中国皇帝統計

則天大聖皇帝・武則天

周(唐)|在位 690–705年

則天大聖皇帝・武則天の肖像
諱(本名)
武曌
在位
690–705年
在位期間
14年133日365名中93位
即位経路
建国
死因
病死
即位時年齢
68歳(数え年)172名中・若い順172位
没年齢
83歳(数え年)269名中・長寿順3位タイ
改元
14332名中1位タイ
大赦
17267名中11位タイ
立后
0
皇太子廃立
0
親征
0
反乱鎮圧
1225名中179位タイ
被反乱
2289名中158位タイ
遷都
0

順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。

即位の経緯

国号を「周」に改め自ら皇帝に即位(天授元年)。神龍革命により中宗へ譲位。

出典: 旧唐書 巻六(則天皇后)

死因の経緯

神龍元年11月、譲位後に上陽宮にて崩御。83歳という高齢であり、本紀の記述(重体化してからの遺詔発布→崩御)から自然死・老衰死と判定。

出典: 旧唐書 巻六(則天皇后、神龍元年十一月条)

調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)

各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。

改元回数

旧唐書巻六本紀を通読し、690年9月9日の建国・称帝(天授改元)から705年正月の神龍改元までに実際に用いられた年号を漏れなく数え上げた。天授・如意・長寿・延載・証聖・天冊万歳・万歳登封・万歳通天・神功・聖暦・久視・大足・長安・神龍の計14元号(14回の改元、即位に伴う最初の建元=天授改元を1回として含む)。中国史上最多クラスの改元回数として知られる本人の特徴と一致する。なお701年正月の久視→大足改元のみ、本文に大赦の記載を伴わない(他の改元は原則として大赦天下と同時に行われている)。

大赦回数

在位期間(690年9月9日 天授建元・即位~705年正月 神龍改元まで)に旧唐書巻六本紀で確認できる「大赦天下」「大赦」(全国規模の恩赦)を計上。地域限定の「曲赦」(曲赦其縣、曲赦告成県の2件)は除外。705年正月の神龍改元時の大赦(皇太子率羽林兵誅張易之昆弟の政変前、上がまだ実権を握っていた時点の大赦)までを計上し、同月後半の「甲辰、皇太子監国、總統萬機、大赦天下」(政変後、皇太子が監国として発した大赦)は本人ではなく中宗(皇太子監国期)の在位に帰属するため除外した。

立后回数

則天は自ら皇帝(周)として在位した690~705年の間、女帝であり配偶者たる皇后は存在しない。旧唐書巻六本紀の当該期間中に「立...為皇后」等、皇后冊立を示す記事は見当たらない(「皇后」の語自体が本紀の即位後部分に一度も出現しない)。したがって立后回数は0。

皇太子廃立回数

在位期間(690~705年)中、旧唐書巻六本紀には皇太子・皇嗣を「廃した」と明記する記事は見当たらない。即位当日(690年9月9日)に「降皇帝為皇嗣」とあるのは、前皇帝(睿宗)を皇帝位から皇嗣(法定推定継承者相当)に降格させたものであり、既に立てられていた皇太子を廃したものではないため計上しない。また683~684年(嗣聖元年)の「廃皇太孫重照為庶人」は則天が皇太后として臨朝称制していた時期(皇帝即位前、唐朝中宗・睿宗の治世下)の出来事であり、本項で対象とする則天の皇帝在位期間(690-705年)の範囲外のため計上対象外とした。

親征回数

旧唐書巻六本紀を在位期間(690年9月9日 天授建元・即位~705年正月 神龍改元まで)通読。吐蕃・契丹・突厥への軍事行動はいずれも「命○○為大総管以討之」等、将軍への派遣・勅命の形式で行われており、則天自身が出陣した記事は見当たらない。本人の行幸(幸嵩山・幸三阳宫・幸京師等)や親祀明堂・封禅はいずれも儀礼的なものであり親征に該当しない。

反乱鎮圧回数

在位期間(690-705年)中に政権側が鎮圧の主体となった武装反乱は、営州契丹の反乱(万歳通天元年5月~神功元年9月)の1件のみ。徐敬業の乱(684年)・越王貞ら宗室諸王の反乱(688年)はいずれも則天が皇太后として臨朝称制していた時期(皇帝即位前)の出来事のため、本項の在位期間集計対象外とした。また綦連耀謀反(697年、李元素・孫元亨らが連座)は密告・摘発により関係者が伏誅したのみで実際の挙兵が確認できないため含めない。

被反乱回数

在位期間(690-705年)中に則天の政権に対して起こされた武装反乱は、営州契丹の反乱(鎮圧回数と同一事象)と、末期に発生した神龍政変(705年、羽林軍を用いたクーデターにより退位に追い込まれた事件)の2件。神龍政変は皇太子・張柬之らが左右羽林軍を動員して武力で張易之兄弟を誅殺し、則天を退位・譲位に追い込んだものであり、鎮圧の主体が則天側ではなく反乱者側であるため鎮圧回数には計上しないが、兵力を伴う弑逆・クーデターとして被反乱回数には計上する(望夷宮の変と同型のパターン4に該当)。

遷都回数

建国時に既存の神都洛陽(684年に唐代の措置で確立済み)をそのまま継承しており、周朝在位中に独自の遷都は発生していない。

即位時年齢・没年齢

既存レコード(旧唐書巻六)に「崩于上陽宮之仙居殿、年八十三」と明記された崩御時年齢(83歳)を再利用。即位時年齢(accessionAge)は直接記載がないため、690年(天授元年、即位)と705年(神龍元年、崩御)の年号年ラベル差分(15年)を83歳から差し引いて逆算:83-15=68歳。両日付とも各年の旧暦新年より後(690年9月即位・705年11月崩御)であるため、この間に経過した数え年の加齢回数は正確に15回であり、逆算は妥当。

在位中の出来事(34件)

改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。

改元690年9月9日天授元年九月九日壬午。

天授元年九月九日壬午。国号を唐から周に改め、自ら皇帝に即位すると同時に建元(即位に伴う最初の建元、皇帝即位(改元同時))。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦690年9月9日天授元年九月九日壬午、国号を周と改め称帝すると同時に大赦天下・改元天授。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元692年4月天授三年四月、如意に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦692年4月天授三年四月、大赦天下・改元如意(禁断天下屠殺も合わせて発布)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元692年9月如意元年九月、長寿に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦692年9月如意元年九月、大赦天下・改元長寿。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦693年9月長寿二年九月、金輪聖神皇帝号加上と同時に大赦天下(改元なし)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元694年5月長寿三年五月、延載に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦694年5月長寿三年五月、越古金輪聖神皇帝号加上・大赦天下・改元延載。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元695年1月延載二年正月、証聖に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦695年1月証聖元年正月、慈氏越古金輪聖神皇帝号加上・大赦天下・改元証聖。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元695年9月証聖元年九月、天冊万歳に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦695年9月証聖元年九月、南郊親祀・天冊金輪聖神皇帝号加上・大赦天下(大辟罪以下、十悪の常赦所不原者も含め赦除)・改元天冊万歳。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元695年12月天冊万歳元年腊月(十二月)甲申、嵩岳封禅を機に万歳登封に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦695年12月万歳登封元年腊月(十二月)甲申、嵩岳封禅と同時に大赦天下・改元万歳登封。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元696年4月万歳登封二年四月、万歳通天に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦696年4月万歳登封二年四月、明堂親享と同時に大赦天下・改元万歳通天。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

反乱鎮圧696年5月〜697年9月営州契丹の反乱(李尽忠・孫万栄の乱)

首謀者: 李尽忠(松漠都督、後に孫万栄が継承)

結果: 営州城傍の服属契丹の首領・松漠都督李尽忠が妻兄孫万栄とともに挙兵し都督趙文翙を殺害、営州を陥落させ可汗を自称。武周は曹仁師・王孝傑ら数次にわたり大軍を派遣したが緒戦は苦戦(西硖石・硖石谷で官軍敗績、王孝傑戦死)。李尽忠病死後は孫万栄が継承し冀州・瀛州属県を陥落させたが、697年6月に孫万栄が自らの家奴に殺害され残党が瓦解。同年9月「以契丹李尽滅等平」として大赦天下・改元神功が行われ、鎮圧完了とされた。

服属民(営州城傍の契丹)による蜂起のため被反乱・鎮圧の双方に計上。

被反乱696年5月〜697年9月営州契丹の反乱(李尽忠・孫万栄の乱)

首謀者: 李尽忠(松漠都督、後に孫万栄が継承)

結果: 武周側が数次の派兵の末、697年に反乱側の内部崩壊により鎮圧に至った。

服属民(営州城傍の契丹)による蜂起のため被反乱・鎮圧の双方に計上。

改元697年9月万歳通天二年九月、契丹平定を機に神功に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦697年9月万歳通天二年九月、契丹(李尽滅等)平定を機に大赦天下・改元神功。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元698年1月神功二年正月、聖暦に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦698年1月神功二年正月、明堂親享と同時に大赦天下・改元聖暦。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦698年9月聖暦元年九月、廬陵王哲(後の中宗)の皇太子復位と同時に大赦天下(改元なし)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元700年5月聖暦三年五月癸丑、病気平癒を機に久視に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦700年5月聖暦三年五月癸丑、病気平癒を機に大赦天下・改元久視(金輪等の尊号は停止)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦700年10月久視元年十月甲寅、旧暦(夏正)への復旧と同時に大赦天下(改元なし)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元701年1月久視二年正月、大足に改元(皇帝在位中)。

久視二年正月、大足に改元(皇帝在位中)。本文に大赦の記載を伴わない改元。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元701年10月大足元年十月、京師(長安)行幸を機に長安に改元(皇帝在位中)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦701年10月大足元年十月、京師(長安)行幸と同時に大赦天下・改元長安。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦702年11月長安二年十一月戊子、南郊親祀と同時に大赦天下(改元なし)。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

改元705年1月長安五年正月、神龍に改元(皇帝在位中)。

長安五年正月、神龍に改元(皇帝在位中)。同月後半の神龍革命により中宗へ譲位。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

大赦705年1月長安五年(神龍元年)正月、大赦・改元神龍。

長安五年(神龍元年)正月、大赦・改元神龍。同月後半の神龍革命(政変・譲位)以前の出来事。

出典: 旧唐書巻六(則天皇后紀)

被反乱705年1月神龍政変

首謀者: 皇太子李顕・張柬之・桓彦范・敬暉ら(左右羽林軍を動員)

結果: 羽林軍が禁中に入り寵臣張易之・張昌宗兄弟を誅殺、皇太子が監国・大赦天下を宣言した同日に則天は皇太子へ譲位。則天自身は退位に追い込まれ、周は唐に復した。

朝廷内部の権力者(皇太子・宰相ら)による兵力(羽林軍)を伴うクーデターであり、鎮圧の主体が則天側ではなく反乱者側のため鎮圧回数には計上せず、被反乱回数のみに計上(パターン4)。

収録基準・各項目の数え方・出典はこのサイトについてを、時代の中での位置は通史年表をご覧ください。