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唐の後宮の位

唐の後宮は皇后の下に四夫人・九嬪・婕妤・美人・才人・宝林・御女・采女の位があり、皇后の下の定員は合わせて121人、位ごとに品階も決まっていた。玄宗の改めも含め、位と定員、その位に実際にいた人を『旧唐書』后妃伝から表にしました。

唐のはじめの位と定員

唐は隋の制度をそのまま受け継ぎ、皇后の下に四夫人・九嬪・婕妤・美人・才人・宝林・御女・采女の位を置いた。位ごとに定員と、役人と同じ品の等級が決まっていた。

上の位ほど高い。品は役人と同じ位の等級
位定員どんな位か・実際にいた人
皇后1人

皇帝の正妻。後宮の頂点

例 武氏(のちの武則天)・高宗

太宗が亡くなったあと、太宗の后妃たちと感業寺に移っていた。高宗に呼び戻されて昭儀となり、のちに皇后に立てられた。

夫人正一品4人

皇后のすぐ下。4つの位に1人ずつ

貴妃・淑妃・徳妃・賢妃の4つ

例 昭成皇后(竇氏)・睿宗

睿宗の后妃。光宅元年(684年)に徳妃に立てられ、玄宗を産んだ。

九嬪正二品9人

夫人の下。9つの位に1人ずつ

昭儀・昭容・昭媛・修儀・修容・修媛・充儀・充容・充媛の9つ

例 上官婉児・中宗

中宗の后妃。中宗が即位すると詔の文を書く役を任され、昭容に取り立てられた。

婕妤正三品9人

九嬪の下

例 徐恵・太宗

太宗の后妃。才人から婕妤に進んだ(下の「位は上がっていく」)。

美人正四品9人

婕妤の下

才人正五品9人

美人の下

例 郭貴妃・敬宗

敬宗が即位すると才人になり、晋王を産んだ。まもなく貴妃に進んだ。

宝林正六品27人

才人の下

御女正七品27人

宝林の下

例 孝明皇后(鄭氏)・憲宗

憲宗の后妃で宣宗の母。御女の列にいたが、古い記録が欠けていて、家柄も後宮に入ったいきさつもわからないと記す。

采女正八品27人

後宮の位のいちばん下

例は、原文にその位にいたと書かれている人だけを載せています。

  • この下には、宮中の衣食や道具を受け持つ女官の役所(六尚)が置かれた。
  • 龍朔2年(662年)に役所の名前を改めたとき、後宮の位の名もすべて変えたが、咸亨2年(671年)にもとに戻した。

位は上がっていく

太宗の后妃の徐恵は、幼いころから文章が得意で、それを聞いた太宗に才人として迎えられた。婕妤・充容と進み、24歳で亡くなると賢妃の位を贈られた。

  1. 8歳で文章を書くのを好んだ
  2. 才人評判を聞いた太宗に才人として迎えられる
  3. 婕妤まもなく婕妤になる
  4. 九嬪さらに九嬪の充容に移る
  5. 夫人永徽元年24歳で亡くなり、賢妃の位を贈られた

玄宗の改め

開元年間、玄宗は「皇后の下に4人の妃を置くのは古い決まりに合わない」として、夫人の4つの位を恵妃・麗妃・華妃の3つに減らし、その下も芳儀・美人・才人に組み直した。

皇后の下をこう改めた
位定員どんな位か・実際にいた人
三妃正一品3人

それまでの夫人に代わる位

恵妃・麗妃・華妃の3つ

例 武恵妃・玄宗

玄宗の后妃。王皇后が廃されたあと恵妃の号を賜り、宮中での扱いは皇后と同じだった。

芳儀正二品6人

それまでの九嬪に代わる位

美人正三品4人

芳儀の下

才人正四品7人

美人の下

例は、原文にその位にいたと書かれている人だけを載せています。

  • その下の五品から九品は、宮中の役所の女官の位で数えた。
  • 玄宗の改めのあとも、もとの位の名は使われ続けた。
  • 代宗の后妃の独孤氏は貴妃に立てられた。(代宗)
  • 徳宗の后妃の韋氏は、貞元2年(786年)に賢妃に立てられた。(徳宗)
  • 憲宗の后妃の郭氏は、元和元年(806年)に貴妃に立てられた。(憲宗)

後宮に入るまで

  • 良い家の娘が選ばれて後宮に入った。順宗の皇后となる王氏は、そうして才人になり、13歳のとき代宗から皇太子だった順宗のもとへ与えられた。のちに憲宗を産んだ。(順宗)
  • 見た目のよさで選ばれて皇太子の宮に入り、その皇太子が即位すると位をもらうこともあった(敬宗の郭貴妃)。(敬宗)

出典と原文

このページの内容は、すべて旧唐書の列伝第一・第二「后妃」(后妃伝)によります。下に根拠の原文を、底本の字のまま載せています。

旧唐書の原文を見る
唐のはじめの位と定員(決まり)
唐因隋制,皇后之下,有贵妃、淑妃、德妃、贤妃各一人,为夫人,正一品;昭仪、昭容、昭媛、修仪、修容、修媛、充仪、充容、充媛各一人,为九嫔,正二品;婕妤九人,正三品;美人九人,正四品;才人九人,正五品;宝林二十七人,正六品;御女二十七人,正七品;采女二十七人,正八品
皇后の例(武氏(のちの武則天))
武皇后贞观末随太宗嫔御居于感业寺……高宗由是复召入宫,立为昭仪……遂立昭仪为皇后
夫人の例(昭成皇后(竇氏))
光宅元年,立为德妃。生玄宗
九嬪の例(上官婉児)
中宗即位,又令专掌制命,深被信任。寻拜为昭容
婕妤の例(徐恵)
纳为才人……俄拜婕妤
才人の例(郭貴妃)
敬宗即位,为才人,生晋王普……俄册为贵妃
御女の例(孝明皇后(鄭氏))
宪宗孝明皇后郑氏,宣宗之母也。盖内职御女之列,旧史残缺,未见族姓所出、入宫之由
唐のはじめの位と定員(補足)
其余六尚诸司,分典乘舆服御
唐のはじめの位と定員(補足)
龙朔二年,官名改易,内职皆更旧号。咸亨二年复旧
玄宗の改め(決まり)
开元中,玄宗以皇后之下立四妃,法帝喾也。而后妃四星,一为正后;今既立正后,复有四妃,非典法也。乃于皇后之下立惠妃、丽妃、华妃等三位,以代三夫人,为正一品;又置芳仪六人,为正二品;美人四人,为正三品;才人七人,为正四品
三妃の例(武恵妃)
及王庶人废后,特赐号为惠妃,宫中礼秩,一同皇后
玄宗の改め(補足)
尚宫、尚仪、尚服各二人,为正五品;自六品至九品,即诸司诸典职员品第而序之
玄宗の改め(補足)
后亦参用前号
玄宗の改め(補足)
后始册为贵妃
玄宗の改め(補足)
贞元二年,册为贤妃
玄宗の改め(補足)
元和元年八月,册为贵妃
徐恵の歩み
八岁好属文……太宗闻之,纳为才人……俄拜婕妤……再迁充容……永徽元年卒,时年二十四,诏赠贤妃
後宮に入るまで
后幼以良家子选入宫为才人,顺宗在籓时,代宗以才人赐之,时年十三……生宪宗皇帝
後宮に入るまで
以姿貌选入太子宫。敬宗即位,为才人