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洪武帝の肖像画

明第1代

洪武帝朱元璋

在位 1368–1398年(30年152日)1368年1月23日 〜 1398年6月24日

日本は室町時代

庶民から身を起こし、僧から皇帝となって明を建てた皇帝である。

洪武帝の人物データ

生年
1328年
在位
  • 呉王1364年〜1368年
  • 皇帝1368年1月23日〜1398年6月24日
30年152日長い順24位/365人37歳で呉王・41歳で皇帝(数え年)
没年
1398年6月24日71歳(数え年)長生き順同率9位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
—
次代
呼び名
姓朱諱元璋字国瑞廟号太祖諡号高皇帝元号洪武呼び名の見方
目立つ記録
  • 反乱を起こされた 35回多い順5位

出典

在位
明史 本紀第二・第三 太祖二・太祖三
死因
明史 本紀第三(太祖三)
即位経路
明史 本紀第一・第二(太祖一・二)

生涯

どんな皇帝か

明史は、元の政治のゆるみに懲りて厳しく治めた一方、老いた学者を礼をもって招き、を政治に関わらせず、晩年はいっそう民を気遣ったと評する。

即位まで

1344年、ひでりと蝗、疫病で父母と兄を亡くし、頼る者もなく寺に入って僧となった。1352年に郭子興の軍に加わり、子興の養女の馬氏を妻にした。子興に疑われて食べ物に困ったときは、馬氏が焼いた餅を懐に入れて届け、肌が焼けただれた。1355年に子興が亡くなると、韓林児が授けたの職を、人に制されたくないと受けず、林児の年号だけは用いた。長江を渡って采石・太平を取り、子興の子の郭天叙と張天祐が戦死すると、部将はみな朱元璋に従った。方国珍が金玉の鞍を献じると、いま要るのは人材と穀物で宝物ではないと退け、宮殿の図からも華美な飾りを除かせた。1363年に鄱陽湖で陳友諒を破り、1367年には徐達が張士誠を捕らえた。1368年、で天地を祀って皇帝の位に即き、国号を明、元号を洪武とした。

治世と最期

のちに群臣に、張士誠は富を、陳友諒は強さを頼んだが、自分は頼むものも無く、人を殺すのを好まず信義と倹約を守ったと語った。皇后となった馬氏は、朝廷で怒った帝を宮中に戻ってから穏やかに諫め、帝は后のために刑罰をゆるめたことが何度もあった。1382年に后が亡くなると激しく泣き、その後は皇后を立てなかった。

1380年に謀反の罪での胡惟庸を誅して丞相の官そのものを廃し、その後は建国の功臣を次々に誅した。1390年には李善長に死を命じ、1393年には藍玉を謀反の罪で誅し、その後も傅友徳・馮勝らが続けて誅された。宋濂の酒席をひそかに見張らせ、翌日問いただして正直に答えると、朕を欺かないと笑い、仕えて19年一言の偽りも無いとほめたこともあるが、孫が胡惟庸の事件にすると死罪にしようとし、皇后と太子が懸命に救った。詩で風刺した高啓を恨んでいたところ、高啓の作った上梁文を見て怒り、にした。1395年には、自ら用いた法の外の刑は常の法ではないとして、後継ぎに入れ墨や鼻そぎなどの刑を禁じ、丞相を再び置くことも禁じた。

1392年に皇太子の朱標が亡くなり、孫の允炆をに立てた。1398年に西宮で亡くなり、遺言で皇太孫の允炆に位を継がせた。

史料について

上奏文の文字を当てこすりと見て作者を処刑したという話は、明史に無い。通説で処刑されたとされる徐一夔も、明史では足の病で官を辞して帰されている。ただし、上奏文の誤りに坐して獄死した蘇伯衡の話は載る。

洪武帝とつながる皇帝

元末の勢力図(1368年)

勢力図

元末の勢力図で見る

1368–1387年の地図に、洪武帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱35・皇后1・改元1・大赦3
  1. 改元1368年1月23日元号を「洪武」とする
  2. 皇后1368年1月23日即位と同日に馬氏を皇后に冊立。
  3. 反乱1369年慶陽張良臣の反乱
  4. 反乱1370年慈利土官覃垕の乱
  5. 反乱1377年威茂蛮の反乱
  6. 反乱1378年五開蛮の反乱(第一次)
  7. 反乱1379年洮州十八族番の反乱(第一次)
  8. 反乱1379年松州蛮の反乱
  9. 反乱1379年眉県賊の反乱
  10. 1380年
  11. 反乱1380年陽春蛮の反乱
  12. 1381年
  13. 反乱1381年五渓蛮の反乱
  14. 反乱1381年浙東山賊の反乱
  15. 反乱1381年広州海賊の反乱
  16. 反乱1383年龍泉山賊の反乱
  17. 1384年
  18. 反乱1385年思州蛮の反乱
  19. 反乱1385年五開蛮の反乱(第二次)
  20. 反乱1385–1389年麓川思倫發の反乱(第一次)
  21. 反乱1388年東川蛮の反乱
  22. 反乱1388–1395年越州蛮阿資の反乱
  23. 反乱1389年九渓蛮(夏得忠)の反乱
  24. 反乱1390年貴州蛮の反乱
  25. 反乱1390年贛州賊の反乱
  26. 反乱1390年西番の反乱
  27. 反乱1390年施南・忠建蛮の反乱
  28. 反乱1391–1392年五開蛮の反乱(第三次)
  29. 反乱1392年都匀・畢節諸蛮の反乱
  30. 反乱1392年建昌衛月魯帖木児の反乱
  31. 反乱1394–1395年階・文軍乱
  32. 反乱1395年洮州叛番の反乱(第二次)
  33. 反乱1395年龍州趙宗壽の反乱
  34. 反乱1395年奉議・南丹蛮の反乱
  35. 反乱1396年郴・桂蛮の反乱
  36. 反乱1397年沔県盗(漢・沔)の反乱
  37. 反乱1397年水西蛮の反乱
  38. 反乱1397年3月〜1398年3月古州蛮の反乱
  39. 反乱1397年10月〜1398年5月麓川刀干孟の反乱(第二次)
  40. 反乱1398年3月麼些蛮の反乱

明の歴代皇帝

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年表

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