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武帝の肖像画

前漢第7代

武帝劉徹

在位 前141–前87年(54年20日)前141年3月9日 〜 前87年3月29日

日本は弥生時代

儒学を立て、匈奴へ大軍を送り、晩年にはの事件で皇太子を失った前漢の皇帝である。

武帝の人物データ

生年
前156年
在位
  • 前141年3月9日〜前87年3月29日
54年20日長い順4位/365人16歳で即位(数え年)
没年
前87年3月29日70歳(数え年)長生き順同率12位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 景帝前漢武帝は景帝の子
次代
  • 昭帝前漢昭帝は武帝の子
呼び名
姓劉諱徹廟号世宗呼び名の見方
目立つ記録
  • 改元 11回多い順同率3位
  • 大赦 18回多い順同率8位
  • 皇太子を廃した 1回多い順同率4位

出典

在位
漢書 巻六 武帝紀
死因
漢書・武帝紀
即位経路
漢書・武帝紀

生涯

どんな皇帝か

漢書の賛は雄材大略と評しつつ、文帝・景帝の恭倹を改めずに民を救っていたなら古の王者にも劣らなかったと結ぶ。

即位まで

景帝の子で、母は王美人であり、7歳で皇太子となった。前141年に景帝が没して即位した。即位してまもなく、母が身分の低かったころに産み民間で暮らす娘がいると聞くと、自ら車で迎えに行き、大姉はなぜ深く隠れていたのかと言って太后に会わせた。

治世と最期

汲黯に、陛下は内に欲が多いのに外で仁義を施していると言われて怒ったが、退いてから汲黯の愚直さはひどいと言った。前130年、子が無く驕った陳皇后の巫蠱を徹底して調べさせ、した三百余人が誅され、皇后は長門宮に退けられた。前119年、衛青と霍去病が匈奴を攻めたが、両軍の死者は数万に及んだ。から黄帝が龍に迎えられて天に昇った話を聞くと、本当に黄帝のようになれるなら妻子を捨てるのは履物を脱ぐようなものだと言った。前106年、名臣が尽きかけたとして、非常の功には非常の人が要ると述べ、将相や遠国への使者になれる者を推挙させた。

前91年、江充らが太子宮で蠱を掘り出すと、戻太子は江充を斬って挙兵し、長安で数万人が死んだ。衛皇后は自殺し、逃れた太子ものちに自殺した。武帝は巫蠱の多くが事実でないと分かると、江充の一族を滅ぼし、太子を悼んで思子宮を造った。西域伝によれば、輪台にを置く案に対して過去を深く悔いる詔を下し、以後は兵を出さなかった。

鉤弋夫人の子を跡継ぎにと考え、前87年に弗陵を太子に立てた2日後、五柞宮で没した。漢書伝は、子が幼く母が若いのを案じて武帝がをためらったと記し、鉤弋夫人の死は譴責され憂えての死とする。史記の補記は乱を防ぐため武帝が死なせたとする。宣帝の代に夏侯勝は、四夷を退けた功を認めつつ、兵と民の力を尽くし奢侈に限りが無かったと批判した。

武帝とつながる皇帝

あわせて読む漢の後宮の位前漢の14等と後漢の5つの位、実際にいた人

在位中の出来事

反乱5・親征1・皇后1・皇太子1・改元11・大赦18
  1. 改元前140年元号を「建元」とする
  2. 前140年
  3. 改元前134年元号を「元光」とする
  4. 前134年
  5. 前131年
  6. 改元前128年元号を「元朔」とする
  7. 前128年
  8. 皇后前128年皇后を立てる
  9. 前126年
  10. 前123年
  11. 改元前122年元号を「元狩」とする
  12. 前122年
  13. 前120年
  14. 改元前116年元号を「元鼎」とする
  15. 前116年
  16. 前114年
  17. 前112年
  18. 前111年匈奴
  19. 改元前110年元号を「元封」とする
  20. 前110年
  21. 反乱前109年武都氐人の反乱(元封三年)
  22. 前106年
  23. 反乱前106年益州・昆明の反乱(元封六年)
  24. 改元前104年元号を「太初」とする
  25. 改元前100年元号を「天漢」とする
  26. 前100年
  27. 反乱前100年天漢年間の群盗蜂起(泰山・琅邪の徐勃等が山を阻んで城を攻めた事件)
  28. 前98年
  29. 改元前96年元号を「太始」とする
  30. 前93年
  31. 改元前92年元号を「征和」とする
  32. 皇太子前91年皇太子を廃する
  33. 反乱前91年巫蠱の禍・戻太子挙兵
  34. 前90年
  35. 反乱前89年莽何羅の矯制発兵・武帝暗殺未遂事件
  36. 改元前88年
  37. 前88年2月

前漢の歴代皇帝

歴代14人の一覧

年表

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前漢が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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