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光武帝の肖像画

後漢第1代

光武帝劉秀

在位 25–57年(31年236日)25年8月5日 〜 57年3月29日

日本は弥生時代

昆陽の戦いで王莽の大軍を破って名を上げ、河北から立って後漢を開き、隴・蜀を平らげた皇帝である。

  • 57年

    金印(漢委奴国王)

    倭の奴国の使いが来て、光武帝は印綬を授けた。

    原文
    • 二年春正月辛未,初立北郊,祀后土。― 後漢書(巻一下 光武帝紀)
    • 东夷倭奴国王遣使奉献。― 後漢書(巻一下 光武帝紀)
    • 建武中元二年,倭奴国奉贡朝贺,使人自称大夫,倭国之极南界也。光武赐以印绶。― 後漢書(巻八十五 東夷列伝)

光武帝の人物データ

生年
前5年1月15日( 前6年12月6日)
在位
  • 蕭王24年〜25年
  • 皇帝25年8月5日〜57年3月29日
31年236日長い順21位/365人29歳で蕭王・30歳で皇帝(数え年)
没年
57年3月29日62歳(数え年)長生き順同率31位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
—
次代
  • 明帝後漢明帝は光武帝の子
呼び名
姓劉諱秀字文叔廟号世祖呼び名の見方
目立つ記録

出典

在位
後漢書 巻一上・巻一下 光武帝紀
死因
後漢書・巻一上・巻一下 光武帝紀
即位経路
後漢書・巻一上・巻一下 光武帝紀

生涯

どんな皇帝か

郷里の宴で一族の年長の婦人たちが、若いころは柔らかいだけだったと語るのを聞き、天下を治めるのも柔の道でと大笑いした。

即位まで

前漢の高祖の九世の孫で、父は南頓令の劉欽である。長安で、仕官するなら執金吾、妻を娶るなら陰麗華と嘆じた。王莽の末の飢饉のなか、22年に宛で兵を挙げた。23年に更始帝が立てられ、昆陽の戦いでは決死の兵三千で中堅を衝いて王尋を討ち、百万と号した王莽の軍を潰走させた。同じ年、陰麗華を娶った。兄が更始帝に殺されると、宛で謝り、功を誇らず喪にも服さなかった。24年に邯鄲を落として王郎を誅し、内通の文書数千通を見ずに焼いた。更始帝に兵を解くよう求められても応じず、更始帝と離れた。25年、諸将の推戴を受けて鄗の南で即位し、建武とした。

治世と最期

即位後は赤眉を降し、隴と蜀を平らげた。陰麗華に皇后を固辞されて子のある郭氏を立て、41年に郭氏を廃して陰氏を立てた。27年に赤眉が降り、高皇帝のを差し出した。32年には岑彭への書で、隴を平らげてまた蜀を望む、人は足るを知らずに苦しむと書いた。36年、公孫述が成都で敗れて死ぬと、それからは危急でない限り軍事を語らなかった。

皇太子に戦の仕方を問われると孔子のを引いて退け、日が傾くまで政務を見て夜中までを論じ、楽しんでいるから疲れないと言った。旧友の厳光と寝て腹に足を載せられ、が客星が御座を犯したと急報すると、旧友と寝ただけだと笑った。寡婦の姉が宋弘を望むと宋弘の意を探ったが、糟糠の妻は堂から下ろさないと言われ、姉に無理だと告げた。姉の奴を殺した董宣を打ち殺そうとしたが、謝罪を拒む董宣を笑って許した。

晩年まで、田の調べの不正や讖への異論、馬援への讒言には厳しく臨んだ。39年に田とを調べさせ、40年には不正をした十余人が獄死した。讖は経ではないと述べた桓譚を斬れと怒り、桓譚は地方へ出されて道中で没した。陣中で没した馬援が梁松に陥れられると、怒って侯のを追い取り、のちの讒言でさらに怒った。遺族は六度のでようやく葬れた。54年に群臣がを勧めると、民の怨みが満ちているのに天を欺くのかと退けたが、56年に泰山で封禅を行い、中元とした。57年に南宮前殿で没し、で文帝にならう倹約を命じた。

史料について

の末尾は、隴・蜀を平らげたのちは功臣を退けて文吏を用いたとまとめる。郡守らを殺したことを、後漢書の天文志はのちに深く悔いたと書き、資治通鑑は馬援に悔やむと語ったと書く。本紀はどちらも書かない。

光武帝とつながる皇帝

あわせて読む漢の後宮の位前漢の14等と後漢の5つの位、実際にいた人

在位中の出来事

反乱17・親征7・皇后2・皇太子1・改元2・大赦10
  1. 改元25年8月5日元号を「建武」とする
  2. 25年8月5日
  3. 26年
  4. 26年
  5. 皇后26年皇后を立てる
  6. 26年五校(別号諸賊、独立群雄・未服属)
  7. 反乱26年真定王劉楊・臨邑侯讓の謀反
  8. 反乱26–29年彭寵の乱
  9. 反乱26–27年鄧奉の乱
  10. 27年
  11. 27年
  12. 27年赤眉残党(独立群雄・未服属)
  13. 27年鄧奉(元・破虜将軍、既に服属していた漢の武将による反乱)
  14. 反乱27–28年張豐の乱
  15. 28年
  16. 29年
  17. 29年龐萌・蘇茂(龐萌は元・平狄将軍で既に服属していた漢の武将による反乱、蘇茂は更始配下から続く未服属の群雄勢力)
  18. 反乱29–30年龐萌の乱
  19. 反乱30年楽浪王調の乱
  20. 31年
  21. 32年隗囂(独立群雄・西州大将軍を自称し後に漢に反した勢力、本タスク指示により統一戦争扱い)
  22. 32年潁川盗賊(既に服属していた漢の郡県内の武装蜂起)
  23. 反乱32年潁川盗賊の蜂起
  24. 反乱32年河東守兵の叛乱
  25. 反乱32年張歩の再叛(琅邪への逃亡蜂起)
  26. 35年公孫述(独立群雄・巴蜀に自立し天子を称した勢力、統一戦争扱い)
  27. 反乱40–43年交阯・徴側(微側)の反乱
  28. 皇后41年皇后を立てる
  29. 反乱41年妖巫李広の皖城蜂起
  30. 反乱42年史歆の乱
  31. 皇太子43年皇太子を廃する
  32. 反乱43年妖巫単臣・傅鎮の原武蜂起
  33. 反乱45年安定属国胡の叛乱
  34. 反乱47年南郡蛮の叛乱
  35. 反乱47–49年武陵蛮の叛乱
  36. 48年
  37. 改元56年元号を「中元」とする
  38. 56年
  39. 反乱56年参狼羌の武都侵寇・鎮圧

後漢の歴代皇帝

歴代14人の一覧

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後漢が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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