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文帝の肖像画

宋・南北朝第3代

文帝劉義隆

在位 424–453年(28年180日)424年9月17日 〜 453年3月16日

日本は古墳時代

劉義隆は劉宋の武帝の第3子で、兄の少帝が廃されると迎えられて即位したが、北伐ではたびたび敗れ、最後は太子劉劭の変で殺された。

文帝の人物データ

生年
407年
在位
  • 424年9月17日〜453年3月16日
28年180日長い順28位/365人即位の年齢は不詳
没年
453年3月16日47歳(数え年)長生き順同率92位/266人
死因
同じ死因92人/365人
即位経路
先代
  • 少帝宋・南北朝文帝は少帝の弟
次代
  • 元凶劭宋・南北朝元凶劭は文帝の子
呼び名
姓劉諱義隆幼名車児廟号太祖呼び名の見方

出典

在位
宋書 本紀第五 文帝紀
死因
宋書/卷99 列伝 二凶(劉劭)/宋書/卷05 本紀第五 文帝
即位経路
宋書/卷05 本紀第五 文帝

生涯

どんな皇帝か

宋書のは、元嘉は後世に盛世の名とされると評しつつ、遠くから兵略を指図して敵を招き国境を縮めたと批判する。

即位まで

407年に生まれた。生母の胡は409年に死を賜り、即位後に章皇太后と尊ばれた。424年に兄の少帝が廃されて殺されると、徐羨之らに迎えられた。文帝も周囲も疑って下るのをためらったが、王曇首らに重ねて説かれて建康に入り、即位した。

史料について

南史の文帝紀は、疑う周囲を文帝が退けたとする。

治世と最期

425年にを始め、426年には徐羨之と傅亮を誅し、自ら西へ向かった。謝晦の軍は崩れ、謝晦は延頭でもとの部下に捕らえられた。430年の北伐は、到彦之が滑台から逃げ帰って失敗した。倹約で、壊れていない輦の作り替えや紫皮への張り替えを許さなかった。袁皇后を厚く遇したが実家への援助は少額で、潘淑妃を介すると30万銭をすぐ出したので、皇后は恨んで会わなくなった。436年、文帝の病がぶり返すと、檀道済が召し戻されて子らとともに誅された。捕らえられた道済は、汝の万里の長城を壊すのかと言った。440年に外へ出した弟の彭城王義康について、姉の会稽が命乞いをすると、文帝は泣いて蒋山を指し、父の陵にかけて誓った。

王玄謨の策を聞くと狼居胥山でしたくなると語った。450年には劉劭らの諫めを退けて北伐させたが敗れ、その年の暮れに魏軍が瓜歩に迫った。石頭城に登った文帝は、北伐は自分の意思だと言って、江湛と徐湛之を斬れという劉劭の求めを退けた。魏軍が迫るなか、文帝は義康を担いで乱を起こす者が出るのを恐れ、のちの孝武帝や劉劭らも処置を求めたので、451年に死を賜った。薬を拒んだ義康は夜具で覆われて殺された。

劉劭と劉濬のが発覚してもを決めかね、後世に弟は裁けても子は裁けないと言われますと王僧綽に言われて黙った。453年、劉劭を廃する計画を潘淑妃に話すと劉劭に漏れ、劉劭の兵の張超之に殺された。

史料について

謝晦との戦いを、は到彦之と檀道済が大破したとし、檀道済伝は到彦之が敗れ、道済が着くと謝晦の軍が戦わずに崩れたとする。檀道済を召した者を宋書は書かず、南史は義康が詔を偽ったとする。宋書の文帝紀は崩御の場所と年齢だけを書き、殺害を書かない。南史と資治通鑑は、文帝が几で防いで指を落とされたとする。

文帝とつながる皇帝

南北朝の勢力図(424年)

勢力図

南北朝の勢力図で見る

424–453年の地図に、文帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱11・親征1・皇后1・改元1・大赦17
  1. 改元424年9月17日元号を「元嘉」とする
  2. 424年9月17日
  3. 426年荊州刺史謝晦
  4. 反乱426年謝晦の乱
  5. 反乱432年妖賊趙広の乱(益州)
  6. 反乱433–434年氐楊難当の漢川侵寇(第一次)
  7. 反乱434年亡命馬大玄の乱
  8. 反乱435年蜀郡賊張尋の乱
  9. 反乱441年晋寧太守公爨松子の反乱
  10. 反乱441–442年氐楊難当の漢川侵寇(第二次)
  11. 反乱446年掲陽赭賊の乱
  12. 反乱447年豫章胡誕世の反乱
  13. 反乱451年亡命司馬順則の斉王僭称
  14. 反乱453年3月16日皇太子劉劭による弑逆(巫蠱事件を発端とするクーデター)
  15. 日付不詳
  16. 日付不詳
  17. 日付不詳
  18. 日付不詳
  19. 日付不詳
  20. 日付不詳
  21. 日付不詳
  22. 日付不詳
  23. 日付不詳
  24. 日付不詳
  25. 日付不詳
  26. 日付不詳
  27. 日付不詳
  28. 日付不詳
  29. 日付不詳
  30. 日付不詳
  31. 皇后日付不詳皇后を立てる

宋・南北朝の歴代皇帝

歴代8人の一覧

年表

南北朝の時代を年表で見る

宋・南北朝が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

即位経路が「擁立」の97名をデータベースで見る

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