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睿宗の肖像画

唐第5・8代()

睿宗李旦

在位 684–690年 / 710–712年(復位)(8年276日)

日本は飛鳥・奈良時代

睿宗(李旦)は母の武則天に皇帝に立てられたのちにに降され、中宗の死後に再び即位して、子の玄宗に位を譲った皇帝である。

睿宗の人物データ

生年
662年6月22日
在位
  • 1度目684年2月27日〜690年10月16日
  • 復位710年7月25日〜712年9月8日
8年276日長い順141位/365人23歳で即位(数え年)712年に在位を終え、4年後の716年に没
没年
716年7月13日55歳(数え年)長生き順同率56位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
のちに復位
先代
  • 中宗唐睿宗は中宗の弟
  • 殤帝唐復位による継承・睿宗は殤帝の叔父
次代
呼び名
姓李諱旦呼び名の見方
目立つ記録

出典

在位(1度目)
旧唐書 本紀第六 則天皇后(本紀第七 睿宗と併読)
在位(2度目)
旧唐書 本紀第七 中宗睿宗(睿宗部分)
死因
旧唐書 巻七(睿宗、開元四年六月条)
即位経路
旧唐書 巻七(睿宗)

生涯

どんな皇帝か

旧唐書のは、太平公主の謀反はの罪だが、玉座に臨む者の失策でもあるとし、中宗はすでに失い、睿宗も得たとはいえないと評する。

即位まで

高宗の第八子で、中宗の同母弟である。成長すると謙虚で孝行、学問を好み、草書・隷書に巧みだった。684年、母の武則天が兄の中宗を廃すると皇帝に立てられたが、政事は太后が決し、睿宗は別殿に置かれて関与できなかった。686年に太后が政を返す詔を出すと、本意でないと見て固辞した。690年、武則天が国号を周と改めて帝となると、皇嗣に降され、武の姓を賜った。妃の劉氏と竇氏が呪詛をしたと讒言されて殺されたときも、母の意に逆らうのを恐れて何も言わず、母の前でもふだんどおりにふるまった。謀反を告発されたときは、楽工の安金蔵が胸を割いて無実を訴えたので免れた。中宗が房陵から戻ると、病と称して朝せず兄への譲位を請い、中宗が皇太子となって、睿宗は相王に封じられた。

史料について

武の姓を賜ったことと安金蔵の話は資治通鑑にあり、旧唐書のは触れない。

治世と最期

710年、中宗が没して韋后がすると、臨淄王(のちの玄宗)らが韋氏一党を誅した。睿宗は少帝に位を譲られると辞退したが、重ねて促されてその日に即位した。皇太子を立てるにあたって、の成器が、国難のときは功ある者に帰すべきだと何日も泣いて辞退し、・も玄宗を推したので、成器の意を褒めて玄宗を立てた。宰相の奏上には太平公主と皇太子に相談したかを尋ねてから裁可し、公主の望みは何でも聞き入れた。711年、姚元之と宋璟が宋王らをに出し、公主を東都に置くよう進言すると、妹は一人しかいないのにどうして遠くに置けようかと言い、諸王の処置は任せた。公主は蒲州に置かれたが、進言を知って怒った公主に責められた玄宗の奏上で二人は左遷され、宋王らの刺史の命も取りやめになった。玄宗が大きな布団と長い枕を作って兄弟と一緒に寝ると、睿宗は知って大いに喜んだ。

712年、彗星が現れ、太平公主が術者に皇太子が天子となるべきだと言わせると、睿宗は徳を伝えて災いを避けると譲位を決め、公主とその一党はかえって強く諫めた。位を譲ってとなっても、三品以上の任免と重い刑獄は自ら決した。713年、太平公主らの謀逆を玄宗が誅すると、軍国刑政をすべて玄宗に委ねた。716年、百福殿で没した。

史料について

進言を公主に告げたのを、旧唐書の姚崇伝は睿宗自身とし、資治通鑑は誰が告げたかを書かない。死因を、両唐書の本紀と資治通鑑は書かない。

睿宗とつながる皇帝

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在位中の出来事

反乱3・遷都1・改元8・大赦13
  1. 改元684年2月27日元号を「文明」とする
  2. 684年2月27日即位と同日の大赦。
  3. 改元684年10月元号を「光宅」とする
  4. 684年10月
  5. 反乱684年10月〜685年2月徐敬業の乱(揚州起兵)
  6. 遷都684年10月長安(西京) → 洛陽(神都)
  7. 改元685年元号を「垂拱」とする
  8. 685年
  9. 686年
  10. 688年
  11. 反乱688年琅邪王沖・越王貞の乱(博州・豫州起兵)
  12. 改元689年元号を「永昌」とする
  13. 689年
  14. 689年
  15. 改元690年1月元号を「載初」とする
  16. 710年7月25日
  17. 改元710年8月19日元号を「景雲」とする
  18. 710年8月19日
  19. 反乱710年9月12日譙王李重福の乱(東都潜入未遂)
  20. 711年
  21. 711年
  22. 改元712年3月1日元号を「太極」とする
  23. 712年3月1日
  24. 改元712年6月11日元号を「延和」とする
  25. 712年6月11日

唐の歴代皇帝

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