
唐第9代(別の数え方では第6代このサイトの番号は、王朝の歴代を即位の順に数え、2度目の即位も1代と数えたもの。中宗と睿宗の2度目の即位と、在位18日で退けられた殤帝を数えない数え方もあり、そちらで書く辞典もある。)統一王朝中国を統一して治めた時期がある王朝。
玄宗李隆基
在位 712–756年(43年339日)712年9月8日 〜 756年8月12日
日本は奈良時代
開元年間に長く国を治めたのち、安史の乱で蜀へ逃れ、途中の馬嵬で楊貴妃皇帝の妃の中でも高い位の一つに死を賜った皇帝である。
玄宗の人物データ
- 生年
- 685年9月8日
- 在位
- 712年9月8日〜756年8月12日
- 没年
- 762年78歳(数え年)長生き順7位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓李諱隆基呼び名の見方
- 目立つ記録
- 皇太子を廃した 1回多い順同率4位
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第八 玄宗上 / 新唐書 本紀第五 睿宗・
玄宗 / 新唐書 本紀第六 肅宗・ 代宗 - 死因
- 旧唐書 巻九(玄宗紀下)
- 即位経路
- 新唐書 巻五(睿宗紀)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書は、英明果断で多芸で、とりわけ音楽に通じ、八分書をよくしたと書く。新唐書の賛は、開元の際にはほとんど太平に至ったが、贅沢に心が動き、愛するものに溺れて国を失ったと評する。
即位まで
治世と最期
開元の初めには宮中の珠玉や錦を正殿の前で焼かせた。大きな布団と長い枕を作らせて兄弟と友愛を分かち合おうとし、讒言が入っても変わらず、兄の李憲の死には声を上げて泣いた。武惠妃の訴えに惑わされて皇太子の瑛を廃そうとし、張九齢に諫められて一度は止めたが、737年に李林甫が陛下の家の事だと言うと、瑛ら3人を庶人官位や身分を持たない、ふつうの民に落とした。新唐書は楊貴妃がもとは子の寿王の妃だったと書くが、旧唐書はこれを書かない。旧唐書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は開元の太平を称えつつ、天宝以後は人の用い方を誤り、李林甫・楊国忠の言ばかり聞いたと批判する。
755年に安禄山が楊国忠を討つと称して幽州から南下した。翌年に潼関が破れると蜀へ向かい、馬嵬の駅で兵が進まなくなった。楊国忠らが殺されても兵が収まらず、高力士に命じて楊貴妃に自尽自分で命を絶つことを命じた。資治通鑑と旧唐書の后妃伝は、陳玄礼が前もって皇太子へ知らせていたと書くが、両唐書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分には無い。馬嵬で民に請われて皇太子を残し、蜀郡に着いたのち、霊武からの使者で皇太子の即位を知り、太上皇位を退いた(退かされた)前の皇帝の呼び名となった。
長安に戻って興慶宮に住んだが、760年に李輔国によって西内へ移され、高力士らも遠ざけられた。資治通鑑によれば、上皇は鬱々として肉を断ち、しだいに病んだ。762年に神龍殿で没した。旧唐書の玄宗紀は前年の上元二年と記すが、同じ旧唐書の粛宗紀は762年とする。
玄宗とつながる皇帝

勢力図
唐の勢力図で見る
754–756年の地図に、玄宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱12・皇后1・皇太子1・改元3・大赦17
- 改元712年9月12日元号を「先天」とする
- 皇后712年9月15日皇太子妃王氏を皇后に冊立。
- 改元713年元号を「開元」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。713年太平公主一派のクーデター未遂(七月三日発覚・
鎮圧)の直後に発せられた大赦。 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。713年
- 反乱715年相州崔子岩の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。721年
- 反乱721年蘭池州叛胡の乱
- 反乱722年安南梅叔鸞の乱
- 反乱722年権梁山の乱(自称光帝)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。723年
- 反乱724年五溪覃行璋の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。725年
- 反乱725年妖賊劉定高の乱
- 反乱726年邕州獠梁大海の乱
- 反乱728年瀧州陳行範の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。729年
- 反乱730–737年契丹可突干の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。732年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。735年
- 反乱736年醴泉劉志誠の乱
- 皇太子737年皇太子を廃する
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。738年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。739年
- 改元742年元号を「天宝」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。745年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。747年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。748年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。749年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。751年
- 反乱752–754年阿布思の叛乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。754年
- 反乱755–756年安史の乱(玄宗期)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。756年8月31日
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
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