高帝
斉・南北朝|在位 479–482年

- 諱(本名)
- 蕭道成
- 廟号
- 太祖
- 在位
- 479–482年
- 在位期間
- 2年318日365名中228位
- 即位経路
- 建国
- 死因
- 病死
- 即位時年齢
- 不詳
- 没年齢
- 56歳(数え年)269名中・長寿順51位タイ
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 3回267名中121位タイ
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 0回
- 遷都
- 0回
順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。諡号:高帝
即位の経緯
宋順帝からの禅譲を受けて即位、王朝を開いた。直前に蒼梧王(廃帝)が側近に殺害される政変があり、道成はこれを経て実権を掌握した上で順帝を擁立し禅譲を受けた。王朝創始者のため「建国」に分類。
出典: 南齊書/卷1(高帝紀上)補記: zh.wikisource.org
死因の経緯
「壬戌,上崩于臨光殿,年五十六」(南齊書卷2 高帝紀下)。発病から崩御までの経過が追え、暴力・毒殺を示唆する語なし。
出典: 南齊書/卷2(高帝紀下)補記: zh.wikisource.org
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
斉建国に伴う建元(元号制定)1回のみ。以後、建元四年の崩御まで改元なし(次代武帝が永明に改元)。
大赦回数
『南齊書』高帝紀(卷一・卷二)より「大赦天下」「大赦」と明記された全国規模の恩赦のみを数えた。卷一の受禅前(相国齊公の時点)に見える「丁巳、下令赦國內殊死以下」は「大赦」の語を用いておらず、かつ即位前(劉宋末の政務)の措置のため除外。「曲赦交州部內李叔獻一人」(建元元年七月)は地域・対象限定の「曲赦」のため除外。「詔原京師囚繫有差」(建元四年二月)も京師限定の恩典で「大赦」の明記なしのため除外。
立后回数
在位中に皇后として正式に冊立された記事は見当たらない。建元元年五月丙寅「追尊皇考曰宣皇帝、皇妣為孝皇后、妃為昭皇后」とあるが、これは高帝の亡父母および先立って没していた正妃への追尊(追贈の称号)であり、在位中の生きた皇后を正式冊立する「立后」の儀とは異なるため計上しない。なお建元元年十一月辛亥「立皇太子妃裴氏」は皇太子(賾)の妃の冊立であり、高帝自身の皇后冊立ではない。
皇太子廃立回数
建元元年六月甲申「立皇太子賾」とあるが、これは立太子であり廃立ではない。以後、卷一・卷二を通じて皇太子(賾)の廃立に関する記事は見当たらない(賾は高帝崩御後にそのまま即位=武帝)。
親征回数
南斉書巻二(高帝紀下)建元元年(479年)四月即位から建元四年(482年)三月崩御までの記事を通読したが、皇帝本人が出陣したことを示す「帝自将」「親征」等の記述は見当たらない。在位中の軍事行動(建元二年の北魏の寿陽侵攻を垣崇祖が撃退、朐山侵攻を卢绍之が撃退、建元三年の淮陽での李安民らの北魏撃破)はいずれも将軍への派遣によるもので、皇帝本人の出陣ではない。該当記事なしのためcount 0。
反乱鎮圧回数
在位中(479-482年)に武装蜂起を示す「挙兵」「挙義」等の記述は見当たらない。唯一該当しうる事例として、建元元年五月辛酉「阴安公刘燮等伏诛」(南斉書巻二)があり、南史列伝(原文データベース内、宋書皇子伝该当箇所)には『齐受禅、燮降封阴安县公、谋反赐死』とある。刘燮は劉宋明帝の子で晋煕王として沈攸之の乱では朝廷側として寻阳を平定した人物だが、斉建国後に「謀反」の罪で処刑された。ただし挙兵・武力行使を示す記述が一切なく、単に「謀反」の嫌疑で処刑(伏诛)されたとする記述のみであり、新王朝が旧王朝(劉宋)の宗室を粛清する典型的な政治的処刑(未然の謀反容疑、実際の挙兵なし)である可能性が高い。ルール上「密告・摘発のみで終わった謀反計画」は鎮圧・被反乱いずれにも含めないため、本件はcountに含めなかった。北魏との寿陽・朐山方面の軍事衝突は対外戦争のため除外。
被反乱回数
在位中(479-482年)に皇帝本人への武力による反乱・クーデター未遂の記述は見当たらない。上記の阴安公刘燮の処刑(建元元年五月)についても、実際の挙兵・武力行使を示す記述がなく、旧王朝宗室に対する政治的粛清(謀反容疑での処刑)とみられるため、被反乱にも計上しなかった。崩御は病没(临光殿にて、年五十六、遘疾弥留による)であり、弑逆・クーデターによるものではない。
遷都回数
南斉書本紀を通読。建国(建康定都、建国時の定都)から502年の滅亡まで建康が一貫した都、遷都の記録なし。
即位時年齢・没年齢
生年(427年、元嘉四年)・没年齢56歳(「年五十六」)はいずれも直接記載。即位時年齢の直接記載は本紀中になし。
在位中の出来事(4件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
改元479年5月29日建元元年四月甲午、南郊にて皇帝に即位。
建元元年四月甲午、南郊にて皇帝に即位。同日の詔で「改升明三年為建元元年」とあり、宋の升明三年を建元元年に改元(斉建国改元)。
出典: 南齊書本紀卷二 高帝下
大赦479年5月29日建元元年四月甲午、即位の礼を終えた直後の詔に「可大赦天下。
建元元年四月甲午、即位の礼を終えた直後の詔に「可大赦天下。改升明三年為建元元年」とあり、建国改元と同日の大赦。
出典: 南齊書本紀卷二 高帝下
大赦480年1月建元二年春正月戊戌朔、「大赦天下」。
出典: 南齊書本紀卷二 高帝下
大赦481年6月建元三年六月壬子、「大赦」(逋租宿債、除減有差)。
出典: 南齊書本紀卷二 高帝下