明帝
後梁・南北朝|在位 562–585年
- 諱(本名)
- 蕭巋
- 廟号
- 世宗
- 在位
- 562–585年
- 在位期間
- 23年95日365名中46位
- 即位経路
- 世襲
- 死因
- 病死
- 即位時年齢
- 不詳
- 没年齢
- 44歳(数え年)269名中・長寿順111位タイ
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 0回
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 0回
- 遷都
- 0回
順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。諡号:孝明皇帝
即位の経緯
父・蕭詧の薨去を受け「高祖又命其太子岿嗣位,年號天保」。既に太子に立てられていた嫡子による通常の世襲継承(宗主国・北周皇帝による形式的な承認を伴う)。
出典: 周書 巻48 列傳第40 蕭詧(岿附)補記: zh.wikisource.org 周書/卷48
死因の経緯
『隋書』卷79:「其年五月,寢疾,臨終上表…」、『周書』卷48:「岿在位二十三載,年四十四,五年五月薨」と両書一致して疾病による自然死。
出典: 隋書 巻79 列傳第44 外戚(蕭巋)/周書 巻48 列傳第40補記: zh.wikisource.org 隋書/卷79、周書/卷48
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
岿の在位23年間(天保元年~天保23年、周・隋暦での開皇五年五月崩御まで)を通じて、周書・隋書いずれの伝にも天保以外の新元号への改元記事は見当たらなかった。次代の琮が嗣位した際に「年号広運」と改元しているが、これは岿ではなく琮に帰属する事件のため対象外。
大赦回数
『周書』巻四十八(蕭詧・蕭巋伝)および『隋書』巻七十九(外戚・蕭巋伝)の岿在位23年間の記述を通読したが、「大赦」「大赦天下」等の梁国における全国規模の恩赦の記載は見当たらなかった。なお『隋書』本紀に見える開皇元年・四年の「大赦」「降囚徒」は隋朝自身の措置であり岿の後梁国とは無関係のため対象外。
立后回数
岿の嗣位元年に祖母龔太后を太皇太后、嫡母王皇后を皇太后、生母曹貴嬪を皇太妃に尊んだ記事はあるが、いずれも岿自身の皇后の冊立ではない。岿自身の皇后について、周書・隋書いずれの伝にも立后の記載は見られなかった(娘を隋の晋王妃に嫁がせた記事はあるが、これは岿の皇后冊立ではない)。
皇太子廃立回数
岿の在位中に皇太子(琮)が廃立されたという記載はなく、琮は岿の崩御後に順当に嗣位している。廃立に関する記述は見当たらなかった。
親征回数
周書巻48蕭詧・岿伝、隋書巻79外戚(蕭巋)伝を通読。岿の在位中(562年2月〜585年5月)、対陳戦(華皎の帰附に伴う出兵・江陵防衛戦・章陵青泥の戦い等)はいずれも大将軍王操・許世武・馬武・吉彻ら、あるいは北周側の衛公直・田弘・高琳・陸騰・尉遅哲らが指揮しており、岿自身が軍を率いて出陣した記述は無い。陳将吴明彻の江陵侵攻時も岿は『出顿纪南以避其锐』(紀南に退避)としており親征ではない。隋書所収の岿の臨終上奏文にも『每愿躬擐甲胄、身先士卒、扫荡逋寇』(常々自ら甲冑を着け士卒の先頭に立ちたいと願っていた)とあり、実際にはその機会がなかったことが明記されている。対陳戦は指示により対外戦争として除外対象でもある。
反乱鎮圧回数
在位期間中、後梁(西梁)国内で服属していた臣下・将軍・宗室による反乱・離反の記述は周書・隋書いずれにも見当たらない。陳の湘州刺史華皎・巴州刺史戴僧朔の来附は岿への服属であり反乱ではない。北周の尉遅迥・王謙・司馬消難の挙兵(580年)に際し岿配下の将帥が連衡を進言したが岿自身がこれを退けたのみで、岿自身が挙兵主体ではなく岿に対する反乱でもないため計上しない。該当記事なしと判断。
被反乱回数
在位期間中、岿自身に対する家臣・将軍・宗室による武力を伴う離反・弑逆・クーデターの記述は確認できなかった。子の琮の代(岿の死後)に至り、叔父の蕭岩・弟の蕭瓛が崔弘度の軍を恐れて陳へ出奔し後梁が滅亡する事件が起きるが、これは岿の没後の出来事であり岿自身の被反乱には該当しない。該当記事なしと判断。
遷都回数
北史蕭詧・蕭巋・蕭琮列伝を通読。後梁(西梁)は宣帝期に確立した江陵が587年の隋による廃止まで一貫した都、遷都の記録なし。
即位時年齢・没年齢
在位23年・没年齢44歳は周書・隋書双方に「岿在位二十三載、年四十四」等と直接記載。生年・即位時年齢の直接記載はなし。
在位中の出来事(1件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
改元562年2月父・蕭詧の薨去を受けて岿が嗣位し、「年号天保」と改元(建元)。
父・蕭詧の薨去を受けて岿が嗣位し、「年号天保」と改元(建元)。『周書』:「高祖又命其太子岿嗣位,年號天保」。『隋書』:「詧薨,岿嗣位,年號天保」。即位に伴う最初の建元として1回とカウント。
出典: 周書巻四十八列傳第四十(蕭詧・蕭巋伝)/隋書巻七十九列傳第四十四外戚(蕭巋伝)