中国皇帝統計

景帝

呉・三国|在位 258–264年

諱(本名)
孫休
在位
258–264年
在位期間
5年279日365名中171位
即位経路
擁立
死因
不詳
即位時年齢
24歳(数え年)172名中・若い順93位タイ
没年齢
30歳(数え年)269名中・長寿順188位タイ
改元
1332名中142位タイ
大赦
4267名中93位タイ
立后
1204名中52位タイ
皇太子廃立
0
親征
0
反乱鎮圧
0
被反乱
2289名中158位タイ
遷都
0

順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。諡号:景帝

即位の経緯

権臣孫綝が孫亮を廃位(「黜亮為会稽王」)した後、「孫綝使宗正孫楷與中書郎董朝迎休」と孫権第六子の孫休を権臣主導で迎立した。「休三譲、群臣三請」の儀礼を経て即位したが、廃立・擁立の主体は孫綝にあり本人が主体的に簒奪したわけではないため擁立と判定。

出典: 三国志・呉書・三嗣主伝

死因の経緯

永安7年(264年)7月、崩御(「癸未,休薨,時年三十,諡曰景皇帝」享年30)。裴松之注引『江表伝』によれば、病臥し話せなくなり、手書きで丞相濮陽興を呼び後事を託した後に崩御した。蜀漢滅亡(263年)など呉が危機に直面した時期と重なるが、具体的な病名の記述は原典になく病死と断定できる直接的根拠に乏しい。

出典: 三國志 呉書三 三嗣主傳 裴松之注引江表傳

調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)

各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。

改元回数

孫休は即位当日(永安元年十月十八日)に建元し「永安」の年号を制定。以後、永安七年七月の崩御まで在位中に改元の記事はなく、永安の年号が一貫して使用されている。

大赦回数

在位中の大赦は4回確認。1)即位当日、2)永安五年八月(立后・立太子と同日)、3)永安七年正月、4)永安七年七月(崩御前日)。すべて「大赦」と本紀に明記され、地域限定である旨の記載はないため全国規模の大赦と判断した。永安元年十二月の孫綝誅殺直後には大赦の記事が見当たらず、その時点では大赦なしと判断。

立后回数

永安五年八月乙酉、朱氏(朱据の娘、孫休の姉が生んだ姫で、孫休が琅邪王時代からの妃)を皇后に冊立。三嗣主传と妃嫔传(孙休朱夫人伝)の双方で一致して確認できる。孫休在位中に他の皇后冊立(廃后・再冊立等)の記事はない。

皇太子廃立回数

孫休在位中に皇太子(子{雨單})の冊立は確認できるが(永安五年八月)、廃立の記事は在位中に見当たらない。孫休崩御後、孫皓が即位した際に「十月,封休太子{雨單}为豫章王」(孫皓紀)として旧皇太子を豫章王に降格させているが、これは孫休の崩御後・次代孫皓の在位下での出来事であり、本調査の境界帰属ルール(次代が行った出来事は当該人物にはカウントしない)により孫休にはカウントしない。

親征回数

『三国志』呉書三嗣主伝の孫休の記事(永安元年~七年、258~264年)を通読したが、孫休自身が「自将」「親征」等の形で軍を率いて出陣したという記述は見当たらない。永安六年の魏侵攻に対する救援出兵(丁奉・留平・丁封・孫異ら)、永安七年の羅憲討伐(陸抗・歩協ら)はいずれも将軍への派遣であり、孫休本人の出陣は確認できない。258年12月の孫綝誅殺は宮中での急襲によるクーデターであり、戦場への出陣を伴う「親征」には該当しないため、こちらにも計上しない。該当記事なしと判断。

反乱鎮圧回数

在位中(258年10月即位~264年7月薨去)に呉朝廷が反乱鎮圧を完了させた記録は原典に見当たらない。永安六年(263年)の交阯郡吏呂興の乱、永安七年(264年)の豫章民張節の乱はいずれも記事末尾(孫休薨去の直前)まで鎮圧の記述がなく、未鎮圧のまま在位終了(判定基準の例外2)と判断したためrebellionSufferedCountのみに計上しrebellionSuppressionCountには含めない。なお258年12月の孫綝誅殺(大将軍孫綝を武士に命じて捕縛・即日処刑)は、原典に「休聞綝逆謀、陰與張布圖計」とあり孫綝はまだ挙兵していない段階での皇帝側の先制的な武力行使であるため、反乱そのものが不成立(判定基準の例外3)とみなし、鎮圧・被反乱いずれにも算入しない。該当記事なしと判断。

被反乱回数

上記2件に加え、永安七年(264年)秋七月に「海賊破海鹽、殺司鹽校尉駱秀」との記事があるが、これは沿岸を襲撃した海賊(盗賊)による官吏殺害であり、呉に服属していた郡県官・将軍・宗室・辺境属国の異民族等による離反・蜂起とは性質が異なる(外部からの盗賊的襲撃の可能性が高い)と判断し、被反乱にはカウントしなかった。この点は史料上「海賊」の身分・出自が明記されておらず判断が分かれ得るため、rebellionSufferedCount全体のconfidenceをmediumとした。なお258年12月の孫綝誅殺は判定基準の例外3(皇帝自身が攻撃の主体)に該当するため、こちらにも含めていない。

遷都回数

三国志呉書を通読。孫亮・孫休期は先代からの建業が都のまま、追加の遷都記録なし。

即位時年齢・没年齢

三國志 呉書三 三嗣主傳「癸未,休薨,時年三十,諡曰景皇帝」(数え年)。 即位時年齢は逆算値:崩御時「時年三十」(永安7年=264年)と即位年(永安元年=258年)の年号差6年から数え年で24歳と算出。

在位中の出来事(8件)

改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。

改元258年11月30日即位に伴う最初の元号「永安」の制定(建元)。

即位に伴う最初の元号「永安」の制定(建元)。原文:「即日,御正殿,大赦,改元。是岁,於魏甘露三年也。」続く記事の冒頭が「永安元年冬十月壬午,诏曰」となっており、この改元により永安の年号が始まったことが確認できる。

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)

大赦258年11月30日即位当日、正殿に御し大赦・改元を行った。

即位当日、正殿に御し大赦・改元を行った。原文:「即日,御正殿,大赦,改元。是岁,於魏甘露三年也。」

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)

大赦262年9月永安五年八月、乙酉に立皇后、戊子に立太子とともに大赦。

永安五年八月、乙酉に立皇后、戊子に立太子とともに大赦。原文:「乙酉,立皇后朱氏。戊子,立子{雨單}为太子,大赦。」正確な干支日(戊子)は判明しているが西暦換算の日までは特定できないため月精度とした。

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)

立后262年9月妃であった朱氏(朱据の女、孫休の姉公主が生んだ人物)を皇后に冊立。

妃であった朱氏(朱据の女、孫休の姉公主が生んだ人物)を皇后に冊立。原文:「乙酉,立皇后朱氏。」(三嗣主传)。妃嫔传にも「永安五年,立夫人为皇后。休卒,群臣尊夫人为皇太后。」とあり整合。乙酉の干支日は判明するが西暦の日付までは特定できないため月精度とした。

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)/吴书五 妃嫔传(孙休朱夫人)

被反乱263年5月交阯郡吏呂興の乱

首謀者: 呂興

結果: 呂興は太守孫諝を殺害し反乱、魏(司馬昭政権)に使者を送り太守と援兵を要請して呉から離反した。孫休の在位終了(264年7月)までに呉朝廷がこれを鎮圧した記録は原典になく、未鎮圧のまま持ち越された(後継の孫皓期にも交阯の混乱が続く)。

交阯郡は呉の統治下の郡県であり、その郡吏による太守殺害・離反は服属民(郡県官)の反乱に該当する。魏への投降要請という展開はあるが、蜂起の主体は呉に服属していた郡吏であるため対等勢力との抗争ではなく内部反乱として算入した。鎮圧行動が在位中に着手・完了した記述がないためrebellionSuppressionCountには含めず、判定基準の例外2(未鎮圧のまま在位終了)としてrebellionSufferedCountのみに計上した。

大赦264年2月永安七年正月の大赦。

永安七年正月の大赦。原文:「七年春正月,大赦。」具体的な日付の干支は記載なし。

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)

被反乱264年7月豫章の民・張節らの乱

首謀者: 張節

結果: 衆一万余人規模に拡大したとの記述があるのみで、鎮圧の結果は記されておらず、同月末(癸未)に孫休が薨去している。

豫章郡は呉の統治下にあり、その郡民の蜂起であるため服属民の反乱として算入。同時期に「使中書郎劉川發兵廬陵」との記述があるが、これが張節の乱への対応か、別件(同記事内の海賊被害への対応)かは原典上明確に読み取れず、鎮圧が完了したとの記述もない。孫休がほぼ同時期(同じ秋七月)に薨去しているため、判定基準の例外2(未鎮圧のまま在位終了)に該当するとみなし、rebellionSuppressionCountには含めずrebellionSufferedCountのみに計上した。confidenceをmediumとした。

大赦264年9月2日永安七年七月壬午、崩御前日の大赦。

永安七年七月壬午、崩御前日の大赦。原文:「壬午,大赦。癸未,休薨,时年三十,谥曰景皇帝。」壬午は崩御日癸未の前日にあたる。

出典: 三国志 吴书三 三嗣主传(孙休)

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