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武帝の肖像画

西晋第1代

武帝司馬炎

在位 265–290年(24年97日)266年2月8日 〜 290年5月16日 ( 265年12月17日から)

日本は古墳時代

魏から禅りを受けて西晋を開き、呉を滅ぼして天下を一つにしたが、大任に堪えない太子を廃さずに後を託した皇帝である。

武帝の人物データ

生年
不詳年齢は史書に記された年齢から数えた
在位
  • 266年2月8日〜290年5月16日 265年12月17日から
24年97日長い順40位/365人即位の年齢は不詳
没年
290年5月16日55歳(数え年)長生き順同率56位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
(易姓)
先代
  • 元帝魏武帝と元帝に血縁はない
次代
  • 恵帝西晋恵帝は武帝の子
呼び名
姓司馬諱炎字安世廟号世祖呼び名の見方

出典

在位
晋書 巻三 武帝紀
死因
晉書 帝紀第三 世祖武帝
即位経路
晉書 帝紀第三 世祖武帝

生涯

どんな皇帝か

は、寛大で度量が大きく、直言を受け入れて人に顔色を変えなかったと記す。巻末の制は寛大さを称えつつ、劉淵を除かずに天下を乱し、恵帝を廃さずに国の基を傾けたと批判する。

即位まで

司馬昭の長子で、字を安世という。父は炎の弟の攸に心を寄せていたが、何曾らが強く争って炎がに決まった。265年に晋王太子となり、同じ年に父が没すると晋王を継いだ。同じ年の暮れ、魏の天子から位を譲られてした。

治世と最期

269年、誹謗した者を役人が死罪にと求めると、朕の過ちだと言って許した。272年には、自分と言い争った臣の処罰を求めた者を逆に免官した。太子の妃には衛瓘の娘を望み、賈充の娘は嫉妬深いなど五つの不可があると言ったが、楊皇后が固く請い、重臣も推したので、272年に賈充の娘が太子妃となった。274年、楊皇后は臨終に武帝の膝を枕にして、叔父楊駿の娘を後宮にと願い、武帝は泣いて許した。

279年に二十余万の兵で呉を伐ち、翌280年に王濬の水軍が石頭に至ると、孫晧は降った。呉を平らげたのちは孫晧の数千を加え、後宮は一万人近くになった。羊の引く車に乗り、羊が止まった所で夜を過ごした。自分を漢のどの皇帝に比べるかと問うと、劉毅は桓帝・霊帝になぞらえ、彼らはの銭を官庫に入れたが陛下は私門に入れると答えた。武帝は大笑いし、今は直臣がいるのが違うと言った。

晩年は、太子を廃さないまま弟の攸を遠ざけ、後事を託す詔も楊氏に握られた。恵帝が太子だったころの宴で、衛瓘が酔ったふりをして武帝の座を撫で、この座が惜しいと太子のをほのめかしたが、武帝は悟りつつ、本当に酔ったのかとはぐらかした。晩年、朝臣が弟の攸に心を寄せると、荀勖らの説を信じて282年に攸を国へ出し、医師たちは意を迎えて病は無いと言った。攸は血を吐いて没し、武帝は激しく泣いたが、の福と言われて泣きやんだ。病が一時軽くなると汝南王亮にさせる詔が出たが、楊駿が伏せた。再び意識が乱れると、駿の娘の皇后が、駿を輔政とする詔を作った。290年に含章殿で没し、は世祖とされた。

史料について

太子妃が決まった経緯は恵賈皇后伝による。楊皇后の伝は、皇后がひそかに荀顗に進言させたためと書き、荀勖の名を挙げない。晋書の本紀の総括は、呉を平らげて天下が安んじると政務を怠り、遊宴にふけって皇后の一族を寵愛したと記し、太子が大任に堪えないと知りながら皇孫の聡明さを恃んで廃さなかったとする。輔政の詔の件は、のちの乱がここに始まったと結ぶ。

武帝とつながる皇帝

三国の勢力図(265年)

勢力図

三国の勢力図で見る

265–280年の地図に、武帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱8・皇后2・改元4・大赦9
  1. 改元266年2月8日( 265年12月17日)元号を「泰始」とする
  2. 266年2月8日( 265年12月17日)
  3. 皇后266年3月20日皇后を立てる
  4. 268年
  5. 反乱270–279年樹機能(河西鮮卑・秦涼諸胡)の乱
  6. 反乱271–272年匈奴帥劉猛の離反
  7. 272年
  8. 反乱272年益州牙門張弘の刺史殺害・謀反
  9. 改元275年元号を「咸寧」とする
  10. 275年
  11. 反乱275年西域叛鮮卑の反乱
  12. 276年
  13. 皇后276年皇后を立てる
  14. 反乱277年呉故将莞恭・帛奉の挙兵
  15. 改元280年元号を「太康」とする
  16. 280年
  17. 285年
  18. 反乱287年南康の李豊の反乱
  19. 反乱287年海安の蕭輔の反乱
  20. 反乱287年呉興の蔣迪の反乱
  21. 289年
  22. 改元290年1月28日元号を「太熙」とする
  23. 日付不詳

西晋の歴代皇帝

歴代5人の一覧

年表

晋の時代を年表で見る

西晋が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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