
清の最後の皇帝である。
宣統帝の人物データ
- 生年
- 1906年2月7日
- 在位
- 1度目1908年12月2日〜1912年2月12日
- 復位1917年7月1日〜1917年7月12日
- 満洲国皇帝1934年3月1日〜1945年8月18日
- 没年
- 1967年10月17日62歳(数え年)長生き順同率31位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 即位経路
- 擁立同じ王朝の先代の跡を継いだが、誰を立てるかを決めたのは臣下・軍・宦官・外戚・皇太后・皇族など、先の皇帝以外だった即位。のちに復位
- 先代
- 光緒帝清宣統帝は光緒帝の甥
- 次代
- —
- 呼び名
- 姓愛新覚羅諱溥儀廟号恭宗元号宣統呼び名の見方
出典
- 在位(1度目)
- 清史稿 本紀二十五(宣統皇帝本紀)
- 在位(2度目)
- 清史稿 張勲伝(復辟の詔と日付「宣統九年五月十三日」まで。再退位は清史稿に記述なし・
正史範囲外)。川島真『近代国家への模索1894-1925』(岩波新書、2010年)および同時代の新聞(『新聞報』『北京日報』『時事新報』『神州日報』、1917年6-7月)・ 『政府公報』各号 - 満洲国皇帝の在位
- 『満洲国政府公報日訳』康徳元年三月分(第1号~第22号)JACAR Ref.A06031010800/アジア歴史資料センター(JACAR)「終戦80年 第6章:満洲」解説ページ(正史範囲外)
- 死因
- 近現代の学術的に信頼できる複数情報源(正史範囲外)
- 即位経路
- 清史稿 本紀二十五(宣統皇帝本紀)
生涯
どんな皇帝か
幼くして位に即き、辛亥革命で退位したあとも、1917年と満洲国とで二度皇帝の位に戻った。
即位まで
治世と最期
1911年、武昌で軍が革命天命が改まり、君主や王朝が入れ替わること派に付いて蜂起し、各省が次々に清からの独立を宣言した。袁世凱が総理大臣に就き、載灃は摂政を退いた。南京に中華民国の政府が立ち、1912年、光緒帝の皇后だった皇太后の名で共和制に移ることが告げられて、溥儀は退位した。政治の権限は手放すが皇帝の称号は残す、という条件だった。清史稿は、すぐに位を譲り、退位後の優遇を永く残すとしたことを、昔から例のない珍しいことだと評している。
清史稿の一部の版だけが載せる張勲伝によれば、1917年に軍人の張勲が兵を率いて北上し溥儀を皇帝に戻したが、多くの省は応じず、張勲は敗れてオランダの公使館に逃げ込んだ。1924年に退位の条件が改められて宮城を出ることになり、翌年に天津へ移った。1932年に満洲国の執政となり、1934年に皇帝に即位して元号を康徳とした。1945年、日本の敗戦で満洲国が崩れると退位し、ソ連に抑留されたのち中国へ引き渡され、戦犯管理所を経て釈放された。
1966年に腎臓の癌が見つかり、翌年に腎不全で亡くなった。清史稿の本紀は退位で終わり、満洲国からあとのことは清史稿に無い。このサイトはそこから先を近代の記録によっている。
宣統帝とつながる皇帝

勢力図
清の勢力図で見る
1908–1911年の地図に、宣統帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱15・改元1・大赦1
- 改元1908年12月2日元号を「宣統」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1908年12月2日即位に伴う恩赦。
- 反乱1909年四川寧遠(西昌・
会理)夷変 - 反乱1909年洪江会匪姚芢山の乱
- 反乱1909–1911年趙爾豊による西康(康区)土司・原住民鎮撫
- 反乱1910年広州新軍起義(庚戌新軍起義)
- 反乱1910年雲南威寧「邪匪」李老么の乱
- 反乱1910年湖南飢民の変(長沙搶米風潮)
- 反乱1910年山東莱陽民変(曲詩文起義)
- 反乱1910年新疆陸軍田熙年の兵変
- 反乱1910年広西岑渓匪乱
- 反乱1910–1911年四川黔江・
温朝鍾の乱 - 反乱1911年黄花崗起義
- 反乱1911年丹噶爾・西寧匪乱
- 反乱1911年四川保路同志会武装衝突(成都血案)
- 反乱1911年10月10日〜1912年2月12日辛亥革命(武昌起義〜清朝滅亡・
退位) - 反乱1917年7月1日〜1917年7月12日張勲復辟の鎮圧(討逆軍)
清の歴代皇帝
歴代12人の一覧- 第1代ヌルハチ皇帝を名乗っていない1616–1626年
- 第2代ホンタイジ1636–1643年不詳
- 第3代順治帝1643–1661年病死
- 第4代康熙帝1661–1722年病死
- 第5代雍正帝1722–1735年諸説あり
- 第6代乾隆帝1735–1795年病死
- 第7代嘉慶帝1796–1820年病死
- 第8代道光帝1820–1850年病死
- 第9代咸豊帝1850–1861年病死
- 第10代同治帝1861–1875年病死
- 第11代光緒帝1875–1908年暗殺
- 第12代宣統帝溥儀1908–1912年1917年(復位)病死
年表
清・
清が