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献帝の肖像画

後漢第14代

献帝劉協

在位 189–220年(31年74日)189年9月28日 〜 220年12月11日

日本は弥生時代

董卓に立てられ、李傕・郭汜らや曹操の手を渡ったのち、曹丕に位を譲って後漢を終わらせた皇帝である。

献帝の人物データ

生年
181年
在位
  • 189年9月28日〜220年12月11日
31年74日長い順22位/365人9歳で即位(数え年)220年に在位を終え、14年後の234年に没
没年
234年4月54歳(数え年)長生き順同率62位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 少帝後漢献帝は少帝の弟
次代
  • 文帝曹丕魏文帝は献帝の外戚
呼び名
姓劉諱協呼び名の見方
目立つ記録
  • 遷都 2回多い順同率2位

出典

在位
後漢書 巻九 孝獻帝紀
死因
後漢書 巻九 孝獻帝紀
即位経路
後漢書・本紀第九章 孝霊帝紀/第十章 孝献帝紀/列伝第六十六章 董卓列傳

生涯

どんな皇帝か

後漢書の論は、天が漢の徳を厭うて久しく、献帝に何の罪があろうかと述べる。

即位まで

霊帝の子で、母の王美人は何皇后に毒殺され、霊帝の母の董太后に育てられて董侯と呼ばれた。189年に兄の少帝が即位すると、勃海王、ついで陳留王に封じられた。北芒で董卓に迎えられたとき、兄は泣いて答えられなかったが、陳留王と話すと話は乱の次第に及んだ。董卓は陳留王を賢いと見、自分が董太后と同族でもあるとして少帝を廃し、陳留王が即位した。

治世と最期

192年に董卓が除かれると、部将の李傕・郭汜らが長安を落として王允を殺した。194年の飢饉では、献帝は粥の施しに偽りがあると疑い、自ら御座の前で量って不正を知り、担当官を責めさせた。195年には李傕と郭汜が争い、献帝は李傕の営に連れ込まれ、郭汜の矢が御前に及んだ。195年に東へ帰る途に就き、同じ年の暮れに追撃を受けながら黄河を渡り、196年に洛陽へ戻ったが、宮室は焼け尽き、以下の官は野生の穀物を採った。まもなく曹操がの事を握って都を許へ移した。

許に移ってから、入見した曹操に憤りを抑えきれず、補佐できるなら手厚くせよ、できないなら捨て置いてくれと言い、曹操は顔色を失った。200年、董承らが曹操を除こうとして誅された。曹操は董承の娘の董貴人も殺すよう求め、献帝は何度も助命を請うたがかなわなかった。のちに伏皇后が捕らえられ、もう助けてはくださらないのかと言うと、献帝は私もいつまで命があるかわからないと答え、皇后は幽閉のうちに没した。

220年に位を譲り、魏王の曹丕が天子を称して、献帝は山陽公とされた。山陽公は234年に没し、孝献皇帝と諡された。

史料について

曹操との場面は伏皇后紀による。資治通鑑は、献帝が抑えきれなかったのを憤りではなく恐れとする。董承の企てを、後漢書は献帝のによるとし、三国志は先主伝で董承の言として密詔を書くが、武帝紀は謀反とだけ書く。

献帝とつながる皇帝

三国の勢力図(190年)

勢力図

三国の勢力図で見る

190–219年の地図に、献帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱4・遷都2・皇后2・改元6・大赦11
  1. 改元189年10月元号を「永漢」とする
  2. 189年10月即位(九月甲戌)に伴い大赦。
  3. 反乱189年10月〜190年1月( 189年12月)白波賊の河東・東郡侵寇
  4. 改元189年12月光熹・昭寧・永漢の三年号をすべて廃止し、中平六年(旧年号)に復する異例の措置。
  5. 改元190年元号を「初平」とする
  6. 190年
  7. 遷都190年雒陽(洛陽) → 長安
  8. 191年
  9. 反乱191–192年青州黄巾の泰山・勃海侵寇から兗州侵寇・寿張投降まで
  10. 192年
  11. 192年大赦(董卓誅殺・王允が政務を総攬した後)。
  12. 192年大赦(李傕・郭汜らが長安を陥落させた直後)。
  13. 反乱192–195年李傕・郭汜の乱(長安陥落〜献帝東帰に至る兵乱)
  14. 193年
  15. 改元194年元号を「興平」とする
  16. 194年改元興平と同時に大赦。
  17. 反乱194年馮翊羌の反乱
  18. 195年
  19. 皇后195年貴人伏氏を皇后に立てる(伏寿、伏完の娘)。
  20. 改元196年元号を「建安」とする
  21. 196年安邑にて郊祀・改元建安と同時に大赦。
  22. 196年洛陽到着後、郊祀上帝とともに大赦。
  23. 遷都196年雒陽(洛陽) → 許(許昌)
  24. 皇后215年貴人曹氏(曹操の娘)を皇后に立てる。
  25. 改元220年5月元号を「延康」とする

後漢の歴代皇帝

歴代14人の一覧

年表

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後漢が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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