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恵帝の肖像画

西晋第2・4代

恵帝司馬衷

在位 290–301年 / 301–306年(復位)(16年121日)

日本は古墳時代

即位の前から政務の力を疑われ、在位中は皇后の賈氏とが相次いで実権を争い、内乱が続いた西晋の皇帝である。

恵帝の人物データ

生年
不詳年齢は史書に記された年齢から数えた
在位
  • 1度目290年5月16日〜301年2月3日
  • 復位301年5月30日〜307年1月8日 306年11月18日まで
16年121日長い順74位/365人32歳で即位(数え年)
没年
307年1月8日( 306年11月18日)48歳(数え年)長生き順同率88位/266人
死因
同じ死因17人/365人
即位経路
のちに復位
先代
  • 武帝司馬炎西晋恵帝は武帝の子
  • 司馬倫西晋復位による継承
次代
  • 司馬倫西晋司馬倫は恵帝の同族(遠縁)
  • 懐帝西晋懐帝は恵帝の弟
呼び名
姓司馬諱衷字正度呼び名の見方
目立つ記録
  • 改元 11回多い順同率3位
  • 大赦 23回多い順3位
  • 皇后を立てた 5回多い順同率2位
  • 皇太子を廃した 4回多い順1位

出典

在位
晋書 巻四 恵帝紀
死因
晉書 帝紀第四 孝惠帝
即位経路
晉書 帝紀第四 孝惠帝

生涯

どんな皇帝か

晋書のは、権力は帝から出ず政治は小人に近づいたとし、武帝はその子を知らなかったのかと結ぶ。

即位まで

武帝と、のちの皇后楊艶の子で、267年に皇太子に立てられた。武帝が太子はを継ぐに堪えないと語ると、楊皇后は嫡子は年長で立てるものだと答え、和嶠が家事を果たせないおそれを説いても、武帝は黙っていた。それより前、太子妃には武帝が衛瓘の娘を考えたが、賈充の妻から賄賂を受けた楊皇后が賈氏を推して決まった。武帝がにの案件を決裁させたとき、太子は答えられず、賈妃は張泓に草稿を作らせて太子に書き写させ、太子は地位を保った。290年に武帝が没したその日に即位し、賈妃を皇后とした。

治世と最期

翌年にの楊駿が誅されると、賈后は詔を偽って楊駿の娘の皇太后楊芷を廃し、楚王瑋に汝南王亮と衛瓘を殺させた。皇太子遹が廃されると、賈后は詔を偽って遹を殺したが、まもなく趙王倫らに廃された。

301年には趙王倫が帝位を奪って恵帝をとし、斉王冏らの挙兵後に倫の党が斬られると、恵帝はその日に位に戻り、謝罪する群臣に諸卿の過ちではないと言った。304年、成都王穎の討伐に奉じられて出陣し、蕩陰で敗れて頬を傷つけを失い、そばで殺された嵇紹の血が衣に飛ぶと、のちにこれは嵇侍中の血だから落とすなと言った。同じ年に張方がに車で乗り入れると竹林へ逃げたが、長安へ連れ去られた。飢えた民について、なぜ肉粥を食べないのかと言った話や、蛙の声が官のものか私のものかと尋ねた話を、晋書は載せる。

306年、東海王越の将が河間王顒の軍を破り、恵帝は牛車で洛陽へ戻ったが、同じ年の暮れに顕陽殿で没した。晋書のは餅を食べて中毒したとし、越が毒を盛ったともいうと併せて書き、資治通鑑は中毒だけを記して胡三省の注が毒殺説を添える。

恵帝とつながる皇帝

五胡十六国の勢力図(300年)

勢力図

五胡十六国の勢力図で見る

300–306年の地図に、恵帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱11・親征1・皇后5・皇太子4・改元11・大赦23
  1. 改元290年5月16日元号を「永熙」とする
  2. 290年5月16日武帝崩御当日、皇太子即位に伴い大赦(改元も同時)。
  3. 皇后290年5月16日武帝崩御・恵帝即位と同日に、妃賈氏を皇后に冊立。
  4. 改元291年元号を「永平」とする
  5. 改元291年元号を「元康」とする
  6. 291年太傅楊駿誅殺後、大赦(改元も同時、元康に改元)。
  7. 292年
  8. 反乱294年郝散の乱
  9. 296年
  10. 反乱296–299年元康氐羌の乱(度元・斉万年の乱)
  11. 298年
  12. 反乱299年鄴の妖言蜂起
  13. 改元300年元号を「永康」とする
  14. 300年大赦(改元も同時、永康に改元)。
  15. 300年趙王倫が矯詔(偽の詔)により大赦を行い自ら相国となる。
  16. 300年皇后羊氏冊立に伴い大赦、大酺三日。
  17. 皇后300年賈皇后が同年4月に廃后・誅殺された後、羊氏を皇后に冊立。
  18. 皇太子300年皇太子遹(実子、広陵王として立てられていた)を廃して庶人とし、その三子も金墉城に幽閉。
  19. 反乱300–301年趙廞の反乱
  20. 改元301年6月1日元号を「永寧」とする
  21. 301年6月1日趙王倫簒位を齊王冏らが討ち恵帝復位(辛酉/4月7日)の直後に大赦(改元も同時、永寧に改元)。
  22. 301年8月5日大赦、吏位を二等進める。
  23. 301年10月
  24. 反乱301年12月李特・李雄の蜀反乱(成漢建国)
  25. 302年齊王冏誅殺後に大赦(改元も同時、太安に改元)。
  26. 改元303年元号を「太安」とする
  27. 303年牽秀を撃破し進軍した際に大赦。
  28. 反乱303–304年張昌の乱
  29. 改元304年元号を「永安」とする
  30. 改元304年元号を「建武」とする
  31. 改元304年帝が張方により長安へ連行される中、洛陽に残された留台が改元(永安に復す)。
  32. 304年東海王越が長沙王乂を捕える直後に大赦。
  33. 304年成都王穎の進言により大赦(改元も同時、永安に改元)。
  34. 304年成都王穎を皇太弟とする詔に伴い大赦、鰥寡高年に帛を賜う。
  35. 304年大赦、皇后羊氏及び皇太子覃を復位。
  36. 304年蕩陰の戦い後、鄴到着直後に大赦(改元も同時、建武に改元)。
  37. 304年張方に迎えられた際に大赦、従者に恩賞。
  38. 304年洛陽の留台による大赦(改元も同時、永安に復す)。
  39. 皇后304年同年2月に廃后されていた羊皇后を復位(再冊立)。
  40. 皇后304年留台による大赦・改元(丙午)の後、辛丑に羊皇后を再度復位(再冊立)。
  41. 皇太子304年成都王穎の圧力下、皇太子覃(清河王遐の子)を廃し清河王に戻す。
  42. 皇太子304年張方が洛陽に再入城し、7月に復位したばかりの皇太子覃を再度廃する。
  43. 304年成都王穎(蕩陰の戦い)
  44. 反乱304–306年恵帝長安拉致・幽閉事件
  45. 反乱304年劉元海(前趙)の反乱
  46. 改元305年元号を「永興」とする
  47. 305年詔により大赦(改元も同時、永興に改元)。
  48. 305年
  49. 皇太子305年皇太子を廃する
  50. 反乱305年公師籓の乱
  51. 改元306年元号を「光熙」とする
  52. 306年長安から洛陽に帰還後、大赦(改元も同時、光熙に改元)。
  53. 皇后306年長安から洛陽帰還後、羊皇后を復位(再冊立)。
  54. 反乱306年劉柏根の乱
  55. 反乱306年陳敏の反乱

西晋の歴代皇帝

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