中国皇帝統計

文帝

魏(三国)|在位 220–226年

文帝の肖像
諱(本名)
曹丕
廟号
高祖
在位
220–226年
在位期間
5年217日365名中175位
即位経路
禅譲
死因
病死
即位時年齢
34歳(数え年)172名中・若い順121位タイ
没年齢
40歳(数え年)269名中・長寿順131位タイ
改元
1332名中142位タイ
大赦
1267名中194位タイ
立后
1204名中52位タイ
皇太子廃立
0
親征
3112名中24位タイ
反乱鎮圧
2225名中145位タイ
被反乱
2289名中158位タイ
遷都
0

順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。諡号:文帝

即位の経緯

延康元年(220年)冬、後漢献帝が「衆望在魏」を理由に群公卿士を召し高廟に告祠、御史大夫張音を遣わし璽綬を持たせ禅位。策文に「天命不于常、惟帰有徳……敬遜爾位……天禄永終」とあり、曹丕は繁陽に築いた壇で「升壇即阼」し、「改延康為黄初、大赦」。形式上は堯舜禅譲の故事に倣った禅譲だが、実態は建安年間からの曹操・曹丕父子による漢朝権力掌握の帰結であり、後漢皇帝に対する事実上の簒奪を儀礼的な譲位劇として完成させたものとされる(献帝はその後、山陽公に封じられ存命)。

出典: 三國志 魏書二 文帝紀

死因の経緯

黄初七年(226年)五月、「帝疾篤」(帝の病が篤くなり)曹真・陳群・曹休・司馬懿の4人に後事を託し、丁巳の日に嘉福殿で崩御(享年40)。「六月戊寅,葬首陽陵」と首陽陵に葬られた。他殺を示す記述はない。

出典: 三國志 魏書二 文帝紀

調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)

各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。

改元回数

曹丕即位に伴う建元(延康→黄初)が在位中唯一の改元。以後黄初元年〜七年まで改元記事は本紀中に見られない。

大赦回数

本紀に「大赦天下」に相当する全国規模の大赦は即位当日の一件のみ。他に「赦青、徐二州」(黄初五年、青州・徐州限定)「其見脅略及亡命者、皆赦其罪」(黄初四年、逆賊に協従した者限定の恩赦)があるが、いずれも地域・対象限定のため大赦としてカウントしない。

立后回数

在位中の皇后冊立は郭氏(文徳郭皇后)の一件のみ。甄氏(後の文昭甄皇后)は文帝生前は皇后に冊立されず、黄初二年六月に賜死されており(后妃伝「後愈失意、有怨言。帝大怒、二年六月、遣使賜死」)、その皇后号は明帝即位後の追諡(追封)である。

皇太子廃立回数

文帝紀を通読した限り、在位中に皇太子(法定推定継承者)を正式に立てた記事自体が見当たらない。黄初三年三月に「立齊公叡為平原王」(曹叡を平原王に封じる)とあるが、これは立太子ではなく王号への封建。崩御直前の黄初七年五月に「召中軍大將軍曹真…並受遺詔輔嗣主」とあり曹叡が「嗣主」として遺詔を受けているが、これも生前の正式な立太子・廃太子の記事ではない。立太子自体が確認できないため廃立も0件と判定した。

親征回数

延康元年(220年)六月の『治兵於東郊,遂南征』は曹丕が皇帝に即位する前(魏王・丞相としての在位中、黄初改元・即位は同年十月庚午)の出来事のため、文帝(皇帝)としての親征カウントからは除外した。皇帝即位後(220年末〜226年)に確認できる親征は全て孫権(呉)を目標とする3回(黄初三〜四年・五年・六年)で、いずれも決戦には至らず撤退している。蜀漢との交戦は在位中に文帝紀本文からは確認できなかった。

反乱鎮圧回数

黄初三年(222年)冬十月の『孫権復叛』(帝自許昌南征、上記親征#1の対象)は、孫権が黄初二年に一時的に魏の冊封(呉王・九錫)を受けていたことを背景に原文が『叛』と表現しているが、呉は独自の官制・軍隊・領域を保持する事実上の独立政権であり、魏への服属は劉備との夷陵の戦いを有利に進めるための一時的・名目的なものに過ぎなかった(孫権は後の229年に自ら皇帝を称している)。基準『対象人物の統治下ではない独立政権との戦争は反乱でなく統一戦争として区別する』に従い、鎮圧・被反乱いずれのカウントにも算入しなかった(異論の余地がありconfidence: medium)。同様に黄初六年の并州刺史梁習による鮮卑軻比能討伐も、原文に『叛』の語がなく対外的な異民族討伐の性格が強いため除外した。この結果、在位中に確認できる服属者による反乱は鄭甘(221年)・蔡方(225年)の2件。

被反乱回数

反乱鎮圧回数と同一の2件(鄭甘221年・蔡方225年)を計上。孫権の『復叛』(222年)は独立政権(呉)との統一戦争として反乱鎮圧回数と同様に除外した(confidence: medium、判断根拠は反乱鎮圧回数のnote参照)。在位中に朝廷内クーデターによる弑逆・廃位の記事はなく(崩御は疾病による自然死)、該当なし。

遷都回数

三国志魏書を通読。曹丕の洛陽定都(建国時の定都)以降、明帝・少帝期を通じて洛陽が一貫した主都(許昌等五都は陪都で行幸のみ)。

即位時年齢・没年齢

三國志 魏書二 文帝紀「中平四年冬,生于譙」(生年187年冬、月日不詳のため年精度)「丁巳,帝崩于嘉福殿,時年四十」(数え年)。 即位時年齢は逆算値:崩御時「時年四十」(黄初7年=226年)と即位年(黄初元年=220年)の年号差6年から数え年で34歳と算出(生年187年からの直接計算220-187+1=34とも一致し検証済み)。

在位中の出来事(10件)

改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。

改元220年11月25日漢献帝より禅譲を受け即位した当日、庚午の日に「改延康為黄初」とあり、延康(漢の元号)から黄初(魏の元号)へ建元した。

漢献帝より禅譲を受け即位した当日、庚午の日に「改延康為黄初」とあり、延康(漢の元号)から黄初(魏の元号)へ建元した。即位に伴う最初の元号制定としてカウント。

出典: 三國志 魏書二 文帝紀

大赦220年11月25日即位当日、改元と同時に「改延康為黄初、大赦」とあり、全国規模の大赦を実施。

出典: 三國志 魏書二 文帝紀

反乱鎮圧221年5月鄭甘の反乱(馮翊山賊鄭甘の再叛)

首謀者: 鄭甘

結果: 大将軍曹仁を派遣し討伐、鄭甘を斬った(鎮圧成功)

鄭甘は延康元年(220年、曹丕即位前)に馮翊の山賊として王照とともに投降し列侯に封じられていたが、黄初二年(221年)五月に再び反乱を起こした(『郑甘复叛』)。皇帝は親征せず、曹仁を派遣して討伐・斬首させた。

被反乱221年5月鄭甘の反乱

首謀者: 鄭甘

結果: 曹仁により鎮圧され鄭甘は斬られた(皇帝側の勝利)

反乱鎮圧回数の事件と同一。列侯に封じられていた元山賊が再叛した服属者の反乱。

立后222年9月黄初三年九月庚子、皇后郭氏を立てる(文帝紀「庚子、立皇后郭氏」)。

黄初三年九月庚子、皇后郭氏を立てる(文帝紀「庚子、立皇后郭氏」)。后妃伝には、中郎の栈潜が郭氏を皇后に立てることに反対する上疏をしたが文帝は聞き入れず、「遂立為皇后」と冊立に至った経緯が記される。庚子の具体的な西暦日への換算は未実施のため月精度とした。

出典: 三國志 魏書二 文帝紀・魏書五 后妃傳

親征222年10月〜223年3月孫権(呉)

対象: 孫権(呉)

結果: 呉軍が臨江拒守し決戦に至らず、許昌から宛まで進軍したのみで黄初四年三月に洛陽へ帰還(決着つかず撤退)

『三国志』魏書文帝紀:黄初三年冬十月「孫権復叛…帝自許昌南征,諸軍兵並進,權臨江拒守」、十一月「行幸宛」、黄初四年三月「行自宛還洛陽宮」。曹丕の対呉第一次親征。「帝自許昌南征」と明記され皇帝本人の出陣が確認できる。

親征224年8月〜224年10月孫権(呉)

対象: 孫権(呉)

結果: 水軍を率い寿春・広陵まで進出したが決戦に至らず、黄初五年冬十月に許昌宮へ帰還

黄初五年秋七月「行東巡,幸許昌宮」、八月「為水軍,親御龍舟,循蔡・潁,浮淮,幸壽春」、九月「遂至廣陵」、冬十月「行還許昌宮」。「親御龍舟」と明記され皇帝本人が水軍を指揮した対呉第二次親征(広陵方面)。

親征225年3月〜225年11月孫権(呉)

対象: 孫権(呉)

結果: 広陵故城まで進出し臨江観兵したが、寒波で水路が凍結し長江に入れず撤退(決戦なし)

黄初六年三月辛未「帝為舟師東征」、五月「幸譙」、八月「帝遂以舟師自譙循渦入淮,從陸道幸徐」、十月「行幸廣陵故城,臨江觀兵,戎卒十餘萬,旌旗數百里」、「是歲大寒,水道冰,舟不得入江,乃引還」。対呉第三次親征(広陵方面)。任城王彰の薨去や十二月の橋玄祭祀の記事から帰還は十一月頃と推定。

反乱鎮圧225年6月利成郡兵蔡方の反乱

首謀者: 蔡方

結果: 屯騎校尉任福・歩兵校尉段昭および青州刺史が討伐し平定。脅迫された者・逃亡者は恩赦

利成郡(青州)の郡兵が蔡方らを首謀者として反乱を起こし、太守徐質を殺害した。皇帝は親征せず、任福・段昭ら将軍と青州刺史を派遣して鎮圧させた(『討平之』)。

被反乱225年6月利成郡兵蔡方の反乱

首謀者: 蔡方

結果: 任福・段昭・青州刺史により鎮圧され平定(皇帝側の勝利)

反乱鎮圧回数の事件と同一。郡兵による太守殺害を伴う反乱。

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