武則天の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 690年10月16日〜705年2月21日
- 没年
- 705年12月16日83歳(数え年)長生き順同率3位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第六 則天皇后
- 死因
- 旧唐書 巻六(則天皇后、神龍元年十一月条)
- 即位経路
- 旧唐書 巻六(則天皇后)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書・新唐書・資治通鑑は武則天を悪女とは呼んでいない。旧唐書は皇后の座を奪うためにおくるみの子の喉を絞め、王皇后を惨く殺したと責め、同時に正論を聞いて酷吏を誅し、最後は子に政治を返したと認めている。
即位まで
治世と最期
謀反を恐れて密告を奨励し、密告者には農夫でも自ら会い、周興や来俊臣ら数十人の酷吏に意に沿わない者を罪に陥れさせた。来俊臣ものちに都の市で斬られ、人々は祝い合った。人を用いるのに位を惜しまず、言うことが合えば序列を飛ばして官を与え、務まらなければすぐに退けたり誅したりした。
跡継ぎには武三思を考えたが、狄仁傑らにおばと甥、母と子のどちらが近いかと説かれて、廬陵王(中宗)を呼び戻した。
705年、病床の武則天のもとで皇太子と桓彦範らが兵を率い、寵愛されていた張易之・張昌宗を斬った。位を譲るよう迫られた武則天は、皇太子に位を伝えて上陽宮に移った。同じ年に亡くなり、遺言で皇帝の号を去って則天大聖皇后と称させた。
史料について
廬陵王を呼び戻した経緯は新唐書の狄仁傑伝による。資治通鑑は、最後に心を決めさせたのを吉頊の進言とする。政変を率いた者を、旧唐書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は皇太子と桓彦範・敬暉とし、資治通鑑は張柬之らとする。位を譲るよう迫られたとき、新唐書ではそのまま横になって何も言わず、資治通鑑では居合わせた者に言葉をかけた。享年は旧唐書が八十三、資治通鑑が八十二、新唐書が八十一とする。
武則天とつながる皇帝
在位中の出来事
反乱2・改元14・大赦17
- 改元690年10月16日元号を「天授」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。690年10月16日国号を周と改め称帝すると同時に大赦・
改元天授。 - 改元692年元号を「如意」とする
- 改元692年元号を「長寿」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。692年大赦・
改元如意(禁断天下屠殺も合わせて発布)。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。692年大赦・
改元長寿。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。693年金輪聖神皇帝号加上と同時に大赦(改元なし)。
- 改元694年元号を「延載」とする
- 改元694年元号を「証聖」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。694年越古金輪聖神皇帝号加上・
大赦・ 改元延載。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。694年慈氏越古金輪聖神皇帝号加上・
大赦・ 改元証聖。 - 改元695年元号を「天冊万歳」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。695年南郊親祀・
天冊金輪聖神皇帝号加上・ 大赦(大辟罪以下、十悪の常赦所不原者も含め赦除)・ 改元天冊万歳。 - 改元696年元号を「万歳登封」とする
- 改元696年元号を「万歳通天」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。696年嵩岳封禅と同時に大赦・
改元万歳登封。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。696年明堂親享と同時に大赦・
改元万歳通天。 - 反乱696–697年営州契丹の反乱(李尽忠・
孫万栄の乱) - 改元697年元号を「神功」とする
- 改元697年元号を「聖暦」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。697年契丹(李尽滅等)平定を機に大赦・
改元神功。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。697年明堂親享と同時に大赦・
改元聖暦。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。698年廬陵王哲(後の中宗)の皇太子復位と同時に大赦(改元なし)。
- 改元700年元号を「久視」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。700年病気平癒を機に大赦・
改元久視(金輪等の尊号は停止)。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。700年旧暦(夏正)への復旧と同時に大赦(改元なし)。
- 改元701年元号を「大足」とする
- 改元701年元号を「長安」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。701年京師(長安)行幸と同時に大赦・
改元長安。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。702年南郊親祀と同時に大赦(改元なし)。
- 改元705年2月元号を「神龍」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。705年2月大赦・
改元神龍。 - 反乱705年2月神龍政変
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
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