仁宗正徳皇帝
西遼(宋・遼・西夏・金)|在位 1150–1163年
- 諱(本名)
- 耶律夷列
- 在位
- 1150–1163年
- 在位期間
- 13年365名中105位
- 即位経路
- 世襲
- 死因
- 不詳
- 即位時年齢
- 不詳
- 没年齢
- 不詳
- 改元
- 1回332名中142位タイ
- 大赦
- 0回
- 立后
- 0回
- 皇太子廃立
- 0回
- 親征
- 0回
- 反乱鎮圧
- 0回
- 被反乱
- 0回
- 遷都
- 0回
順位は同数を同順位として数えています(「タイ」表示)。回数の順位は1回以上、年齢の順位は年齢が判明している皇帝のみが対象です。
即位の経緯
徳宗の嫡子であり、生母・感天皇后(塔不烟)の摂政7年終了後に即位した正統な世襲継承。摂政終了の経緯は明記されていない。
出典: 遼史 巻三十(天祚皇帝紀四附耶律大石伝)
死因の経緯
「在位十三年殁,庙号仁宗」のみで死因に関する記述は正史(遼史・金史・元史・新元史)のいずれにも見当たらない。
出典: 遼史 巻三十(天祚皇帝紀四附耶律大石伝)
調査メモ(回数・年齢の数え方と判定根拠)
各項目の回数・年齢を確定した際の調査記録を、原文のまま掲載しています(数え方の基準は 「このサイトについて」参照)。
改元回数
『遼史』巻三十本文に「子夷列即位,改元紹興」と明記されており、即位と同時の改元(建元)が確認できる。china-history版(第三十章-卷三十-原文.html)とdaizhigev20版(正史/辽史.txt 5501行)で文言が完全に一致することを確認済み。在位13年間で他に改元を示す記述は原典・関連史料(辽史拾遗・建炎以来系年要録等)いずれにも見当たらず、紹興のみで在位を終えたと判断する。
大赦回数
『遼史』巻三十の該当箇所(「子夷列即位,改元紹興。籍民十八歲以上,得八萬四千五百戶。在位十三年殁,庙号仁宗」)に大赦・大赦天下等の記述は一切なし。西遼2代仁宗については他に現存する正史独立記事がなく(china-history・daizhigev20の遼史双方で同一の二文のみを確認、辽史拾遗・宋史・金史・建炎以来系年要録等をgrepしても夷列/仁宗/咸清/紹興〔西遼〕に関する追加記述は見当たらなかった)、史料の絶対的な乏しさのためconfidenceはlowとした。
立后回数
原典に仁宗在位中の立后(皇后冊立)の記述は一切なし。先代德宗の記事には「冊元妃蕭氏為昭德皇后」という立后の明記があるのに対し、仁宗の記事にはそのような表現が見られない。史料の乏しさによりconfidenceはlow。
皇太子廃立回数
原典に皇太子(皇太弟等含む)冊立・廃立に関する記述は一切なし。仁宗崩御後は「子幼,遺詔以妹普速完権国」(子が幼少のため妹プスワンに摂政を委ねた)とあるのみで、立太子や廃太子の記載自体が存在しない。史料の乏しさによりconfidenceはlow。
親征回数
原文キャッシュ(遼史巻三十付録)は「子夷列即位,改元绍兴。籍民十八岁以上,得八万四千五百户。在位十三年殁,庙号仁宗」の一文のみで、親征・軍事行動に関する記述が一切ない。原文自体がこの範囲で全情報量(抽出漏れではない)であり、記述が存在しないため0件と判定するが、原文が極めて簡略なため実際には未記録の親征が存在した可能性を否定できず確信度は低い。
反乱鎮圧回数
原文キャッシュに反乱鎮圧に関する記述は一切ない(母・感天皇后の摂政終了を受けての即位、改元、戸籍調査、在位13年での崩御のみが記載)。0件と判定するが、原文の情報量が極端に少ないため実際の有無を積極的に確認できたわけではなく確信度は低い。
被反乱回数
原文キャッシュに被反乱・クーデター等の記述は一切ない。感天皇后(塔不烟)・承天太后(普速完)の摂政期のエピソードは仁宗自身の在位期間外のため対象外。0件と判定するが原文の情報量が極端に少ないため確信度は低い。
遷都回数
遼史(耶律大石伝)を通読。虎思斡耳朶定都(建国時の定都、1134年)から末代天禧皇帝の代まで一貫した都。
即位時年齢・没年齢
遼史巻三十付録(本データセットの一次史料)は「子夷列即位,改元绍兴…在位十三年殁,庙号仁宗」のみで、即位・崩御いずれにも生年・年齢の直接記載がない。没年は在位開始年(咸清7年=1150年、感天皇后摂政7年終了を受けての即位)に「在位十三年」を加算した逆算値1163年(紹興13年、月日不詳)。既存accessionRouteNote・deathCauseNoteにも生年・没年齢の記載なし。調査済みだが不明。
在位中の出来事(1件)
改元・大赦・立后・皇太子廃立・親征・反乱鎮圧・被反乱・遷都の8項目で確認した出来事を日付順に並べています。日付は史料の記述の細かさに応じて年・月・日で表示し、西暦に換算できていないもの(元号表記のまま)と日付不詳のものは末尾にまとめています。行を開くと調査時の記録と出典が読めます。
改元1150年母・感天皇后(蕭塔不煙)の摂政7年(咸清7年)終了を受けて即位すると同時に「紹興」へ改元。
母・感天皇后(蕭塔不煙)の摂政7年(咸清7年)終了を受けて即位すると同時に「紹興」へ改元。原文「子夷列即位,改元紹興」。即位に伴う最初の建元として1回カウント。以後崩御(在位13年、1163年)まで再改元の記述はなく、在位期間を通じて紹興年号が継続使用されたと判断される。
出典: 遼史 巻三十(天祚皇帝紀四附耶律大石伝)