慕容盛は後燕の慕容宝の庶長子正妻以外の女性が産んだ子のうち最年長の子で、398年に父を殺した蘭汗を討って位に即いた。
昭武帝の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 398年〜400年
- 没年
- 401年9月29歳(数え年)長生き順同率195位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 簒奪前の皇帝を退けて、自ら位を奪った即位。帝号を新たに称した先の君主から皇帝の号を継いだのではなく、自分の代で新たに皇帝を名乗った(王などの位から皇帝になった場合を含む)。
- 先代
- 恵愍帝後燕昭武帝は恵愍帝の子
- 次代
- 昭文帝後燕昭文帝は昭武帝の叔父
- 呼び名
- 姓慕容諱盛字道運廟号中宗呼び名の見方
出典
- 在位
- 晋書 巻一百二十四 載記第二十四(慕容盛)
- 死因
- 晉書/卷124
- 即位経路
- 晉書/卷124
生涯
どんな皇帝か
晋書の載記晋書で、晋とは別に国を建てた君主たちの記録は、父の優柔を教訓に刑罰を厳しくしたため、親族も離れて禍を免れなかったと評する。
即位まで
慕容宝の庶長子である。若いころ、尊号たたえて贈る呼び名や、皇帝など君主の位の称号を称した慕容沖を、才も人並みなのに驕っていて覆るだろうと叔父に言い、まもなく慕容沖は殺された。東の慕容垂のもとへ帰る途中、陝で盗賊に遭うと、百歩先に立てさせた箭を一発で射当て、物資を与えられて送り出された。慕容垂に西方の事情を問われると地面に地図を描いてみせ、長楽公に封じられた。父の代には段速骨の乱で父を護り、しばしば奇策を進めたが、父は従えず、たびたび敗れた。398年、父が蘭汗に殺されると、張真の諫めを退けて、妃の父でもある蘭汗のもとへ弔問に赴いた。蘭汗の外孫の慕容奇とひそかに謀って外で兵を挙げさせると、蘭汗は蘭穆に説かれて殺そうとしたが、慕容盛は妃の知らせで病が重いと偽り、難を逃れた。蘭汗と子の蘭穆が酔った夜、厠に立つのに乗じて垣を越え、李旱らと蘭穆を殺すと、兵たちがわき立って蘭汗を斬った。すぐには尊号を称さず長楽王として称制位につかないまま君主として命令を出すことし、叛いた慕容奇を破ったのち、皇帝の位に即いた。
史料について
捕らえた慕容奇に、資治通鑑は死を賜ったと書き、晋書の載記は連れ帰ったとだけ書く。
治世と最期
罪人は十日に一度自ら裁き、鞭打ちを用いなかったが、獄の実情をよくつかんだ。399年、遼西太守郡を治める長官の李朗が疑われて召しに応じず、魏軍を引き入れつつ兵を求めて上表すると、偽りと見抜いて一族を滅ぼした。慕容盛が衛双を殺したと聞いて逃げた李旱が、戻って罪に服すと、先帝の難での功を挙げて赦した。やがて皇帝の号を去り、庶人大王と称した。
400年には高句麗を伐って新城・南蘇を落とした。同じ年、連座罪人の家族や関係者まで一緒に罰せられることして逃げたが戻って罪に服した太后の甥の段璣も赦し、公主皇帝の娘を娶らせた。宴で年少の丁信が、上にあって驕らないことが願いだと言った。慕容盛が威厳で下を御し、驕暴で猜疑が多かったからである。
左将軍慕容国らの謀反が発覚して五百余人が殺されたのち、401年、段璣らが夜に禁中皇帝の住む宮中の奥で騒いだ。慕容盛は出て戦って賊を潰えさせたが、暗がりから一人の賊に撃たれて傷を負い、まもなく死んだ。
史料について
号を、資治通鑑は庶人天王、十六国春秋の別伝は庶民天王天子や君主。十六国や北周で皇帝の代わりに用いた称号とする。段璣を赦した経緯は資治通鑑と十六国春秋にあり、晋書の載記には無い。晋書の安帝紀は段璣が殺したと書くが、資治通鑑と十六国春秋は、段璣はその前に傷を負って隠れていたとする。確かめた書には、撃った賊の名が無い。
昭武帝とつながる皇帝

勢力図
五胡十六国の勢力図で見る
398–400年の地図に、昭武帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱3・親征3・改元1・大赦2
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。398年
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。398年慕容奇(丁零嚴生・
烏丸王龍之ら反乱勢力) - 反乱398年慕容奇の乱
- 改元399年元号を「長楽」とする
- 反乱399年李朗(遼西太守)の叛乱
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。400年3月26日〜400年3月高句麗
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。401年庫莫奚
- 反乱401年段璣・
秦興・ 段泰らのクーデター(盛弑逆) - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
後燕の歴代皇帝
歴代7人の一覧- 第1代成武帝386–396年病死
- 第2代恵愍帝396–398年暗殺
- 第3代慕容詳397年処刑
- 第4代慕容麟397–398年自害
- 第5代蘭汗皇帝を名乗っていない398年
- 第6代昭武帝398–400年暗殺
- 第7代昭文帝401–407年処刑
年表
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