
玄武門の変で兄と弟を討って位に就き、突厥の頡利可汗を捕らえた唐の第2代皇帝である。
日本とのつながり
631年(教科書では630年)
遣唐使
倭国の使いが貢ぎ物を届けた。太宗は道が遠いのを思い、毎年は来なくてよいとした。
原文
- 贞观五年,遣使献方物。太宗矜其道远,敕所司无令岁贡― 旧唐書(列伝第百四十九上 東夷伝(倭国の条))
太宗の人物データ
- 生年
- 598年599年1月23日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 598年12月22日)
- 在位
- 626年9月3日〜649年7月10日
- 没年
- 649年7月10日52歳(数え年)長生き順同率73位/266人
- 死因
- 諸説あり死因について史書の記述が食い違い、一つに絞れない。同じ死因17人/365人
- 呼び名
- 姓李諱世民呼び名の見方
- 目立つ記録
- 皇太子を廃した 1回多い順同率4位
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第二 太宗上 / 旧唐書 本紀第三 太宗下
- 死因
- 旧唐書 巻三(太宗下)/旧唐書 巻八十四(郝処俊伝)/旧唐書 憲宗紀下(元和五年八月)
- 即位経路
- 旧唐書 巻一(高祖、武徳九年条)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書は、もとの敵や疎遠な者も分け隔てなく用い、善い意見に流れるように従った千年に一人の君主と称える。新唐書は、愛するものに引きずられ、大きな功を好んで遠方に兵を用いたことを、凡庸な君主のすることだと批判する。
即位まで
治世と最期
即位の直後に突厥の頡利可汗が渭水まで迫ると、太宗は6騎で川岸に出て頡利と言葉を交わし、唐軍の盛んなさまに恐れた頡利と盟を結んで退かせた。630年には李靖が突厥を破り、頡利可汗が捕らえられて長安に送られた。死罪の囚人290人を一度家に帰らせ、翌年の秋に刑を受けに戻るよう命じると、期日に全員が戻り、すべてを赦した。怒りにまかせて臣下を斬らせては悔い、人の命は一度失えば戻らないと言って、死刑の前に都では二日のうちに五度上奏させる決まりを作った。
魏徴が死ぬと、人を鏡とすれば得失がわかるが、魏徴が死んで鏡を一つ失ったと嘆いた。その後、魏徴が推した杜正倫が退けられ、同じく推した侯君集が謀反で誅されると、魏徴が徒党を組んでいたのではと疑い、諫言の記録を史官朝廷の出来事を記録し歴史を書く役人に見せていたことにも不快になって、自分の娘を魏徴の長男に嫁がせる約束を取り消した。長孫皇后は倹約で、賞罰の相談には女の身だと言って答えなかったが、愛娘の嫁入り支度を手厚くしようとした太宗を魏徴が諫めると、魏徴を国を支える臣だと言って褒美を与えるよう願った。太宗が魏徴をいつか殺してやると怒り、皇后がなだめたという話は、旧唐書・新唐書には無く、資治通鑑に載る。
645年には自ら高句麗に遠征して駐蹕山で援軍を破ったが、安市城を落とせずに引き返した。649年に含風殿で亡くなった。旧唐書には、太宗が婆羅門の僧の長生薬を飲んだが効かなかった、あるいは飲んで急な病になったと述べる臣下の言葉が二か所あり、このサイトが死因を諸説ありとしているのはこの記述による。資治通鑑は最期を下痢の悪化として書き、薬は結局できなかったとする。
太宗とつながる皇帝

勢力図
隋末唐初の勢力図で見る
626–628年の地図に、太宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱7・親征1・皇后1・皇太子1・改元1・大赦6
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。626年9月3日
- 皇后626年9月16日皇后を立てる
- 改元627年元号を「貞観」とする
- 反乱627年涇州の反乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。628年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。630年
- 反乱634年東西五洞の反獠
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。635年
- 反乱635年洮州羌の反乱
- 反乱638年夜郎の反獠
- 反乱639年壁州の山獠反乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。643年
- 皇太子643年皇太子を廃する
- 反乱643年斉州の反乱
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。645年高句麗
- 反乱648年眉・
邛・ 雅三州の反獠 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。649年5月3日
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
年表
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