13歳で即位して長く鄧太后に実権を握られ、親政君主が自分で政治を執ることに移ると讒言に動かされて鄧氏を退け、皇太子を廃した後漢の皇帝である。
日本とのつながり
107年
倭国王帥升
倭国王の帥升らが、生口(奴隷とされる人)160人を献じた。
原文
- 冬十月,倭国遣使奉献。― 後漢書(巻五 安帝紀)
- 安帝永初元年,倭国王帅升等献生口百六十人,愿请见。― 後漢書(巻八十五 東夷列伝)
安帝の人物データ
- 生年
- 94年
- 在位
- 106年9月23日〜125年4月30日
- 没年
- 125年4月30日32歳(数え年)長生き順同率178位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓劉諱祜廟号恭宗呼び名の見方
- 目立つ記録
- 皇太子を廃した 1回多い順同率4位
出典
- 在位
- 後漢書 巻五 孝安帝紀
- 死因
- 後漢書・
巻五 孝安帝紀 - 即位経路
- 後漢書・
巻五 孝安帝紀/巻十下 皇后紀下(和熹鄧皇后)
生涯
どんな皇帝か
後漢書の賛は、徳が上がらず王の法度をそこない、皇太子を廃して邪悪の芽を開いたと評する。
即位まで
治世と最期
107年、郎中君主のそばに仕えて守りなどをする役人の杜根が帝の親政を求めて上書君主に意見を書いて差し出すことすると、太后は激怒して殿上で打ち殺させようとしたが、杜根は死を装って逃れた。
121年に鄧太后が没して親政が始まった。乳母の王聖らは、鄧氏が帝を廃そうとしていると讒言しており、太后の死後に宮人宮中に仕え暮らした女性たちの誣告が出ると、帝は鄧氏の子弟の侯5人を庶人官位や身分を持たない、ふつうの民とし、鄧騭は封国王や侯に与えられた領地へ帰した。鄧騭もまもなく死に追いやられた。朱寵は冤罪を訴えて免官されたが、多くの人が冤罪を言うと帝は考えをやや改め、鄧騭を旧墓に改葬させた。父母に尊号たたえて贈る呼び名や、皇帝など君主の位の称号を上り、嫡母父の正妻。実母でない子から見た呼び方の兄の耿宝を大将軍将軍の中でも特に高い位にし、取り入るのがうまい馮石を寵愛した。楊震が王聖を宮外へ出すよう上疏皇帝に意見を書いて差し出すことすると、帝はその上疏を王聖らに見せ、のちに政治を論じた趙騰を楊震の助命も顧みず処刑させた。
120年に皇子の保を皇太子に立てたが、124年に廃して済陰王とした。乳母の王聖や宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男の江京・樊豊らが太子を讒して陥れ、耿宝らも廃すべきだとした。来歴らが太子に過ちは無いと門で訴えると、帝は、義によって恩を断つのは天下のためだと詔を伝えさせ、去らない来歴とその兄弟の官を免じた。125年、南巡皇帝が南の地方を見て回ることの途中の宛で病み、葉で乗輿皇帝の乗る車。転じて皇帝その人の中のまま没した。閻皇后らは済陰王が立てられるのを恐れ、宮へ戻るまで死を伏せた。
史料について
若いころは聡敏と称されたが、成長すると不徳が多かったという評は、鄧騭の伝にある。鄧騭の最期を、本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は自殺とし、鄧騭の伝は子とともに食を断って死んだとする。太子を讒した主を、順帝紀や来歴の伝などは王聖と江京・樊豊らとし、皇后紀は閻皇后とする。安帝紀は廃した理由を書かない。
安帝とつながる皇帝
在位中の出来事
反乱14・皇后1・皇太子1・改元5・大赦10
- 反乱106年9月西域諸国の叛乱(対都護任尚)
- 改元107年元号を「永初」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。107年大赦(改元と同時、即位後初の大赦)。
- 反乱107–118年永初西羌の大乱(先零羌の乱)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。109年皇帝加元服し大赦。
- 反乱109–110年南匈奴単于の反乱
- 反乱109–110年海賊張伯路の乱
- 反乱109年雁門烏桓・
鮮卑の反乱 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。110年
- 反乱111–112年漢陽の杜琦・
王信の乱 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。112年
- 改元114年元号を「元初」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。114年
- 皇后115年貴人閻氏を皇后に立てた。
- 反乱116年武陵蛮の反乱
- 反乱116–117年蒼梧・
鬱林・ 合浦蛮夷の反乱 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。117年
- 反乱118–119年越巂夷等西南夷の反乱
- 改元120年元号を「永寧」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。120年皇子保を皇太子に立て、永寧に改元すると同時に大赦。
- 反乱120年沈氐羌の反乱
- 反乱120–122年焼当羌の反乱
- 改元121年元号を「建光」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。121年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。121年建光に改元すると同時に大赦。
- 改元122年元号を「延光」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。122年延光に改元すると同時に大赦。
- 反乱122年虔人羌の反乱
- 反乱123年旄牛夷の反乱
- 皇太子124年皇太子保(後の順帝)を廃して済陰王とした。
- 反乱124年南匈奴左日逐王の反乱
後漢の歴代皇帝
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