清の後宮の位
清の
8つの位と定員
康熙帝のころから決まりが整い、皇后の下に皇貴妃1人・
| 位 | 定員 | どんな位か・実際にいた人 |
|---|---|---|
| 皇后 | 1人 | 皇帝の正妻。後宮の頂点で、中宮に住む 例 孝賢皇后(富察氏)・乾隆帝 乾隆帝の最初の皇后。乾隆2年に皇后に立てられた。 |
| 皇貴妃 | 1人 | 皇后の次の位。皇后がいないときに後宮を取りしきることもあった 例 那拉氏(烏喇那拉氏)・乾隆帝 孝賢皇后が亡くなると皇貴妃に進んで後宮を取りしきり、乾隆15年に次の皇后になった。 |
| 貴妃 | 2人 | 妃の上の位 例 慧賢皇貴妃(高佳氏)・乾隆帝 大学士の高斌の娘。乾隆帝が即位して間もなく貴妃に封じられ、亡くなったあとに皇貴妃の名を贈られた。 |
| 妃 | 4人 | 嬪の上の位 例 容妃(和卓氏)・乾隆帝 回部の有力者の娘。はじめ貴人で、のちに妃まで進んだ。清史稿は、乾隆帝が回部の女性を妃にしたのは珍しい例なので書き添えたと記す。 |
| 嬪 | 6人 | 定員のある位のうちいちばん下 例 純恵皇貴妃(蘇佳氏)・乾隆帝 乾隆帝が皇子だったころから仕え、即位のときに純嬪に封じられた。のちに皇貴妃まで進んだ。 |
| 貴人 | 定員なし | 定員のない位のうちいちばん上 例 孝儀純皇后(魏佳氏)・乾隆帝 はじめ貴人として乾隆帝に仕えた。のちに嘉慶帝の母となり、皇后の位を贈られた(下の「位は上がっていく」)。 |
| 常在 | 定員なし | 貴人の下の位 例 荘順皇貴妃(烏雅氏)・道光帝 常在として道光帝に仕え、琳貴人から琳貴妃まで進んだ。亡くなったあとに皇貴妃の名を贈られた。 |
| 答応 | 定員なし | 後宮の位のいちばん下 例 豫妃(尚佳氏)・道光帝 道光帝の后妃。答応から妃まで進められた。 |
位は上がっていく
乾隆帝の后妃の孝儀純皇后は、いちばん下に近い貴人から始まり、亡くなったあとに皇后の位を贈られた。清史稿は貴人から貴妃までの途中を「累進」とだけ書き、何年にどの位へ進んだかは記していない。
- 貴人貴人として仕える
- 嬪令嬪に封じられる
- 貴妃令貴妃まで進む
- 乾隆25年のちの嘉慶帝を産む
- 皇貴妃乾隆30年令皇貴妃に進む
- 乾隆40年49歳で亡くなる
- 皇后乾隆60年息子が皇太子に立てられた年、皇后の位を贈られた(孝儀皇后)
妃や嬪には「令」「純」のような一字を添えて呼ぶ。位が上がっても同じ字を使い続けた例が多い(令嬪・
位は下がることもあった。道光帝の彤貴妃(舒穆嚕氏)は彤貴人から彤貴妃まで進んだが、のちに貴人へ戻された。
後宮に入るまで
- 3年に1度、八旗の家の娘たちから選んだ(秀女)。これは戸部の仕事だった。内務府に属する旗の娘からは毎年選び、こちらは内務府が受け持った。
- 後宮に入った秀女を妃・嬪・貴人のどれにするかは、皇帝が決めた。
- 宮仕えの女性が皇帝に仕えて、常在・答応から少しずつ妃・嬪へ進むこともあった。
この形になる前
8つの位がそろったのは康熙帝のころからです。それより前は次のとおりでした。
出典と原文
このページの内容は、すべて清史稿の列伝一「后妃」(后妃伝)によります。下に根拠の原文を、底本の字のまま載せています。
根拠の原文を見る
- 位と定員
- 康熙以后,典制大备。皇后居中宫;皇贵妃一,贵妃二,妃四,嫔六,贵人、常在、答应无定数,分居东、西十二宫。
- 皇后の例(孝賢皇后)
- 乾隆二年,册为皇后
- 皇貴妃の例(那拉氏)
- 孝贤皇后崩,进皇贵妃,摄六宫事。十五年,册为皇后
- 貴妃の例(慧賢皇貴妃)
- 大学士高斌女……乾隆初,封贵妃。薨,谥曰慧贤皇贵妃
- 妃の例(容妃)
- 回部台吉和札赉女。初入宫,号贵人。累进为妃……高宗以回女为妃,附书之,以其仅见也
- 嬪の例(純恵皇貴妃)
- 事高宗潜邸。即位,封纯嫔。累进纯皇贵妃
- 貴人の例(孝儀純皇后)
- 事高宗为贵人
- 常在の例(荘順皇貴妃)
- 事宣宗,为常在。进琳贵人,累进琳贵妃……谥曰庄顺皇贵妃
- 答応の例(豫妃)
- 豫妃,尚佳氏;贵人李氏,那氏:以答应进封
- 孝儀純皇后の歩み
- 事高宗为贵人……封令嫔……累进令贵妃……乾隆二十五年十月丁丑,仁宗生……三十年,进令皇贵妃……四十年正月丁丑,薨,年四十九……六十年,仁宗立为皇太子,命册赠孝仪皇后
- 位が下がる例
- 事宣宗,为彤贵人。累进彤贵妃。复降贵人
- 後宮に入るまで
- 每三岁选八旗秀女,户部主之;每岁选内务府属旗秀女,内务府主之……秀女入宫,妃、嫔、贵人惟上命……宫女子侍上,自常在、答应渐进至妃、嫔
- この形になる前
- 太祖初起,草创阔略,宫闱未有位号,但循国俗称“福晋”……崇德改元,五宫并建,位号既明……顺治十五年,采礼官之议:乾清宫设夫人一,淑仪一,婉侍六……议定而未行