中国皇帝統計

文宗

唐|在位 827–840年

文宗の肖像
諱(本名)
李昂
在位
827–840年
在位期間
13年31日365名中102位
即位経路
擁立
死因
病死
即位時年齢
不詳
没年齢
33歳(数え年)269名中・長寿順174位タイ
改元
2332名中78位タイ
大赦
3267名中121位タイ
立后
0
皇太子廃立
0
親征
0
反乱鎮圧
3225名中129位タイ
被反乱
3289名中146位タイ
遷都
0

順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。

即位の経緯

宦官劉克明一派が擁立した絳王悟を、対抗する宦官勢力(王守澄・梁守謙ら)が武力で排除し、江王涵(文宗)を擁立した。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

死因の経緯

本紀自体には直接の死因記述はないが、資治通鑑に甘露の変(開成元年)で宦官仇士良らに実権を奪われたことへの絶望を示す文宗自身の発言と「旧疾遂増」(持病悪化)の記述があり、持病の悪化と精神的困憊による衰弱死とみなし病死と判定。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)/資治通鑑 巻246(唐紀62・開成四年)

調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)

各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。

改元回数

文宗は即位前に王として独自の紀年を用いていた事実はなく(敬宗暗殺後の絳王の数日間の監国を経て擁立され即位)、2段階即位パターンには該当しない。在位中の年号は大和(太和)→開成の2つのみで、いずれも自らの意思による改元(傀儡ではない)。

大赦回数

『旧唐書』本紀第十七下(敬宗紀に続けて収録された文宗紀部分)を通読し「大赦」の語で全文検索。地域限定・特定対象限定の恩赦(例:呉楚七国の乱関係者のみを対象とするような限定恩赦に相当する記事)は本紀中に見当たらず、3件とも「大赦」「大赦天下」と明記された全国規模の恩赦。うち2件は改元(建元・改元開成)と同日に行われている。

立后回数

『旧唐書』本紀第十七下(文宗下)に皇后冊立の記事なし。『旧唐書』后妃伝・『新唐書』后妃伝を確認しても文宗の配偶者として記録されるのは王徳妃(皇太子永の母、後宮位のまま)・楊賢妃(寵愛を受けたが皇后には冊立されず、武宗即位後に賜死)のみで、皇后の記載自体が存在しない。文宗は在位中皇后不在と判定。

皇太子廃立回数

開成3年(『資治通鑑』巻245)9月、皇太子永(母は王徳妃、楊賢妃の讒言により素行不良とされた)について文宗は延英殿で群臣を集め「議廢之」(廃立を議す)としたが、御史中丞狄兼謨の切諫や群臣の連署諫止により決断に至らず(『資治通鑑』:「上意稍解」)、正式な廃立の詔は発せられなかった。太子は少陽院に留め置かれ側近数十人が誅殺されたが、皇太子の地位自体は剥奪されず、同年(開成3年)中に急逝(『旧唐書』「庚子,皇太子薨於少陽院,謚曰莊恪」)。『新唐書』荘恪太子伝も同様に「帝未決,罷」「詔太子還少陽院」とし、廃立は未遂に終わったことを裏付ける。従って本項の定義(立てられていた皇太子を正式に廃した回数)に該当する事例は0件と判定。なお本紀・列伝には廃立が完了した他の皇太子事例(例:陳王成美が仇士良らの矯詔で廃されたケース)もあるが、これは文宗崩御後・武宗即位時の出来事であり武宗の在位に帰属する事案のためここには含めない。

親征回数

『旧唐書』本紀第十七下(文宗紀)を通読したが、文宗自身が軍を率いて出陣した記事は皆無。沧景之乱(李同捷)・亓志绍の乱・興元軍乱等の反乱鎮圧はいずれも節度使・将軍(柏耆・王智興・李聴・温造ら)への派遣によるもので、文宗本人は終始長安宮中に在り、親征に該当する事例なし。

反乱鎮圧回数

上記3件のほか、幽州軍の李載義追放・杨志诚擁立(831年)、幽州軍の杨志诚追放・史元忠擁立(834年)、河陽軍乱(李泳追放、838年)、易定軍乱(李仲迁拒絶・張璠子擁立、838年)はいずれも藩鎮内部の兵馬使による自律的な首領交代であり、朝廷が武力鎮圧を行った記録がなく(事後に新首領を追認したのみ)、本カウントには含めない。甘露の変(835年)は、文宗自身が李訓・鄭注らを通じて宦官(仇士良ら)を先制的に武力排除しようとした宮中クーデターであり、相手(宦官側)はまだ武装蜂起していなかったため例外3(皇帝自身が攻撃の主体)に該当し除外。南詔の西川侵攻(829年)は服属していない独立外国勢力との対外戦争のため除外。

被反乱回数

rebellionSuppressionCountと同一の3件を計上(本文宗の在位中に発生した反乱はいずれも朝廷側が鎮圧に成功しており、両カウントは完全に一致する)。甘露の変は文宗自身が攻撃の主体であったため両方から除外(除外理由はrebellionSuppressionCountのnote参照)。

遷都回数

旧唐書・新唐書を通読。該当在位期間中に新たな遷都の記録なし(684年洛陽遷都は睿宗期、705年長安復都は中宗復位期、904年洛陽強制遷都は昭宗期の出来事として各々計上済み)。

即位時年齢・没年齢

『旧唐書』本紀第十七下冒頭に「元和四年十月十日生」とあり、文宗の生年月日が旧暦(元和4年=809年)10月10日と明記されている(グレゴリオ暦換算は本調査では未実施のためbirthDateはnullとし、precisionのみ記録)。崩御については同巻末尾「辛巳,上崩於大明宮之太和殿,壽享三十三」とあり、開成5年正月4日(辛巳)に33歳で崩御したことが明記されている(deathDateは既存レコードのendDate 0840-02-10と一致)。即位時(宝暦2年12月8日敬宗遇害〜同月乙巳即位)の記事を再確認したが「時年◯◯」等の直接記載は見当たらず、accessionAgeは不明のままnullとする。

在位中の出来事(11件)

改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。

改元827年1月即位に伴う最初の建元。

即位に伴う最初の建元。大和元年正月乙巳「御丹鳳楼,大赦,改元大和」。文宗は宝暦2年12月に江王から擁立され即位、翌年正月に新元号「大和(太和)」を制定。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

大赦827年1月大和元年正月乙巳、丹鳳楼に御し大赦、改元大和(第1回改元と同日)。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

反乱鎮圧827年7月〜829年5月李同捷の乱(滄景の乱)

首謀者: 李同捷(横海軍節度副使、朝命を拒否して幽州・鎮州と結び謀叛)

結果: 鎮圧成功。柏耆・王智興・李祐ら朝廷側諸将の討伐により大和三年五月、柏耆が将陵で李同捷を斬り滄景平定。同乱に呼応して出兵支援した成徳軍節度使王廷凑は一旦官爵剥奪・進討の対象とされたが、大和三年七月に赦免され官爵を回復した。

『旧唐書』文宗紀:大和元年七月「李同捷除兗、海,不受詔,結幽鎮謀叛」、八月「詔削奪李同捷在身官爵」、大和三年五月「柏耆斬李同捷於將陵,滄景平」。王廷凑の出兵・進討・赦免は大和二年六月~三年七月の関連記事による。

被反乱827年7月〜829年5月李同捷の乱(滄景の乱)

首謀者: 李同捷(成徳軍節度使王廷凑が一時支援)

結果: 朝廷側が鎮圧に成功(李同捷斬首、滄景平定)。

rebellionSuppressionCountと同一事件。

反乱鎮圧828年12月〜829年1月亓志紹の乱(魏博行営)

首謀者: 亓志紹(魏博行営都知兵馬使)

結果: 鎮圧成功。朝廷が滄州行営兵士を派遣し、李聴がその軍を撃破、亓志紹は鎮州へ敗走した。

『旧唐書』文宗紀:大和二年十二月「魏博行営都知兵馬使亓志紹率所部兵馬二萬人謀叛,欲殺史憲誠父子」、大和三年正月「李聴殺敗亓志紹兵,志紹北走鎮州」。

被反乱828年12月〜829年1月亓志紹の乱(魏博行営)

首謀者: 亓志紹

結果: 朝廷側(李聴)が撃破し鎮圧に成功。

rebellionSuppressionCountと同一事件。

大赦829年11月大和三年十一月甲申、昊天上帝を南郊に親祀、礼畢りて丹鳳門に御し大赦。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

反乱鎮圧830年2月〜830年3月興元軍乱(李絳殺害事件)

首謀者: 丘崟・丘鑄(興元軍中の首謀者)

結果: 鎮圧成功。新任の興元節度使温造が到任し反乱軍を討伐、首謀者丘崟・丘鑄及び官兵千人余りを処刑した。

『旧唐書』文宗紀:大和四年二月「興元軍乱,節度使李絳挙家被害,判官薛齊、趙存約死之」、三月「興元温造奏:害李絳賊首丘崟、丘鑄及官健千人,並處斬訖」。

被反乱830年2月〜830年3月興元軍乱(李絳殺害事件)

首謀者: 丘崟・丘鑄

結果: 新任節度使温造により鎮圧、首謀者ら処刑。

rebellionSuppressionCountと同一事件。朝廷が任命した節度使李絳が挙兵により殺害された事案。

改元836年1月在位中の改元。

在位中の改元。開成元年正月辛丑朔「帝常服御宣政殿受賀,遂宣詔大赦天下,改元開成」。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

大赦836年1月開成元年正月辛丑朔、宣政殿にて朝賀を受け、大赦天下、改元開成(第2回改元と同日)。

出典: 旧唐書 本紀第十七下(文宗下)

収録基準・各項目の数え方・出典はこのサイトについてを、時代の中での位置は通史年表をご覧ください。