《どうしゅう》を棄てて逃げ、｜李克用《りこくよう》が｜同州《どうしゅう》に入る","乾寧二年七月":"｜乾寧《けんねい》二年七月","李茂貞の養子の匡国節度使李継瑭が鳳翔へ逃げ、韓建が鎮国・匡国両軍の節度使を兼ねる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の養子の匡国｜節度使《せつどし》李継瑭が｜鳳翔《ほうしょう》へ逃げ、韓建が鎮国・匡国両軍の｜節度使《せつどし》を兼ねる","乾寧四年十月":"｜乾寧《けんねい》四年十月","韓建の置いた匡国留後司馬鄴が朱全忠を迎えて降る":"韓建の置いた匡国留後｜司馬《しば》｜鄴《ぎょう》が｜朱全忠《しゅぜんちゅう》を迎えて降る","唐の新平郡（邠州）":"唐の｜新平《しんぺい》郡（邠州）","王行瑜":"王｜行瑜《こうゆ》","前年末に朱玫を斬った邠州都将王行瑜が静難軍節度使となる":"前年末に朱｜玫《ばい》を斬った邠州都将王｜行瑜《こうゆ》が静難軍｜節度使《せつどし》となる","光啓三年正月":"｜光啓《こうけい》三年正月","官爵を削られた王行瑜が李克用に攻められて城を棄てて逃げ、部下に斬られる。静難節度使には苏文建が任じられる":"官爵を削られた王｜行瑜《こうゆ》が｜李克用《りこくよう》に攻められて城を棄てて逃げ、部下に斬られる。静難｜節度使《せつどし》には苏文建が任じられる","乾寧二年十一月":"｜乾寧《けんねい》二年十一月","李茂貞の養子李継徽（楊崇本）が静難節度使となる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の養子李継徽（楊崇本）が静難｜節度使《せつどし》となる","朱全忠が邠州を攻め、静難節度使李継徽が降って姓名を楊崇本に戻し、朱全忠の下でそのまま邠州を守る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が邠州を攻め、静難｜節度使《せつどし》李継徽が降って姓名を楊崇本に戻し、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の下でそのまま邠州を守る","楊崇本が再び李茂貞と結び、鳳翔・邠州の兵が京畿に迫る":"楊崇本が再び｜李《り》｜茂貞《もてい》と結び、｜鳳翔《ほうしょう》・邠州の兵が京畿に迫る","天復三年":"｜天復《てんふく》三年","朝廷（朱全忠）が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる":"朝廷（｜朱全忠《しゅぜんちゅう》）が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる","寧州":"｜寧州《ねいしゅう》","唐の彭原郡（寧州）。邠寧（静難）節度の属州":"唐の彭原郡（｜寧州《ねいしゅう》）。邠寧（静難）節度の属州","王行瑜が静難軍（邠寧）節度使となる":"王｜行瑜《こうゆ》が静難軍（邠寧）｜節度使《せつどし》となる","王行約・王行実が寧州を焼いて逃げ、苏文建が静難節度使として寧州を治めるよう命じられる":"王行約・王行実が｜寧州《ねいしゅう》を焼いて逃げ、苏文建が静難｜節度使《せつどし》として｜寧州《ねいしゅう》を治めるよう命じられる","乾寧二年十月":"｜乾寧《けんねい》二年十月","李継徽（楊崇本）が静難節度使となる":"李継徽（楊崇本）が静難｜節度使《せつどし》となる","静難節度使李継徽（楊崇本）が朱全忠に降る":"静難｜節度使《せつどし》李継徽（楊崇本）が｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降る","楊崇本が再び李茂貞と結ぶ":"楊崇本が再び｜李《り》｜茂貞《もてい》と結ぶ","涇州":"｜涇州《けいしゅう》","唐の安定郡（涇州）":"唐の安定郡（｜涇州《けいしゅう》）","張鈞":"｜張鈞《ちょうきん》","涇原節度使胡公素が死に、軍中の請いで大将張鈞が留後となる（のち節度使。張鐇・張璉と張氏が続く）":"｜涇原《けいげん》｜節度使《せつどし》胡公素が死に、軍中の請いで大将｜張鈞《ちょうきん》が留後となる（のち｜節度使《せつどし》。張鐇・張璉と｜張氏《ちょうし》が続く）","李茂貞が鳳翔・彰義（涇原）の節度使を兼ねる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が｜鳳翔《ほうしょう》・彰義（｜涇原《けいげん》）の｜節度使《せつどし》を兼ねる","光化二年九月":"｜光化《こうか》二年九月","朱全忠の握る朝廷が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の握る朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）","隴州刺史薛知籌が城ごと李茂貞に降り、逃げ込んだ李昌符が斬られる":"隴州刺史薛知籌が城ごと｜李《り》｜茂貞《もてい》に降り、逃げ込んだ李昌符が斬られる","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（隴州は鳳翔節度の属州）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（隴州は｜鳳翔《ほうしょう》節度の属州）","李茂貞の官爵が戻され、討伐の兵が罷められる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵が戻され、討伐の兵が罷められる","朱全忠の将孔勍が成・隴の二州を取る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将孔勍が成・隴の二州を取る","天復二年七月":"｜天復《てんふく》二年七月","朱全忠が昭宗を伴って東へ帰った後、隴州は李茂貞の側に戻る（王建が李茂貞の弱りに乗じて秦・隴を攻める）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜昭宗《しょうそう》を伴って東へ帰った後、隴州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の側に戻る（｜王建《おうけん》が｜李《り》｜茂貞《もてい》の弱りに乗じて秦・隴を攻める）","朱全忠の握る朝廷が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（隴州は鳳翔節度の属州）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の握る朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（隴州は｜鳳翔《ほうしょう》節度の属州）","潼関が破れ、上洛の防禦使が郡を棄てて逃げる":"｜潼関《どうかん》が破れ、上洛の防禦使が郡を棄てて逃げる","興平軍が武関で燕軍を破り上洛郡を回復する":"｜興平《こうへい》軍が｜武関《ぶかん》で｜燕軍《えんぐん》を破り上洛郡を回復する","至徳二載":"｜至徳《しとく》二載","斉の置いた商州刺史宋岩が一時逃げたが、朱温に許されて商州へ戻される":"斉の置いた商州｜刺史《しし》宋岩が一時逃げたが、朱温に許されて商州へ戻される","黄巣が長安を棄て、藍田から商山を通って東へ逃れる":"｜黄巣《こうそう》が｜長安《ちょうあん》を棄て、｜藍田《らんでん》から商山を通って東へ逃れる","唐の武都郡（武州）。隴右道の州":"唐の武都郡（武州）。｜隴右《ろうゆう》道の州","吐蕃に没し、州が廃される（大暦二年に唐は行州を置いた）":"｜吐蕃《とばん》に没し、州が廃される（｜大暦《たいれき》二年に唐は行州を置いた）","広徳元年ころ":"｜広徳《こうとく》元年ころ","吐蕃の国が絶える。通鑑は「吐蕃由是衰绝」と書き、この後この州を誰が押さえたかは史書に記事が無い":"｜吐蕃《とばん》の国が絶える。通鑑は「｜吐蕃《とばん》由是衰绝」と書き、この後この州を誰が押さえたかは史書に記事が無い","咸通七年":"｜咸通《かんつう》七年","咸通年間に故地を取り戻し、龍紀の初めに使いを送って州を立て直す":"｜咸通《かんつう》年間に故地を取り戻し、｜龍紀《りゅうき》の初めに使いを送って州を立て直す","龍紀初":"｜龍紀《りゅうき》初","李茂貞が鳳翔・興元・洋・隴・秦など十五州を持つ（階州は秦・成・階を管する秦州節度の属州）":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が｜鳳翔《ほうしょう》・｜興元《こうげん》・洋・隴・秦など十五州を持つ（階州は秦・成・階を管する｜秦州《しんしゅう》節度の属州）","景福二年":"｜景福《けいふく》二年","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（階州は秦州の属州）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（階州は｜秦州《しんしゅう》の属州）","朱全忠の握る朝廷が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（階州は秦州の属州）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の握る朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（階州は｜秦州《しんしゅう》の属州）","唐の同谷郡（成州）。隴右道の州":"唐の同谷郡（成州）。｜隴右《ろうゆう》道の州","吐蕃が大震関から入り、秦・成・渭などの州を落とす":"｜吐蕃《とばん》が大震関から入り、秦・成・渭などの州を落とす","広徳元年七月":"｜広徳《こうとく》元年七月","秦州に天雄軍を置き、成・河・渭の三州を隷させる":"｜秦州《しんしゅう》に天雄軍を置き、成・河・渭の｜三州《さんしゅう》を隷させる","咸通四年":"｜咸通《かんつう》四年","李茂貞が鳳翔・興元・洋・隴・秦など十五州を持つ（成州は秦州節度の属州）":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が｜鳳翔《ほうしょう》・｜興元《こうげん》・洋・隴・秦など十五州を持つ（成州は｜秦州《しんしゅう》節度の属州）","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（成州は秦州の属州）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（成州は｜秦州《しんしゅう》の属州）","朱全忠が東へ帰った後、成州は李茂貞の側に戻る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が東へ帰った後、成州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の側に戻る","天復三年ころ":"｜天復《てんふく》三年ころ","朱全忠の握る朝廷が李茂貞・楊崇本の討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（成州は秦州の属州）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の握る朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》・楊崇本の討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（成州は｜秦州《しんしゅう》の属州）","唐の河池郡（鳳州）。山南西道の州。吐蕃との境に近いが、建中四年の清水の盟でも「凤州西至同谷县」は唐の側":"唐の河池郡（鳳州）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州。｜吐蕃《とばん》との境に近いが、｜建中《けんちゅう》四年の清水の盟でも「凤州西至同谷县」は唐の側","鳳州を節度府（感義軍）に昇格させ、興・利二州を隷させて、鳳州防禦使満存を節度使とする":"鳳州を節度府（感義軍）に昇格させ、興・利二州を隷させて、鳳州防禦使満存を｜節度使《せつどし》とする","文徳元年":"｜文徳《ぶんとく》元年","李茂貞が鳳州を攻め取り、感義節度使満存は興元へ逃げる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が鳳州を攻め取り、感義｜節度使《せつどし》満存は｜興元《こうげん》へ逃げる","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）","朱全忠が将孔勍を散関から出して鳳州を攻め取る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が将孔勍を散関から出して鳳州を攻め取る","天復二年五月":"｜天復《てんふく》二年五月","朱全忠が東へ帰った後、鳳州は李茂貞の側に戻る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が東へ帰った後、鳳州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の側に戻る","興州":"｜興州《こうしゅう》","唐の順政郡（興州）。山南西道の州":"唐の順政郡（｜興州《こうしゅう》）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","興州が鳳州の感義節度（満存）に隷される":"｜興州《こうしゅう》が鳳州の感義節度（満存）に隷される","李茂貞が鳳州に続いて興・洋二州を取り、子弟を置く":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が鳳州に続いて興・洋二州を取り、子弟を置く","王建":"｜王建《おうけん》","王建が興州を攻め抜き、軍使王宗浩を興州刺史とする":"｜王建《おうけん》が｜興州《こうしゅう》を攻め抜き、軍使王｜宗浩《そうこう》を｜興州《こうしゅう》｜刺史《しし》とする","天復二年十月":"｜天復《てんふく》二年十月","興元府（漢中）":"｜興元《こうげん》府（｜漢中《かんちゅう》）","興元府":"｜興元《こうげん》府","漢中市":"｜漢中《かんちゅう》市","唐の漢中郡（梁州）。784年に徳宗が避難して興元府となる":"唐の｜漢中《かんちゅう》郡（｜梁州《りょうしゅう》）。784年に｜徳宗《とくそう》が避難して｜興元《こうげん》府となる","忠武の将鹿晏弘が興元に至って節度使牛勖を逐い、留後を自称する（翌年正月に朝廷が追認）":"忠武の将鹿晏弘が｜興元《こうげん》に至って｜節度使《せつどし》牛勖を逐い、留後を自称する（翌年正月に朝廷が追認）","中和三年十二月":"｜中和《ちゅうわ》三年十二月","王建・韓建らが行在へ去り、禁兵に討たれた鹿晏弘が興元を棄てて去る":"｜王建《おうけん》・韓建らが行在へ去り、｜禁兵《きんぺい》に討たれた鹿晏弘が｜興元《こうげん》を棄てて去る","中和四年十一月":"｜中和《ちゅうわ》四年十一月","金商節度使楊守亮（楊復恭の一族）が山南西道節度使となる":"金商｜節度使《せつどし》楊守亮（｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》の一族）が｜山南西道《さんなんせいどう》｜節度使《せつどし》となる","李茂貞が興元を攻め抜き、楊復恭・楊守亮らは閬州へ逃げる。李茂貞は子の李継密に興元府を知させる":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が｜興元《こうげん》を攻め抜き、｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》・楊守亮らは閬州へ逃げる。｜李《り》｜茂貞《もてい》は子の李継密に｜興元《こうげん》府を知させる","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（李茂貞は893年から山南西道節度使を兼ねる）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（｜李《り》｜茂貞《もてい》は893年から｜山南西道《さんなんせいどう》｜節度使《せつどし》を兼ねる）","王建の西川軍が三泉・西県などの寨を破って漢中に迫り、山南西道節度使李継密が降る":"｜王建《おうけん》の｜西川《せいせん》軍が｜三泉《さんせん》・西県などの寨を破って｜漢中《かんちゅう》に迫り、｜山南西道《さんなんせいどう》｜節度使《せつどし》李継密が降る","天復二年八月":"｜天復《てんふく》二年八月","唐の洋川郡（洋州）。山南西道の州":"唐の洋川郡（洋州）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","李茂貞が興・洋二州を取り、子弟を置く":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が興・洋二州を取り、子弟を置く","朝廷が李茂貞の官爵を削って討伐を命じる（この州は李茂貞の支配下）（李茂貞は893年に武定節度使を兼ねる）":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》の官爵を削って討伐を命じる（この州は｜李《り》｜茂貞《もてい》の支配下）（｜李《り》｜茂貞《もてい》は893年に｜武定《ぶてい》｜節度使《せつどし》を兼ねる）","武定節度使李思敬が洋州ごと王建に降る":"｜武定《ぶてい》｜節度使《せつどし》李思敬が洋州ごと｜王建《おうけん》に降る","天復二年九月":"｜天復《てんふく》二年九月","唐の安康郡（金州）。山南西道の州":"唐の安康郡（金州）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","李茂貞の養子李継臻が拠っていた金州を均州刺史馮行襲が攻め落とし、昭信防禦使として金州に治する":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の養子李継臻が拠っていた金州を｜均州《きんしゅう》｜刺史《しし》馮行襲が攻め落とし、昭信防禦使として金州に治する","大順二年":"｜大順《たいじゅん》二年","唐の益昌郡（利州）。山南西道の州":"唐の益昌郡（利州）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","楊復恭が田令孜の党を退け、王建を利州刺史に出す":"｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》が田｜令孜《れいし》の党を退け、｜王建《おうけん》を利州｜刺史《しし》に出す","光啓二年":"｜光啓《こうけい》二年","李茂貞が山南に勢力を広げ、王建が利州で東川・鳳翔の兵を破る（鳳翔の兵が利州にいる）":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が山南に勢力を広げ、｜王建《おうけん》が利州で｜東川《とうせん》・｜鳳翔《ほうしょう》の兵を破る（｜鳳翔《ほうしょう》の兵が利州にいる）","王建の将王宗侃が利州を攻め抜き、刺史李継顒（李茂貞の養子）を斬る":"｜王建《おうけん》の将王宗侃が利州を攻め抜き、｜刺史《しし》李継顒（｜李《り》｜茂貞《もてい》の養子）を斬る","乾寧二年":"｜乾寧《けんねい》二年","感義軍を昭武軍と改めて利州に治させ、前静難節度使苏文建を節度使とする":"感義軍を｜昭武《しょうぶ》軍と改めて利州に治させ、前静難｜節度使《せつどし》苏文建を｜節度使《せつどし》とする","西川の兵が利州に至り、昭武節度使李継忠が鎮を棄てて鳳翔へ逃げる":"｜西川《せいせん》の兵が利州に至り、｜昭武《しょうぶ》｜節度使《せつどし》李継忠が鎮を棄てて｜鳳翔《ほうしょう》へ逃げる","天復二年二月":"｜天復《てんふく》二年二月","唐の普安郡（剣州）。剣南道の州。756年に玄宗が蜀へ逃れる途中で普安を通る":"唐の｜普安《ふあん》郡（剣州）。剣南道の州。756年に｜玄宗《げんそう》が蜀へ逃れる途中で｜普安《ふあん》を通る","王建の養子王宗偉が剣州刺史となっている":"｜王建《おうけん》の養子王宗偉が剣州｜刺史《しし》となっている","天復初":"｜天復《てんふく》初","利州刺史王建が嘉陵江を下って閬州を襲い、刺史楊茂実を逐って防禦使を自称する":"利州｜刺史《しし》｜王建《おうけん》が嘉陵江を下って閬州を襲い、｜刺史《しし》楊茂実を逐って防禦使を自称する","光啓三年":"｜光啓《こうけい》三年","楊守亮（楊復恭）":"楊守亮（｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》）","朝廷が李茂貞を山南西道招討使として楊守亮らを討たせ、興元を抜かれた楊復恭・楊守亮らが閬州に逃げ込む":"朝廷が｜李《り》｜茂貞《もてい》を｜山南西道《さんなんせいどう》招討使として楊守亮らを討たせ、｜興元《こうげん》を抜かれた｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》・楊守亮らが閬州に逃げ込む","李茂貞が閬州を攻め抜き、楊復恭・楊守亮らは囲みを破って逃げる（のち華州の兵に捕らえられて斬られる）":"｜李《り》｜茂貞《もてい》が閬州を攻め抜き、｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》・楊守亮らは囲みを破って逃げる（のち｜華州《かしゅう》の兵に捕らえられて斬られる）","乾寧元年七月":"｜乾寧《けんねい》元年七月","閬州防禦使李継雍が部下の兵を率いて王建のもとへ奔る":"閬州防禦使李継雍が部下の兵を率いて｜王建《おうけん》のもとへ奔る","乾寧二年十二月":"｜乾寧《けんねい》二年十二月","唐の清化郡（巴州）。山南西道の州":"唐の清化郡（巴州）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","李茂貞の山南の州鎮がみな王建に入る":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の山南の州鎮がみな｜王建《おうけん》に入る","天復二年十二月":"｜天復《てんふく》二年十二月","通州（達州）":"｜通州《つうしゅう》（達州）","通州":"｜通州《つうしゅう》","唐の通川郡（通州）。山南西道の州":"唐の通川郡（｜通州《つうしゅう》）。｜山南西道《さんなんせいどう》の州","通州刺史李彦昭が兵二千を率いて王建に降る":"｜通州《つうしゅう》｜刺史《しし》李彦昭が兵二千を率いて｜王建《おうけん》に降る","鎮州（真定）":"｜鎮州《ちんしゅう》（真定）","鎮州":"｜鎮州《ちんしゅう》","唐の恒州（常山郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の恒州（常山郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","正月に史思明らが常山を落とす。二〜六月に李光弼・郭子儀が取り返したが、潼関の陥落で退き、九月に史思明が再び常山を落とした":"正月に｜史思明《ししめい》らが常山を落とす。二〜六月に｜李《り》｜光弼《こうひつ》・郭｜子儀《しぎ》が取り返したが、｜潼関《どうかん》の陥落で退き、九月に｜史思明《ししめい》が再び常山を落とした","至徳元載正月・九月":"｜至徳《しとく》元載正月・九月","史思明が配下の十三郡を挙げて唐に降る（恒州刺史は史思明の将の薛萼）":"｜史思明《ししめい》が配下の十三郡を挙げて唐に降る（恒州｜刺史《しし》は｜史思明《ししめい》の将の薛萼）","至徳二載十二月":"｜至徳《しとく》二載十二月","史思明が烏承恩を殺して再び背き、河北を燕の側に戻す":"｜史思明《ししめい》が烏承恩を殺して再び背き、｜河北《かほく》を燕の側に戻す","乾元元年":"｜乾元《けんげん》元年","成徳（張忠志＝李宝臣）":"｜成徳《せいとく》（張忠志＝李宝臣）","燕の恒陽節度使張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、成徳軍節度使（李宝臣と賜名）となる":"燕の恒陽｜節度使《せつどし》張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、｜成徳《せいとく》軍｜節度使《せつどし》（李宝臣と賜名）となる","宝応元年十一月〜":"｜宝応《ほうおう》元年十一月〜","成徳（李惟岳）":"｜成徳《せいとく》（李惟岳）","李宝臣の死後、子の李惟岳が自ら留後を称し、朝廷は認めず朱滔らに討たせる":"李宝臣の死後、子の李惟岳が自ら留後を称し、朝廷は認めず朱｜滔《とう》らに討たせる","建中二年":"｜建中《けんちゅう》二年","恒冀（王武俊）":"恒冀（王｜武俊《ぶしゅん》）","王武俊が李惟岳を殺したが恩賞に不満で背き、十一月に趙王を称する":"王｜武俊《ぶしゅん》が李惟岳を殺したが恩賞に不満で背き、十一月に｜趙王《ちょうおう》を称する","建中三年":"｜建中《けんちゅう》三年","成徳（王武俊）":"｜成徳《せいとく》（王｜武俊《ぶしゅん》）","赦令を受けて王武俊が王号を去り、上表して謝罪する":"｜赦令《しゃれい》を受けて王｜武俊《ぶしゅん》が｜王号《おうごう》を去り、｜上表《じょうひょう》して謝罪する","興元元年":"｜興元《こうげん》元年","成徳（王承宗）":"｜成徳《せいとく》（王｜承宗《しょうそう》）","王承宗が徳州の薛昌朝を捕らえて詔に従わず、官爵を削られて討伐を受ける":"王｜承宗《しょうそう》が徳州の薛昌朝を捕らえて詔に従わず、官爵を削られて討伐を受ける","元和四年十月":"｜元和《げんわ》四年十月","王承宗を赦して成徳軍節度使に戻す":"王｜承宗《しょうそう》を赦して｜成徳《せいとく》軍｜節度使《せつどし》に戻す","元和五年七月":"｜元和《げんわ》五年七月","再び王承宗の官爵を削り、六道に討たせる":"再び王｜承宗《しょうそう》の官爵を削り、六道に討たせる","元和十一年正月":"｜元和《げんわ》十一年正月","王承宗が徳・棣二州を献じ、官爵を戻される":"王｜承宗《しょうそう》が徳・棣二州を献じ、官爵を戻される","元和十三年四月":"｜元和《げんわ》十三年四月","王承宗の死後、田弘正を成徳節度使に移し、朝廷が節度使を任命する":"王｜承宗《しょうそう》の死後、田弘正を｜成徳《せいとく》｜節度使《せつどし》に移し、朝廷が｜節度使《せつどし》を任命する","元和十五年十月":"｜元和《げんわ》十五年十月","成徳（王廷湊）":"｜成徳《せいとく》（王廷湊）","長慶元年七月":"｜長慶《ちょうけい》元年七月","王廷湊を赦して節度使とする":"王廷湊を赦して｜節度使《せつどし》とする","長慶二年二月":"｜長慶《ちょうけい》二年二月","太和二年":"｜太和《たいわ》二年","太和三年八月":"｜太和《たいわ》三年八月","王景崇の死後、軍中が子の王鎔（十歳）を留後に立て、朝廷が追認する":"王｜景崇《けいすう》の死後、軍中が子の王鎔（十歳）を留後に立て、朝廷が追認する","中和三年":"｜中和《ちゅうわ》三年","唐の定州（博陵郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の定州（博陵郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","正月に再び燕に属し、一時官軍に降ったが、年末までに史思明が河北をすべて下し、博陵に戻って拠る":"正月に再び燕に属し、一時官軍に降ったが、年末までに｜史思明《ししめい》が｜河北《かほく》をすべて下し、博陵に戻って拠る","至徳元載":"｜至徳《しとく》元載","史思明が配下の十三郡を挙げて唐に降る":"｜史思明《ししめい》が配下の十三郡を挙げて唐に降る","史思明が再び背く":"｜史思明《ししめい》が再び背く","張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、成徳軍節度使となる":"張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、｜成徳《せいとく》軍｜節度使《せつどし》となる","李惟岳の定州刺史楊政義が降り、張孝忠を易・定・滄三州節度使（のちの義武軍）とする":"李惟岳の｜定州《ていしゅう》｜刺史《しし》楊政義が降り、張孝忠を易・定・滄｜三州《さんしゅう》｜節度使《せつどし》（のちの義武軍）とする","建中三年二月":"｜建中《けんちゅう》三年二月","義武節度使王処存が死に、軍中が子の王郜を留後に推す":"義武｜節度使《せつどし》王処存が死に、軍中が子の王郜を留後に推す","朱全忠の将張存敬に敗れて王郜が晋陽へ逃げ、軍中が王処直を留後に推し、朱全忠と和す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬に敗れて王郜が｜晋陽《しんよう》へ逃げ、軍中が王処直を留後に推し、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》と和す","光化三年":"｜光化《こうか》三年","唐の趙州（趙郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の趙州（趙郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","正月に燕に戻り、郭子儀・李光弼が一度取り返したが、九月に史思明が趙郡を落とす":"正月に燕に戻り、郭｜子儀《しぎ》・｜李《り》｜光弼《こうひつ》が一度取り返したが、九月に｜史思明《ししめい》が趙郡を落とす","至徳元載九月":"｜至徳《しとく》元載九月","史思明が降り、趙郡太守陸済も招かれて降る":"｜史思明《ししめい》が降り、趙郡｜太守《たいしゅ》陸済も招かれて降る","張忠志が五州を挙げて降り、成徳軍節度使となる":"張忠志が五州を挙げて降り、｜成徳《せいとく》軍｜節度使《せつどし》となる","王武俊が帰順し、深・趙二州を王武俊に属させて康日知を晋慈隰節度使に移す":"王｜武俊《ぶしゅん》が帰順し、深・趙二州を王｜武俊《ぶしゅん》に属させて康日知を晋慈隰｜節度使《せつどし》に移す","王承宗の官爵を削り討伐する":"王｜承宗《しょうそう》の官爵を削り討伐する","王承宗を赦す":"王｜承宗《しょうそう》を赦す","再び王承宗を討つ":"再び王｜承宗《しょうそう》を討つ","王承宗の官爵を戻す":"王｜承宗《しょうそう》の官爵を戻す","田弘正を成徳節度使に移す":"田弘正を｜成徳《せいとく》｜節度使《せつどし》に移す","王鎔が成徳の留後となる":"王鎔が｜成徳《せいとく》の留後となる","冀州":"｜冀州《きしゅう》","衡水市冀州区":"衡水市｜冀州《きしゅう》区","唐の冀州（信都郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜冀州《きしゅう》（｜信都《しんと》郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","信都太守烏承恩が城を挙げて史思明に降る":"｜信都《しんと》｜太守《たいしゅ》烏承恩が城を挙げて｜史思明《ししめい》に降る","至徳元載十月ごろ":"｜至徳《しとく》元載十月ごろ","史思明が降る（冀州刺史は史思明の子の史朝義）":"｜史思明《ししめい》が降る（｜冀州《きしゅう》｜刺史《しし》は｜史思明《ししめい》の子の｜史朝義《しちょうぎ》）","史思明が再び背き、その軍の一手が冀・貝から出る":"｜史思明《ししめい》が再び背き、その軍の一手が冀・貝から出る","成徳（李宝臣）":"｜成徳《せいとく》（李宝臣）","燕が滅び河北の州がすべて唐に降る。冀州は李宝臣の成徳の管下に入る":"燕が滅び｜河北《かほく》の州がすべて唐に降る。｜冀州《きしゅう》は李宝臣の｜成徳《せいとく》の管下に入る","広徳元年":"｜広徳《こうとく》元年","恒冀都団練観察使王武俊が背き、趙王を称する":"恒冀都団練観察使王｜武俊《ぶしゅん》が背き、｜趙王《ちょうおう》を称する","王武俊が王号を去って帰順する":"王｜武俊《ぶしゅん》が｜王号《おうごう》を去って帰順する","王廷湊が冀州刺史王進岌を殺して州を拠る":"王廷湊が｜冀州《きしゅう》｜刺史《しし》王進岌を殺して州を拠る","長慶元年八月":"｜長慶《ちょうけい》元年八月","唐の深州（饒陽郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の深州（饒陽郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","一年近く持ちこたえたが、諸郡が陥ちた後に史思明が全力で囲み、太守李係は火に赴いて死に、城が陥ちる":"一年近く持ちこたえたが、諸郡が陥ちた後に｜史思明《ししめい》が全力で囲み、｜太守《たいしゅ》李係は火に赴いて死に、城が陥ちる","史思明の降伏に伴い、烏承恩の宣諭で深州などが降る":"｜史思明《ししめい》の降伏に伴い、烏承恩の｜宣諭《せんゆ》で深州などが降る","深州は朱滔が取ったが、朱滔と王武俊が背いて深州を王武俊の判官王巨源に授け、王士真を恒・冀・深三州留後とする":"深州は朱｜滔《とう》が取ったが、朱｜滔《とう》と王｜武俊《ぶしゅん》が背いて深州を王｜武俊《ぶしゅん》の判官王巨源に授け、王士真を恒・冀・深｜三州《さんしゅう》留後とする","王武俊が帰順し、深・趙二州を王武俊に属させる":"王｜武俊《ぶしゅん》が帰順し、深・趙二州を王｜武俊《ぶしゅん》に属させる","田弘正を成徳節度使に移す（821年に王廷湊が背いた後も、深州刺史牛元翼は深冀節度使として唐のために守る）":"田弘正を｜成徳《せいとく》｜節度使《せつどし》に移す（821年に王廷湊が背いた後も、深州｜刺史《しし》牛元翼は深冀｜節度使《せつどし》として唐のために守る）","長慶二年":"｜長慶《ちょうけい》二年","邢州":"｜邢州《けいしゅう》","唐の邢州（鉅鹿郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜邢州《けいしゅう》（｜鉅鹿《きょろく》郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","正月に再び燕に属し、年末までに史思明が河北をすべて下す":"正月に再び燕に属し、年末までに｜史思明《ししめい》が｜河北《かほく》をすべて下す","史思明が降り、相州のほかは河北がおおむね唐のものとなる":"｜史思明《ししめい》が降り、｜相州《そうしゅう》のほかは｜河北《かほく》がおおむね唐のものとなる","史思明が再び背き、その軍の一手が邢・洺から出る":"｜史思明《ししめい》が再び背き、その軍の一手が邢・洺から出る","燕の鄴郡節度使薛嵩が相・衛・洺・邢の四州を挙げて降り、そのまま元の地位に戻される":"燕の｜鄴郡《ぎょうぐん》｜節度使《せつどし》薛嵩が相・衛・洺・邢の｜四州《ししゅう》を挙げて降り、そのまま元の地位に戻される","宝応元年十一月":"｜宝応《ほうおう》元年十一月","薛嵩の死後、魏博の田承嗣が相州などを奪うが、邢州は唐に残り、昭義留後李承昭（朝廷の任命）が守る":"薛嵩の死後、｜魏博《ぎはく》の田｜承嗣《しょうし》が｜相州《そうしゅう》などを奪うが、｜邢州《けいしゅう》は唐に残り、｜昭義《しょうぎ》留後李承昭（朝廷の任命）が守る","大暦十年":"｜大暦《たいれき》十年","昭義（劉従諫）":"｜昭義《しょうぎ》（劉従諫）","昭義節度使劉悟が死に、子の劉従諫が喪を隠して留後を求め、翌年朝廷が追認する":"｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》劉悟が死に、子の劉従諫が喪を隠して留後を求め、翌年朝廷が追認する","宝暦元年八月":"｜宝暦《ほうれき》元年八月","昭義（劉稹）":"｜昭義《しょうぎ》（｜劉《りゅう》｜稹《しん》）","劉従諫の死後、子の劉稹が自立し、劉従諫・劉稹の官爵を削って討たせる":"劉従諫の死後、子の｜劉《りゅう》｜稹《しん》が自立し、劉従諫・｜劉《りゅう》｜稹《しん》の官爵を削って討たせる","会昌三年":"｜会昌《かいしょう》三年","邢・洺・磁三州が降り、まもなく劉稹が殺される":"邢・洺・磁｜三州《さんしゅう》が降り、まもなく｜劉《りゅう》｜稹《しん》が殺される","会昌四年八月":"｜会昌《かいしょう》四年八月","孟方立が成麟を殺して邢州に拠り、のち昭義の治所を邢州に移す":"孟方立が成麟を殺して｜邢州《けいしゅう》に拠り、のち｜昭義《しょうぎ》の治所を｜邢州《けいしゅう》に移す","李克用":"｜李克用《りこくよう》","李克用が邢州を急攻し、孟遷が降る":"｜李克用《りこくよう》が｜邢州《けいしゅう》を急攻し、孟遷が降る","大順元年":"｜大順《たいじゅん》元年","邢・洺・磁州留後李存孝が李克用に背き、王鎔・朱全忠と結んで三州を挙げて朝廷に帰する":"邢・洺・磁州留後李存孝が｜李克用《りこくよう》に背き、王鎔・｜朱全忠《しゅぜんちゅう》と結んで｜三州《さんしゅう》を挙げて朝廷に帰する","邢州の食が尽き、李存孝が李克用に降る。李克用は馬師素を邢洺節度使とする":"｜邢州《けいしゅう》の食が尽き、李存孝が｜李克用《りこくよう》に降る。｜李克用《りこくよう》は馬師素を邢洺｜節度使《せつどし》とする","乾寧元年":"｜乾寧《けんねい》元年","朱全忠の将葛従周が邢州を攻め、刺史馬師素が城を捨てて逃げる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将葛従周が｜邢州《けいしゅう》を攻め、｜刺史《しし》馬師素が城を捨てて逃げる","邯鄲市永年区":"｜邯鄲《かんたん》市永年区","唐の洺州（広平郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の洺州（広平郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","燕の鄴郡節度使薛嵩が相・衛・洺・邢の四州を挙げて降り、元の地位に戻される":"燕の｜鄴郡《ぎょうぐん》｜節度使《せつどし》薛嵩が相・衛・洺・邢の｜四州《ししゅう》を挙げて降り、元の地位に戻される","魏博（田承嗣）":"｜魏博《ぎはく》（田｜承嗣《しょうし》）","田承嗣が詔に従わず大将盧子期に洺州を取らせ、四月に官を貶されて諸道の討伐を受ける":"田｜承嗣《しょうし》が詔に従わず大将盧子期に洺州を取らせ、四月に官を貶されて諸道の討伐を受ける","大暦十年正月":"｜大暦《たいれき》十年正月","田承嗣の罪を赦して官爵を戻す":"田｜承嗣《しょうし》の罪を赦して官爵を戻す","大暦十一年二月":"｜大暦《たいれき》十一年二月","魏博（田悦）":"｜魏博《ぎはく》（田悦）","洹水の敗戦の後、田悦の従兄田昂が洺州を挙げて降り、洺州は昭義の李抱真に属する":"洹水の敗戦の後、田悦の従兄田昂が洺州を挙げて降り、洺州は｜昭義《しょうぎ》の李抱真に属する","建中三年正月":"｜建中《けんちゅう》三年正月","劉稹が自立し、官爵を削られて討伐を受ける":"｜劉《りゅう》｜稹《しん》が自立し、官爵を削られて討伐を受ける","邢・洺・磁三州が降る":"邢・洺・磁｜三州《さんしゅう》が降る","昭義節度使孟方立が治所を邢州に移し、潞州の大将・富室を山東（邢・洺・磁）へ移す":"｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》孟方立が治所を｜邢州《けいしゅう》に移し、｜潞州《ろしゅう》の大将・富室を｜山東《さんとう》（邢・洺・磁）へ移す","李克用の将李罕之・李存孝が孟方立を攻め、磁・洺二州を抜く":"｜李克用《りこくよう》の将李罕之・李存孝が孟方立を攻め、磁・洺二州を抜く","龍紀元年六月":"｜龍紀《りゅうき》元年六月","邢・洺・磁州留後李存孝が李克用に背き、三州を挙げて朝廷に帰する":"邢・洺・磁州留後李存孝が｜李克用《りこくよう》に背き、｜三州《さんしゅう》を挙げて朝廷に帰する","李存孝が降り、李克用は馬師素を邢洺節度使とする":"李存孝が降り、｜李克用《りこくよう》は馬師素を邢洺｜節度使《せつどし》とする","朱全忠が葛従周に洺州を攻めさせ、抜いて刺史邢善益を斬る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が葛従周に洺州を攻めさせ、抜いて｜刺史《しし》邢善益を斬る","魏州":"｜魏州《ぎしゅう》","唐の魏州（魏郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜魏州《ぎしゅう》（｜魏郡《ぎぐん》・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","正月に再び燕に属し、顔真卿の連合軍が一時魏郡を取ったが、年末までに史思明が河北をすべて下す":"正月に再び燕に属し、顔｜真卿《しんけい》の連合軍が一時｜魏郡《ぎぐん》を取ったが、年末までに｜史思明《ししめい》が｜河北《かほく》をすべて下す","燕の将田承嗣が莫州で降り、魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使、ついで魏博節度使となる":"燕の将田｜承嗣《しょうし》が｜莫州《ばくしゅう》で降り、魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使、ついで｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる","田承嗣が相州などを奪い詔に従わず、永州刺史に貶されて諸道の討伐を受ける":"田｜承嗣《しょうし》が｜相州《そうしゅう》などを奪い詔に従わず、永州｜刺史《しし》に貶されて諸道の討伐を受ける","大暦十年四月":"｜大暦《たいれき》十年四月","田悦が朝命を拒んで邢州・臨洺を攻め、馬燧らの討伐を受ける（782年十一月に魏王を称する）":"田悦が朝命を拒んで｜邢州《けいしゅう》・臨洺を攻め、馬燧らの討伐を受ける（782年十一月に｜魏王《ぎおう》を称する）","魏博（田緒）":"｜魏博《ぎはく》（田緒）","赦令を受けて田悦が王号を去る。まもなく田緒が田悦を殺して魏博節度使となる":"｜赦令《しゃれい》を受けて田悦が｜王号《おうごう》を去る。まもなく田緒が田悦を殺して｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる","田季安の死後、軍中に推された田興（田弘正）が土地と兵を挙げて朝廷の命を待ち、魏博が朝廷に帰順する":"田季安の死後、軍中に推された田興（田弘正）が土地と兵を挙げて朝廷の命を待ち、｜魏博《ぎはく》が朝廷に帰順する","元和七年十月":"｜元和《げんわ》七年十月","魏博（史憲誠）":"｜魏博《ぎはく》（史｜憲誠《けんせい》）","田布が自殺し、史憲誠が留後を称する。朝廷は討てずに節鉞を授ける":"田布が自殺し、史｜憲誠《けんせい》が留後を称する。朝廷は討てずに｜節鉞《せつえつ》を授ける","長慶二年正月":"｜長慶《ちょうけい》二年正月","楽彦禎父子が逐われ、軍中が羅弘信を留後に推し、朝廷が節度使とする":"楽彦禎父子が逐われ、軍中が羅弘信を留後に推し、朝廷が｜節度使《せつどし》とする","貝州":"｜貝州《ばいしゅう》","清河県":"｜清河《せいが》県","唐の貝州（清河郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜貝州《ばいしゅう》（｜清河《せいが》郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","顔真卿が平原を捨てて河を渡った後、史思明が平原の兵で清河・博平を攻め落とす":"顔｜真卿《しんけい》が平原を捨てて河を渡った後、｜史思明《ししめい》が平原の兵で｜清河《せいが》・博平を攻め落とす","安慶緒が北へ逃げると清河太守宇文寛が使者を殺して唐に降り、史思明も降って河北はおおむね唐のものとなる":"｜安慶緒《あんけいしょ》が北へ逃げると｜清河《せいが》｜太守《たいしゅ》｜宇文《うぶん》寛が使者を殺して唐に降り、｜史思明《ししめい》も降って｜河北《かほく》はおおむね唐のものとなる","安慶緒の将蔡希徳・安太清が清河・平原を攻め落とし、太守を捕らえる":"｜安慶緒《あんけいしょ》の将蔡希徳・安太清が｜清河《せいが》・平原を攻め落とし、｜太守《たいしゅ》を捕らえる","河北の州が唐に降り、薛嵩が相・衛・邢・洺・貝・磁六州節度使となる":"｜河北《かほく》の州が唐に降り、薛嵩が相・衛・邢・洺・貝・磁六州｜節度使《せつどし》となる","田承嗣が相衛の四州の地を奪い、討伐を受ける。成徳・淄青の軍が貝州を囲むが取れない":"田｜承嗣《しょうし》が相衛の｜四州《ししゅう》の地を奪い、討伐を受ける。｜成徳《せいとく》・｜淄青《しせい》の軍が｜貝州《ばいしゅう》を囲むが取れない","田悦が朝命を拒み、討伐を受ける（貝州刺史は承嗣の旧将邢曹俊）":"田悦が朝命を拒み、討伐を受ける（｜貝州《ばいしゅう》｜刺史《しし》は承嗣の旧将邢曹俊）","田悦が王号を去る。朱滔が貝州を百日余り囲むが、刺史邢曹俊が守り抜き、魏博は田緒が継ぐ":"田悦が｜王号《おうごう》を去る。朱｜滔《とう》が｜貝州《ばいしゅう》を百日余り囲むが、｜刺史《しし》邢曹俊が守り抜き、｜魏博《ぎはく》は田緒が継ぐ","田興（田弘正）が魏博を挙げて朝廷に帰順する":"田興（田弘正）が｜魏博《ぎはく》を挙げて朝廷に帰順する","史憲誠が留後を称し、朝廷は討てずに節鉞を授ける":"史｜憲誠《けんせい》が留後を称し、朝廷は討てずに｜節鉞《せつえつ》を授ける","軍中が羅弘信を魏博留後に推し、朝廷が節度使とする":"軍中が羅弘信を｜魏博《ぎはく》留後に推し、朝廷が｜節度使《せつどし》とする","聊城市":"｜聊城《りょうじょう》市","唐の博州（博平郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の博州（博平郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","史思明が平原の兵で清河・博平を攻め落とす":"｜史思明《ししめい》が平原の兵で｜清河《せいが》・博平を攻め落とす","史思明が配下の郡を挙げて降る（博州刺史は史思明の将令狐彰）":"｜史思明《ししめい》が配下の郡を挙げて降る（博州｜刺史《しし》は｜史思明《ししめい》の将令狐彰）","田承嗣が降り、魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使、ついで魏博節度使となる":"田｜承嗣《しょうし》が降り、魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使、ついで｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる","田承嗣が貶されて討伐を受ける":"田｜承嗣《しょうし》が貶されて討伐を受ける","田承嗣の罪を赦す":"田｜承嗣《しょうし》の罪を赦す","田悦が王号を去り、田緒が魏博節度使となる（博州は魏博の管下に戻る）":"田悦が｜王号《おうごう》を去り、田緒が｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる（博州は｜魏博《ぎはく》の管下に戻る）","相州":"｜相州《そうしゅう》","唐の相州（鄴郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜相州《そうしゅう》（｜鄴郡《ぎょうぐん》・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","河北十七郡が唐に帰った後も、鄴郡は安禄山に従う六郡の一つとして残る":"｜河北《かほく》十七郡が唐に帰った後も、｜鄴郡《ぎょうぐん》は｜安禄山《あんろくさん》に従う六郡の一つとして残る","天宝十四載十二月":"｜天宝《てんぽう》十四載十二月","燕の鄴郡節度使薛嵩が相・衛・洺・邢四州を挙げて降り、元の地位に戻される":"燕の｜鄴郡《ぎょうぐん》｜節度使《せつどし》薛嵩が相・衛・洺・邢｜四州《ししゅう》を挙げて降り、元の地位に戻される","昭義の兵馬使裴志清が留後薛崿を逐って田承嗣に帰し、田承嗣が相州を襲って取る。四月に田承嗣は貶されて討伐を受ける":"｜昭義《しょうぎ》の兵馬使裴志清が留後薛崿を逐って田｜承嗣《しょうし》に帰し、田｜承嗣《しょうし》が｜相州《そうしゅう》を襲って取る。四月に田｜承嗣《しょうし》は貶されて討伐を受ける","田悦が王号を去り、田緒が魏博節度使となる":"田悦が｜王号《おうごう》を去り、田緒が｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる","澶州":"｜澶州《せんしゅう》","濮陽市":"｜濮陽《ぼくよう》市","まだ澶州は置かれておらず、顿丘などの県は唐の魏州（河北道）に属する":"まだ｜澶州《せんしゅう》は置かれておらず、顿丘などの県は唐の｜魏州《ぎしゅう》（｜河北《かほく》道）に属する","（魏州として）正月に再び燕に属し、年末までに史思明が河北をすべて下す":"（｜魏州《ぎしゅう》として）正月に再び燕に属し、年末までに｜史思明《ししめい》が｜河北《かほく》をすべて下す","（魏州として）田承嗣が降り、魏博節度使となる。772年に田承嗣の管下で澶州が置かれる":"（｜魏州《ぎしゅう》として）田｜承嗣《しょうし》が降り、｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》となる。772年に田｜承嗣《しょうし》の管下で｜澶州《せんしゅう》が置かれる","滄州":"｜滄州《そうしゅう》","唐の滄州（景城郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の｜滄州《そうしゅう》（景城郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","史思明が河間を陥とし、ついで景城を陥とす":"｜史思明《ししめい》が｜河間《かかん》を陥とし、ついで景城を陥とす","史思明の降伏に伴い、烏承恩の宣諭で滄州などが降る":"｜史思明《ししめい》の降伏に伴い、烏承恩の｜宣諭《せんゆ》で｜滄州《そうしゅう》などが降る","田承嗣が魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使となる":"田｜承嗣《しょうし》が魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使となる","李宝臣・朱滔が田承嗣の滄州を攻めて取れなかったが、田承嗣が李宝臣を誘って滄州を譲る":"李宝臣・朱｜滔《とう》が田｜承嗣《しょうし》の｜滄州《そうしゅう》を攻めて取れなかったが、田｜承嗣《しょうし》が李宝臣を誘って｜滄州《そうしゅう》を譲る","李惟岳が朝命を拒み、討伐を受ける（滄州刺史李固烈は李惟岳の妻の兄）":"李惟岳が朝命を拒み、討伐を受ける（滄州刺史｜李《り》固烈は李惟岳の妻の兄）","李惟岳の滅亡後、張孝忠を易・定・滄三州節度使とし、滄州は張孝忠が摂刺史に任じた程華（程日華）が守る":"李惟岳の滅亡後、張孝忠を易・定・滄｜三州《さんしゅう》｜節度使《せつどし》とし、｜滄州《そうしゅう》は張孝忠が摂｜刺史《しし》に任じた程華（程日華）が守る","横海節度使程日華が死に、子の程懐直が自ら留後となる（以後、程氏が滄・景を世襲する）":"横海｜節度使《せつどし》程日華が死に、子の程懐直が自ら留後となる（以後、｜程氏《ていし》が滄・景を世襲する）","程権が世襲の地を返して一族で入朝し、朝廷が横海節度使を任命する":"程権が世襲の地を返して一族で入朝し、朝廷が横海｜節度使《せつどし》を任命する","元和十三年":"｜元和《げんわ》十三年","横海節度使李全略が死に、子の李同捷が勝手に留後を領する":"横海｜節度使《せつどし》李全略が死に、子の李同捷が勝手に留後を領する","宝暦二年":"｜宝暦《ほうれき》二年","李同捷が兗海への移鎮の詔に従わず、官爵を削られて討伐を受ける":"李同捷が兗海への｜移鎮《いちん》の詔に従わず、官爵を削られて討伐を受ける","太和元年八月":"｜太和《たいわ》元年八月","太和三年四月":"｜太和《たいわ》三年四月","滄州の軍が乱れて節度使楊全玫を逐い、牙将盧彦威を留後に立てる（朝廷は890年に義昌節度使と認める）":"｜滄州《そうしゅう》の軍が乱れて｜節度使《せつどし》楊全玫を逐い、牙将盧彦威を留後に立てる（朝廷は890年に義昌｜節度使《せつどし》と認める）","劉仁恭":"｜劉仁恭《りゅうじんきょう》","盧龍節度使劉仁恭が子の劉守文に滄州を襲わせ、盧彦威は城を捨てて逃げる。劉仁恭は滄・景・徳三州を取る":"｜盧龍《ろりゅう》｜節度使《せつどし》｜劉仁恭《りゅうじんきょう》が子の｜劉《りゅう》｜守文《しゅぶん》に｜滄州《そうしゅう》を襲わせ、盧彦威は城を捨てて逃げる。｜劉仁恭《りゅうじんきょう》は滄・景・徳｜三州《さんしゅう》を取る","唐の徳州（平原郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の徳州（平原郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","史思明の先鋒が迫り、顔真卿は力及ばず平原を捨てて河を渡る":"｜史思明《ししめい》の｜先鋒《せんぽう》が迫り、顔｜真卿《しんけい》は力及ばず平原を捨てて河を渡る","至徳元載十月":"｜至徳《しとく》元載十月","平盧の董秦・田神功が海を渡って平原・楽安を下し、年末には烏承恩の宣諭で徳州などが降る":"平盧の董秦・田｜神功《しんこう》が海を渡って平原・｜楽安《らくあん》を下し、年末には烏承恩の｜宣諭《せんゆ》で徳州などが降る","安慶緒の将蔡希徳・安太清が平原・清河を攻め落とす":"｜安慶緒《あんけいしょ》の将蔡希徳・安太清が平原・｜清河《せいが》を攻め落とす","淄青（李正己）":"｜淄青《しせい》（李正己）","田承嗣討伐の中で、淄青の李正己が徳州を攻め抜いて自分の管下に入れる":"田｜承嗣《しょうし》討伐の中で、｜淄青《しせい》の李正己が徳州を攻め抜いて自分の管下に入れる","大暦十年五月":"｜大暦《たいれき》十年五月","淄青（李納）":"｜淄青《しせい》（｜李《り》納）","李正己の死を隠して子の李納が軍務を領し、田悦らと結んで背き、討伐を受ける":"李正己の死を隠して子の｜李《り》納が軍務を領し、田悦らと結んで背き、討伐を受ける","幽州（朱滔）":"｜幽州《ゆうしゅう》（朱｜滔《とう》）","李納の徳州刺史李士真が唐に降ったが、同じ月に朱滔が背いて徳・棣二州を陥とす（十一月に冀王を称する）":"｜李《り》納の徳州｜刺史《しし》李士真が唐に降ったが、同じ月に朱｜滔《とう》が背いて徳・棣二州を陥とす（十一月に冀王を称する）","建中三年四月":"｜建中《けんちゅう》三年四月","王武俊が朱滔を破った功で徳・棣二州を属させられる（朱滔は敗れて上表し罪を待つ）":"王｜武俊《ぶしゅん》が朱｜滔《とう》を破った功で徳・棣二州を属させられる（朱｜滔《とう》は敗れて｜上表《じょうひょう》し罪を待つ）","王承宗が献じた徳・棣二州に置かれた保信軍節度使薛昌朝を王承宗が捕らえ、詔に従わず討伐を受ける":"王｜承宗《しょうそう》が献じた徳・棣二州に置かれた保信軍｜節度使《せつどし》薛昌朝を王｜承宗《しょうそう》が捕らえ、詔に従わず討伐を受ける","元和四年":"｜元和《げんわ》四年","王承宗を赦し、徳・棣二州を再び与える":"王｜承宗《しょうそう》を赦し、徳・棣二州を再び与える","王承宗が徳・棣二州を献じ、鄭権を徳州刺史・横海軍節度使として朝廷が治める":"王｜承宗《しょうそう》が徳・棣二州を献じ、鄭権を徳州｜刺史《しし》・横海軍｜節度使《せつどし》として朝廷が治める","横海節度使李全略の子の李同捷が勝手に留後を領する":"横海｜節度使《せつどし》李全略の子の李同捷が勝手に留後を領する","横海節度使李祐が徳州を抜く":"横海｜節度使《せつどし》李祐が徳州を抜く","太和三年":"｜太和《たいわ》三年","盧彦威が滄州の留後に立てられ、朝廷は彼を徳州刺史とする（徳州は盧彦威の義昌の管下）":"盧彦威が｜滄州《そうしゅう》の留後に立てられ、朝廷は彼を徳州｜刺史《しし》とする（徳州は盧彦威の義昌の管下）","劉仁恭が滄・景・徳三州を取る":"｜劉仁恭《りゅうじんきょう》が滄・景・徳｜三州《さんしゅう》を取る","朱全忠の将葛従周が徳州を抜き、刺史傅公和を斬る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将葛従周が徳州を抜き、｜刺史《しし》傅｜公和《こうわ》を斬る","光化三年五月":"｜光化《こうか》三年五月","唐の棣州（楽安郡・河北道）。安史の乱の前は内地の州":"唐の棣州（｜楽安《らくあん》郡・｜河北《かほく》道）。｜安史《あんし》の乱の前は内地の州","史思明が二騎に書を持たせて楽安を招くと、ただちに郡を挙げて降る":"｜史思明《ししめい》が二騎に書を持たせて｜楽安《らくあん》を招くと、ただちに郡を挙げて降る","平盧の董秦・田神功が平原・楽安を下し、年末には烏承恩の宣諭で棣州などが降る":"平盧の董秦・田｜神功《しんこう》が平原・｜楽安《らくあん》を下し、年末には烏承恩の｜宣諭《せんゆ》で棣州などが降る","河北の州が唐に降り、棣州は滄・冀・瀛とともに青淄（平盧節度使侯希逸）の管下とされる":"｜河北《かほく》の州が唐に降り、棣州は滄・冀・瀛とともに青淄（平盧｜節度使《せつどし》侯希逸）の管下とされる","永泰元年七月":"｜永泰《えいたい》元年七月","李納が軍務を領して背き、討伐を受ける":"｜李《り》納が軍務を領して背き、討伐を受ける","李納の棣州刺史李長卿が唐に降ったが、同じ月に朱滔が背いて徳・棣二州を陥とす":"｜李《り》納の棣州｜刺史《しし》李長卿が唐に降ったが、同じ月に朱｜滔《とう》が背いて徳・棣二州を陥とす","朱滔が貝州で敗れ、棣州刺史趙鎬が州を挙げて王武俊に降る":"朱｜滔《とう》が｜貝州《ばいしゅう》で敗れ、棣州｜刺史《しし》趙鎬が州を挙げて王｜武俊《ぶしゅん》に降る","王承宗が保信軍節度使薛昌朝を捕らえて詔に従わず、討伐を受ける":"王｜承宗《しょうそう》が保信軍｜節度使《せつどし》薛昌朝を捕らえて詔に従わず、討伐を受ける","王承宗が徳・棣二州を献じ、横海節度使の管下として朝廷が治める":"王｜承宗《しょうそう》が徳・棣二州を献じ、横海｜節度使《せつどし》の管下として朝廷が治める","武寧節度使王智興が棣州を抜く":"武寧｜節度使《せつどし》王智興が棣州を抜く","太和二年九月":"｜太和《たいわ》二年九月","平盧の王師範が自ら棣州を攻め、刺史張蟾を捕らえて斬る":"平盧の王師範が自ら棣州を攻め、｜刺史《しし》張蟾を捕らえて斬る","朱全忠の将劉重霸が棣州を抜き、刺史邵播を殺す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将劉重霸が棣州を抜き、｜刺史《しし》邵播を殺す","太原府（晋陽）":"太原府（｜晋陽《しんよう》）","太原市":"｜太原《たいげん》市","唐の北都・河東節度使の治所":"唐の北都・｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》の治所","李克用が河東節度使に任じられ、晋陽に入る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》に任じられ、｜晋陽《しんよう》に入る","朝廷が李克用の官爵を削り、張濬を河東行営都招討使として討たせる（年末まで官爵は戻らない）":"朝廷が｜李克用《りこくよう》の官爵を削り、張濬を｜河東《かとう》｜行営《こうえい》都招討使として討たせる（年末まで官爵は戻らない）","大順元年五月":"｜大順《たいじゅん》元年五月","李克用の官爵が元に戻される":"｜李克用《りこくよう》の官爵が元に戻される","潞州（上党）":"｜潞州《ろしゅう》（｜上党《じょうとう》）","潞州":"｜潞州《ろしゅう》","唐の潞州（上党郡）":"唐の｜潞州《ろしゅう》（｜上党《じょうとう》郡）","昭義節度使劉悟が死に、子の劉従諫が喪を隠して軍を握る。朝廷は追認して留後とする":"｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》劉悟が死に、子の劉従諫が喪を隠して軍を握る。朝廷は追認して留後とする","宝暦元年十二月":"｜宝暦《ほうれき》元年十二月","劉従諫が死に、子の劉稹が自立する。朝廷は官爵を削り諸道に討たせる":"劉従諫が死に、子の｜劉《りゅう》｜稹《しん》が自立する。朝廷は官爵を削り諸道に討たせる","郭誼が劉稹を殺して朝廷に降り、石雄が潞州に入る":"郭誼が｜劉《りゅう》｜稹《しん》を殺して朝廷に降り、石雄が｜潞州《ろしゅう》に入る","潞州の人が孟方立に背いて李克用を招き、李克用の軍が潞州を取る":"｜潞州《ろしゅう》の人が孟方立に背いて｜李克用《りこくよう》を招き、｜李克用《りこくよう》の軍が｜潞州《ろしゅう》を取る","中和三年十月":"｜中和《ちゅうわ》三年十月","李罕之が節度使薛志勤の死に乗じて潞州を奪い、朱全忠に降る":"李罕之が｜節度使《せつどし》薛志勤の死に乗じて｜潞州《ろしゅう》を奪い、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降る","光化元年十二月":"｜光化《こうか》元年十二月","李嗣昭が潞州を囲み、朱全忠の将賀徳倫が城を捨てて逃げる。李克用は孟遷を昭義留後とする":"李嗣昭が｜潞州《ろしゅう》を囲み、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将賀徳倫が城を捨てて逃げる。｜李克用《りこくよう》は孟遷を｜昭義《しょうぎ》留後とする","光化二年八月":"｜光化《こうか》二年八月","朱全忠の将氏叔琮が攻め、昭義節度使孟遷が降る。朱全忠の請いで丁会が昭義節度使となる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将氏｜叔琮《しゅくそう》が攻め、｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》孟遷が降る。｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の請いで丁会が｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》となる","天復元年三月":"｜天復《てんふく》元年三月","李嗣昭が潞州を攻め、昭義節度使丁会が軍ごと河東に降る":"李嗣昭が｜潞州《ろしゅう》を攻め、｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》丁会が軍ごと｜河東《かとう》に降る","天祐三年":"｜天祐《てんゆう》三年","唐の沢州（高平郡）":"唐の沢州（｜高平《こうへい》郡）","昭義節度使劉悟が死に、子の劉従諫が軍を握る。朝廷は追認して留後とする":"｜昭義《しょうぎ》｜節度使《せつどし》劉悟が死に、子の劉従諫が軍を握る。朝廷は追認して留後とする","朝廷が劉従諫・劉稹の官爵を削り討たせる":"朝廷が劉従諫・｜劉《りゅう》｜稹《しん》の官爵を削り討たせる","劉稹の首が沢州を過ぎ、守将劉公直も降る":"｜劉《りゅう》｜稹《しん》の首が沢州を過ぎ、守将劉公直も降る","この年の九月に沢州は河陽節度の管下に移された":"この年の九月に沢州は｜河陽《かよう》節度の管下に移された","李克用が部将安金俊を沢州刺史とする":"｜李克用《りこくよう》が部将安金俊を沢州｜刺史《しし》とする","光啓三年七月":"｜光啓《こうけい》三年七月","朝廷が李克用の官爵を削って討たせる。沢州の李罕之も汴軍に攻められたが守り抜く":"朝廷が｜李克用《りこくよう》の官爵を削って討たせる。沢州の李罕之も汴軍に攻められたが守り抜く","李克用の官爵が戻り、沢州刺史李罕之の官爵も戻される":"｜李克用《りこくよう》の官爵が戻り、沢州｜刺史《しし》李罕之の官爵も戻される","大順二年二月":"｜大順《たいじゅん》二年二月","朱全忠の将氏叔琮が沢州を抜き、刺史李存璋が城を捨てて逃げる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将氏｜叔琮《しゅくそう》が沢州を抜き、｜刺史《しし》李存璋が城を捨てて逃げる","李克用が河東節度使となり、汾州もその管内に入る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》となり、汾州もその管内に入る","晋州":"｜晋州《しんしゅう》","唐の晋州（平陽郡）":"唐の｜晋州《しんしゅう》（｜平陽《へいよう》郡）","河中（王重栄）":"｜河中《かちゅう》（｜王重栄《おうちょうえい》）","河中の都虞候王重栄が乱を起こして河中留後となる。晋州・絳州の刺史は王重栄が推した者が務めた":"｜河中《かちゅう》の都虞候｜王重栄《おうちょうえい》が乱を起こして｜河中《かちゅう》留後となる。｜晋州《しんしゅう》・絳州の｜刺史《しし》は｜王重栄《おうちょうえい》が推した者が務めた","広明元年":"｜広明《こうめい》元年","李克用の将李存孝が晋・絳二州を取る（朝廷が李克用を討っていた年）":"｜李克用《りこくよう》の将李存孝が晋・絳二州を取る（朝廷が｜李克用《りこくよう》を討っていた年）","大順元年十一月":"｜大順《たいじゅん》元年十一月","王重盈の子の王瑶が晋州刺史として見え、河中の王珂と争う":"王重盈の子の王瑶が｜晋州《しんしゅう》｜刺史《しし》として見え、｜河中《かちゅう》の王珂と争う","朱全忠の将張存敬が攻め、晋州刺史張漢瑜が降る。朱全忠は侯言に晋州を守らせる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬が攻め、｜晋州《しんしゅう》｜刺史《しし》張漢瑜が降る。｜朱全忠《しゅぜんちゅう》は侯言に｜晋州《しんしゅう》を守らせる","天復元年正月":"｜天復《てんふく》元年正月","王重栄が河中留後となる。晋州・絳州の刺史は王重栄が推した者が務めた":"｜王重栄《おうちょうえい》が｜河中《かちゅう》留後となる。｜晋州《しんしゅう》・絳州の｜刺史《しし》は｜王重栄《おうちょうえい》が推した者が務めた","李克用の将李存孝が絳州を攻め、刺史張行恭が城を捨てて逃げる":"｜李克用《りこくよう》の将李存孝が絳州を攻め、｜刺史《しし》張行恭が城を捨てて逃げる","絳州刺史の王瑶（王重盈の子）が李克用を拒み、李克用が城を抜いて王瑶を斬り、河中の王珂を助ける":"絳州｜刺史《しし》の王瑶（王重盈の子）が｜李克用《りこくよう》を拒み、｜李克用《りこくよう》が城を抜いて王瑶を斬り、｜河中《かちゅう》の王珂を助ける","朱全忠の将張存敬が攻め、絳州刺史陶建釗が降る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬が攻め、絳州｜刺史《しし》陶建釗が降る","河中府（蒲州）":"｜河中《かちゅう》府（蒲州）","河中府":"｜河中《かちゅう》府","永済市":"｜永済《えいせい》市","唐の蒲州（河東郡）。758年に河中府となる":"唐の蒲州（｜河東《かとう》郡）。758年に｜河中《かちゅう》府となる","潼関が破れて河東郡の防御使が郡を捨てて逃げ、燕が河東の半ばを取る":"｜潼関《どうかん》が破れて｜河東《かとう》郡の防御使が郡を捨てて逃げ、燕が｜河東《かとう》の半ばを取る","天宝十五載六月":"｜天宝《てんぽう》十五載六月","燕の将崔乾祐が守る河東城で、韓旻らが城を開いて郭子儀の軍を迎え入れる":"燕の将崔｜乾祐《けんゆう》が守る｜河東《かとう》城で、韓｜旻《みん》らが城を開いて郭｜子儀《しぎ》の軍を迎え入れる","河中（李懐光）":"｜河中《かちゅう》（｜李《り》｜懐光《かいこう》）","李懐光が朝廷に背く。徳宗は詔で李懐光の罪を数えて官を罷め、渾瑊らに討たせる":"｜李《り》｜懐光《かいこう》が朝廷に背く。｜徳宗《とくそう》は詔で｜李《り》｜懐光《かいこう》の罪を数えて官を罷め、｜渾《こん》｜瑊《かん》らに討たせる","馬燧らが河中に迫り、李懐光が自ら縊れて死ぬ":"馬燧らが｜河中《かちゅう》に迫り、｜李《り》｜懐光《かいこう》が自ら縊れて死ぬ","河中の都虞候王重栄が乱を起こして河中留後となる。一時は黄巣に降ったが、同じ年のうちに黄巣の使者を殺して唐に戻る":"｜河中《かちゅう》の都虞候｜王重栄《おうちょうえい》が乱を起こして｜河中《かちゅう》留後となる。一時は｜黄巣《こうそう》に降ったが、同じ年のうちに｜黄巣《こうそう》の使者を殺して唐に戻る","朱全忠の将張存敬が河中を囲み、護国軍節度使王珂が降る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬が｜河中《かちゅう》を囲み、｜護国軍《ごこくぐん》｜節度使《せつどし》王珂が降る","天復元年二月":"｜天復《てんふく》元年二月","朱全忠が河中を取った後、李克用の将李嗣昭・周徳威が隰州を攻め、刺史唐礼が降る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜河中《かちゅう》を取った後、｜李克用《りこくよう》の将李嗣昭・周｜徳威《とくい》が隰州を攻め、｜刺史《しし》唐礼が降る","天復元年六月":"｜天復《てんふく》元年六月","李克用が河東を離れて北へ帰る途中、忻・代二州を落として代州に居座る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》を離れて北へ帰る途中、忻・代二州を落として｜代州《だいしゅう》に居座る","広明二年（中和元年）":"｜広明《こうめい》二年（｜中和《ちゅうわ》元年）","朝廷が忻・代等州留後の李克用を雁門節度使とする":"朝廷が忻・代等州留後の｜李克用《りこくよう》を｜雁門《がんもん》｜節度使《せつどし》とする","代州":"｜代州《だいしゅう》","唐の代州":"唐の｜代州《だいしゅう》","李克用が忻・代二州を落として代州に居座る":"｜李克用《りこくよう》が忻・代二州を落として｜代州《だいしゅう》に居座る","883年には父の李国昌が代北節度使として代州に置かれた":"883年には父の李国昌が｜代北《だいほく》｜節度使《せつどし》として｜代州《だいしゅう》に置かれた","李克用が河東節度使となり、嵐州もその管内に入る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》となり、嵐州もその管内に入る","呂梁市離石区":"｜呂梁《りょりょう》市｜離石《りせき》区","李克用が河東節度使となり、石州もその管内に入る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》となり、石州もその管内に入る","李克用が河東節度使となり、儀州（この年に遼州と改名）もその管内に入る":"｜李克用《りこくよう》が｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》となり、儀州（この年に遼州と改名）もその管内に入る","麟州":"｜麟州《りんしゅう》","唐の麟州（関内道）":"唐の｜麟州《りんしゅう》（関内道）","李克用の求めで麟州を河東の管下に移す":"｜李克用《りこくよう》の求めで｜麟州《りんしゅう》を｜河東《かとう》の管下に移す","中和四年八月":"｜中和《ちゅうわ》四年八月","鄜州":"｜鄜州《ふしゅう》","唐の鄜州":"唐の｜鄜州《ふしゅう》","党項の拓跋氏の李思孝が鄜州（保大軍）を握っている":"党項の拓跋氏の李思孝が｜鄜州《ふしゅう》（｜保大《ほだい》軍）を握っている","李茂貞の従弟の保大節度使李茂勲が鳳翔の救援に出た隙に、朱全忠の将孔勍らが鄜州を襲って取る":"｜李《り》｜茂貞《もてい》の従弟の｜保大《ほだい》｜節度使《せつどし》李茂勲が｜鳳翔《ほうしょう》の救援に出た隙に、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将孔勍らが｜鄜州《ふしゅう》を襲って取る","天復二年十一月":"｜天復《てんふく》二年十一月","延州":"｜延州《えんしゅう》","延安市":"｜延安《えんあん》市","唐の延州":"唐の｜延州《えんしゅう》","拓跋思恭":"｜拓跋《たくばつ》思恭","李克用の上表に「拓跋思恭が鄜・延を取った」とあり、この年までに党項の拓跋氏が延州を握っている":"｜李克用《りこくよう》の｜上表《じょうひょう》に「｜拓跋《たくばつ》思恭が鄜・延を取った」とあり、この年までに党項の拓跋氏が｜延州《えんしゅう》を握っている","朱全忠の将劉知俊・康懐貞が鄜・延等五州を下す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜劉《りゅう》｜知俊《ちしゅん》・康懐貞が鄜・延等五州を下す","天祐三年十一月":"｜天祐《てんゆう》三年十一月","夏州（統万城）":"｜夏州《かしゅう》（｜統万城《とうまんじょう》）","夏州":"｜夏州《かしゅう》","唐の夏州":"唐の｜夏州《かしゅう》","吐蕃が夏州に迫り、刺史拓跋乾暉に民を連れて去らせて城に入る":"｜吐蕃《とばん》が｜夏州《かしゅう》に迫り、｜刺史《しし》｜拓跋《たくばつ》乾暉に民を連れて去らせて城に入る","夏州の吐蕃の守兵が城を焼き壊して去り、朝廷は韓潭を夏綏銀節度使として夏州に置く":"｜夏州《かしゅう》の｜吐蕃《とばん》の守兵が城を焼き壊して去り、朝廷は韓潭を夏綏銀｜節度使《せつどし》として｜夏州《かしゅう》に置く","党項の宥州刺史拓跋思恭が黄巣討伐に兵を出し、夏綏節度使に任じられる（この年夏州は定難軍の号を賜る）":"党項の宥州｜刺史《しし》｜拓跋《たくばつ》思恭が｜黄巣《こうそう》討伐に兵を出し、夏綏｜節度使《せつどし》に任じられる（この年夏州は定難軍の号を賜る）","拓跋思恭が夏綏節度使に任じられ、綏州もその管下に入る":"｜拓跋《たくばつ》思恭が夏綏｜節度使《せつどし》に任じられ、綏州もその管下に入る","唐の宥州（天宝年間は経略軍に寄治）":"唐の宥州（｜天宝《てんぽう》年間は経略軍に寄治）","党項の宥州刺史拓跋思恭が兵を起こし、夏綏節度使に任じられる":"党項の宥州｜刺史《しし》｜拓跋《たくばつ》思恭が兵を起こし、夏綏｜節度使《せつどし》に任じられる","霊州":"｜霊州《れいしゅう》","霊武市":"｜霊武《れいぶ》市","唐の霊州・朔方節度使の治所":"唐の｜霊州《れいしゅう》・｜朔方《さくほう》｜節度使《せつどし》の治所","仆固懐恩が汾州から霊武に入って朔方の軍を奪い、回紇・吐蕃を引いて南へ攻め込む":"仆固懐恩が汾州から｜霊武《れいぶ》に入って｜朔方《さくほう》の軍を奪い、｜回紇《かいこつ》・｜吐蕃《とばん》を引いて南へ攻め込む","広徳二年":"｜広徳《こうとく》二年","仆固懐恩が鳴沙で死に、霊武が朝廷の手に戻る":"仆固懐恩が鳴沙で死に、｜霊武《れいぶ》が朝廷の手に戻る","永泰元年":"｜永泰《えいたい》元年","吐蕃が塩州に迫り、刺史杜彦光が民を連れて鄜州に逃げ、吐蕃が城に入る":"｜吐蕃《とばん》が塩州に迫り、｜刺史《しし》杜彦光が民を連れて｜鄜州《ふしゅう》に逃げ、｜吐蕃《とばん》が城に入る","塩州の吐蕃の守兵が城を焼き壊して去り、霊塩節度使杜希全が兵を分けて守らせる":"塩州の｜吐蕃《とばん》の守兵が城を焼き壊して去り、霊塩｜節度使《せつどし》杜希全が兵を分けて守らせる","豊州（天徳軍）":"豊州（｜天徳《てんとく》軍）","唐の豊州（のち天徳軍の管下）":"唐の豊州（のち｜天徳《てんとく》軍の管下）","振武軍（単于都護府）":"振武軍（｜単于《ぜんう》都護府）","唐の単于都護府・振武軍":"唐の｜単于《ぜんう》都護府・振武軍","汴州（開封・大梁）":"｜汴州《べんしゅう》（開封・｜大梁《だいりょう》）","汴州":"｜汴州《べんしゅう》","唐の汴州（陳留郡・河南道）":"唐の｜汴州《べんしゅう》（陳留郡・｜河南《かなん》道）","安禄山が陳留を降し、李庭望に守らせる":"｜安禄山《あんろくさん》が陳留を降し、李庭望に守らせる","史思明が汴州に至り、汴滑節度使許叔冀が降る":"｜史思明《ししめい》が｜汴州《べんしゅう》に至り、汴滑｜節度使《せつどし》許叔冀が降る","乾元二年九月":"｜乾元《けんげん》二年九月","史朝義の陳留節度使張献誠が城を開いて唐に降る":"｜史朝義《しちょうぎ》の陳留｜節度使《せつどし》張献誠が城を開いて唐に降る","宝応元年十月":"｜宝応《ほうおう》元年十月","淮西（李希烈）":"｜淮西《わいせい》（｜李希烈《りきれつ》）","李希烈が大梁（汴州）を落とし、李勉は宋州へ逃れる（李希烈は前年に建興王を名乗っている）":"｜李希烈《りきれつ》が｜大梁《だいりょう》（｜汴州《べんしゅう》）を落とし、李勉は｜宋州《そうしゅう》へ逃れる（｜李希烈《りきれつ》は前年に｜建興王《けんこうおう》を名乗っている）","建中四年十二月":"｜建中《けんちゅう》四年十二月","正月に李希烈がここで楚の皇帝を名乗ったが、十一月に宣武の劉洽が汴州を取り戻し、李希烈は蔡州へ逃げ帰る":"正月に｜李希烈《りきれつ》がここで楚の皇帝を名乗ったが、十一月に｜宣武《せんぶ》の劉洽が｜汴州《べんしゅう》を取り戻し、｜李希烈《りきれつ》は｜蔡州《さいしゅう》へ逃げ帰る","興元元年十一月":"｜興元《こうげん》元年十一月","宣武節度使朱全忠が汴州に着任する":"｜宣武《せんぶ》｜節度使《せつどし》｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜汴州《べんしゅう》に着任する","中和三年七月":"｜中和《ちゅうわ》三年七月","河南府（洛陽）":"｜河南《かなん》府（｜洛陽《らくよう》）","河南府":"｜河南《かなん》府","洛陽市":"｜洛陽《らくよう》市","唐の東都・河南府":"唐の東都・｜河南《かなん》府","安禄山が東京を落とす（翌年正月にここで皇帝を名乗る）":"｜安禄山《あんろくさん》が｜東京《とうけい》を落とす（翌年正月にここで皇帝を名乗る）","安慶緒が河北へ逃れ、広平王が東京に入る":"｜安慶緒《あんけいしょ》が｜河北《かほく》へ逃れ、｜広平王《こうへいおう》が｜東京《とうけい》に入る","李光弼が洛陽を捨てて河陽を守り、史思明が洛陽に入る":"｜李《り》｜光弼《こうひつ》が｜洛陽《らくよう》を捨てて｜河陽《かよう》を守り、｜史思明《ししめい》が｜洛陽《らくよう》に入る","僕固懐恩らが史朝義を破り東京を取り戻す":"僕固懐恩らが｜史朝義《しちょうぎ》を破り｜東京《とうけい》を取り戻す","秦宗権の将孫儒が東都を落としたが月余で焼き払って去り、東都留守李罕之が戻って居座る":"｜秦宗権《しんそうけん》の将孫儒が東都を落としたが月余で焼き払って去り、東都留守李罕之が戻って居座る","秦宗権の兵が去り、張全義が東都に拠って河南尹となる":"｜秦宗権《しんそうけん》の兵が去り、張全義が東都に拠って河南尹となる","朱全忠が昭宗を洛陽へ移し、天子の左右はすべて朱全忠の人になる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜昭宗《しょうそう》を｜洛陽《らくよう》へ移し、天子の左右はすべて｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の人になる","天祐元年閏四月":"｜天祐《てんゆう》元年閏四月","唐の鄭州（滎陽郡）":"唐の鄭州（｜滎陽《けいよう》郡）","安禄山が滎陽を落とし武令珣に守らせる":"｜安禄山《あんろくさん》が｜滎陽《けいよう》を落とし武令珣に守らせる","安慶緒が洛陽を捨てて河北へ逃れ、燕の河南の兵は鄴へ引く":"｜安慶緒《あんけいしょ》が｜洛陽《らくよう》を捨てて｜河北《かほく》へ逃れ、燕の｜河南《かなん》の兵は鄴へ引く","史思明が洛陽に入り、鄭・滑などの州が相次いで陥る":"｜史思明《ししめい》が｜洛陽《らくよう》に入り、鄭・滑などの州が相次いで陥る","唐軍が史朝義を追って鄭州で再び勝つ":"唐軍が｜史朝義《しちょうぎ》を追って鄭州で再び勝つ","秦宗権":"｜秦宗権《しんそうけん》","秦宗権が孫儒に鄭州を落とさせ、刺史李璠は大梁へ逃れる":"｜秦宗権《しんそうけん》が孫儒に鄭州を落とさせ、｜刺史《しし》李璠は｜大梁《だいりょう》へ逃れる","辺孝村の敗戦で秦宗権が鄭州を焼いて去り、朱全忠が孫従益に鄭州を治めさせる":"辺孝村の敗戦で｜秦宗権《しんそうけん》が鄭州を焼いて去り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が孫従益に鄭州を治めさせる","光啓三年五月":"｜光啓《こうけい》三年五月","滑州":"｜滑州《かつしゅう》","唐の滑州（霊昌郡）":"唐の｜滑州《かつしゅう》（霊昌郡）","安禄山が霊昌で黄河を渡り霊昌郡を落とす":"｜安禄山《あんろくさん》が霊昌で｜黄河《こうが》を渡り霊昌郡を落とす","唐が呉王祗を霊昌太守とする（757年に霊昌太守許叔冀が燕に囲まれており、それまで唐が保持）":"唐が｜呉王《ごおう》祗を霊昌｜太守《たいしゅ》とする（757年に霊昌｜太守《たいしゅ》許叔冀が燕に囲まれており、それまで唐が保持）","史思明の将令狐彰が滑州を取り、鄭・滑などが陥る":"｜史思明《ししめい》の将令狐彰が｜滑州《かつしゅう》を取り、鄭・滑などが陥る","僕固懐恩が滑州を落とす":"僕固懐恩が｜滑州《かつしゅう》を落とす","滑州刺史李澄が城ごと李希烈に降る":"｜滑州《かつしゅう》｜刺史《しし》李澄が城ごと｜李希烈《りきれつ》に降る","李澄が李希烈の旌節を焼いて唐に帰り、汴滑節度使となる":"李澄が｜李希烈《りきれつ》の旌節を焼いて唐に帰り、汴滑｜節度使《せつどし》となる","朱全忠の将朱珍・李唐賓が滑州を落とし、胡真に義成留後をさせる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将朱珍・李唐賓が｜滑州《かつしゅう》を落とし、胡真に義成留後をさせる","孟州（河陽）":"孟州（｜河陽《かよう》）","唐の河陽（河南府の河陽県。843年に孟州となる）":"唐の｜河陽《かよう》（｜河南《かなん》府の｜河陽《かよう》県。843年に孟州となる）","安禄山が東京を落とし、黄河の渡し口の河陽も燕の手に入る":"｜安禄山《あんろくさん》が｜東京《とうけい》を落とし、｜黄河《こうが》の渡し口の｜河陽《かよう》も燕の手に入る","郭子儀が張用済・渾釈之に河陽と河内を取らせる":"郭｜子儀《しぎ》が張用済・渾釈之に｜河陽《かよう》と｜河内《かだい》を取らせる","邙山の敗戦で李抱玉が河陽を捨て、河陽・懐州が燕に没する":"｜邙山《ぼうざん》の敗戦で李抱玉が｜河陽《かよう》を捨て、｜河陽《かよう》・｜懐州《かいしゅう》が燕に没する","上元二年二月":"｜上元《じょうげん》二年二月","僕固懐恩が東京と河陽城を取り戻す":"僕固懐恩が｜東京《とうけい》と｜河陽《かよう》城を取り戻す","諸葛爽が黄巣に降り、黄巣が爽を河陽節度使として送り込み、河陽の兵が爽を迎える":"諸葛爽が｜黄巣《こうそう》に降り、｜黄巣《こうそう》が爽を｜河陽《かよう》｜節度使《せつどし》として送り込み、｜河陽《かよう》の兵が爽を迎える","諸葛爽が河陽から表を奉って唐に帰り、そのまま河陽節度使となる":"諸葛爽が｜河陽《かよう》から表を奉って唐に帰り、そのまま｜河陽《かよう》｜節度使《せつどし》となる","中和元年":"｜中和《ちゅうわ》元年","魏博（韓簡）":"｜魏博《ぎはく》（韓簡）","魏博節度使韓簡が河陽を攻め、諸葛爽は城を捨てて逃れ、韓簡が兵を留めて守らせる":"｜魏博《ぎはく》｜節度使《せつどし》韓簡が｜河陽《かよう》を攻め、諸葛爽は城を捨てて逃れ、韓簡が兵を留めて守らせる","諸葛爽が河陽を襲って取り戻す":"諸葛爽が｜河陽《かよう》を襲って取り戻す","秦宗権の将孫儒が河陽を落とし、自ら節度使を名乗る":"｜秦宗権《しんそうけん》の将孫儒が｜河陽《かよう》を落とし、自ら｜節度使《せつどし》を名乗る","光啓二年十二月":"｜光啓《こうけい》二年十二月","孫儒が河陽を去り、李罕之が河陽に拠る（李克用の上表で河陽節度使）":"孫儒が｜河陽《かよう》を去り、李罕之が｜河陽《かよう》に拠る（｜李克用《りこくよう》の｜上表《じょうひょう》で｜河陽《かよう》｜節度使《せつどし》）","張全義が河陽を襲い李罕之を追い、河東軍に囲まれた張全義を朱全忠が救って丁会を河陽留後とする":"張全義が｜河陽《かよう》を襲い李罕之を追い、｜河東《かとう》軍に囲まれた張全義を｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が救って丁会を｜河陽《かよう》留後とする","懐州":"｜懐州《かいしゅう》","唐の懐州（河内郡）":"唐の｜懐州《かいしゅう》（｜河内《かだい》郡）","燕の蔡希徳が河内から北へ常山を撃つ（河内は燕の手にある）":"燕の蔡希徳が｜河内《かだい》から北へ常山を撃つ（｜河内《かだい》は燕の手にある）","郭子儀が河陽と河内を取らせる":"郭｜子儀《しぎ》が｜河陽《かよう》と｜河内《かだい》を取らせる","史思明が安太清に懐州を取らせ、そのまま守らせる":"｜史思明《ししめい》が安太清に｜懐州《かいしゅう》を取らせ、そのまま守らせる","乾元二年":"｜乾元《けんげん》二年","李光弼が百余日攻めて懐州を落とし、安太清を生け捕る":"｜李《り》｜光弼《こうひつ》が百余日攻めて｜懐州《かいしゅう》を落とし、安太清を生け捕る","上元元年":"｜上元《じょうげん》元年","邙山の敗戦で河陽・懐州が燕に没する":"｜邙山《ぼうざん》の敗戦で｜河陽《かよう》・｜懐州《かいしゅう》が燕に没する","唐軍が兵を分けて懐州を取る":"唐軍が兵を分けて｜懐州《かいしゅう》を取る","河陽節度使諸葛爽が李罕之を懐州刺史とする":"｜河陽《かよう》｜節度使《せつどし》諸葛爽が李罕之を｜懐州《かいしゅう》｜刺史《しし》とする","孫儒が河陽を落とし、張全義が懐州に拠って拒む":"孫儒が｜河陽《かよう》を落とし、張全義が｜懐州《かいしゅう》に拠って拒む","朱全忠が李罕之を河陽節度使とし、李罕之は懐州で死ぬ（懐州は朱全忠の勢力下）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が李罕之を｜河陽《かよう》｜節度使《せつどし》とし、李罕之は｜懐州《かいしゅう》で死ぬ（｜懐州《かいしゅう》は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の勢力下）","光化二年六月":"｜光化《こうか》二年六月","河東の李嗣昭が懐州を落とし、河陽を攻めて退いたのち懐州を保つ":"｜河東《かとう》の李嗣昭が｜懐州《かいしゅう》を落とし、｜河陽《かよう》を攻めて退いたのち｜懐州《かいしゅう》を保つ","朱全忠の氏叔琮が太行から天井関に入り河東を攻める（懐州を通る道で、朱全忠の手に戻っている）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の氏｜叔琮《しゅくそう》が太行から天井関に入り｜河東《かとう》を攻める（｜懐州《かいしゅう》を通る道で、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の手に戻っている）","陝州":"｜陝州《せんしゅう》","唐の陝州（陝郡）":"唐の｜陝州《せんしゅう》（陝郡）","陝郡太守が河東へ逃れ、安禄山が崔乾祐を陝に駐屯させる":"陝郡｜太守《たいしゅ》が｜河東《かとう》へ逃れ、｜安禄山《あんろくさん》が崔｜乾祐《けんゆう》を陝に駐屯させる","燕の厳荘・張通儒が陝を捨てて東へ走り、広平王と郭子儀が陝城に入る":"燕の厳荘・張｜通儒《つうじゅ》が陝を捨てて東へ走り、｜広平王《こうへいおう》と郭｜子儀《しぎ》が陝城に入る","陝州を節度使に昇格し王重盈を節度使とする":"｜陝州《せんしゅう》を｜節度使《せつどし》に昇格し王重盈を｜節度使《せつどし》とする","王重盈が河中へ移り、子の王珙が陝虢留後となる":"王重盈が｜河中《かちゅう》へ移り、子の王珙が陝虢留後となる","王珙が部下に殺され、陝州都将朱簡が留後を名乗って朱全忠に付く":"王珙が部下に殺され、｜陝州《せんしゅう》都将朱簡が留後を名乗って｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に付く","光化二年十一月":"｜光化《こうか》二年十一月","許昌市":"｜許昌《きょしょう》市","一年近く守った潁川が燕の阿史那承慶の攻撃で落ち、太守薛愿らが捕らえられる":"一年近く守った潁川が燕の阿史那承慶の攻撃で落ち、｜太守《たいしゅ》薛愿らが捕らえられる","潁川の来瑱を囲んでいた燕の田承嗣が河北へ走る":"潁川の来瑱を囲んでいた燕の田｜承嗣《しょうし》が｜河北《かほく》へ走る","史朝義が潁川太守李春を置いている（762年正月に李光弼が許州を「収復」するまで燕の州）":"｜史朝義《しちょうぎ》が潁川｜太守《たいしゅ》李春を置いている（762年正月に｜李《り》｜光弼《こうひつ》が許州を「収復」するまで燕の州）","上元二年":"｜上元《じょうげん》二年","李光弼が許州を落とし、史朝義の置いた潁川太守李春を捕らえる":"｜李《り》｜光弼《こうひつ》が許州を落とし、｜史朝義《しちょうぎ》の置いた潁川｜太守《たいしゅ》李春を捕らえる","宝応元年建寅月":"｜宝応《ほうおう》元年建寅月","李希烈が兵を率いて許州に移り、十二月に天下都元帥・建興王を名乗る":"｜李希烈《りきれつ》が兵を率いて許州に移り、十二月に｜天下都元帥《てんかとげんすい》・｜建興王《けんこうおう》を名乗る","建中三年十二月":"｜建中《けんちゅう》三年十二月","李希烈が皇帝を名乗り国号を大楚とする":"｜李希烈《りきれつ》が皇帝を名乗り国号を｜大楚《だいそ》とする","興元元年正月":"｜興元《こうげん》元年正月","李希烈が殺されて淮西が降り、曲環が陳許節度使となる":"｜李希烈《りきれつ》が殺されて｜淮西《わいせい》が降り、曲環が陳許｜節度使《せつどし》となる","許州の乱で周岌が忠武節度使となる":"許州の乱で周岌が忠武｜節度使《せつどし》となる","鹿晏弘が許州に拠って留後を名乗り、朝廷は討てずに忠武節度使とする":"鹿晏弘が許州に拠って留後を名乗り、朝廷は討てずに忠武｜節度使《せつどし》とする","中和四年":"｜中和《ちゅうわ》四年","秦宗権が許州を落とし、鹿晏弘を殺す":"｜秦宗権《しんそうけん》が許州を落とし、鹿晏弘を殺す","光啓二年七月":"｜光啓《こうけい》二年七月","辺孝村の敗戦で秦宗権の兵が許州を捨て、朝廷が楊守宗に許州を治めさせる":"辺孝村の敗戦で｜秦宗権《しんそうけん》の兵が許州を捨て、朝廷が楊守宗に許州を治めさせる","秦宗権の別将が許州を落とし、忠武留後王蘊を捕らえる":"｜秦宗権《しんそうけん》の別将が許州を落とし、忠武留後王蘊を捕らえる","文徳元年十一月":"｜文徳《ぶんとく》元年十一月","秦宗権が捕らえられて殺され、陳州の趙犨が忠武節度使となる（陳州を治所とする）":"｜秦宗権《しんそうけん》が捕らえられて殺され、｜陳州《ちんしゅう》の趙犨が忠武｜節度使《せつどし》となる（｜陳州《ちんしゅう》を治所とする）","龍紀元年":"｜龍紀《りゅうき》元年","朱全忠の子朱友裕が許州刺史として見える":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の子朱友裕が許州｜刺史《しし》として見える","光化二年":"｜光化《こうか》二年","陳州":"｜陳州《ちんしゅう》","唐の陳州（淮陽郡）":"唐の｜陳州《ちんしゅう》（淮陽郡）","陳州刺史趙犨が黄巣・秦宗権に囲まれながら城を守り、隣道に救いを求める":"｜陳州《ちんしゅう》｜刺史《しし》趙犨が｜黄巣《こうそう》・｜秦宗権《しんそうけん》に囲まれながら城を守り、隣道に救いを求める","朱全忠が韓建を忠武節度使として陳州に送り、趙珝を匡国節度使に移す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が韓建を忠武｜節度使《せつどし》として｜陳州《ちんしゅう》に送り、趙珝を匡国｜節度使《せつどし》に移す","天復元年":"｜天復《てんふく》元年","蔡州":"｜蔡州《さいしゅう》","唐の蔡州（汝南郡）。のち淮西節度使（彰義軍）の治所":"唐の｜蔡州《さいしゅう》（汝南郡）。のち｜淮西《わいせい》｜節度使《せつどし》（彰義軍）の治所","淮西節度使李希烈が天下都元帥・建興王を名乗る":"｜淮西《わいせい》｜節度使《せつどし》｜李希烈《りきれつ》が｜天下都元帥《てんかとげんすい》・｜建興王《けんこうおう》を名乗る","李希烈が皇帝を名乗り国号を大楚とする（十一月に汴州を失い蔡州へ逃げ帰る）":"｜李希烈《りきれつ》が皇帝を名乗り国号を｜大楚《だいそ》とする（十一月に｜汴州《べんしゅう》を失い｜蔡州《さいしゅう》へ逃げ帰る）","淮西（呉少誠）":"｜淮西《わいせい》（呉少誠）","四月に陳仙奇が李希烈を毒殺して降り、七月に呉少誠が陳仙奇を殺して留後となり朝廷が追認する":"四月に陳｜仙奇《せんき》が｜李希烈《りきれつ》を毒殺して降り、七月に呉少誠が陳｜仙奇《せんき》を殺して留後となり朝廷が追認する","淮西（呉元済）":"｜淮西《わいせい》（呉｜元済《げんせい》）","呉少陽が死に、子の呉元済が自ら軍を領して四方を屠り、朝廷が諸道の兵で呉元済を討たせる（翌年正月に官爵を削る）":"呉少陽が死に、子の呉｜元済《げんせい》が自ら軍を領して四方を屠り、朝廷が諸道の兵で呉｜元済《げんせい》を討たせる（翌年正月に官爵を削る）","元和九年":"｜元和《げんわ》九年","李愬が雪の夜に蔡州に入り、呉元済が城上で罪を請う":"｜李《り》｜愬《そ》が雪の夜に｜蔡州《さいしゅう》に入り、呉｜元済《げんせい》が城上で罪を請う","元和十二年十月":"｜元和《げんわ》十二年十月","秦宗権が蔡州の刺史を追って城に拠り、忠武節度使周岌が蔡州刺史とする":"｜秦宗権《しんそうけん》が｜蔡州《さいしゅう》の｜刺史《しし》を追って城に拠り、忠武｜節度使《せつどし》周岌が｜蔡州《さいしゅう》｜刺史《しし》とする","黄巣の前鋒に敗れた秦宗権が黄巣に臣と称し、兵を連ねる":"｜黄巣《こうそう》の｜前鋒《ぜんぽう》に敗れた｜秦宗権《しんそうけん》が｜黄巣《こうそう》に臣と称し、兵を連ねる","黄巣が死に、蔡州節度使秦宗権が兵を四方に出して隣道を侵す":"｜黄巣《こうそう》が死に、｜蔡州《さいしゅう》｜節度使《せつどし》｜秦宗権《しんそうけん》が兵を四方に出して隣道を侵す","秦宗権が皇帝を名乗り百官を置き、朝廷が時溥を都統として討たせる":"｜秦宗権《しんそうけん》が皇帝を名乗り百官を置き、朝廷が時溥を｜都統《ととう》として討たせる","蔡州の将申叢が秦宗権を捕らえて朱全忠に降り、蔡州留後となる":"｜蔡州《さいしゅう》の将申叢が｜秦宗権《しんそうけん》を捕らえて｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降り、｜蔡州《さいしゅう》留後となる","文徳元年十二月":"｜文徳《ぶんとく》元年十二月","汝州":"｜汝州《じょしゅう》","汝州市":"｜汝州《じょしゅう》市","唐の汝州（臨汝郡）":"唐の｜汝州《じょしゅう》（臨汝郡）","臨汝郡などが安禄山に降る":"臨汝郡などが｜安禄山《あんろくさん》に降る","安慶緒が洛陽を捨てて河北へ逃れる":"｜安慶緒《あんけいしょ》が｜洛陽《らくよう》を捨てて｜河北《かほく》へ逃れる","秦宗権の将張晊が汝・鄭を陥れる":"｜秦宗権《しんそうけん》の将張晊が汝・鄭を陥れる","秦宗権が皇帝を名乗る":"｜秦宗権《しんそうけん》が皇帝を名乗る","鄧州":"｜鄧州《とうしゅう》","鄧州市":"｜鄧州《とうしゅう》市","唐の鄧州（南陽郡）":"唐の｜鄧州《とうしゅう》（｜南陽《なんよう》郡）","李希烈が将の封有麟に鄧州を拠らせ、南への道が絶える":"｜李希烈《りきれつ》が将の封有麟に｜鄧州《とうしゅう》を拠らせ、南への道が絶える","建中四年":"｜建中《けんちゅう》四年","李希烈が殺され、淮西は申・光・随・蔡の4州に限られる":"｜李希烈《りきれつ》が殺され、｜淮西《わいせい》は申・光・随・蔡の4州に限られる","秦宗権の将秦誥が襄・唐・鄧を陥れる":"｜秦宗権《しんそうけん》の将秦誥が襄・唐・鄧を陥れる","秦宗権が皇帝を名乗る（山南東道は秦宗権の署した留後趙徳諲が治める）":"｜秦宗権《しんそうけん》が皇帝を名乗る（山南東道は｜秦宗権《しんそうけん》の署した留｜後趙《こうちょう》徳諲が治める）","趙徳諲が山南東道を挙げて唐に降り、朱全忠に身を寄せる（892年に子の趙匡凝が継ぐ）":"趙徳諲が山南東道を挙げて唐に降り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に身を寄せる（892年に子の趙匡凝が継ぐ）","朱全忠の将楊師厚が唐・鄧などの7州を落とし、趙匡凝は淮南へ逃れる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜楊《よう》｜師厚《しこう》が唐・鄧などの7州を落とし、趙匡凝は｜淮南《わいなん》へ逃れる","天祐二年":"｜天祐《てんゆう》二年","朱全忠の将楊師厚が唐・鄧などの7州を落とす":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜楊《よう》｜師厚《しこう》が唐・鄧などの7州を落とす","潁州":"｜潁州《えいしゅう》","唐の潁州（汝陰郡）":"唐の｜潁州《えいしゅう》（汝陰郡）","潁州都知兵馬使王敬蕘が刺史を追って州を治め、朝廷が刺史とする":"｜潁州《えいしゅう》都知兵馬使王敬蕘が｜刺史《しし》を追って州を治め、朝廷が｜刺史《しし》とする","朱全忠の配下の朱友恭が潁州刺史として見える":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の配下の朱｜友恭《ゆうきょう》が｜潁州《えいしゅう》｜刺史《しし》として見える","揚州（江都）":"｜揚州《ようしゅう》（｜江都《こうと》）","揚州":"｜揚州《ようしゅう》","揚州市":"｜揚州《ようしゅう》市","唐の揚州（淮南道・淮南節度使の治所）":"唐の｜揚州《ようしゅう》（｜淮南《わいなん》道・｜淮南《わいなん》｜節度使《せつどし》の治所）","劉展が広陵に入り、揚州を取る（朝廷は劉展を反と見て田神功に討たせた）":"劉展が｜広陵《こうりょう》に入り、｜揚州《ようしゅう》を取る（朝廷は劉展を反と見て田｜神功《しんこう》に討たせた）","上元元年十一月〜十二月":"｜上元《じょうげん》元年十一月〜十二月","田神功が劉展を捕らえ、揚州・潤州が平定される":"田｜神功《しんこう》が劉展を捕らえ、｜揚州《ようしゅう》・｜潤州《じゅんしゅう》が平定される","上元二年正月":"｜上元《じょうげん》二年正月","楊行密":"｜楊行密《ようこうみつ》","畢師鐸・秦彦が高駢の広陵を奪ったのち、楊行密が半年の包囲の末に広陵に入る":"畢師鐸・秦彦が高駢の｜広陵《こうりょう》を奪ったのち、｜楊行密《ようこうみつ》が半年の包囲の末に｜広陵《こうりょう》に入る","光啓三年十月":"｜光啓《こうけい》三年十月","孫儒が揚州を襲って取り、淮南節度使を自称する（楊行密は廬州へ退く）":"孫儒が｜揚州《ようしゅう》を襲って取り、｜淮南《わいなん》｜節度使《せつどし》を自称する（｜楊行密《ようこうみつ》は廬州へ退く）","孫儒が揚州を焼き払って江南へ渡り、楊行密の将の張訓・李徳誠が揚州に入る":"孫儒が｜揚州《ようしゅう》を焼き払って｜江南《こうなん》へ渡り、｜楊行密《ようこうみつ》の将の張訓・李徳誠が｜揚州《ようしゅう》に入る","楚州":"｜楚州《そしゅう》","唐の楚州（淮南道）":"唐の｜楚州《そしゅう》（｜淮南《わいなん》道）","劉展の将の屈突孝摽が楚州を落とす":"劉展の将の屈突孝摽が｜楚州《そしゅう》を落とす","淮南節度使を兼ねた朱全忠が、朱珍に兵をつけて楚州刺史の劉瓚を赴任させる":"｜淮南《わいなん》｜節度使《せつどし》を兼ねた｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が、朱珍に兵をつけて｜楚州《そしゅう》｜刺史《しし》の劉瓚を赴任させる","文徳元年九月":"｜文徳《ぶんとく》元年九月","楊行密の将の張訓・李徳誠が楚州を取り、刺史の劉瓚を捕らえる":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の張訓・李徳誠が｜楚州《そしゅう》を取り、｜刺史《しし》の劉瓚を捕らえる","泗州":"｜泗州《ししゅう》","唐の泗州（河南道）":"唐の｜泗州《ししゅう》（｜河南《かなん》道）","劉展が李晃を泗州刺史に任じる":"劉展が李晃を｜泗州《ししゅう》｜刺史《しし》に任じる","時溥の泗州刺史張諫が州ごと朱全忠につく":"時溥の｜泗州《ししゅう》｜刺史《しし》張諫が州ごと｜朱全忠《しゅぜんちゅう》につく","景福元年十一月":"｜景福《けいふく》元年十一月","朱全忠の使者に侮られた張諫が州ごと楊行密に降る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の使者に侮られた張諫が州ごと｜楊行密《ようこうみつ》に降る","濠州":"｜濠州《ごうしゅう》","鳳陽県":"｜鳳陽《ほうよう》県","唐の濠州（淮南道）":"唐の｜濠州《ごうしゅう》（｜淮南《わいなん》道）","劉展の将の屈突孝摽が濠州を落とす":"劉展の将の屈突孝摽が｜濠州《ごうしゅう》を落とす","龐勛":"｜龐《ほう》｜勛《くん》","龐勛の将の劉行及が濠州に入り、刺史の盧望回を捕らえて刺史を自称する（朝廷は康承訓らに討たせた）":"｜龐《ほう》｜勛《くん》の将の劉行及が｜濠州《ごうしゅう》に入り、｜刺史《しし》の盧望回を捕らえて｜刺史《しし》を自称する（朝廷は康｜承訓《しょうくん》らに討たせた）","咸通九年十一月":"｜咸通《かんつう》九年十一月","馬挙の包囲で呉迥が濠州を棄てて逃れ、討たれる":"馬挙の包囲で呉迥が｜濠州《ごうしゅう》を棄てて逃れ、討たれる","咸通十年冬":"｜咸通《かんつう》十年冬","時溥の濠州刺史張璲が州ごと朱全忠につく":"時溥の｜濠州《ごうしゅう》｜刺史《しし》張璲が州ごと｜朱全忠《しゅぜんちゅう》につく","楊行密が濠州を攻め落とし、刺史の張璲を捕らえる":"｜楊行密《ようこうみつ》が｜濠州《ごうしゅう》を攻め落とし、｜刺史《しし》の張璲を捕らえる","寿州":"｜寿州《じゅしゅう》","唐の寿州（淮南道）":"唐の｜寿州《じゅしゅう》（｜淮南《わいなん》道）","寿州の屠者王緒が寿州を奪い、ついで光州も取る（秦宗権の推挙で光州刺史となる）":"｜寿州《じゅしゅう》の｜屠者《としゃ》王緒が｜寿州《じゅしゅう》を奪い、ついで光州も取る（｜秦宗権《しんそうけん》の推挙で光州｜刺史《しし》となる）","王緒が光州・寿州の兵を連れて江南へ去り、高駢の任じた寿州刺史張翺が寿州を治める":"王緒が光州・｜寿州《じゅしゅう》の兵を連れて｜江南《こうなん》へ去り、高駢の任じた｜寿州《じゅしゅう》｜刺史《しし》張翺が｜寿州《じゅしゅう》を治める","寿州の将の劉弘鄂が孫儒の残暴を嫌い、州ごと朱全忠に降る":"｜寿州《じゅしゅう》の将の｜劉弘《りゅうこう》鄂が孫儒の残暴を嫌い、州ごと｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降る","楊行密の将の朱延寿が寿州を落とし、刺史の江従勗を捕らえる":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の朱延寿が｜寿州《じゅしゅう》を落とし、｜刺史《しし》の江従勗を捕らえる","唐の廬州（淮南道）":"唐の廬州（｜淮南《わいなん》道）","田神功の将の楊恵元らが王恒を破り、王恒は降る":"田｜神功《しんこう》の将の楊恵元らが王恒を破り、王恒は降る","廬州の牙将の楊行愍（のちの楊行密）が廬州刺史となる":"廬州の牙将の楊行愍（のちの｜楊行密《ようこうみつ》）が廬州｜刺史《しし》となる","孫儒が討たれた後も廬州刺史蔡儔は楊行密に従わず、朱全忠に救いを求める（朱全忠は応じない）":"孫儒が討たれた後も廬州｜刺史《しし》蔡儔は｜楊行密《ようこうみつ》に従わず、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に救いを求める（｜朱全忠《しゅぜんちゅう》は応じない）","楊行密が廬州を落とし、蔡儔を斬る":"｜楊行密《ようこうみつ》が廬州を落とし、蔡儔を斬る","景福二年七月":"｜景福《けいふく》二年七月","唐の光州（淮南道。のち淮西節度使の管下）":"唐の光州（｜淮南《わいなん》道。のち｜淮西《わいせい》｜節度使《せつどし》の管下）","淮西（淮寧）節度使の李希烈が天下都元帥・建興王を自称して朝廷に背く（光州は淮西の管下）":"｜淮西《わいせい》（淮寧）｜節度使《せつどし》の｜李希烈《りきれつ》が｜天下都元帥《てんかとげんすい》・｜建興王《けんこうおう》を自称して朝廷に背く（光州は｜淮西《わいせい》の管下）","李希烈が皇帝を名乗り、国号を大楚とする":"｜李希烈《りきれつ》が皇帝を名乗り、国号を｜大楚《だいそ》とする","陳仙奇が李希烈を毒殺して唐に降り、ついで呉少誠が陳仙奇を殺して留後を自称し、朝廷が追認する":"陳｜仙奇《せんき》が｜李希烈《りきれつ》を毒殺して唐に降り、ついで呉少誠が陳｜仙奇《せんき》を殺して留後を自称し、朝廷が追認する","呉少陽の死後に兵を握った呉元済を朝廷が討たせる（815年正月に官爵を削る）":"呉少陽の死後に兵を握った呉｜元済《げんせい》を朝廷が討たせる（815年正月に官爵を削る）","李愬が蔡州を落として呉元済を捕らえ、申州・光州も降る":"｜李《り》｜愬《そ》が｜蔡州《さいしゅう》を落として呉｜元済《げんせい》を捕らえ、申州・光州も降る","王緒が光州を落とし、秦宗権の推挙で光州刺史となる":"王緒が光州を落とし、｜秦宗権《しんそうけん》の推挙で光州｜刺史《しし》となる","楊行密の将の朱延寿が光州を落とし、刺史の劉存を殺す":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の朱延寿が光州を落とし、｜刺史《しし》の劉存を殺す","乾寧三年":"｜乾寧《けんねい》三年","光州が楊行密に背いて朱全忠に降り、楊行密は包囲を解いて退く":"光州が｜楊行密《ようこうみつ》に背いて｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降り、｜楊行密《ようこうみつ》は包囲を解いて退く","天祐元年十月":"｜天祐《てんゆう》元年十月","楊行密の将の柴再用が光州刺史として城を守り、朱全忠の大軍を退ける":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の柴再用が光州｜刺史《しし》として城を守り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の大軍を退ける","天祐二年十月までに":"｜天祐《てんゆう》二年十月までに","黄州":"｜黄州《こうしゅう》","唐の黄州（淮南道）":"唐の｜黄州《こうしゅう》（｜淮南《わいなん》道）","黄州刺史の呉討が州ごと楊行密に降る（のち杜洪に迫られて印を納め、楊行密は瞿章に黄州を預ける）":"｜黄州《こうしゅう》｜刺史《しし》の呉討が州ごと｜楊行密《ようこうみつ》に降る（のち｜杜《と》洪に迫られて印を納め、｜楊行密《ようこうみつ》は瞿章に｜黄州《こうしゅう》を預ける）","乾寧元年三月":"｜乾寧《けんねい》元年三月","杜洪の救援に来た朱全忠の将の朱友恭が武昌寨を落として瞿章を捕らえ、黄州を取る":"｜杜《と》洪の救援に来た｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将の朱｜友恭《ゆうきょう》が｜武昌《ぶしょう》寨を落として瞿章を捕らえ、｜黄州《こうしゅう》を取る","乾寧四年五月":"｜乾寧《けんねい》四年五月","唐の蘄州（淮南道）":"唐の蘄州（｜淮南《わいなん》道）","上蔡の賊帥の馮敬章が蘄州を落とし、刺史となる":"上蔡の｜賊帥《ぞくすい》の馮敬章が蘄州を落とし、｜刺史《しし》となる","光啓三年十二月":"｜光啓《こうけい》三年十二月","楊行密の将の朱延寿が蘄州を囲み、大将の賈公鐸と刺史の馮敬章が降る":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の朱延寿が蘄州を囲み、大将の賈公鐸と｜刺史《しし》の馮敬章が降る","唐の舒州（淮南道）":"唐の舒州（｜淮南《わいなん》道）","群盗の呉迥・李本に舒州を取られた後、楊行愍の将の陶雅らが二人を斬り、陶雅が舒州刺史を摂る":"群盗の呉迥・李本に舒州を取られた後、楊行愍の将の陶雅らが二人を斬り、陶雅が舒州｜刺史《しし》を摂る","滁州刺史の許勍が舒州を襲い、陶雅は廬州へ逃れる":"｜滁州《じょしゅう》｜刺史《しし》の許勍が舒州を襲い、陶雅は廬州へ逃れる","舒州刺史の倪章が廬州の蔡儔と組んで楊行密に背く":"舒州｜刺史《しし》の倪章が廬州の蔡儔と組んで｜楊行密《ようこうみつ》に背く","倪章が舒州を棄てて逃れ、楊行密が李神福を舒州刺史とする":"倪章が舒州を棄てて逃れ、｜楊行密《ようこうみつ》が李神福を舒州｜刺史《しし》とする","滁州":"｜滁州《じょしゅう》","滁州市":"｜滁州《じょしゅう》市","唐の滁州（淮南道）":"唐の｜滁州《じょしゅう》（｜淮南《わいなん》道）","劉展の将の王恒が滁州などを落とす":"劉展の将の王恒が｜滁州《じょしゅう》などを落とす","孫儒の将の安景思が滁州に拠ったが、楊行密の将の李神福に攻められて逃れる":"孫儒の将の安景思が｜滁州《じょしゅう》に拠ったが、｜楊行密《ようこうみつ》の将の李神福に攻められて逃れる","唐の和州（淮南道）":"唐の和州（｜淮南《わいなん》道）","孫儒の将の康暀が和州に拠ったが、楊行密の将の李神福に攻められて降る":"孫儒の将の康暀が和州に拠ったが、｜楊行密《ようこうみつ》の将の李神福に攻められて降る","唐の揚州海陵県":"唐の｜揚州《ようしゅう》｜海陵《かいりょう》県","海陵鎮遏使の高霸が楊行密に属し、楊行密の命で兵と民を連れて広陵へ移る":"｜海陵《かいりょう》鎮遏使の高霸が｜楊行密《ようこうみつ》に属し、｜楊行密《ようこうみつ》の命で兵と民を連れて｜広陵《こうりょう》へ移る","昇州（金陵）":"昇州（｜金陵《きんりょう》）","南京市":"｜南京《なんきん》市","唐の潤州江寧県（757年に昇州を置く）":"唐の｜潤州《じゅんしゅう》｜江寧県《こうねいけん》（757年に昇州を置く）","劉展が昇州を落とし、浙西節度使の侯令儀は城を棄てて逃れる":"劉展が昇州を落とし、浙西｜節度使《せつどし》の侯令儀は城を棄てて逃れる","上元に拠った趙暉を張雄が攻め落とす（張雄はのち昇州刺史となる）":"｜上元《じょうげん》に拠った趙暉を張雄が攻め落とす（張雄はのち昇州｜刺史《しし》となる）","昇州刺史張雄が死に、馮弘鐸が代わって刺史となる":"昇州｜刺史《しし》張雄が死に、馮弘鐸が代わって｜刺史《しし》となる","田頵に敗れた馮弘鐸が楊行密に降り、楊行密は李神福を昇州刺史とする":"田頵に敗れた馮弘鐸が｜楊行密《ようこうみつ》に降り、｜楊行密《ようこうみつ》は李神福を昇州｜刺史《しし》とする","天復二年":"｜天復《てんふく》二年","潤州":"｜潤州《じゅんしゅう》","唐の潤州（江南東道・浙西）":"唐の｜潤州《じゅんしゅう》（｜江南《こうなん》東道・浙西）","劉展が潤州を落とす":"劉展が｜潤州《じゅんしゅう》を落とす","周宝を追い出した劉浩・薛朗の潤州を銭鏐の将の阮結らが落とす":"周宝を追い出した劉浩・薛朗の｜潤州《じゅんしゅう》を銭鏐の将の阮結らが落とす","孫儒の将の劉建鋒が成及を追い出して潤州を取る":"孫儒の将の劉建鋒が成及を追い出して｜潤州《じゅんしゅう》を取る","孫儒の敗勢の中で楊行密の別将が潤州を取り、安仁義を守らせる":"孫儒の敗勢の中で｜楊行密《ようこうみつ》の別将が｜潤州《じゅんしゅう》を取り、安仁義を守らせる","潤州団練使の安仁義が田頵と組んで楊行密に背く":"｜潤州《じゅんしゅう》団練使の安仁義が田頵と組んで｜楊行密《ようこうみつ》に背く","王茂章が地道から潤州に入り、安仁義を捕らえて斬る":"王茂章が地道から｜潤州《じゅんしゅう》に入り、安仁義を捕らえて斬る","唐の常州（江南東道・浙西）":"唐の常州（｜江南《こうなん》東道・浙西）","劉展が李可封を常州刺史とする":"劉展が李可封を常州｜刺史《しし》とする","銭鏐の将の杜稜らが常州を落とし、丁従実は海陵へ逃れる":"銭鏐の将の杜稜らが常州を落とし、丁従実は｜海陵《かいりょう》へ逃れる","楊行密の田頵が杜稜を捕らえて常州を取ったが、同年に孫儒が田頵を追って常州を取る":"｜楊行密《ようこうみつ》の田頵が杜稜を捕らえて常州を取ったが、同年に孫儒が田頵を追って常州を取る","楊行密の将の張訓が常州に拠った陳可言を斬って常州を取る":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の張訓が常州に拠った陳可言を斬って常州を取る","唐の宣州（江南西道・宣歙観察使の治所）":"唐の宣州（｜江南《こうなん》西道・宣歙観察使の治所）","劉展の将が宣州を攻め、宣歙節度使の鄭炅之が城を棄てて逃れる":"劉展の将が宣州を攻め、宣歙｜節度使《せつどし》の鄭炅之が城を棄てて逃れる","和州刺史の秦彦が子に宣州を襲わせ、観察使の竇潏を追い出して代わる":"和州｜刺史《しし》の秦彦が子に宣州を襲わせ、観察使の竇潏を追い出して代わる","秦彦が宣歙の兵を連れて広陵へ移り、池州刺史の趙鍠を宣歙観察使とする":"秦彦が宣歙の兵を連れて｜広陵《こうりょう》へ移り、池州｜刺史《しし》の趙鍠を宣歙観察使とする","楊行密の包囲で宣州城内が趙鍠を追い、楊行密が宣州に入って宣歙観察使となる":"｜楊行密《ようこうみつ》の包囲で宣州城内が趙鍠を追い、｜楊行密《ようこうみつ》が宣州に入って宣歙観察使となる","唐の池州（江南西道・宣歙管下）":"唐の池州（｜江南《こうなん》西道・宣歙管下）","秦彦の下で池州刺史だった趙鍠が宣歙観察使となり、兄の趙乾之が池州を保つ":"秦彦の下で池州｜刺史《しし》だった趙鍠が宣歙観察使となり、兄の趙乾之が池州を保つ","楊行密の将の陶雅が九華で趙乾之を破り、池州制置使となる":"｜楊行密《ようこうみつ》の将の陶雅が九華で趙乾之を破り、池州制置使となる","唐の歙州（江南西道・宣歙管下）":"唐の歙州（｜江南《こうなん》西道・宣歙管下）","楊行密の田頵が歙州を攻めて落とせなかったが、歙の人々が陶雅を刺史に望み、陶雅が歙州刺史として迎え入れられる":"｜楊行密《ようこうみつ》の田頵が歙州を攻めて落とせなかったが、歙の人々が陶雅を｜刺史《しし》に望み、陶雅が歙州｜刺史《しし》として迎え入れられる","江州":"｜江州《こうしゅう》","九江市":"｜九江《きゅうこう》市","唐の江州（江南西道）":"唐の｜江州《こうしゅう》（｜江南《こうなん》西道）","鍾伝の死後、跡を継げなかった養子の江州刺史鍾延規が淮南に降る":"鍾伝の死後、跡を継げなかった養子の｜江州《こうしゅう》｜刺史《しし》鍾延規が｜淮南《わいなん》に降る","洪州（南昌）":"｜洪州《こうしゅう》（｜南昌《なんしょう》）","洪州":"｜洪州《こうしゅう》","南昌市":"｜南昌《なんしょう》市","唐の洪州（江南西道・江西観察使の治所）":"唐の｜洪州《こうしゅう》（｜江南《こうなん》西道・｜江西《こうせい》観察使の治所）","撫州刺史の鍾伝が江西観察使の高茂卿を追って洪州に拠り、朝廷はのち鍾伝を江西観察使とする":"撫州｜刺史《しし》の鍾伝が｜江西《こうせい》観察使の高茂卿を追って｜洪州《こうしゅう》に拠り、朝廷はのち鍾伝を｜江西《こうせい》観察使とする","楊渥の将の秦裴が洪州を落とし、鍾匡時を捕らえる":"｜楊渥《ようあく》の将の秦裴が｜洪州《こうしゅう》を落とし、鍾匡時を捕らえる","天祐三年九月":"｜天祐《てんゆう》三年九月","饒州":"｜饒州《じょうしゅう》","鄱陽県":"｜鄱陽《はよう》県","唐の饒州（江南西道）":"唐の｜饒州《じょうしゅう》（｜江南《こうなん》西道）","秦裴が洪州を囲むと、饒州刺史の唐宝が楊渥に降る":"秦裴が｜洪州《こうしゅう》を囲むと、｜饒州《じょうしゅう》｜刺史《しし》の唐宝が｜楊渥《ようあく》に降る","唐の饒州弋陽県・衢州常山県などの地（758年に信州を置く）":"唐の｜饒州《じょうしゅう》弋陽県・衢州常山県などの地（758年に信州を置く）","台州の賊帥袁晁（宝勝と改元）が信州を落とす":"｜台州《たいしゅう》の｜賊帥《ぞくすい》袁晁（宝勝と｜改元《かいげん》）が信州を落とす","宝応元年":"｜宝応《ほうおう》元年","李光弼の将の張伯儀が袁晁を捕らえ、浙東が平定される":"｜李《り》｜光弼《こうひつ》の将の張伯儀が袁晁を捕らえ、浙東が平定される","広徳元年四月":"｜広徳《こうとく》元年四月","唐の撫州（江南西道）":"唐の撫州（｜江南《こうなん》西道）","鍾伝が洪州へ移った後、南城の危全諷が撫州に拠る":"鍾伝が｜洪州《こうしゅう》へ移った後、南城の危全諷が撫州に拠る","袁州":"｜袁州《えんしゅう》","唐の袁州（江南西道）":"唐の｜袁州《えんしゅう》（｜江南《こうなん》西道）","唐の吉州（江南西道）":"唐の吉州（｜江南《こうなん》西道）","鍾伝が吉州刺史の周琲を討とうとし、周琲は衆を連れて広陵へ逃れる（鍾伝はのち彭玕を吉州刺史とする）":"鍾伝が吉州｜刺史《しし》の周琲を討とうとし、周琲は衆を連れて｜広陵《こうりょう》へ逃れる（鍾伝はのち彭玕を吉州｜刺史《しし》とする）","鍾氏が滅びた後、吉州刺史の彭玕が湖南（馬殷）に使いを送って降を請い、自立する":"｜鍾氏《しょうし》が滅びた後、吉州｜刺史《しし》の彭玕が｜湖南《こなん》（馬殷）に使いを送って降を請い、自立する","虔州":"｜虔州《けんしゅう》","贛州市":"｜贛州《かんしゅう》市","唐の虔州（江南西道）":"唐の｜虔州《けんしゅう》（｜江南《こうなん》西道）","南康の賊帥の盧光稠が虔州を落とし、刺史を自称する":"｜南康《なんこう》の｜賊帥《ぞくすい》の盧光稠が｜虔州《けんしゅう》を落とし、｜刺史《しし》を自称する","江陵府（荊州）":"｜江陵《こうりょう》府（｜荊州《けいしゅう》）","江陵府":"｜江陵《こうりょう》府","荊州市":"｜荊州《けいしゅう》市","唐の江陵府（荊南節度の治所）。756年の永王璘は江陵から東へ下ったが自立した州とならず、759年の張嘉延の江陵襲撃・879年の黄巣の江陵攻略は年内に回復・撤退したので帰属を変えない":"唐の｜江陵《こうりょう》府（｜荊南《けいなん》節度の治所）。756年の｜永王《えいおう》｜璘《りん》は｜江陵《こうりょう》から東へ下ったが自立した州とならず、759年の張嘉延の｜江陵《こうりょう》襲撃・879年の｜黄巣《こうそう》の江陵攻略は年内に回復・撤退したので帰属を変えない","淮南の叛将張瓌が節度使陳儒を逐って江陵を奪う":"｜淮南《わいなん》の叛将張瓌が｜節度使《せつどし》陳儒を逐って｜江陵《こうりょう》を奪う","秦宗権（趙徳諲・王建肇）":"｜秦宗権《しんそうけん》（趙徳諲・｜王建《おうけん》肇）","秦宗権の将趙徳諲が江陵を陥れ、王建肇に守らせる":"｜秦宗権《しんそうけん》の将趙徳諲が｜江陵《こうりょう》を陥れ、｜王建《おうけん》肇に守らせる","帰州刺史郭禹（成汭）が王建肇を逐い、荊南留後となる":"帰州｜刺史《しし》郭禹（成汭）が｜王建《おうけん》肇を逐い、｜荊南《けいなん》留後となる","成汭が鄂州救援の途中で死に、馬殷・雷彦威の兵が江陵を掠めて去った後、襄州の趙匡凝が弟の匡明を入れる":"成汭が｜鄂州《がくしゅう》救援の途中で死に、馬殷・雷彦威の兵が｜江陵《こうりょう》を掠めて去った後、襄州の趙匡凝が弟の匡明を入れる","趙匡明が江陵を捨てて成都へ奔り、朱全忠の将賀瓌が荊南留後となる（906年に高季昌に交代）":"趙匡明が｜江陵《こうりょう》を捨てて｜成都《せいと》へ奔り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将賀瓌が｜荊南《けいなん》留後となる（906年に高季昌に交代）","天祐二年九月":"｜天祐《てんゆう》二年九月","唐の峡州（荊南の属州）":"唐の峡州（｜荊南《けいなん》の属州）","唐の帰州（荊南の属州）":"唐の帰州（｜荊南《けいなん》の属州）","荊南の牙将郭禹（のちの成汭）が帰州を襲って拠り、刺史を称する":"｜荊南《けいなん》の牙将郭禹（のちの成汭）が帰州を襲って拠り、｜刺史《しし》を称する","襄州（襄陽）":"襄州（｜襄陽《じょうよう》）","襄陽市":"｜襄陽《じょうよう》市","広徳元年三月":"｜広徳《こうとく》元年三月","討伐の詔を受けた梁崇義が李希烈に敗れて自殺し、朝廷が李承を節度使に任命する":"討伐の詔を受けた梁崇義が｜李希烈《りきれつ》に敗れて自殺し、朝廷が李承を｜節度使《せつどし》に任命する","建中二年八月":"｜建中《けんちゅう》二年八月","秦宗権（趙徳諲）":"｜秦宗権《しんそうけん》（趙徳諲）","秦宗権の将秦誥・趙徳諲が鹿晏弘と襄州を陥れる":"｜秦宗権《しんそうけん》の将秦誥・趙徳諲が鹿晏弘と襄州を陥れる","秦宗権が帝を称し、朝廷が討伐を命じる（襄州は秦宗権の将趙徳諲が保つ）":"｜秦宗権《しんそうけん》が帝を称し、朝廷が討伐を命じる（襄州は｜秦宗権《しんそうけん》の将趙徳諲が保つ）","趙徳諲が山南東道ごと唐に降り、忠義軍節度使となる":"趙徳諲が山南東道ごと唐に降り、忠義軍｜節度使《せつどし》となる","朱全忠の将楊師厚が趙匡凝を破って襄陽に入る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜楊《よう》｜師厚《しこう》が趙匡凝を破って｜襄陽《じょうよう》に入る","均州":"｜均州《きんしゅう》","均州の都将馮行襲が賊帥孫喜を斬り、均州刺史に任じられる":"｜均州《きんしゅう》の都将馮行襲が｜賊帥《ぞくすい》孫喜を斬り、｜均州《きんしゅう》｜刺史《しし》に任じられる","朱全忠の将楊師厚が趙匡凝を攻めて七州を下す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜楊《よう》｜師厚《しこう》が趙匡凝を攻めて｜七州《しちしゅう》を下す","房州":"｜房州《ぼうしゅう》","郢州":"｜郢州《えいしゅう》","淮南の叛将張瓌・韓師徳が復州・岳州に拠る":"｜淮南《わいなん》の叛将張瓌・韓師徳が復州・｜岳州《がくしゅう》に拠る","安陸市":"｜安陸《あんりく》市","唐の安州。877年の王仙芝の安州攻略は城を年をまたいで持たないので変えない":"唐の安州。877年の王｜仙芝《せんし》の安州攻略は城を年をまたいで持たないので変えない","李希烈が安州を保ち、朝廷が討伐を命じる。荊南節度使張伯儀が安州で敗れる":"｜李希烈《りきれつ》が安州を保ち、朝廷が討伐を命じる。｜荊南《けいなん》｜節度使《せつどし》張伯儀が安州で敗れる","唐の随州。877年の王仙芝の随州攻略は城を年をまたいで持たないので変えない":"唐の随州。877年の王｜仙芝《せんし》の随州攻略は城を年をまたいで持たないので変えない","李希烈の将が随州を保ち、朝廷が討伐を命じる（八月に守将曹季昌が降ろうとして殺される）":"｜李希烈《りきれつ》の将が随州を保ち、朝廷が討伐を命じる（八月に守将曹季昌が降ろうとして殺される）","李希烈が皇帝を称して国号を楚とする（随州は引き続き李希烈の将が守る）":"｜李希烈《りきれつ》が皇帝を称して国号を楚とする（随州は引き続き｜李希烈《りきれつ》の将が守る）","李希烈の将李思登が随州ごと曹王皋に降る":"｜李希烈《りきれつ》の将李思登が随州ごと曹王皋に降る","趙匡凝の一族の趙匡璘が随州刺史として現れる（同年に朱全忠の将氏叔琮に擒にされ、趙匡凝は朱全忠に服す）":"趙匡凝の一族の趙匡璘が随州｜刺史《しし》として現れる（同年に｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将氏｜叔琮《しゅくそう》に擒にされ、趙匡凝は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に服す）","朱全忠の将楊師厚が趙匡凝を攻めて随州などを下す":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将｜楊《よう》｜師厚《しこう》が趙匡凝を攻めて随州などを下す","鄂州":"｜鄂州《がくしゅう》","武漢市武昌区":"武漢市｜武昌《ぶしょう》区","唐の鄂州。784年に李希烈の将董侍が鄂州を襲ったが刺史李兼に破られ、879〜880年の黄巣の通過も城を持たないので変えない":"唐の｜鄂州《がくしゅう》。784年に｜李希烈《りきれつ》の将董侍が｜鄂州《がくしゅう》を襲ったが｜刺史《しし》李兼に破られ、879〜880年の｜黄巣《こうそう》の通過も城を持たないので変えない","前杭州刺史路審中が兵を募って鄂州に入り拠る":"前｜杭州《こうしゅう》｜刺史《しし》路審中が兵を募って｜鄂州《がくしゅう》に入り拠る","杜洪":"｜杜《と》洪","岳州刺史杜洪が鄂州に入り武昌留後を称し、朝廷が追認する":"｜岳州《がくしゅう》｜刺史《しし》｜杜《と》洪が｜鄂州《がくしゅう》に入り｜武昌《ぶしょう》留後を称し、朝廷が追認する","楊行密の将劉存が鄂州を攻め抜き、杜洪を斬る":"｜楊行密《ようこうみつ》の将劉存が｜鄂州《がくしゅう》を攻め抜き、｜杜《と》洪を斬る","岳州":"｜岳州《がくしゅう》","唐の岳州":"唐の｜岳州《がくしゅう》","武昌の牙将杜洪が岳州刺史を逐って代わる":"｜武昌《ぶしょう》の牙将｜杜《と》洪が｜岳州《がくしゅう》｜刺史《しし》を逐って代わる","杜洪が鄂州へ移った隙に湘陰の賊帥鄧進思が岳州を陥れる（902年に弟の鄧進忠が継ぐ）":"｜杜《と》洪が｜鄂州《がくしゅう》へ移った隙に湘陰の｜賊帥《ぞくすい》鄧進思が｜岳州《がくしゅう》を陥れる（902年に弟の鄧進忠が継ぐ）","馬殷の将許徳勲に説かれて鄧進忠が長沙へ移り、許徳勲が岳州刺史となる":"馬殷の将許徳勲に説かれて鄧進忠が｜長沙《ちょうさ》へ移り、許徳勲が｜岳州《がくしゅう》｜刺史《しし》となる","楊渥":"｜楊渥《ようあく》","淮南の楊渥の将陳知新が岳州を抜く":"｜淮南《わいなん》の｜楊渥《ようあく》の将陳知新が｜岳州《がくしゅう》を抜く","天祐三年三月":"｜天祐《てんゆう》三年三月","武陵蛮の雷満が朗州を襲って刺史崔翥を殺し、朝廷が朗州留後に任じる（のち武貞軍節度使）":"｜武陵蛮《ぶりょうばん》の雷満が朗州を襲って｜刺史《しし》崔翥を殺し、朝廷が朗州留後に任じる（のち武貞軍｜節度使《せつどし》）","乾符六年":"｜乾符《けんぷ》六年","唐の澧州。879年閏十月に黄巣が澧州を陥れたが通過しただけなので変えない":"唐の澧州。879年閏十月に｜黄巣《こうそう》が澧州を陥れたが通過しただけなので変えない","石門洞蛮の向瓌が澧州を陥れて刺史を称する（908年まで雷氏と結んで澧州を保つ）":"石門｜洞蛮《どうばん》の向瓌が澧州を陥れて｜刺史《しし》を称する（908年まで雷氏と結んで澧州を保つ）","潭州（長沙）":"｜潭州《たんしゅう》（｜長沙《ちょうさ》）","潭州":"｜潭州《たんしゅう》","長沙市":"｜長沙《ちょうさ》市","唐の潭州（湖南観察使の治所）。770年に湖南兵馬使臧玠が観察使崔瓘を殺したが、同年に辛京杲が湖南観察使に任じられた。879年閏十月の黄巣の潭州攻略は通過で、変えない":"唐の｜潭州《たんしゅう》（｜湖南《こなん》観察使の治所）。770年に｜湖南《こなん》兵馬使臧玠が観察使崔瓘を殺したが、同年に辛京杲が｜湖南《こなん》観察使に任じられた。879年閏十月の｜黄巣《こうそう》の｜潭州《たんしゅう》攻略は通過で、変えない","江西の将閔勗が潭州の観察使李裕を逐って留後を称し、のち朝廷が節度使とする":"｜江西《こうせい》の将閔勗が｜潭州《たんしゅう》の観察使｜李裕《りゆう》を逐って留後を称し、のち朝廷が｜節度使《せつどし》とする","中和元年十二月":"｜中和《ちゅうわ》元年十二月","衡州刺史周岳が潭州を攻め抜き、のち武安節度使に任じられる":"｜衡州《こうしゅう》｜刺史《しし》周岳が｜潭州《たんしゅう》を攻め抜き、のち｜武安《ぶあん》｜節度使《せつどし》に任じられる","邵州刺史鄧処訥が雷満と結んで潭州を抜き、周岳を斬る":"邵州｜刺史《しし》鄧処訥が雷満と結んで｜潭州《たんしゅう》を抜き、周岳を斬る","孫儒の残党を率いる劉建鋒・馬殷が潭州に入り、鄧処訥を斬る":"孫儒の残党を率いる劉建鋒・馬殷が｜潭州《たんしゅう》に入り、鄧処訥を斬る","劉建鋒が部下に殺され、諸将に推された馬殷が長沙に入って継ぐ":"劉建鋒が部下に殺され、諸将に推された馬殷が｜長沙《ちょうさ》に入って継ぐ","衡州":"｜衡州《こうしゅう》","唐の衡州":"唐の｜衡州《こうしゅう》","周岳が衡州を襲って刺史徐顥を逐い、朝廷が衡州刺史に任じる":"周岳が｜衡州《こうしゅう》を襲って｜刺史《しし》徐顥を逐い、朝廷が｜衡州《こうしゅう》｜刺史《しし》に任じる","馬殷の将李瓊・秦彦暉が衡州に拠る楊師遠を斬る":"馬殷の将李瓊・秦彦暉が｜衡州《こうしゅう》に拠る楊師遠を斬る","唐の永州。879年の黄巣の通過は変えない":"唐の永州。879年の｜黄巣《こうそう》の通過は変えない","広明元年六月":"｜広明《こうめい》元年六月","郴州":"｜郴州《ちんしゅう》","郴州市":"｜郴州《ちんしゅう》市","唐の郴州":"唐の｜郴州《ちんしゅう》","桂陽の賊陳彦謙が郴州を陥れて拠る":"｜桂陽《け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十一州の｜図籍《とせき》を唐に献じて帰順する（帰義軍が置かれる）","大中五年":"｜大中《たいちゅう》五年","唐の河州（隴右道）":"唐の河州（｜隴右《ろうゆう》道）","吐蕃が隴右の諸州とともに河州を陥す":"｜吐蕃《とばん》が｜隴右《ろうゆう》の諸州とともに河州を陥す","吐蕃の酋長尚延心が河・渭二州の部落を率いて唐に降り、河渭都遊奕使として唐の直接の管下に入る":"｜吐蕃《とばん》の｜酋長《しゅうちょう》尚延心が河・渭二州の部落を率いて唐に降り、河渭都遊奕使として唐の直接の管下に入る","唐の鄯州（隴右節度使の治所）":"唐の鄯州（｜隴右《ろうゆう》｜節度使《せつどし》の治所）","吐蕃が隴右の諸州とともに鄯州を陥す":"｜吐蕃《とばん》が｜隴右《ろうゆう》の諸州とともに鄯州を陥す","唐の廓州（隴右道）":"唐の廓州（｜隴右《ろうゆう》道）","吐蕃が廓州を陥す":"｜吐蕃《とばん》が廓州を陥す","唐の岷州（隴右道）":"唐の岷州（｜隴右《ろうゆう》道）","吐蕃が隴右の諸州とともに岷州を陥す":"｜吐蕃《とばん》が｜隴右《ろうゆう》の諸州とともに岷州を陥す","吐蕃が隴右の諸州とともに洮州を陥す":"｜吐蕃《とばん》が｜隴右《ろうゆう》の諸州とともに洮州を陥す","長安から退いた吐蕃が原・会・成・渭の地に居すわる":"｜長安《ちょうあん》から退いた｜吐蕃《とばん》が原・会・成・渭の地に居すわる","涼州":"｜涼州《りょうしゅう》","武威市":"｜武威《ぶい》市","唐の涼州（河西節度使の治所）":"唐の｜涼州《りょうしゅう》（｜河西《かせい》｜節度使《せつどし》の治所）","吐蕃が涼州を囲み、河西節度使楊志烈が甘州へ逃れて涼州が陥ちる":"｜吐蕃《とばん》が｜涼州《りょうしゅう》を囲み、｜河西《かせい》｜節度使《せつどし》楊志烈が｜甘州《かんしゅう》へ逃れて｜涼州《りょうしゅう》が陥ちる","帰義軍節度使張議潮が蕃・漢の兵七千を率いて涼州を回復したと奏する":"帰義軍｜節度使《せつどし》張議潮が蕃・漢の兵七千を率いて｜涼州《りょうしゅう》を回復したと奏する","咸通四年三月":"｜咸通《かんつう》四年三月","甘州":"｜甘州《かんしゅう》","唐の甘州（河西道）":"唐の｜甘州《かんしゅう》（｜河西《かせい》道）","河西節度使楊休明が沙州へ鎮を移す（甘州は吐蕃の手に入ったと見る）":"｜河西《かせい》｜節度使《せつどし》楊休明が｜沙州《さしゅう》へ鎮を移す（｜甘州《かんしゅう》は｜吐蕃《とばん》の手に入ったと見る）","永泰二年（大暦元年）五月":"｜永泰《えいたい》二年（｜大暦《たいれき》元年）五月","粛州":"｜粛州《しゅくしゅう》","唐の粛州（河西道）":"唐の｜粛州《しゅくしゅう》（｜河西《かせい》道）","河西節度使楊休明が沙州へ鎮を移す（粛州は吐蕃の手に入ったと見る）":"｜河西《かせい》｜節度使《せつどし》楊休明が｜沙州《さしゅう》へ鎮を移す（｜粛州《しゅくしゅう》は｜吐蕃《とばん》の手に入ったと見る）","瓜州":"｜瓜州《かしゅう》","瓜州県":"｜瓜州《かしゅう》県","唐の瓜州（河西道）":"唐の｜瓜州《かしゅう》（｜河西《かせい》道）","河・隴が吐蕃に陥ち、北庭・安西との道が絶えていたことが記される（瓜州はこの年までに吐蕃の手に入っていたと見る）":"河・隴が｜吐蕃《とばん》に陥ち、北庭・安西との道が絶えていたことが記される（｜瓜州《かしゅう》はこの年までに｜吐蕃《とばん》の手に入っていたと見る）","建中二年（この年までに）":"｜建中《けんちゅう》二年（この年までに）","沙州":"｜沙州《さしゅう》","唐の沙州（河西道）":"唐の｜沙州《さしゅう》（｜河西《かせい》道）","沙州刺史周鼎・閻朝が唐のために守ったが、攻城から十一年で吐蕃の尚綺心児に降る":"｜沙州《さしゅう》｜刺史《しし》周鼎・閻朝が唐のために守ったが、攻城から十一年で｜吐蕃《とばん》の尚綺心児に降る","張議潮が吐蕃の守将を追い沙州を治め、唐に降る。十一月に沙州に帰義軍を置き張議潮を節度使とする":"張議潮が｜吐蕃《とばん》の守将を追い｜沙州《さしゅう》を治め、唐に降る。十一月に｜沙州《さしゅう》に帰義軍を置き張議潮を｜節度使《せつどし》とする","大中五年二月・十一月":"｜大中《たいちゅう》五年二月・十一月","伊州刺史袁光庭が累年守ったのち城が陥ちかけ、自焚する（この年に追贈）":"伊州｜刺史《しし》袁光庭が累年守ったのち城が陥ちかけ、｜自焚《じふん》する（この年に｜追贈《ついぞう》）","西州（高昌）":"｜西州《せいしゅう》（高昌）","西州":"｜西州《せいしゅう》","唐の西州（安西・北庭の後方）":"唐の｜西州《せいしゅう》（安西・北庭の後方）","北庭の回鶻の僕固俊が吐蕃を撃ち、西州・北庭などを取る":"北庭の｜回鶻《かいこつ》の僕固俊が｜吐蕃《とばん》を撃ち、｜西州《せいしゅう》・北庭などを取る","咸通七年二月":"｜咸通《かんつう》七年二月","北庭都護府（庭州）":"｜北庭都護府《ほくていとごふ》（庭州）","北庭都護府":"｜北庭都護府《ほくていとごふ》","唐の北庭都護府":"唐の｜北庭都護府《ほくていとごふ》","回鶻の誅求に苦しんだ北庭の人が沙陀とともに吐蕃に降り、節度使楊襲古は西州へ逃れる":"｜回鶻《かいこつ》の誅求に苦しんだ北庭の人が｜沙陀《さだ》とともに｜吐蕃《とばん》に降り、｜節度使《せつどし》楊襲古は｜西州《せいしゅう》へ逃れる","北庭の回鶻の僕固俊が西州・北庭などを取る":"北庭の｜回鶻《かいこつ》の僕固俊が｜西州《せいしゅう》・北庭などを取る","宋州":"｜宋州《そうしゅう》","唐の宋州（睢陽郡）。河南道。安史の乱では張巡・許遠が睢陽を守った":"唐の｜宋州《そうしゅう》（｜睢陽《すいよう》郡）。｜河南《かなん》道。｜安史《あんし》の乱では張巡・許遠が｜睢陽《すいよう》を守った","朱全忠が宣武節度使として汴州に着任し、汴・宋を治める":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜宣武《せんぶ》｜節度使《せつどし》として｜汴州《べんしゅう》に着任し、汴・宋を治める","亳州":"｜亳州《はくしゅう》","亳州市":"｜亳州《はくしゅう》市","唐の亳州（譙郡）。河南道":"唐の｜亳州《はくしゅう》（譙郡）。｜河南《かなん》道","譙郡太守楊万石が郡ごと安禄山に降る":"譙郡｜太守《たいしゅ》楊万石が郡ごと｜安禄山《あんろくさん》に降る","天宝十五載正月":"｜天宝《てんぽう》十五載正月","譙郡に唐の太守閭丘暁と許叔冀の軍がいる（唐に復している）":"譙郡に唐の｜太守《たいしゅ》閭丘暁と許叔冀の軍がいる（唐に復している）","朱全忠が黄巣の残党を鹿邑で破り、亳州に入って拠る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜黄巣《こうそう》の残党を鹿邑で破り、｜亳州《はくしゅう》に入って拠る","徐州":"｜徐州《じょしゅう》","徐州市":"｜徐州《じょしゅう》市","唐の徐州（彭城郡）。河南道。安史の乱の間も河南節度使虢王巨・尚衡らが彭城を守った":"唐の｜徐州《じょしゅう》（｜彭城《ほうじょう》郡）。｜河南《かなん》道。｜安史《あんし》の乱の間も｜河南《かなん》｜節度使《せつどし》虢王巨・尚衡らが｜彭城《ほうじょう》を守った","大暦十一年":"｜大暦《たいれき》十一年","徐州刺史李洧（李正己の従兄）が李納に従わず州を挙げて朝廷に帰す":"｜徐州《じょしゅう》｜刺史《しし》李洧（李正己の従兄）が｜李《り》納に従わず州を挙げて朝廷に帰す","徐州（張愔）":"｜徐州《じょしゅう》（張愔）","元和元年十一月":"｜元和《げんわ》元年十一月","副使王智興が軍を率いて節度使崔群を逐い、朝廷は討てずに王智興を節度使に任じる":"｜副使《ふくし》王智興が軍を率いて｜節度使《せつどし》崔群を逐い、朝廷は討てずに王智興を｜節度使《せつどし》に任じる","王智興が入朝し、忠武節度使に移される":"王智興が入朝し、忠武｜節度使《せつどし》に移される","大和三年":"｜大和《たいわ》三年","桂州から帰った戍卒を率いる龐勛が彭城を陥れ、観察使崔彦曾を囚える。朝廷は康承訓らを徐州行営招討使として討たせる":"桂州から帰った戍卒を率いる｜龐《ほう》｜勛《くん》が｜彭城《ほうじょう》を陥れ、観察使崔彦曾を囚える。朝廷は康｜承訓《しょうくん》らを｜徐州《じょしゅう》｜行営《こうえい》招討使として討たせる","咸通九年十月":"｜咸通《かんつう》九年十月","張玄稔が彭城を囲み、龐挙直・許佶を斬って徐州を平定する":"張玄稔が｜彭城《ほうじょう》を囲み、龐挙直・許佶を斬って｜徐州《じょしゅう》を平定する","咸通十年":"｜咸通《かんつう》十年","牙将時溥が節度使支詳を逐って武寧留後となり、のち節度使に任じられる":"牙将時溥が｜節度使《せつどし》支詳を逐って武寧留後となり、のち｜節度使《せつどし》に任じられる","朱全忠の将龐師古が彭城を抜き、時溥は一族とともに燕子楼で自焚する":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将龐師古が｜彭城《ほうじょう》を抜き、時溥は一族とともに燕子楼で｜自焚《じふん》する","景福二年四月":"｜景福《けいふく》二年四月","宿州":"｜宿州《しゅくしゅう》","宿州市":"｜宿州《しゅくしゅう》市","宿州は元和四年（809）に徐州の符離・蘄と泗州の虹を割いて置かれた。それより前は徐州の符離県の地として徐州と同じ持ち主を書く":"｜宿州《しゅくしゅう》は｜元和《げんわ》四年（809）に｜徐州《じょしゅう》の｜符離《ふり》・蘄と｜泗州《ししゅう》の虹を割いて置かれた。それより前は｜徐州《じょしゅう》の｜符離《ふり》県の地として｜徐州《じょしゅう》と同じ持ち主を書く","（徐州の地として）李正己が徐州を得る":"（｜徐州《じょしゅう》の地として）李正己が｜徐州《じょしゅう》を得る","（徐州の地として）徐州刺史李洧が朝廷に帰す":"（｜徐州《じょしゅう》の地として）｜徐州《じょしゅう》｜刺史《しし》李洧が朝廷に帰す","（徐州の地として）朝廷が軍中に立てられた張愔を追認する":"（｜徐州《じょしゅう》の地として）朝廷が軍中に立てられた張愔を追認する","（徐州の地として）張愔が召還される":"（｜徐州《じょしゅう》の地として）張愔が召還される","元和元年":"｜元和《げんわ》元年","武寧の王智興が崔群を逐い、朝廷が節度使に追認する":"武寧の王智興が崔群を逐い、朝廷が｜節度使《せつどし》に追認する","王智興が忠武節度使に移される":"王智興が忠武｜節度使《せつどし》に移される","龐勛の軍が宿州を攻め陥れる":"｜龐《ほう》｜勛《くん》の軍が｜宿州《しゅくしゅう》を攻め陥れる","宿州を守っていた張玄稔が城を挙げて官軍に降る":"｜宿州《しゅくしゅう》を守っていた張玄稔が城を挙げて官軍に降る","武寧留後時溥が陳璠を宿州刺史に任じる":"武寧留後時溥が陳璠を｜宿州《しゅくしゅう》｜刺史《しし》に任じる","宿州刺史張筠が朱全忠の将丁会に降る":"｜宿州《しゅくしゅう》｜刺史《しし》張筠が｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将丁会に降る","大順二年十月":"｜大順《たいじゅん》二年十月","曹州":"｜曹州《そうしゅう》","唐の曹州（済陰郡）。河南道":"唐の｜曹州《そうしゅう》（｜済陰《さいいん》郡）。｜河南《かなん》道","済陰郡が安禄山に降る":"｜済陰《さいいん》郡が｜安禄山《あんろくさん》に降る","洛陽の回復後、張鎬が五節度を率いて河南の郡県を下す":"｜洛陽《らくよう》の回復後、張鎬が五節度を率いて｜河南《かなん》の｜郡県《ぐんけん》を下す","李霊曜の乱の討伐に乗じて李正己が曹州などを得る":"李霊曜の乱の討伐に乗じて李正己が｜曹州《そうしゅう》などを得る","李正己の死後、李納が擅に軍務を領し父の位の継承を求めるが許されず、官軍と交戦する（782年に斉王を称する）":"李正己の死後、｜李《り》納が擅に軍務を領し父の位の継承を求めるが許されず、官軍と交戦する（782年に斉王を称する）","赦令を受けて李納が王号を去り、朝廷に従う（世襲の藩鎮として続く）":"｜赦令《しゃれい》を受けて｜李《り》納が｜王号《おうごう》を去り、朝廷に従う（世襲の｜藩鎮《はんちん》として続く）","淄青（李師道）":"｜淄青《しせい》（｜李《り》｜師道《しどう》）","朝廷が李師道の罪状を下し、諸道に討伐を命じる":"朝廷が｜李《り》｜師道《しどう》の罪状を下し、諸道に討伐を命じる","元和十三年七月":"｜元和《げんわ》十三年七月","都知兵馬使劉悟が李師道を斬って降り、淄青十二州は朝廷の任命する三道に分けられる":"都知兵馬使劉悟が｜李《り》｜師道《しどう》を斬って降り、｜淄青《しせい》十二州は朝廷の任命する三道に分けられる","元和十四年二月":"｜元和《げんわ》十四年二月","天平節度使曹存実の戦死後、都将の朱瑄が郓州を守り、天平留後に任じられる":"｜天平《てんぺい》｜節度使《せつどし》曹存実の戦死後、都将の朱瑄が郓州を守り、｜天平《てんぺい》留後に任じられる","曹州の都将郭銖が刺史郭詞を殺して朱全忠に降る":"｜曹州《そうしゅう》の都将郭銖が｜刺史《しし》郭詞を殺して｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降る","大順二年十一月":"｜大順《たいじゅん》二年十一月","鄆州":"｜鄆州《うんしゅう》","唐の郓州（東平郡）。河南道。755年末は東平太守嗣呉王祗が燕に抵抗した":"唐の郓州（東平郡）。｜河南《かなん》道。755年末は東平｜太守《たいしゅ》嗣｜呉王《ごおう》祗が燕に抵抗した","魯・東平・済陰が燕に陥る":"魯・東平・｜済陰《さいいん》が燕に陥る","至徳元載十二月":"｜至徳《しとく》元載十二月","張鎬が河南の郡県を下す":"張鎬が｜河南《かなん》の｜郡県《ぐんけん》を下す","李霊曜の討伐で李正己が郓・濮二州を攻め取り、のち青州から郓州に治所を移す":"李霊曜の討伐で李正己が郓・濮二州を攻め取り、のち｜青州《せいしゅう》から郓州に治所を移す","大暦十一年九月":"｜大暦《たいれき》十一年九月","龐師古・葛従周が郓州を攻め、朱瑄は城を捨てて逃れ捕らえられる。朱全忠が郓州に入る":"龐師古・葛従周が郓州を攻め、朱瑄は城を捨てて逃れ捕らえられる。｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が郓州に入る","乾寧四年正月":"｜乾寧《けんねい》四年正月","兗州":"｜兗州《えんしゅう》","済寧市兗州区":"済寧市｜兗州《えんしゅう》区","唐の兗州（魯郡）。河南道":"唐の｜兗州《えんしゅう》（魯郡）。｜河南《かなん》道","李霊曜の乱の討伐に乗じて李正己が兗州などを得る":"李霊曜の乱の討伐に乗じて李正己が｜兗州《えんしゅう》などを得る","朱瑾":"朱｜瑾《きん》","天平の牙将朱瑾が泰寧節度使斉克讓を逐って兗州を奪い、留後を称する":"｜天平《てんぺい》の牙将朱｜瑾《きん》が泰寧｜節度使《せつどし》斉克讓を逐って｜兗州《えんしゅう》を奪い、留後を称する","郓州の陥落を聞いて兗州の守将康懐貞が降り、葛従周が兗州に入る":"郓州の陥落を聞いて｜兗州《えんしゅう》の守将康懐貞が降り、葛従周が｜兗州《えんしゅう》に入る","乾寧四年二月":"｜乾寧《けんねい》四年二月","唐の濮州（濮陽郡）。河南道":"唐の濮州（｜濮陽《ぼくよう》郡）。｜河南《かなん》道","濮陽郡が安禄山に降る":"｜濮陽《ぼくよう》郡が｜安禄山《あんろくさん》に降る","河南節度使虢王巨が濮陽・済陰二郡に睢陽の糧を分け与えている（唐に復している）。張鎬が河南の郡県を下す":"｜河南《かなん》｜節度使《せつどし》虢王巨が｜濮陽《ぼくよう》・｜済陰《さいいん》二郡に｜睢陽《すいよう》の糧を分け与えている（唐に復している）。張鎬が｜河南《かなん》の｜郡県《ぐんけん》を下す","史思明が濮陽から河を渡って汴州に至り、許叔冀が濮州刺史董秦らとともに降る":"｜史思明《ししめい》が｜濮陽《ぼくよう》から河を渡って｜汴州《べんしゅう》に至り、許叔冀が濮州｜刺史《しし》董秦らとともに降る","史朝義が濮州に逃れ、そこから北へ河を渡って去る":"｜史朝義《しちょうぎ》が濮州に逃れ、そこから北へ河を渡って去る","朱全忠の将朱珍が濮州を抜き、刺史朱裕は郓州へ逃れる":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将朱珍が濮州を抜き、｜刺史《しし》朱裕は郓州へ逃れる","青州":"｜青州《せいしゅう》","青州市":"｜青州《せいしゅう》市","唐の青州（北海郡）。河南道。756年は北海太守賀蘭進明が唐のために兵を起こしている":"唐の｜青州《せいしゅう》（北海郡）。｜河南《かなん》道。756年は北海｜太守《たいしゅ》賀蘭進明が唐のために兵を起こしている","張鎬が河南を平定したが、北海には燕の能元皓が拠ってまだ下らない":"張鎬が｜河南《かなん》を平定したが、北海には燕の能元皓が拠ってまだ下らない","安慶緒が置いた北海節度使能元皓が所部を挙げて唐に降る":"｜安慶緒《あんけいしょ》が置いた北海｜節度使《せつどし》能元皓が｜所部《しょぶ》を挙げて唐に降る","平盧淄青の軍士が侯希逸を追い李懐玉（正己）を立て、朝廷が留後に追認する":"平盧｜淄青《しせい》の軍士が侯希逸を追い李懐玉（正己）を立て、朝廷が留後に追認する","平盧の大将王敬武が節度使安師儒を逐い、留後となる（朝廷が追認）":"平盧の大将王敬武が｜節度使《せつどし》安師儒を逐い、留後となる（朝廷が追認）","朱全忠が李振に青州を知させて王師範に代え、王師範は一族で西へ移る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》が｜李《り》振に｜青州《せいしゅう》を知させて王師範に代え、王師範は一族で西へ移る","唐の淄州（淄川郡）。河南道":"唐の淄州（淄川郡）。｜河南《かなん》道","王師範が朱全忠に降り、朱全忠は諸将に登・莱・淄・棣等州を守らせ、王師範には淄青留後として青州だけを残す":"王師範が｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》は諸将に登・莱・淄・棣等州を守らせ、王師範には｜淄青《しせい》留後として｜青州《せいしゅう》だけを残す","斉州（済南）":"斉州（｜済南《さいなん》）","済南市":"｜済南《さいなん》市","唐の斉州（済南郡）。河南道。755年末は済南太守李随が燕に抵抗した":"唐の斉州（｜済南《さいなん》郡）。｜河南《かなん》道。755年末は｜済南《さいなん》｜太守《たいしゅ》李随が燕に抵抗した","朱全忠の将葛従周が斉州刺史朱威を攻め、朱瑄・朱瑾が救援する（斉州は朱瑄側）":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将葛従周が斉州｜刺史《しし》朱威を攻め、朱瑄・朱｜瑾《きん》が救援する（斉州は朱瑄側）","斉州刺史朱瓊（朱瑾の従兄）が州を挙げて朱全忠に降る":"斉州｜刺史《しし》朱瓊（朱｜瑾《きん》の従兄）が州を挙げて｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に降る","唐の登州。河南道":"唐の登州。｜河南《かなん》道","六月に朱全忠の兵が登州を抜き、九月に王師範が降ると朱全忠の諸将が登・莱・淄・棣等州を守る":"六月に｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の兵が登州を抜き、九月に王師範が降ると｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の諸将が登・莱・淄・棣等州を守る","唐の莱州。河南道":"唐の莱州。｜河南《かなん》道","王師範が降り、朱全忠の諸将が登・莱・淄・棣等州を守る":"王師範が降り、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の諸将が登・莱・淄・棣等州を守る","天復三年九月":"｜天復《てんふく》三年九月","唐の密州（高密郡）。河南道":"唐の密州（高密郡）。｜河南《かなん》道","李納の密州刺史馬万通が降を乞い、そのまま密州刺史に任じられる":"｜李《り》納の密州｜刺史《しし》馬万通が降を乞い、そのまま密州｜刺史《しし》に任じられる","建中二年十二月":"｜建中《けんちゅう》二年十二月","淮南節度使陳少游が抜いた海・密二州を李納が再び攻め陥れる":"｜淮南《わいなん》｜節度使《せつどし》陳少游が抜いた海・密二州を｜李《り》納が再び攻め陥れる","天平の牙将朱瑾が泰寧節度使斉克讓を逐って留後を称する（密州は泰寧の管内）":"｜天平《てんぺい》の牙将朱｜瑾《きん》が泰寧｜節度使《せつどし》斉克讓を逐って留後を称する（密州は泰寧の管内）","郓・兗の陥落で、郓・斉・曹・棣・兗・沂・密・徐・宿…がみな朱全忠に入る":"郓・兗の陥落で、郓・斉・曹・棣・兗・沂・密・徐・宿…がみな｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に入る","淄青の王師範が沂・密の離反に楊行密の援兵を求め、淮南の兵が密州を抜いて王師範に帰す":"｜淄青《しせい》の王師範が沂・密の離反に｜楊行密《ようこうみつ》の援兵を求め、｜淮南《わいなん》の兵が密州を抜いて王師範に帰す","光化二年十月":"｜光化《こうか》二年十月","淮南の王茂章と王師誨が密州を抜いて刺史劉康乂を斬り、張訓を刺史とするが、張訓は城を捨てて退き、朱全忠の将王檀が入って密州刺史となる":"｜淮南《わいなん》の王茂章と王師誨が密州を抜いて｜刺史《しし》｜劉康《りゅうこう》乂を斬り、張訓を｜刺史《しし》とするが、張訓は城を捨てて退き、｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将王檀が入って密州｜刺史《しし》となる","唐の沂州（琅邪郡）。河南道":"唐の沂州（｜琅邪《ろうや》郡）。｜河南《かなん》道","天平の牙将朱瑾が泰寧節度使斉克讓を逐って留後を称する（沂州は泰寧の管内）":"｜天平《てんぺい》の牙将朱｜瑾《きん》が泰寧｜節度使《せつどし》斉克讓を逐って留後を称する（沂州は泰寧の管内）","兗州を失った朱瑾が沂州に向かうが刺史尹処賓は受け入れず、沂州は朱全忠に入る":"｜兗州《えんしゅう》を失った朱｜瑾《きん》が沂州に向かうが｜刺史《しし》尹処賓は受け入れず、沂州は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に入る","唐の海州（東海郡）。河南道":"唐の海州（東海郡）。｜河南《かなん》道","淮南節度使陳少游が兵を出して海州を撃ち、刺史王涉が州ごと降る":"｜淮南《わいなん》｜節度使《せつどし》陳少游が兵を出して海州を撃ち、｜刺史《しし》王涉が州ごと降る","李納が海・密二州を再び攻め陥れる":"｜李《り》納が海・密二州を再び攻め陥れる","天平の牙将朱瑾が泰寧節度使斉克讓を逐って留後を称する（海州は泰寧の管内）":"｜天平《てんぺい》の牙将朱｜瑾《きん》が泰寧｜節度使《せつどし》斉克讓を逐って留後を称する（海州は泰寧の管内）","朱瑾が海州に拠るが汴兵に迫られ、州民を連れて淮水を渡り楊行密に奔る。海州は朱全忠の戍将が守る":"朱｜瑾《きん》が海州に拠るが汴兵に迫られ、州民を連れて｜淮水《わいすい》を渡り｜楊行密《ようこうみつ》に奔る。海州は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の戍将が守る","朱全忠の海州戍将陳漢賓が楊行密に降を請い、淮南の張訓・王綰が海州に入って拠る":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の海州戍将｜陳《ちん》｜漢《かん》賓が｜楊行密《ようこうみつ》に降を請い、｜淮南《わいなん》の張訓・王綰が海州に入って拠る","光化二年七月":"｜光化《こうか》二年七月","成都府":"｜成都《せいと》府","成都市":"｜成都《せいと》市","唐の蜀郡（剣南節度使の治所）。756年に玄宗が避難し、881〜885年に僖宗が滞在したが、帰属はいずれも唐のまま":"唐の｜蜀郡《しょくぐん》（剣南｜節度使《せつどし》の治所）。756年に｜玄宗《げんそう》が避難し、881〜885年に｜僖宗《きそう》が滞在したが、帰属はいずれも唐のまま","西川（崔旰）":"｜西川《せいせん》（崔旰）","崔旰が節度使郭英乂を破って成都に入り、のち朝廷が西川節度使に追認する（任命でなく乱で得た位）":"崔旰が｜節度使《せつどし》郭英乂を破って｜成都《せいと》に入り、のち朝廷が｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》に追認する（任命でなく乱で得た位）","徳宗が崔寧（崔旰）を朝廷に留め、張延賞を西川節度使に任じる":"｜徳宗《とくそう》が崔寧（崔旰）を朝廷に留め、張延賞を｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》に任じる","大暦十四年":"｜大暦《たいれき》十四年","西川（劉闢）":"｜西川《せいせん》（劉闢）","韋皋の死後に劉闢が自ら留後となり、召還を拒み、朝廷が西川節度副使・知節度事に追認する":"韋皋の死後に劉闢が自ら留後となり、召還を拒み、朝廷が｜西川《せいせん》節度副使・知節度事に追認する","永貞元年":"｜永貞《えいてい》元年","劉闢の官爵を削って討ち、高崇文が成都を落とす（年内に平定）":"劉闢の官爵を削って討ち、高崇文が｜成都《せいと》を落とす（年内に平定）","元和元年九月":"｜元和《げんわ》元年九月","陳敬瑄":"陳｜敬瑄《けいせん》","陳敬瑄が新節度使韋昭度を拒み、朝廷が官爵を削って討伐する":"陳｜敬瑄《けいせん》が新｜節度使《せつどし》韋昭度を拒み、朝廷が官爵を削って討伐する","陳敬瑄が城を開いて王建を迎え、王建が西川節度使となる":"陳｜敬瑄《けいせん》が城を開いて｜王建《おうけん》を迎え、｜王建《おうけん》が｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》となる","唐の梓州（757年以後は剣南東川節度使の治所）":"唐の梓州（757年以後は剣南｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》の治所）","東川（顧彦朗・顧彦暉）":"｜東川《とうせん》（顧彦朗・顧彦暉）","顧彦朗が東川節度使となり、891年に弟の顧彦暉が軍中の推戴で継ぐ":"顧彦朗が｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》となり、891年に弟の顧彦暉が軍中の推戴で継ぐ","王建が梓州を囲み、顧彦暉が自殺して王建が梓州に入る":"｜王建《おうけん》が梓州を囲み、顧彦暉が自殺して｜王建《おうけん》が梓州に入る","唐の綿州（剣南東川の巡属）":"唐の綿州（剣南｜東川《とうせん》の巡属）","綿州刺史楊守厚が養父楊復恭とともに朝廷に兵を挙げ、東川を攻めて敗れて綿州に戻る":"綿州｜刺史《しし》楊守厚が養父｜楊《よう》｜復恭《ふくきょう》とともに朝廷に兵を挙げ、｜東川《とうせん》を攻めて敗れて綿州に戻る","楊守厚が死に、その将の常再栄が城ごと王建に降る":"楊守厚が死に、その将の常再栄が城ごと｜王建《おうけん》に降る","果州刺史張雄が王建に降る":"果州｜刺史《しし》張雄が｜王建《おうけん》に降る","遂寧市":"｜遂寧《すいねい》市","唐の遂州（剣南東川の巡属）":"唐の遂州（剣南｜東川《とうせん》の巡属）","東川節度使が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。遂州は東川の巡属":"｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。遂州は｜東川《とうせん》の巡属","知遂州侯紹が兵を率いて王建に降る":"知遂州侯紹が兵を率いて｜王建《おうけん》に降る","重慶市":"｜重慶《じゅうけい》市","唐の渝州（剣南東川の巡属）":"唐の渝州（剣南｜東川《とうせん》の巡属）","東川節度使が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。渝州は東川の巡属":"｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。渝州は｜東川《とうせん》の巡属","荊南の成汭の将許存が長江をさかのぼって渝州・涪州を取る":"｜荊南《けいなん》の成汭の将許存が｜長江《ちょうこう》をさかのぼって渝州・涪州を取る","王建の将王宗侃が渝州を取り、刺史牟崇厚が降る":"｜王建《おうけん》の将王宗侃が渝州を取り、｜刺史《しし》牟崇厚が降る","重慶市合川区":"｜重慶《じゅうけい》市合川区","唐の合州（剣南東川の巡属）":"唐の合州（剣南｜東川《とうせん》の巡属）","東川節度使が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。合州は東川の巡属":"｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。合州は｜東川《とうせん》の巡属","知合州王仁威が兵を率いて王建に降る":"知合州王仁威が兵を率いて｜王建《おうけん》に降る","唐の夔州（のち荊南の巡属）":"唐の夔州（のち｜荊南《けいなん》の巡属）","楊守亮（山南西道）":"楊守亮（｜山南西道《さんなんせいどう》）","山南西道の兵が夔州を陥れる":"｜山南西道《さんなんせいどう》の兵が夔州を陥れる","荊南の成汭が許存とともに長江沿いの州県を取り尽くす":"｜荊南《けいなん》の成汭が許存とともに｜長江《ちょうこう》沿いの州県を取り尽くす","成汭の死後、夔州刺史侯矩が王建の将王宗本に州ごと降る":"成汭の死後、夔州｜刺史《しし》侯矩が｜王建《おうけん》の将王｜宗本《そうほん》に州ごと降る","重慶市万州区":"｜重慶《じゅうけい》市万州区","成汭が長江沿いの州県を取り、許存を万州刺史とする":"成汭が｜長江《ちょうこう》沿いの州県を取り、許存を万州｜刺史《しし》とする","王建の将王宗本が夔・忠・万・施の4州を定める":"｜王建《おうけん》の将王｜宗本《そうほん》が夔・忠・万・施の4州を定める","唐の黔州（黔中。のち武泰軍）":"唐の黔州（黔中。のち｜武泰《ぶたい》軍）","武泰節度使王建肇が黔州を棄て、成汭が将の趙武を黔中留後とする":"｜武泰《ぶたい》｜節度使《せつどし》｜王建《おうけん》肇が黔州を棄て、成汭が将の趙武を黔中留後とする","王建が王宗本を武泰留後とする（宗本は治所を涪州に移す）":"｜王建《おうけん》が王｜宗本《そうほん》を｜武泰《ぶたい》留後とする（｜宗本《そうほん》は治所を涪州に移す）","重慶市涪陵区":"｜重慶《じゅうけい》市涪陵区","王建の武泰留後王宗本が治所を涪州に移す":"｜王建《おうけん》の｜武泰《ぶたい》留後王｜宗本《そうほん》が治所を涪州に移す","唐の嘉州（剣南西川の巡属）":"唐の嘉州（剣南｜西川《せいせん》の巡属）","南詔が大渡河を越えて嘉州を陥れる（翌年二月に成都から退くまで蜀の南西部にいた）":"南詔が大渡河を越えて嘉州を陥れる（翌年二月に｜成都《せいと》から退くまで蜀の南西部にいた）","咸通十年十二月壬子":"｜咸通《かんつう》十年十二月｜壬子《じんし》","南詔軍が成都の囲みを解いて南へ退く":"南詔軍が｜成都《せいと》の囲みを解いて南へ退く","咸通十一年二月":"｜咸通《かんつう》十一年二月","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（嘉州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（嘉州は｜西川《せいせん》の巡属）","嘉州刺史朱実が州ごと王建に降る":"嘉州｜刺史《しし》朱実が州ごと｜王建《おうけん》に降る","唐の眉州（剣南西川の巡属）":"唐の眉州（剣南｜西川《せいせん》の巡属）","陳敬瑄が討伐される。眉州刺史山行章は陳敬瑄の側で王建と戦う":"陳｜敬瑄《けいせん》が討伐される。眉州｜刺史《しし》山行章は陳｜敬瑄《けいせん》の側で｜王建《おうけん》と戦う","王建に敗れた山行章が眉州に退いて守り、王建に降る":"｜王建《おうけん》に敗れた山行章が眉州に退いて守り、｜王建《おうけん》に降る","龍紀元年十二月":"｜龍紀《りゅうき》元年十二月","雅州":"｜雅州《がしゅう》","唐の雅州（剣南西川の巡属）":"唐の｜雅州《がしゅう》（剣南｜西川《せいせん》の巡属）","大渡河で唐軍を破った南詔が黎州・雅州を陥れる":"大渡河で唐軍を破った南詔が黎州・｜雅州《がしゅう》を陥れる","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（雅州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（｜雅州《がしゅう》は｜西川《せいせん》の巡属）","資簡都制置応援使謝従本が雅州刺史を殺して城ごと王建に降る":"資簡都制置応援使謝従本が｜雅州《がしゅう》｜刺史《しし》を殺して城ごと｜王建《おうけん》に降る","唐の黎州（剣南西川の巡属・大渡河の守り）":"唐の黎州（剣南｜西川《せいせん》の巡属・大渡河の守り）","乾符元年十二月以後":"｜乾符《けんぷ》元年十二月以後","高駢の着任を聞いた南詔が雅州から退き、高駢が大渡河の城柵を修復する":"高駢の着任を聞いた南詔が｜雅州《がしゅう》から退き、高駢が大渡河の城柵を修復する","乾符二年":"｜乾符《けんぷ》二年","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（黎州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（黎州は｜西川《せいせん》の巡属）","陳敬瑄の巡内の州県がほぼ王建に取られ、成都も落ちる":"陳｜敬瑄《けいせん》の巡内の州県がほぼ｜王建《おうけん》に取られ、｜成都《せいと》も落ちる","唐の茂州（剣南西川の西山の州）":"唐の茂州（剣南｜西川《せいせん》の｜西山《せいざん》の州）","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（茂州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（茂州は｜西川《せいせん》の巡属）","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（戎州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（戎州は｜西川《せいせん》の巡属）","僰道の土豪文武堅が戎州刺史を捕らえて王建に降る":"僰道の土豪文武堅が戎州｜刺史《しし》を捕らえて｜王建《おうけん》に降る","唐の瀘州（806年に西川から東川の巡属へ移る）":"唐の瀘州（806年に｜西川《せいせん》から｜東川《とうせん》の巡属へ移る）","東川節度使が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。瀘州は東川の巡属":"｜東川《とうせん》｜節度使《せつどし》が顧彦朗（891年から顧彦暉）となる。瀘州は｜東川《とうせん》の巡属","王建の将王宗阮が瀘州を抜き、刺史馬敬儒を斬る":"｜王建《おうけん》の将王宗阮が瀘州を抜き、｜刺史《しし》馬｜敬儒《けいじゅ》を斬る","唐の維州（剣南西山の州）":"唐の維州（剣南｜西山《せいざん》の州）","吐蕃が松・維・保の3州を陥れる":"｜吐蕃《とばん》が松・維・保の3州を陥れる","広徳元年十二月":"｜広徳《こうとく》元年十二月","西川節度使杜悰が維州を取る":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》杜悰が維州を取る","西川節度使陳敬瑄の官爵が削られ討伐される（維州は西川の巡属）":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》陳｜敬瑄《けいせん》の官爵が削られ討伐される（維州は｜西川《せいせん》の巡属）","松潘県":"｜松潘《しょうはん》県","唐の巂州（越巂郡・中都督府）":"唐の巂州（｜越巂《えっすい》郡・｜中都《ちゅうと》督府）","安史の乱に乗じて南詔が越巂・会同軍を陥れる":"｜安史《あんし》の乱に乗じて南詔が｜越巂《えっすい》・｜会同《かいどう》軍を陥れる","西川節度使韋皋が巂州（城）を回復する":"｜西川《せいせん》｜節度使《せつどし》韋皋が巂州（城）を回復する","南詔が巂州を寇し、両林蛮が門を開いて迎え入れ、戍卒を殺し、刺史喻士珍が降る":"南詔が巂州を寇し、両林蛮が門を開いて迎え入れ、戍卒を殺し、｜刺史《しし》喻士珍が降る","咸通六年":"｜咸通《かんつう》六年","750年に南詔の閣羅鳳が雲南太守張虔陀を殺して姚州を取り、751年の鮮于仲通・754年の李宓の遠征がいずれも大敗したので、754年の暮れは南詔":"750年に南詔の閣羅鳳が｜雲南《うんなん》｜太守《たいしゅ》張虔陀を殺して姚州を取り、751年の鮮于仲通・754年の李宓の遠征がいずれも大敗したので、754年の暮れは南詔","太和城・羊苴咩城（南詔の都）":"｜太和《たいわ》城・羊苴咩城（南詔の都）","太和城・羊苴咩城":"｜太和《たいわ》城・羊苴咩城","昆明市":"｜昆明《こんめい》市","閣羅鳳の代に南詔が昆川城使を置いて西爨を移しており、昆川（滇池のほとり）は南詔の勢力下。城そのものは広徳初（763〜764年）に鳳迦異が築いた":"閣羅鳳の代に南詔が昆川城使を置いて西爨を移しており、昆川（滇池のほとり）は南詔の勢力下。城そのものは｜広徳《こうとく》初（763〜764年）に鳳迦異が築いた","交州（安南都護府）":"｜交州《こうしゅう》（安｜南都《なんと》護府）","交州":"｜交州《こうしゅう》","唐の安南都護府":"唐の安｜南都《なんと》護府","咸通元年十二月戊申":"｜咸通《かんつう》元年十二月戊申","咸通二年":"｜咸通《かんつう》二年","咸通四年正月":"｜咸通《かんつう》四年正月","唐の愛州（安南都護府の管内）":"唐の愛州（安｜南都《なんと》護府の管内）","杭州":"｜杭州《こうしゅう》","杭州市":"｜杭州《こうしゅう》市","唐の杭州（江南東道）":"唐の｜杭州《こうしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","石鏡鎮将の董昌が兵を率いて杭州に入り、知州事を称し、周宝の上表で杭州刺史となる":"石鏡｜鎮将《ちんしょう》の董昌が兵を率いて｜杭州《こうしゅう》に入り、知州事を称し、周宝の｜上表《じょうひょう》で｜杭州《こうしゅう》｜刺史《しし》となる","董昌が越州へ移り、銭鏐に杭州を任せる（翌887年に朝廷が銭鏐を杭州刺史に任じる）":"董昌が越州へ移り、銭鏐に｜杭州《こうしゅう》を任せる（翌887年に朝廷が銭鏐を｜杭州《こうしゅう》｜刺史《しし》に任じる）","蘇州":"｜蘇州《そしゅう》","蘇州市":"｜蘇州《そしゅう》市","唐の蘇州（江南東道）":"唐の｜蘇州《そしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","感化軍の牙将張雄が蘇州を襲って拠り、刺史を自称する":"感化軍の牙将張雄が｜蘇州《そしゅう》を襲って拠り、｜刺史《しし》を自称する","六合鎮遏使の徐約が張雄を逐って蘇州を取る":"六合鎮遏使の徐約が張雄を逐って｜蘇州《そしゅう》を取る","光啓三年四月":"｜光啓《こうけい》三年四月","銭鏐の従弟銭銶が蘇州を抜き、徐約は海へ逃れて死ぬ":"銭鏐の従弟銭銶が｜蘇州《そしゅう》を抜き、徐約は海へ逃れて死ぬ","楊行密の将李友が蘇州を抜いたのち、十二月に孫儒が蘇州を抜いて李友を殺し、沈粲に守らせる":"｜楊行密《ようこうみつ》の将李友が｜蘇州《そしゅう》を抜いたのち、十二月に孫儒が｜蘇州《そしゅう》を抜いて李友を殺し、沈粲に守らせる","大順元年十二月":"｜大順《たいじゅん》元年十二月","孫儒が蘇・常を焼き払って宣州へ向かったあと、銭鏐が再び兵を送って蘇州に拠る":"孫儒が蘇・常を焼き払って宣州へ向かったあと、銭鏐が再び兵を送って｜蘇州《そしゅう》に拠る","常熟鎮使の陸郢が州城ごと楊行密に応じ、刺史成及が捕らわれる":"常熟鎮使の陸郢が州城ごと｜楊行密《ようこうみつ》に応じ、｜刺史《しし》成及が捕らわれる","両浙の将顧全武が蘇州を攻め、淮南の置いた刺史台濛が城を棄てて逃れる":"両浙の将顧全武が｜蘇州《そしゅう》を攻め、｜淮南《わいなん》の置いた｜刺史《しし》台濛が城を棄てて逃れる","湖州":"｜湖州《こしゅう》","湖州市":"｜湖州《こしゅう》市","唐の湖州（江南東道）":"唐の｜湖州《こしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","黄巣の偽符璽を献じた徐州の小吏李師悦が湖州刺史に任じられる":"｜黄巣《こうそう》の偽｜符璽《ふじ》を献じた｜徐州《じょしゅう》の小吏李師悦が｜湖州《こしゅう》｜刺史《しし》に任じられる","黄巣平定ののち（年は未確定）":"｜黄巣《こうそう》平定ののち（年は未確定）","刺史李彦徽（李継徽）が州を楊行密に付けようとして衆に拒まれ広陵へ奔り、都指揮使沈攸が州を銭鏐に帰す":"｜刺史《しし》李彦徽（李継徽）が州を｜楊行密《ようこうみつ》に付けようとして衆に拒まれ｜広陵《こうりょう》へ奔り、｜都指揮《としき》使沈攸が州を銭鏐に帰す","紹興市":"｜紹興《しょうこう》市","唐の越州（江南東道・浙東の治所）":"唐の越州（｜江南《こうなん》東道・浙東の治所）","銭鏐が越州を取り、劉漢宏は台州へ逃れて斬られる。董昌が越州へ移る":"銭鏐が越州を取り、劉漢宏は｜台州《たいしゅう》へ逃れて斬られる。董昌が越州へ移る","光啓二年十一月":"｜光啓《こうけい》二年十一月","董昌が越州で皇帝を名乗り（大越羅平国）、五月に朝廷が官爵を削って銭鏐に討たせる":"董昌が越州で皇帝を名乗り（｜大越《だいえつ》羅平国）、五月に朝廷が官爵を削って銭鏐に討たせる","乾寧二年二月":"｜乾寧《けんねい》二年二月","乾寧三年五月":"｜乾寧《けんねい》三年五月","明州":"｜明州《めいしゅう》","唐の明州（江南東道）":"唐の｜明州《めいしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","台州で挙兵し宝勝と改元した袁晁が温州・明州を陥れる":"｜台州《たいしゅう》で挙兵し宝勝と｜改元《かいげん》した袁晁が温州・｜明州《めいしゅう》を陥れる","李光弼の部将張伯儀が袁晁を捕らえ、浙東が平定される":"｜李《り》｜光弼《こうひつ》の部将張伯儀が袁晁を捕らえ、浙東が平定される","鄮の群盗鍾季文が明州を陥れ、のち刺史となる":"鄮の群盗鍾季文が｜明州《めいしゅう》を陥れ、のち｜刺史《しし》となる","刺史鍾季文（鍾文季）が死に、その将の黄晟が刺史を自称する":"｜刺史《しし》鍾季文（鍾文季）が死に、その将の黄晟が｜刺史《しし》を自称する","台州":"｜台州《たいしゅう》","唐の台州（江南東道）":"唐の｜台州《たいしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","台州の袁晁が叛いて台州を陥れ、宝勝と改元する":"｜台州《たいしゅう》の袁晁が叛いて｜台州《たいしゅう》を陥れ、宝勝と｜改元《かいげん》する","臨海の群盗杜雄が台州を陥れ、のち刺史となる":"臨海の群盗杜雄が｜台州《たいしゅう》を陥れ、のち｜刺史《しし》となる","刺史杜雄が死に、銭鏐が台州を取る（翌年正月に駱団を台州制置使とする）":"｜刺史《しし》杜雄が死に、銭鏐が｜台州《たいしゅう》を取る（翌年正月に駱団を｜台州《たいしゅう》制置使とする）","乾寧四年十一月":"｜乾寧《けんねい》四年十一月","唐の温州（江南東道）":"唐の温州（｜江南《こうなん》東道）","袁晁が温州・明州を陥れる":"袁晁が温州・｜明州《めいしゅう》を陥れる","永嘉の群盗朱襃が温州を陥れ、のち刺史となる":"｜永嘉《えいか》の群盗朱襃が温州を陥れ、のち｜刺史《しし》となる","処州刺史盧約が弟の盧佶に温州を攻め落とさせ、張恵は福州へ逃れる":"処州｜刺史《しし》盧約が弟の盧佶に温州を攻め落とさせ、張恵は｜福州《ふくしゅう》へ逃れる","唐の婺州（江南東道）":"唐の婺州（｜江南《こうなん》東道）","婺州人王鎮が刺史黄碣を捕らえて銭鏐に降り、劉漢宏の将婁賚が王鎮を殺して代わったのを、浦陽鎮将蔣環が銭鏐の兵とともに攻めて婁賚を捕らえる":"婺州人王鎮が｜刺史《しし》黄碣を捕らえて銭鏐に降り、劉漢宏の将婁賚が王鎮を殺して代わったのを、浦陽｜鎮将《ちんしょう》蔣環が銭鏐の兵とともに攻めて婁賚を捕らえる","孫儒の将王壇が婺州を陥れ、刺史蔣環は逃れる":"孫儒の将王壇が婺州を陥れ、｜刺史《しし》蔣環は逃れる","銭鏐が婺州を取り、刺史王壇は宣州へ逃れる。浙西営田副使沈夏を婺州刺史とする":"銭鏐が婺州を取り、｜刺史《しし》王壇は宣州へ逃れる。浙西｜営田《えいでん》｜副使《ふくし》沈夏を婺州｜刺史《しし》とする","光化三年九月":"｜光化《こうか》三年九月","淮南の将陶雅・陳璋が婺州を抜き、刺史沈夏を捕らえて帰る":"｜淮南《わいなん》の将陶雅・陳璋が婺州を抜き、｜刺史《しし》沈夏を捕らえて帰る","唐の衢州（江南東道）":"唐の衢州（｜江南《こうなん》東道）","饒州刺史陳儒が衢州を陥れる（895年に弟の陳岌が継ぐ）":"｜饒州《じょうしゅう》｜刺史《しし》陳儒が衢州を陥れる（895年に弟の陳岌が継ぐ）","楊行密（陳岌）":"｜楊行密《ようこうみつ》（陳岌）","衢州刺史陳岌が楊行密に降り、銭鏐が顧全武に討たせる":"衢州｜刺史《しし》陳岌が｜楊行密《ようこうみつ》に降り、銭鏐が顧全武に討たせる","光化元年十一月":"｜光化《こうか》元年十一月","楊行密（陳璋）":"｜楊行密《ようこうみつ》（陳璋）","銭鏐が刺史陳璋を殺させようとして露見し、陳璋が叛いて楊行密に降る":"銭鏐が｜刺史《しし》陳璋を殺させようとして露見し、陳璋が叛いて｜楊行密《ようこうみつ》に降る","天祐元年十二月":"｜天祐《てんゆう》元年十二月","両浙兵が衢州を囲み、陳璋は迎えに来た淮南の周本に従って去り、両浙兵が衢州を取る":"両浙兵が衢州を囲み、陳璋は迎えに来た｜淮南《わいなん》の周本に従って去り、両浙兵が衢州を取る","建徳市梅城鎮":"｜建徳《けんとく》市梅城鎮","唐の睦州（江南東道）":"唐の睦州（｜江南《こうなん》東道）","余杭鎮使陳晟が睦州刺史柳超を逐って州事を領し、朝廷がそのまま刺史に任じる（900年に弟の陳詢が継ぐ）":"｜余杭《よこう》鎮使陳晟が睦州｜刺史《しし》柳超を逐って州事を領し、朝廷がそのまま｜刺史《しし》に任じる（900年に弟の陳詢が継ぐ）","睦州刺史陳詢が銭鏐に叛いて蘭渓を攻める":"睦州｜刺史《しし》陳詢が銭鏐に叛いて蘭渓を攻める","楊行密（陳詢）":"｜楊行密《ようこうみつ》（陳詢）","陳詢が衢州の陳璋とともに楊行密に付く":"陳詢が衢州の陳璋とともに｜楊行密《ようこうみつ》に付く","両浙兵に囲まれた陳詢が睦州を守れず広陵へ奔り、淮南の陶雅が城に入る":"両浙兵に囲まれた陳詢が睦州を守れず｜広陵《こうりょう》へ奔り、｜淮南《わいなん》の陶雅が城に入る","唐の括州（縉雲郡・江南東道）。大暦十四年（779）に処州と改める":"唐の括州（縉雲郡・｜江南《こうなん》東道）。｜大暦《たいれき》十四年（779）に処州と改める","遂昌の群盗盧約が処州を陥れ、のち刺史となる（907年に銭鏐に降るまで保持）":"遂昌の群盗盧約が処州を陥れ、のち｜刺史《しし》となる（907年に銭鏐に降るまで保持）","福州":"｜福州《ふくしゅう》","福州市":"｜福州《ふくしゅう》市","唐の福州（江南東道・福建経略使の治所）":"唐の｜福州《ふくしゅう》（｜江南《こうなん》東道・｜福建《ふっけん》経略使の治所）","建州の陳巖が九龍軍を率いて勢力を持ち、福建観察使鄭鎰に代わって観察使となる":"｜建州《けんしゅう》の陳巖が九龍軍を率いて勢力を持ち、｜福建《ふっけん》観察使鄭鎰に代わって観察使となる","陳巖が病死し、妻の弟で都将の范暉が留後を称して王潮を拒む":"陳巖が病死し、妻の弟で都将の范暉が留後を称して｜王潮《おうちょう》を拒む","王潮":"｜王潮《おうちょう》","王彦復・王審知が福州を落とし、范暉は逃れて殺される。王潮が福州に入って留後を称し、のち福建観察使となる":"王彦復・｜王審知《おうしんち》が｜福州《ふくしゅう》を落とし、范暉は逃れて殺される。｜王潮《おうちょう》が｜福州《ふくしゅう》に入って留後を称し、のち｜福建《ふっけん》観察使となる","景福二年五月":"｜景福《けいふく》二年五月","建州":"｜建州《けんしゅう》","唐の建州（江南東道）":"唐の｜建州《けんしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","王潮が福州を取ると、建州刺史徐帰範が王潮に降る":"｜王潮《おうちょう》が｜福州《ふくしゅう》を取ると、｜建州《けんしゅう》｜刺史《しし》徐帰範が｜王潮《おうちょう》に降る","泉州":"｜泉州《せんしゅう》","泉州市":"｜泉州《せんしゅう》市","唐の泉州（江南東道）":"唐の｜泉州《せんしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","王緒の軍を奪った王潮が泉州を抜いて刺史廖彦若を殺し、福建観察使陳巖の上表で泉州刺史となる":"王緒の軍を奪った｜王潮《おうちょう》が｜泉州《せんしゅう》を抜いて｜刺史《しし》廖彦若を殺し、｜福建《ふっけん》観察使陳巖の｜上表《じょうひょう》で｜泉州《せんしゅう》｜刺史《しし》となる","唐の漳州（江南東道）。754年の治所は李澳川で、759年に龍渓へ移る":"唐の漳州（｜江南《こうなん》東道）。754年の治所は李澳川で、759年に龍渓へ移る","王潮が福州を取り、汀・建二州も降って福建の五州をすべて持つ":"｜王潮《おうちょう》が｜福州《ふくしゅう》を取り、汀・建二州も降って｜福建《ふっけん》の五州をすべて持つ","汀州":"｜汀州《ていしゅう》","唐の汀州（江南東道）":"唐の｜汀州《ていしゅう》（｜江南《こうなん》東道）","王潮が福州を取ると、汀州刺史鍾全慕が王潮に降る":"｜王潮《おうちょう》が｜福州《ふくしゅう》を取ると、｜汀州《ていしゅう》｜刺史《しし》鍾全慕が｜王潮《おうちょう》に降る","幽州（范陽）":"｜幽州《ゆうしゅう》（｜范陽《はんよう》）","幽州":"｜幽州《ゆうしゅう》","唐の幽州（范陽郡）。安禄山の范陽節度使の治所":"唐の｜幽州《ゆうしゅう》（｜范陽《はんよう》郡）。｜安禄山《あんろくさん》の｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》の治所","安禄山が范陽で挙兵し、燕の本拠の一部となる":"｜安禄山《あんろくさん》が｜范陽《はんよう》で挙兵し、燕の本拠の一部となる","天宝十四載十一月":"｜天宝《てんぽう》十四載十一月","范陽（史思明）":"｜范陽《はんよう》（｜史思明《ししめい》）","史思明が所部十三郡を挙げて唐に降り、范陽節度使に任じられる":"｜史思明《ししめい》が｜所部《しょぶ》十三郡を挙げて唐に降り、｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》に任じられる","史思明が烏承恩を殺して再び背く（759年に大燕皇帝を名乗る）":"｜史思明《ししめい》が烏承恩を殺して再び背く（759年に｜大燕皇帝《だいえんこうてい》を名乗る）","盧龍（李懐仙）":"｜盧龍《ろりゅう》（｜李《り》｜懐仙《かいせん》）","史朝義の范陽節度使李懐仙が唐に降り、そのまま幽州・盧龍節度使となる":"｜史朝義《しちょうぎ》の｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》｜李《り》｜懐仙《かいせん》が唐に降り、そのまま｜幽州《ゆうしゅう》・｜盧龍《ろりゅう》｜節度使《せつどし》となる","以後、盧龍は節度使を軍中で立てて朝廷が追認する":"以後、｜盧龍《ろりゅう》は｜節度使《せつどし》を軍中で立てて朝廷が追認する","盧龍（朱滔）":"｜盧龍《ろりゅう》（朱｜滔《とう》）","朱滔が冀王を名乗り、田悦・王武俊・李納と結んで朝廷に背く":"朱｜滔《とう》が冀王を名乗り、田悦・王｜武俊《ぶしゅん》・｜李《り》納と結んで朝廷に背く","建中三年十一月":"｜建中《けんちゅう》三年十一月","貝州で王武俊・李抱真に大敗した朱滔が上表して罪を待つ":"｜貝州《ばいしゅう》で王｜武俊《ぶしゅん》・李抱真に大敗した朱｜滔《とう》が｜上表《じょうひょう》して罪を待つ","785年に朱滔が死に、軍中が立てた劉怦を朝廷が節度使に任じる。821年は三月から七月まで朝廷任命の張弘靖が治めたが、朱克融の乱の後、同年のうちに朱克融が盧龍節度使に任じられたので歳末の状態は変わらない":"785年に朱｜滔《とう》が死に、軍中が立てた劉怦を朝廷が｜節度使《せつどし》に任じる。821年は三月から七月まで朝廷任命の張｜弘靖《こうせい》が治めたが、｜朱克融《しゅこくゆう》の乱の後、同年のうちに｜朱克融《しゅこくゆう》が｜盧龍《ろりゅう》｜節度使《せつどし》に任じられたので歳末の状態は変わらない","李克用が李匡籌を破り、幽州の守将が降る":"｜李克用《りこくよう》が李匡籌を破り、｜幽州《ゆうしゅう》の守将が降る","乾寧元年十二月":"｜乾寧《けんねい》元年十二月","李克用の推薦で劉仁恭が盧龍留後、ついで節度使となる（897年に李克用と絶つ）":"｜李克用《りこくよう》の推薦で｜劉仁恭《りゅうじんきょう》が｜盧龍《ろりゅう》留後、ついで｜節度使《せつどし》となる（897年に｜李克用《りこくよう》と絶つ）","天津市薊州区":"｜天津《てんしん》市薊州区","唐の薊州（漁陽郡）。范陽節度使の管下":"唐の薊州（漁陽郡）。｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》の管下","幽州を取った李克用の命で李存審・劉仁恭が属州を平定し、劉仁恭が盧龍留後・節度使となる":"｜幽州《ゆうしゅう》を取った｜李克用《りこくよう》の命で李存審・｜劉仁恭《りゅうじんきょう》が属州を平定し、｜劉仁恭《りゅうじんきょう》が｜盧龍《ろりゅう》留後・｜節度使《せつどし》となる","乾寧二年正月":"｜乾寧《けんねい》二年正月","唐の檀州（密雲郡）。范陽節度使の管下":"唐の檀州（密雲郡）。｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》の管下","この時は幽州の范陽県（涿州は769年に置かれる）":"この時は｜幽州《ゆうしゅう》の｜范陽《はんよう》県（涿州は769年に置かれる）","盧龍県":"｜盧龍《ろりゅう》県","唐の平州（北平郡）。盧龍軍を置く":"唐の平州（｜北平《ほくへい》郡）。｜盧龍《ろりゅう》軍を置く","903年にも劉守光が平州を守って契丹と戦っている":"903年にも｜劉守光《りゅうしゅこう》が平州を守って｜契丹《きったん》と戦っている","唐の媯州（媯川郡）。清夷軍を置き、范陽節度使の管下":"唐の媯州（媯川郡）。清夷軍を置き、｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》の管下","莫州":"｜莫州《ばくしゅう》","唐の莫州（文安郡）":"唐の｜莫州《ばくしゅう》（文安郡）","史思明らが常山を落とし、文安郡などが再び燕に付く":"｜史思明《ししめい》らが常山を落とし、文安郡などが再び燕に付く","至徳元載正月":"｜至徳《しとく》元載正月","莫州を守った田承嗣が城ごと降り、莫州は幽州（盧龍）の管下とされる":"｜莫州《ばくしゅう》を守った田｜承嗣《しょうし》が城ごと降り、｜莫州《ばくしゅう》は｜幽州《ゆうしゅう》（｜盧龍《ろりゅう》）の管下とされる","広徳元年正月":"｜広徳《こうとく》元年正月","朱滔が冀王を名乗り朝廷に背く":"朱｜滔《とう》が冀王を名乗り朝廷に背く","朱滔が上表して罪を待つ":"朱｜滔《とう》が｜上表《じょうひょう》して罪を待つ","821年は七月に莫州の都虞候が朱克融の兵を城に入れたが、歳末には朱克融が盧龍節度使に任じられていて状態は変わらない":"821年は七月に｜莫州《ばくしゅう》の都虞候が｜朱克融《しゅこくゆう》の兵を城に入れたが、歳末には｜朱克融《しゅこくゆう》が｜盧龍《ろりゅう》｜節度使《せつどし》に任じられていて状態は変わらない","朱全忠の将張存敬が劉仁恭から莫州を奪う":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬が｜劉仁恭《りゅうじんきょう》から｜莫州《ばくしゅう》を奪う","光化三年十月":"｜光化《こうか》三年十月","河間市":"｜河間《かかん》市","唐の瀛州（河間郡）。755年に一度燕に降ったが、同年のうちに河間司法の李奐が燕の任じた長史を殺して唐に戻る":"唐の瀛州（｜河間《かかん》郡）。755年に一度燕に降ったが、同年のうちに｜河間《かかん》司法の李奐が燕の任じた長史を殺して唐に戻る","尹子奇・史思明が河間を囲んで落とし、李奐を殺す":"尹子奇・｜史思明《ししめい》が｜河間《かかん》を囲んで落とし、李奐を殺す","史朝義の降将田承嗣が魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使に任じられる":"｜史朝義《しちょうぎ》の降将田｜承嗣《しょうし》が魏・博・徳・滄・瀛五州都防禦使に任じられる","朝廷が田承嗣を討つなか、田承嗣の任じた瀛州刺史呉希光が城ごと降る":"朝廷が田｜承嗣《しょうし》を討つなか、田｜承嗣《しょうし》の任じた瀛州｜刺史《しし》呉希光が城ごと降る","大暦十年十一月":"｜大暦《たいれき》十年十一月","冀王朱滔が李晟を破って瀛州に軍を留める":"冀王朱｜滔《とう》が李晟を破って瀛州に軍を留める","朱滔が上表して罪を待つ。瀛州は朱滔に属している":"朱｜滔《とう》が｜上表《じょうひょう》して罪を待つ。瀛州は朱｜滔《とう》に属している","朱全忠の将張存敬が劉仁恭から瀛州を奪う":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の将張存敬が｜劉仁恭《りゅうじんきょう》から瀛州を奪う","易県":"｜易県《えきけん》","唐の易州（上谷郡）":"唐の易州（｜上谷《じょうこく》郡）","史思明らが常山を落とし、上谷郡などが再び燕に付く":"｜史思明《ししめい》らが常山を落とし、｜上谷《じょうこく》郡などが再び燕に付く","成徳（張忠志）":"｜成徳《せいとく》（張忠志）","燕の恒陽節度使張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、成徳軍節度使となる（李宝臣と改名）":"燕の恒陽｜節度使《せつどし》張忠志が恒・趙・深・定・易の五州を挙げて降り、｜成徳《せいとく》軍｜節度使《せつどし》となる（李宝臣と改名）","成徳の李惟岳が背くなか、易州刺史張孝忠が州を挙げて朝廷に帰し、成徳節度使（のち義武節度使）に任じられる":"｜成徳《せいとく》の李惟岳が背くなか、易州｜刺史《しし》張孝忠が州を挙げて朝廷に帰し、｜成徳《せいとく》｜節度使《せつどし》（のち義武｜節度使《せつどし》）に任じられる","建中二年九月":"｜建中《けんちゅう》二年九月","義武節度使王処存が死に、軍中がその子の王郜を留後に立てる":"義武｜節度使《せつどし》王処存が死に、軍中がその子の王郜を留後に立てる","朱全忠の軍に敗れた王郜が晋陽へ逃げ、軍中が立てた王処直が朱全忠に服して節度使を求める":"｜朱全忠《しゅぜんちゅう》の軍に敗れた王郜が｜晋陽《しんよう》へ逃げ、軍中が立てた王処直が｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に服して｜節度使《せつどし》を求める","これより義武は朱全忠に従う":"これより義武は｜朱全忠《しゅぜんちゅう》に従う","営州":"｜営州《えいしゅう》","唐の営州（柳城郡）。平盧節度使の治所":"唐の｜営州《えいしゅう》（柳城郡）。平盧｜節度使《せつどし》の治所","安禄山が挙兵し、平盧節度副使呂知誨に平盧を守らせる":"｜安禄山《あんろくさん》が挙兵し、平盧節度副使呂知誨に平盧を守らせる","平盧の軍が南へ去った後、史朝義が営州を落とす":"平盧の軍が南へ去った後、｜史朝義《しちょうぎ》が｜営州《えいしゅう》を落とす","史朝義の范陽節度使李懐仙が旧領ごと唐に降る":"｜史朝義《しちょうぎ》の｜范陽《はんよう》｜節度使《せつどし》｜李《り》｜懐仙《かいせん》が旧領ごと唐に降る","大同市":"｜大同《だいどう》市","唐の雲州（雲中郡）。河東節度使（安禄山が兼ねる）の管下":"唐の雲州（雲中郡）。｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》（｜安禄山《あんろくさん》が兼ねる）の管下","雲中郡が安禄山に降る":"雲中郡が｜安禄山《あんろくさん》に降る","燕の河東節度使高秀岩が史思明とともに所部を挙げて唐に降り、雲中太守に任じられる":"燕の｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》高秀岩が｜史思明《ししめい》とともに｜所部《しょぶ》を挙げて唐に降り、雲中｜太守《たいしゅ》に任じられる","沙陀の李克用が大同防禦使段文楚を殺して雲州に拠り、朝廷が討伐を命じる":"｜沙陀《さだ》の｜李克用《りこくよう》が｜大同《だいどう》防禦使段文楚を殺して雲州に拠り、朝廷が討伐を命じる","乾符五年":"｜乾符《けんぷ》五年","赫連鐸":"｜赫連《かくれん》鐸","李克用父子が敗れて達靼へ逃げ、吐谷渾の赫連鐸が雲州刺史・大同軍防禦使となる":"｜李克用《りこくよう》父子が敗れて達靼へ逃げ、｜吐谷渾《とよくこん》の｜赫連《かくれん》鐸が雲州｜刺史《しし》・｜大同《だいどう》軍防禦使となる","李克用が雲州を急攻し、赫連鐸が逃げる。李克用は石善友を大同防禦使とする":"｜李克用《りこくよう》が雲州を急攻し、｜赫連《かくれん》鐸が逃げる。｜李克用《りこくよう》は石｜善友《ぜんゆう》を｜大同《だいどう》防禦使とする","大順二年七月":"｜大順《たいじゅん》二年七月","応州":"｜応州《おうしゅう》","唐代にはまだ応州は無く、雲州（雲中郡）の地。雲州と同じ持ち主として書いた":"唐代にはまだ｜応州《おうしゅう》は無く、雲州（雲中郡）の地。雲州と同じ持ち主として書いた","唐の朔州（馬邑郡）。大同軍を置き、河東節度使（安禄山が兼ねる）の管下":"唐の朔州（｜馬邑《ばゆう》郡）。｜大同《だいどう》軍を置き、｜河東《かとう》｜節度使《せつどし》（｜安禄山《あんろくさん》が兼ねる）の管下","唐の兵がたびたび敗れ、沙陀（李国昌・李克用）が蔚・朔に拠る":"唐の兵がたびたび敗れ、｜沙陀《さだ》（李国昌・｜李克用《りこくよう》）が蔚・朔に拠る","李克用の朔州の守将高文集が唐に降り、薩葛の米海万が朔州刺史となる":"｜李克用《りこくよう》の朔州の守将高文集が唐に降り、薩葛の米海万が朔州｜刺史《しし》となる","代北に戻った李克用が忻・代・蔚・朔の兵を率いて黄巣討伐に出、雁門節度使に任じられる":"｜代北《だいほく》に戻った｜李克用《りこくよう》が忻・代・蔚・朔の兵を率いて｜黄巣《こうそう》討伐に出、｜雁門《がんもん》｜節度使《せつどし》に任じられる","朝廷が李克用の官爵を削り、張濬に討たせる":"朝廷が｜李克用《りこくよう》の官爵を削り、張濬に討たせる","張濬が敗れ、朝廷が李克用の官爵を戻す":"張濬が敗れ、朝廷が｜李克用《りこくよう》の官爵を戻す","唐の蔚州（安辺郡、757年に興唐郡）。河東道":"唐の蔚州（安辺郡、757年に興唐郡）。｜河東《かとう》道","李国昌・李克用父子が蔚州に拠り、朝廷が諸軍に討たせる":"李国昌・｜李克用《りこくよう》父子が蔚州に拠り、朝廷が諸軍に討たせる","李琢・赫連鐸が蔚州を攻めて李国昌を破り、吐谷渾の白義成が蔚州刺史となる":"李琢・｜赫連《かくれん》鐸が蔚州を攻めて李国昌を破り、｜吐谷渾《とよくこん》の白義成が蔚州｜刺史《しし》となる","李克用が蔚州を攻め、忻・代・蔚・朔の兵を率いて黄巣討伐に出、雁門節度使に任じられる":"｜李克用《りこくよう》が蔚州を攻め、忻・代・蔚・朔の兵を率いて｜黄巣《こうそう》討伐に出、｜雁門《がんもん》｜節度使《せつどし》に任じられる","盧龍（李匡威）":"｜盧龍《ろりゅう》（李匡威）","李克用討伐に加わった盧龍節度使李匡威が蔚州を攻め、刺史邢善益を捕らえる":"｜李克用《りこくよう》討伐に加わった｜盧龍《ろりゅう》｜節度使《せつどし》李匡威が蔚州を攻め、｜刺史《しし》邢善益を捕らえる","劉仁恭を討つ李克用の軍が蔚州に駐まる":"｜劉仁恭《りゅうじんきょう》を討つ｜李克用《りこくよう》の軍が蔚州に駐まる","乾寧四年九月":"｜乾寧《けんねい》四年九月","奉天":"｜奉天《ほうてん》","京兆府の県。783年に涇原の兵変で徳宗が逃れて行在とし、朱泚の包囲に耐えた":"京兆府の県。783年に｜涇原《けいげん》の兵変で｜徳宗《とくそう》が逃れて行在とし、｜朱泚《しゅせい》の包囲に耐えた","范陽":"｜范陽《はんよう》","成徳":"｜成徳《せいとく》","魏博":"｜魏博《ぎはく》","盧龍":"｜盧龍《ろりゅう》","淄青":"｜淄青《しせい》","西川":"｜西川《せいせん》","淮西":"｜淮西《わいせい》","河中":"｜河中《かちゅう》","昭義":"｜昭義《しょうぎ》","東川":"｜東川《とうせん》"}