
唐第17代(別の数え方では第14代このサイトの番号は、王朝の歴代を即位の順に数え、2度目の即位も1代と数えたもの。中宗と睿宗の2度目の即位と、在位18日で退けられた殤帝を数えない数え方もあり、そちらで書く辞典もある。)統一王朝中国を統一して治めた時期がある王朝。
文宗李昂
在位 826–840年(13年28日)827年1月13日 〜 840年2月10日 (旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 826年12月12日から)
日本は平安時代
宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男に擁立され、倹約を好んだが、宦官を除こうとした甘露の変に敗れた唐の皇帝である。
文宗の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 827年1月13日〜840年2月10日旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 826年12月12日から
- 没年
- 840年2月10日33歳(数え年)長生き順同率173位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓李諱昂呼び名の見方
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第十七上/下 文宗上・
文宗下 - 死因
- 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)/資治通鑑 巻246(唐紀62・
開成四年) - 即位経路
- 旧唐書 本紀第十七上(文宗上)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は、恭倹儒雅は生まれつきのものと称えつつ、帝王の道はあっても帝王の才は無かったと評する。
即位まで
治世と最期
宰相と毎日会いたいと言い、休朝は双日に限らせた。内園の桜桃を太后たちに賜うと役人が書くと、自ら筆を執って奉ると改めた。831年、王守澄が宰相の宋申錫と漳王の謀反を告げ、宋申錫は貶されたが、数日後に誣告と知れた。
835年、李訓・鄭注が権を握るなか、王守澄に死を賜った。同じ年、李訓らは甘露が降りたと偽って文宗を誘い宦官を誅そうとしたが、伏兵に気づいた宦官が文宗の輿を宮中へ連れ去り、仇士良が宰相の王涯らを一族ごと殺した。以後、天下の事はすべて宦官が決めた。837年、袖を挙げてこれは三度洗った衣だと言うと、柳公権だけが、洗った衣を着るのは小節にすぎないと答え、諫議大夫皇帝の過ちをいさめる役目の官とされた。
838年、遊びにふけるとして皇太子の永を廃そうとし、狄兼謨が泣いて諫めた。太子は少陽院へ移され、側近ら数十人が殺された。太子はその年に死んだ。839年、陳王成美を皇太子とした宴で、竿登りの子を案じる父を見て、天下を持ちながら子一人を全うできなかったと泣き、太子を陥れたとして楽官や宮人宮中に仕え暮らした女性たちを殺させた。同じ年、病んで、周の赧王や漢の献帝は強臣に制せられたが、自分は家奴に制せられていると周墀に語って泣いた。840年、病が重くなり、弟の潁王が皇太弟皇帝の跡継ぎに立てられた弟に立てられ、まもなく没した。
史料について
太子の件を、旧唐書の太子伝は公卿朝廷の位の高い大臣たちの請いで廃立君主や跡継ぎを退け、別の人を立てることを取りやめたとし、新唐書の太子伝と資治通鑑は怒りが和らいで太子を少陽院へ戻したとする。休朝と桜桃の話は、旧唐書の史臣曰と新唐書の賛にある。周墀との問答は新唐書の仇士良伝と資治通鑑にあり、旧唐書の文宗紀には無い。皇太弟を立てたのを、旧唐書の文宗紀は詔によるとし、新唐書の文宗紀は仇士良・魚弘志とし、両唐書の武宗紀と資治通鑑は二人が詔を偽ったとする。
文宗とつながる皇帝

勢力図
唐の勢力図で見る
826–840年の地図に、文宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱3・改元2・大赦3
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。827年2月丹鳳楼に御し大赦、改元大和(第1回改元と同日)。
- 改元827年3月14日元号を「大和」とする
- 反乱827年7月〜829年5月李同捷の乱(滄景の乱)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。829年昊天上帝を南郊に親祀、礼畢りて丹鳳門に御し大赦。
- 反乱829年亓志紹の乱(魏博行営)
- 反乱830年興元軍乱(李絳殺害事件)
- 改元836年元号を「開成」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。836年宣政殿にて朝賀を受け、大赦、改元開成(第2回改元と同日)。
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
年表
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