安帝の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 396年11月7日〜419年1月28日旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 418年12月17日まで
- 没年
- 419年1月28日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 418年12月17日)37歳(数え年)長生き順同率148位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 世襲先の皇帝が自分で跡継ぎを決めていて(遺詔・皇太子に立てるなど)、その跡を継いだ即位。
- 先代
- 孝武帝東晋安帝は孝武帝の子
- 呼び名
- 姓司馬諱徳宗呼び名の見方
出典
- 在位
- 晋書 巻十 安帝紀(daizhigev20版、china-history第十章は白話訳のため不使用)
- 死因
- 晉書 帝紀第十 安帝
- 即位経路
- 晉書 帝紀第十 安帝
生涯
どんな皇帝か
晋書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人はこの時代を、主は暗く臣は乱れたと評し、賛では安帝と恭帝を名ばかりの位と結ぶ。
即位まで
孝武帝の長子で、387年に皇太子に立てられた。母の陳氏は歌と弾奏に長じて後宮に入った人で、安帝の即位より前に亡くなった。396年、父の孝武帝が酔った夕べに急死すると、翌日に即位し、会稽王司馬道子が太傅皇帝を補佐し導く、最高位の重臣の位として政を執った。幼い頃から言葉を話せず、寒暑も弁えられず、立ち居振る舞いのすべてが自分の意思から出なかった。同母弟の徳文が常にそばで世話をした。
治世と最期
397年には王恭らが挙兵し、399年には孫恩が会稽を陥れた。402年、桓玄討伐に向かう司馬元顕を軍装で見送ったが、元顕は敗れて殺され、桓玄が自ら丞相皇帝を助けて政治全体を取りまとめた最高位の役職となった。桓玄は臨川王に迫って、安帝に自ら手詔皇帝が自ら書いた命令の文書を書くよう請わせ、それに乗じて玉璽皇帝の印。皇帝の位のしるしを奪い、403年の暮れに帝位を奪って安帝を平固王とした。このとき命を全うできたのは、言葉も話せず寒暑も弁えられない状態のためだった。
404年に劉裕らが兵を挙げ、桓玄が斬られると、安帝は江陵で復位したが、まもなく桓振が江陵を陥れ、帝はふたたび桓氏の手に落ちた。桓振は安帝をにらんで恨みを言い、手をかけようとまでしたが、やがて馬を下りて拝した。405年に建康へ戻ると、罪を請う百官朝廷のすべての役人には職へ戻れとの詔が出て、供奉を見直して減らすよう命じる詔も出た。
418年の暮れ、東堂で没した。禅譲皇帝が位をほかの人に譲ることを図る劉裕が、孝武帝の字である昌明の後に二帝ありという讖に合わせるため、王韶之にひそかに安帝を殺させたのである。
史料について
桓振が収まったわけを、晋書の恭帝紀は徳文の一言とし、桓振伝は桓謙が止めたためとし、資治通鑑は両方を続けて書く。劉裕の偽った遺詔皇帝が死に際に残した命令は病を名目とする。殺し方を、晋書の安帝紀は絞殺とし、資治通鑑は毒殺を図ったが徳文がそばを離れず、徳文が外に出たすきに絞めたとし、宋書と南史の王韶之伝は毒を盛ったとする。宋書の武帝紀は崩じたとだけ書く。
安帝とつながる皇帝

勢力図
五胡十六国の勢力図で見る
396–418年の地図に、安帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱10・皇后1・改元3・大赦16
- 改元397年元号を「隆安」とする
- 反乱397年王恭・庾楷の第一次挙兵
- 反乱397年王廞の乱
- 反乱398年王恭ら五州刺史の連合挙兵(第二次)
- 反乱398年杜炯の乱
- 反乱398年韋礼の反乱(襄陽流民)
- 反乱399–411年孫恩・
盧循の乱 - 改元402年元号を「元興」とする
- 反乱402–405年桓玄の乱・
簒奪と桓振残党の乱 - 改元405年元号を「義熙」とする
- 反乱405–413年譙縦の乱(譙蜀の独立)
- 反乱415年司馬休之・
魯宗之の乱 - 反乱419年1月(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 418年12月)劉裕による安帝弑逆
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳太子即皇帝位、大赦(即位に伴う大赦)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳大赦(改元も同時)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳大赦(五月壬午に桓玄誅殺・
帝『反正』の直後) - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳大赦(改元も同時、桓振からの再度の反正後)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳大赦、除酒禁
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳劉裕矯詔により大赦(劉毅を除く)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 皇后日付不詳立皇后王氏
東晋の歴代皇帝
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