
音楽と宴遊にふけって楽工を寵愛し、愛娘の死に医官らを罰した唐の皇帝である。
懿宗の人物データ
- 生年
- 833年12月28日
- 在位
- 859年9月13日〜873年8月15日
- 没年
- 873年8月15日41歳(数え年)長生き順同率126位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓李諱漼呼び名の見方
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第十九上 懿宗
- 死因
- 旧唐書 本紀第十九上(懿宗)/資治通鑑 巻252(唐紀68・
咸通十四年) - 即位経路
- 資治通鑑 巻250(唐紀66・
大中十三年)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は、即位当初は政務に励み正しい意見を受け入れたが、器量は凡庸で側近に流されたと評する。
即位まで
宣宗の長子で、母は晁氏である。鄆王に封じられた。藩邸皇帝になる前に王として住んでいた屋敷で重い病にかかったとき、看病していた郭氏が黄龍を見た。病が癒えてからそれを告げると、決して二度と言うなと答えた。太子を立てる話を嫌う宣宗のもとで、嫡長子正妻が産んだいちばん上の男子ながら外宮に住んで憂えていた彼を、郭氏がそばで守り慰めた。859年に宣宗が没すると、柩の前で即位した。
史料について
旧唐書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は宣宗の遺詔皇帝が死に際に残した命令によるとだけ記し、新唐書と資治通鑑は宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男の王宗実が立てたとする。詔を偽ったのを、新唐書は王宗実の側、資治通鑑は相手の王帰長らの側とする。
治世と最期
音楽と宴遊を好み、行幸に付き従う者は十万余人に上った。867年、新しい曲を作るのが上手な楽工の李可及を将軍にし、宰相の曹確の諫めに従わなかった。868年、桂林を守っていた徐州の兵が龐勛を立てて帰還し、徐州を陥れた。869年に徐州は取り戻され、龐勛は死んだ。
870年、郭淑妃の生んだ愛娘の同昌公主皇帝の娘が没すると、医官らを殺させ、その親族三百人あまりを獄につないだ。諫めた宰相の劉瞻と京兆尹都とその周りを治める長官の温璋を叱りつけて退け、劉瞻は貶され、温璋も貶されて毒を仰いで死んだ。872年には、郭淑妃の弟の悪事を訴えた韋殷裕を、その日のうちに打ち殺させた。
873年、鳳翔の法門寺から仏骨釈迦の遺骨とされるものを迎えさせ、群臣の諫めに、生きて見られれば死んでも恨みはないと答えた。同じ年に病が重くなり、普王が皇太子に立てられて、懿宗は咸寧殿で没した。
史料について
龐勛の最期を、旧唐書の本紀は渙河で溺死したとし、資治通鑑は蘄県の乱戦の中で死んだとする。両唐書の劉瞻伝は医官を獄に下したと書き、殺したとは書かない。温璋の死を、旧唐書の温璋伝だけは首をくくったとする。群臣の諫めと懿宗の答えは資治通鑑にあり、旧唐書の本紀には無い。普王を立てたのを、旧唐書の本紀は制によるとだけ書き、新唐書と資治通鑑は中尉都や王の国の守りを受け持つ役。唐では都の軍の長の劉行深・韓文約とする。
懿宗とつながる皇帝

勢力図
唐の勢力図で見る
859–873年の地図に、懿宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱4・改元1・大赦6
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。859年11月
- 改元860年元号を「咸通」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。860年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。862年
- 反乱862年徐州銀刀軍の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。863年円丘祭祀ののちの大赦。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。866年安南(交趾)平定を理由に宣政殿にて大赦。
- 反乱868–869年龐勲の乱(徐州・
桂林戍卒の乱) - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。870年
- 反乱873年1月(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 872年12月)雲州(大同軍)の乱
- 反乱日付不詳裘甫(仇甫)の乱(浙東)
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
年表
唐の時代を年表で見る
唐が