中国皇帝統計

幼主

北斉(南北朝)|在位 577年

諱(本名)
高恒
在位
577年
在位期間
270日365名中307位
即位経路
禅譲
死因
処刑
即位時年齢
8歳(数え年)172名中・若い順16位タイ
没年齢
不詳
改元
1332名中142位タイ
大赦
1267名中194位タイ
立后
0
皇太子廃立
0
親征
0
反乱鎮圧
0
被反乱
0
遷都
0

順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。

即位の経緯

承光元年(577年)正月、父後主より生前譲位を受けて即位した(当時8歳)。

出典: 北齊書 巻8 幼主紀

死因の経緯

北斉滅亡後、父後主と共に青州で捕らえられ長安に送られたが、建徳6年(577年)10月、父後主・延宗らと同じ穆提婆謀反への連座を誣告され、他の北斉皇族数十名と共に「賜死」を命じられ処刑された(享年8)。処刑年は、『周書』本紀・『北史』が独立して「建徳6年冬十月、誅溫國公高緯」と明記し北周公式紀年に建徳七年が存在しないことから、建徳七年(578年)説を建徳6年(577年)10月に訂正した。埋葬は隋初の大象末までなされなかった。

出典: 北史 巻十 周本紀下/北齊書 巻8・巻11

調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)

各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。

改元回数

即位からまもなく北周軍の侵攻を受けて鄴から東走・禅位(大丞相・任城王湝へ)し、以後は「守国天王」として捕虜生活に入ったため、承光の後に新たな改元記事はない(建徳は北周側の年号)。

大赦回数

幼主の在位期間(承光元年正月即位~同年10月建徳6年に長安で処刑)は即位直後から北周軍の侵攻により鄴を離れ逃走・禅位・被虜という経過を辿ったため、即位時の大赦以降、追加の大赦記事は本紀に見られない。

立后回数

幼主(高恒)は8歳で即位し在位期間も極めて短く、立后に関する記事は本紀に見られない(皇后不在)。

皇太子廃立回数

幼主(高恒)は8歳で即位し、在位期間はわずか数ヶ月(承光元年正月即位~まもなく任城王湝への禅位、その後被虜・建徳6年〔577年〕10月処刑)であり、この間に皇太子を立てた記事も廃した記事も本紀に見られない。

親征回数

北斉書巻八(幼主紀)を確認。隆化二年(承光元年,577年)正月乙亥に8歳で即位してから同年中に任城王湝へ禅位するまでの極めて短い在位期間中、幼主自身が親征した記述は皆無。同時期の北周軍侵攻対応は既に退位していた太上皇帝(後主)・宗室が主導し、幼主本人は東走・避難するのみであった。該当記事なし。

反乱鎮圧回数

在位期間(577年正月即位〜同年禅位まで)中に、服属していた臣下・郡県・属国等による蜂起を幼主側が鎮圧した記録は見当たらない。同期間の主な軍事的事態は北周軍の侵攻(周師漸逼、周師至紫陌橋等)であり、これは対等な独立政権であった北周との対外戦争(北斉滅亡戦)に該当し、反乱鎮圧の定義から除外した。該当記事なし。

被反乱回数

北周軍の侵攻により幼主一行が捕らえられ北斉が滅亡した事件は、既存データセットの判断方針通り対等な独立政権(北周)との対外戦争であり、服属関係のない政権間の統一戦争として反乱には該当しないため除外した。また高阿那肱が周軍と内通し布陣を遅延させた行為も、武装蜂起による皇帝弑逆・廃位を伴う朝廷内クーデター(例外4)の要件を満たさない(幼主自身は捕縛されただけで、高阿那肱による直接の武力行使・弑逆はない)ため計上しなかった。在位期間中に反乱に該当する事件の記録なし。該当記事なし。

遷都回数

北斉書帝紀を通読。東魏から継承した鄴が577年の滅亡まで一貫した都(晋陽への行幸は複都制の陪都的行幸で主都変更ではない)。

即位時年齢・没年齢

生年月(武平元年六月、570年)・即位時年齢8歳(「時八歳」、隆化二年正月乙亥)はいずれも直接記載。没年齢の直接記載は本紀中に見当たらない。

在位中の出来事(2件)

改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。

改元577年2月4日隆化二年春正月乙亥、後主より禅譲を受け即皇帝位(時八歳)。

隆化二年春正月乙亥、後主より禅譲を受け即皇帝位(時八歳)。同日「改元為承光元年」と建元。これが幼主在位中唯一の改元。

出典: 北斉書 巻八 幼主紀

大赦577年2月4日隆化二年春正月乙亥、幼主(高恒)即位、承光元年と改元すると同時に「大赦」を実施(尊皇太后為太皇太后等の措置と同日)。

出典: 北斉書 巻八 幼主紀

収録基準・各項目の数え方・出典はこのサイトについてを、時代の中での位置は通史年表をご覧ください。