李承宏
唐|在位 763年
- 諱(本名)
- 李承宏
- 在位
- 763年
- 在位期間
- 30日365名中356位タイ
- 即位経路
- 擁立
- 死因
- 不詳
- 即位時年齢
- 不詳
- 没年齢
- 不詳
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 1回267名中194位タイ
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 0回
- 遷都
- 0回
順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。
即位の経緯
広徳元年10月、長安を占領した吐蕃の宰相馬重英と唐の降将高暉が「立故邠王守禮之孫廣武王承宏爲帝,改元,置百官」。元号建元・大赦・百官設置を伴う実質的な即位だが本人の主体的行為ではなく外部勢力(吐蕃)主導による擁立。
出典: 資治通鑑 巻二百二十三
死因の経緯
吐蕃撤退後、逃匿したが代宗から誅殺を免れ流刑となった。新唐書列伝は「詔放承宏於華州,死」と記すのみ、旧唐書列伝は流刑地を「虢州」とし異同がある。いずれも死因・死去時期の具体的記述を欠き単に「死」「尋死」と記すのみのため不詳。
出典: 旧唐書 巻八十六/新唐書 巻八十(宗室伝)/資治通鑑 巻二百二十三
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
改元の事実自体は資治通鑑巻二百二十三・旧唐書巻一百九十六上(吐蕃伝上)・新唐書巻二百一十六上(吐蕃伝上)の3系統で確認できるためconfidenceは本来highだが、肝心の元号名が原典のどこにも記載されておらず不詳であるため、既存verificationフィールドの方針(日付精度・付随情報欠落によるmedium据え置き)に合わせmediumとした。
大赦回数
本紀(旧唐書巻十一・新唐書巻六)や資治通鑑巻二百二十三の代宗紀部分には大赦への言及はなく、吐蕃伝(旧唐書巻一百九十六上・新唐書巻二百一十六上)にのみ明記されている。両書の列伝が独立に同内容を伝えている点を重視しconfidenceはhighとした。
立后回数
在位期間が極めて短く(旬余日)、旧唐書巻八十六・新唐書巻八十(宗室伝)・巻一百九十六上/二百一十六上(吐蕃伝)・資治通鑑巻二百二十三のいずれにも皇后冊立の記載はない。
皇太子廃立回数
在位は広徳元年十月戊寅の擁立から同月庚寅の吐蕃撤退までの旬余日間(約半月)にすぎず、旧唐書巻八十六・新唐書巻八十(宗室伝)・巻一百九十六上/二百一十六上(吐蕃伝)・資治通鑑巻二百二十三のいずれにも皇太子冊立・廃立の記載はない。
親征回数
在位は広徳元年十月戊寅の吐蕃による擁立から同月丙申の華州放逐までの旬余日間にすぎず、擁立主体は吐蕃軍(馬重英)であり承宏自身が軍を率いて出征した記録は旧唐書巻十一(代宗紀)・巻八十六/新唐書巻八十(宗室伝)・巻一百九十六上/二百一十六上(吐蕃伝)・資治通鑑巻二百二十三のいずれにもない。
反乱鎮圧回数
極めて短期間の傀儡政権であり、承宏側(政権側)が何らかの離反・蜂起を鎮圧した記録は見当たらない。
被反乱回数
承宏の傀儡政権は郭子儀率いる唐正規軍(代宗側)の京城奪回により崩壊したが、これは承宏の統治下にあった服属勢力の蜂起ではなく、唐正統政権による吐蕃占領軍・傀儡政権の打倒(いわば対等な政治勢力間の抗争・討伐)にあたるため、被反乱としては計上しない。
遷都回数
旧唐書・新唐書を通読。該当在位期間中に新たな遷都の記録なし(684年洛陽遷都は睿宗期、705年長安復都は中宗復位期、904年洛陽強制遷都は昭宗期の出来事として各々計上済み)。
即位時年齢・没年齢
旧唐書巻十一(代宗紀)・巻八十六/新唐書巻八十(宗室伝)・巻一百九十六上/二百一十六上(吐蕃伝)・資治通鑑巻二百二十三のいずれにも李承宏本人の生年月日・即位時年齢・没年齢の直接記載は見当たらなかった。調査済みだが不明のためbirthDate/deathDate/accessionAge/deathAgeはnullとする。
在位中の出来事(2件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
改元日付不詳【皇帝即位(改元同時)】資治通鑑巻二百二十三「戊寅、吐蕃入長安、高暉与吐蕃大将馬重英等立故邠王守礼之孫広武王承宏為帝、改元、置百官」により即位と同時に改元(建元)した事実を確認。
【皇帝即位(改元同時)】資治通鑑巻二百二十三「戊寅、吐蕃入長安、高暉与吐蕃大将馬重英等立故邠王守礼之孫広武王承宏為帝、改元、置百官」により即位と同時に改元(建元)した事実を確認。旧唐書巻一百九十六上(吐蕃伝上)は「立年号」、新唐書巻二百一十六上(吐蕃伝上)は「改元」と記す。ただし具体的な元号名はいずれの原典にも記載がなく確認できないため元号名不詳とする。吐蕃(馬重英)主導の擁立による傀儡皇帝としての改元であり、承宏本人の主体的意思によるものではないが、実際にその治世で使われた年号として1回計上した。旧唐書巻八十六・新唐書巻八十(宗室伝)の承宏個人の列伝には改元の直接記載はなく、吐蕃伝・資治通鑑にのみ記載がある点に留意。
出典: 資治通鑑巻二百二十三
大赦日付不詳旧唐書巻一百九十六上(吐蕃伝上)に「与吐蕃大将馬重英等立故邠王男広武王承宏為帝、立年号、大赦、署置官員」、新唐書巻二百一十六上(吐蕃伝上)に「立広武王承宏為帝、改元、擅作赦令、署官吏」とあり、いずれも即位に伴い大赦(赦令)を発したことを明記。
旧唐書巻一百九十六上(吐蕃伝上)に「与吐蕃大将馬重英等立故邠王男広武王承宏為帝、立年号、大赦、署置官員」、新唐書巻二百一十六上(吐蕃伝上)に「立広武王承宏為帝、改元、擅作赦令、署官吏」とあり、いずれも即位に伴い大赦(赦令)を発したことを明記。資治通鑑巻二百二十三の当該記事(戊寅条)には「改元、置百官」とあるのみで大赦への言及はないが、旧・新唐書の吐蕃伝が独立に大赦の事実を伝えているため計上した。実際の主体は擁立した吐蕃側だが、承宏の治世下で発せられた赦令として1回とカウント。日付は原典に具体的記載なし。
出典: 旧唐書巻一百九十六上(吐蕃伝上)/新唐書巻二百一十六上(吐蕃伝上)