太祖昭武帝・呉三桂
呉周(清)|在位 1678年

- 諱(本名)
- 呉三桂
- 在位
- 1678年
- 在位期間
- 210日365名中320位タイ
- 即位経路
- 建国
- 死因
- 病死
- 即位時年齢
- 67歳(数え年)172名中・若い順171位
- 没年齢
- 67歳(数え年)269名中・長寿順21位タイ
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 0回
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 0回
- 遷都
- 0回
関連動画
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順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。
即位の経緯
三藩の乱が長期化し形勢不利となる中、部下に推戴される形で3月朔に自ら皇帝を称し、国号「大周」・元号「昭武」で建国。清朝からの禅譲や継承ではなく独立勢力の指導者が新規に政権を樹立して即位した典型例。
出典: 清史稿 列伝二百六十一(呉三桂伝)
死因の経緯
康熙17年3月に衡州で皇帝に即位した直後、まもなく「俄病噎」(急に喉が詰まる病)を患い、8月には「病下痢,噤不能語」と病状が進行、孫・呉世璠の到着前の8月17日に死去。他者による加害を示す記述はなく、老齢(67歳)での急性疾患による自然死。
出典: 清史稿 列伝二百六十一(呉三桂伝)
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
呉三桂本人の在位中の改元は「昭武」建元の1回のみ。原文にこれ以外の改元記事なし。
大赦回数
呉三桂(周)政権による全国規模の大赦を明記する記述は原文中に見当たらない。本紀相当部分に「大赦」の語が現れるのは康熙帝側の記事のみ(例:雲南平定後に清朝が「上令宣捷诏,赦天下」と発した箇所)で、これは清朝側の大赦であり呉周政権のものではないため対象外。よってcount:0とする。
立后回数
原文中に皇后の冊立に関する記述は一切ない。即位(改元昭武)から半年弱で病没しており、皇后を立てた記録なし。皇后不在としてcount:0。
皇太子廃立回数
原文中に皇太子の冊立・廃立に関する記述は一切ない。呉三桂死後は孫の世璠が「其下拥称帝,改号洪化」として擁立されているが、これは死後の推戴であり生前の立太子・廃太子の記録ではない。よってcount:0。
親征回数
在位期間(康熙17年3月朔の皇帝即位〜同年8月17日崩御の約7ヶ月間)に該当する出征記録は清史稿本伝に見当たらない。即位後は衡州(定天府)に留まったまま「俄病噎」「病下痢,噤不能語」と病状が進行し、崩御時も部将(馬宝・胡国柱ら)が永興を攻囲中だったのみで呉三桂本人は出陣していない。皇帝即位以前(康熙12年の挙兵〜三藩の乱本体)の軍事行動は建国(accessionRoute領域)に該当するためこのカウントの対象外とした。
反乱鎮圧回数
在位中(1678年3月〜8月)に呉周政権内部で武力を伴う反乱・クーデターが発生し呉三桂側がこれを鎮圧したという記述は清史稿本伝に見当たらない。清朝との三藩の乱本体(対清抗争)は判定基準5により対等な独立勢力間の戦争として鎮圧・被反乱いずれの対象からも除外。
被反乱回数
在位中(1678年3月〜8月)に呉周政権内部で呉三桂自身に対する武力反乱・クーデターが発生した記述は清史稿本伝に見当たらない(部将の離反・投降は多くが呉三桂死後の1679年以降に集中)。三藩の乱(清朝との戦争)は判定基準5により呉周側から見た対等な独立国家間の対清抗争として被反乱の対象外とした(清側qing-shengzuのrebellionSuppressionCountには三藩の乱が計上済みだが非対称の扱いとして正当)。
遷都回数
清史稿呉三桂伝を通読。衡州(定天府)を建国時の都と定めた(対象外)まま同年死去、遷都は子・呉世璠の代の出来事。
即位時年齢・没年齢
清史稿列伝二百六十一に「是歳(康熙十七年=1678年)、三桂年六十有七」と直接記載あり(数え年)、既存deathCause.noteの「老齢(67歳)」とも一致。生年は1678年から67を逆算した1612年(万暦40年)で日中複数の事典類とも一致するが、生月日は史料により若干の異同があり(マナペディア等は6月8日とするがコトバンクは月日に「?」を付す)確定できないため年精度のみとした。即位(1678年3月朔・皇帝即位)と崩御(1678年8月17日=西暦10月10日)が同年のため即位時年齢も没年齢と同じ67歳(数え年)とした。
在位中の出来事(1件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
改元1678年4月呉三桂は康熙十七年三月朔(1678年)に衡州で即位・建元し、元号を「昭武」とした。
呉三桂は康熙十七年三月朔(1678年)に衡州で即位・建元し、元号を「昭武」とした。『清史稿』列传二百六十一「是岁…遂以三月朔称帝,改元昭武,以衡州为定天府」。在位半年弱(同年8月頃病没)で他に改元の記述はなく、即位に伴う唯一の建元。
出典: 清史稿 列传二百六十一