北斉擁立政権・天成
梁・南北朝|在位 555年
- 諱(本名)
- 蕭淵明
- 在位
- 555年
- 在位期間
- 120日365名中337位タイ
- 即位経路
- 擁立
- 死因
- 病死
- 即位時年齢
- 不詳
- 没年齢
- 不詳
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 1回267名中194位タイ
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 1回289名中203位タイ
- 遷都
- 0回
順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。
即位の経緯
東魏・北斉に抑留されていたが555年、北斉文宣帝が送還。「僧辯納貞陽侯蕭明…甲辰入建鄴丙午即偽位」(南史卷8)。北斉と国内実力者(王僧辯)の合意による擁立。
出典: 南史 卷八 梁本紀下補記: 南史 卷八
死因の経緯
555年北斉支援で即位、廃位後は太傅・建安公に降格。「太傅建安公蕭明薨」(南史卷8、556年)。北斉が送還を要求していた微妙なタイミングでの死だが暗殺・処刑を示唆する記述は見当たらず病死に分類。
出典: 南史 卷八 梁本紀下補記: 南史 卷八
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
即位に伴い「承聖四年」を「天成元年」と改元した一度のみ。在位期間が短く(承聖四年七月即位~九月に陳霸先により廃位)、再改元は行われていない。
大赦回数
即位時に一度のみ「大赦境内」が明記される。在位が4ヶ月弱と極めて短く、その後は廃位(王僧辩誅殺・晋安王方智擁立)までの間に追加の大赦記事は見られない。
立后回数
蕭淵明(貞陽侯明)の在位中、皇后冊立の記事は見られない。列伝には彼に章・于・王・阮の四人の妾(側室)がいたことが記されるのみで、皇后は確認できない。
皇太子廃立回数
蕭淵明は即位に伴い晋安王方智(のちの敬帝)を皇太子に立てたが、これは新規の立太子であり廃立ではない。先代の皇太子(愍懐太子方矩・元良)は承聖三年十一月の江陵陥落時に西魏軍により殺害されており、蕭淵明の在位中に皇太子を廃した事実は見られない。
親征回数
在位期間(0555-07-01~0555-10-29、七月丙午即位~九月甲辰廃位)中、蕭淵明自身が軍を率いて出征した記述は南史卷八・梁書卷六(敬帝紀)いずれにも見られない。即位前の三月、北斉の上党王高渙が蕭淵明を護送して東関で梁の裴之横と交戦し勝利した記事があるが、これは北斉将軍高渙の軍事行動であり蕭淵明本人が「自将」「親征」した記述はなく、かつ即位(在位開始)前の出来事のため対象外。
反乱鎮圧回数
在位期間中(555年七月~九月)、蕭淵明政権側が反乱を鎮圧した記事は南史卷八・梁書卷六に見られない。該当記事なし。
被反乱回数
在位期間中の被反乱イベントは陳霸先による王僧辯襲殺・蕭淵明廃位のクーデター1件のみ。南史卷八・梁書卷六敬帝紀の記述が一致しており確度は高い。
遷都回数
梁書本紀・南史を通読。建康定都(建国時の定都)から侯景の乱期を含め遷都の記録なし(承聖元年の江陵遷都は元帝の代の出来事として計上済み)。
即位時年齢・没年齢
梁書卷六(敬帝紀)・南史卷八(梁本紀下)・南史卷五十一(蕭淵明伝、白話版含む)・北齊書・魏書の関連記事を確認したが、蕭淵明(貞陽侯蕭明)の生年月日・即位時年齢・享年(没年齢)を示す直接記載(「時年」「享年」等)は見当たらなかった。死亡記事も「太傅建安公蕭明薨」(南史・梁書とも)、南史列伝でも「疽發背死」とあるのみで年齢の記載なし。没日は0556-06-02(南史・梁書とも五月癸未)で既存データと整合。accessionAge/deathAgeともnullとし、判明しない旨をnoteに明記して確定する。
在位中の出来事(3件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
被反乱555年10月29日陳霸先による王僧辯襲殺・蕭淵明廃位のクーデター
首謀者: 陳霸先
結果: 陳霸先(司空)が挙兵して王僧辯を急襲・殺害し、蕭淵明を廃位(黜)。2日後の丙午(0555-11-01)に晋安王蕭方智(敬帝)が擁立され即位した。蕭淵明本人は殺害されず、事後は太傅・建安公に降封されたが翌年(556年)病死。
例外4(権臣が兵力を用いて皇帝を廃位に追い込むクーデター)に該当すると判断。南史卷八「司空陳霸先襲殺王僧辯,黜蕭明而奉帝焉」、梁書卷六敬帝紀「九月甲辰,司空陳霸先擧義,襲殺王僧辯,黜蕭淵明。丙午,帝即皇帝位」に基づく。鎮圧の主体は皇帝側(蕭淵明側)ではなく陳霸先という権臣側であるため、反乱鎮圧回数(rebellionSuppressionCount)には計上しない。日付は蕭淵明の在位終了日(0555-10-29、既存データセットのreigns.endDateと同一の暦換算値)と一致させた。
改元日付不詳貞陽侯蕭淵明(蕭明)即位、承聖四年を改めて天成元年とする建元(改元)。
貞陽侯蕭淵明(蕭明)即位、承聖四年を改めて天成元年とする建元(改元)。南史巻八では七月丙午の記事として即位・改元・立太子が記される。
出典: 南史巻八 梁本紀下第八
大赦日付不詳貞陽侯蕭淵明(蕭明)が即位し、承聖四年を天成元年と改めた際に「大赦境内」(国内に大赦)を行った。
貞陽侯蕭淵明(蕭明)が即位し、承聖四年を天成元年と改めた際に「大赦境内」(国内に大赦)を行った。南史巻八では「丙午(七月)」に即位・改元とあり、列伝では即位・改元・大赦を同じ記事内で連続して記す。
出典: 南史巻五十一 列伝第四十一(蕭明伝)