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清の勢力図

1684–1911年・この地図について

清の勢力図・1684年

地図を読み込んでいます…

1684年

この年の動き

地図の城の点か、下の城の名前を押すと、その城の持ち主の移り変わりと根拠の原文が出ます。地図は2本指か+で拡大でき、拡大すると小さな城も出ます。

この時代の流れ

  1. 版図の拡大1684–1758年

    • 清の勢力図・1688年(ガルダンがハルハに攻め込む)
      1688年ガルダンがハルハに攻め込む

      清、準噶爾、チベット、ロシア、ホシュート

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・武昌・南京など地図の城235か所。皇帝は康熙帝(玄燁)。
      • 準噶爾 本拠は伊犁、庫倫・喀什噶爾・烏里雅蘇台など地図の城24か所。
      • チベット 本拠は拉薩、察木多・札什倫布など地図の城9か所。
      • ロシア 地図の城2か所。
      • ホシュート 地図の城2か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1691年(ドロン・ノールの会盟)
      1691年ドロン・ノールの会盟

      清、準噶爾、チベット、ホシュート、ロシア

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・武昌など地図の城242か所。皇帝は康熙帝(玄燁)。
      • 準噶爾 本拠は伊犁、喀什噶爾・科布多・哈密など地図の城19か所。
      • チベット 本拠は拉薩、察木多・札什倫布など地図の城9か所。
      • ホシュート 地図の城2か所。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1720年(清軍がラサに入る)
      1720年清軍がラサに入る

      清、準噶爾、ロシア

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城258か所。皇帝は康熙帝(玄燁)。
      • 準噶爾 本拠は伊犁、喀什噶爾・烏魯木斉・葉爾羌など地図の城15か所。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1757年(ジュンガルの滅亡)
      1757年ジュンガルの滅亡

      清、大小和卓、ロシア、準噶爾

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城266か所。皇帝は乾隆帝(弘暦)。
      • 大小和卓 喀什噶爾・葉爾羌など地図の城7か所。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 準噶爾 地図の城1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
  2. 最大の版図1759–1841年

    • 清の勢力図・1759年(回部の平定)
      1759年回部の平定

      清、ロシア

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城274か所。皇帝は乾隆帝(弘暦)。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
  3. 内乱と列強1842–1897年

    • 清の勢力図・1842年(南京条約・香港島がイギリスへ)
      1842年南京条約・香港島がイギリスへ

      清、イギリス、ロシア

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城273か所。皇帝は道光帝(旻寧)。
      • イギリス 香港など地図の城2か所。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1853年(太平天国が南京を都に)
      1853年太平天国が南京を都に

      清、太平天国、イギリス、ポルトガル、ロシア、小刀会

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城266か所。皇帝は咸豊帝(奕詝)。
      • 太平天国 本拠は南京、地図の城6か所。
      • イギリス 地図の城は香港の1か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • ロシア 地図の城1か所。
      • 小刀会 地図の城は上海の1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1860年(北京条約・沿海州がロシアへ)
      1860年北京条約・沿海州がロシアへ

      清、太平天国、ロシア、杜文秀、苗民、イギリス

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は熱河、庫倫・拉薩・武昌など地図の城251か所。皇帝は咸豊帝(奕詝)。
      • 太平天国 本拠は南京、地図の城11か所。
      • ロシア 地図の城6か所。
      • 杜文秀 地図の城2か所。
      • 苗民 地図の城2か所。
      • イギリス 地図の城は香港の1か所。
      • ほかに ポルトガル、英仏連合軍、大成国
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1864年(天京の陥落)
      1864年天京の陥落

      清、新疆の回民、ロシア、杜文秀、陝甘の回民、苗民

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城242か所。皇帝は同治帝(載淳)。
      • 新疆の回民 喀什噶爾・烏魯木斉・葉爾羌など地図の城11か所。
      • ロシア 地図の城9か所。
      • 杜文秀 地図の城4か所。
      • 陝甘の回民 地図の城3か所。
      • 苗民 地図の城2か所。
      • ほかに イギリス、ポルトガル、太平天国、雲南の回民、河州の回民
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1871年(ロシアがイリを占める)
      1871年ロシアがイリを占める

      清、ロシア、ヤクブ・ベク、杜文秀、イギリス、ポルトガル

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城248か所。皇帝は同治帝(載淳)。
      • ロシア 伊犁など地図の城10か所。
      • ヤクブ・ベク 本拠は喀什噶爾、烏魯木斉・葉爾羌など地図の城10か所。
      • 杜文秀 地図の城2か所。
      • イギリス 地図の城は香港の1か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • ほかに 貴州の回民、粛州の回民、河州の回民、新疆の回民
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1877年(ヤクブ・ベクの滅亡)
      1877年ヤクブ・ベクの滅亡

      清、ロシア、イギリス、ポルトガル

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城266か所。皇帝は光緒帝(載湉)。
      • ロシア 伊犁など地図の城10か所。
      • イギリス 地図の城は香港の1か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1895年(下関条約・台湾が日本へ)
      1895年下関条約・台湾が日本へ

      清、日本、ロシア、イギリス、ポルトガル

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城258か所。皇帝は光緒帝(載湉)。
      • 日本 赤嵌など地図の城9か所。
      • ロシア 地図の城9か所。
      • イギリス 地図の城は香港の1か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
  4. 清の滅亡1898–1911年

    • 清の勢力図・1898年(列強の租借地)
      1898年列強の租借地

      清、ロシア、日本、イギリス、ポルトガル、ドイツ

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は北京、熱河・庫倫・拉薩など地図の城253か所。皇帝は光緒帝(載湉)。
      • ロシア 旅順など地図の城11か所。
      • 日本 赤嵌など地図の城8か所。
      • イギリス 香港など地図の城3か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • ドイツ 地図の城は膠州湾の1か所。
      • ほかに フランス
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1900年(八か国連合軍が北京に入る)
      1900年八か国連合軍が北京に入る

      清、ロシア、日本、イギリス、八か国連合軍、ポルトガル

      勢力と皇帝
      • 清 本拠は西安、熱河・庫倫・拉薩など地図の城248か所。皇帝は光緒帝(載湉)。
      • ロシア 旅順・瑷琿など地図の城13か所。
      • 日本 赤嵌など地図の城8か所。
      • イギリス 香港など地図の城3か所。
      • 八か国連合軍 北京など地図の城3か所。
      • ポルトガル 地図の城は澳門の1か所。
      • ほかに ドイツ、フランス
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。
    • 清の勢力図・1911年(辛亥革命)
      1911年辛亥革命

      中華民国、清、日本、ロシア、大モンゴル国、イギリス

      勢力と皇帝
      • 中華民国 武昌・南京・西安など地図の城137か所。
      • 清 本拠は北京、熱河・拉薩・伊犁など地図の城109か所。皇帝は宣統帝(溥儀)。
      • 日本 赤嵌・旅順など地図の城11か所。
      • ロシア 地図の城9か所。
      • 大モンゴル国 本拠は庫倫、烏里雅蘇台など地図の城5か所。
      • イギリス 香港など地図の城3か所。
      • ほかに ポルトガル、ドイツ、フランス
      • 城の数は地図が拾っている城の数で、領土の広さではありません。

清・中華帝国の皇帝と王朝

この地図について

台湾の鄭氏が清に降った翌年の1684年(康熙二十三年)から、辛亥革命の1911年(宣統三年)まで、その年の暮れにどの城と地点を誰が押さえていたかを史書から拾い、そこから勢力の範囲を描いた地図です。明清交替の地図の続きにあたります。年を動かすと境界が動きます。城の点を押すと、その城の持ち主の移り変わりと根拠の原文が出ます。

色を付けたのは、清と、清の外にあったジュンガル・ハルハ・ホシュート(青海)・チベット、清の中から立った太平天国・ヤクブ・ベク、1911年の大モンゴル国と中華民国、それに土地を取ったロシア・イギリス・日本・ドイツ・フランス・ポルトガルです。回民・杜文秀・張格爾などのほかの叛乱は、灰色に勢力名を付けました。朝鮮・越南・緬甸などは、名前だけを地図の端に置きました。

モンゴル・青海・チベット・新疆は、清に帰順した年、または清の将軍・大臣を置いた年から清の色にしています。ダライ・ラマの政権やモンゴルの諸部が自分の土地を治めていても、清の官が置かれている間は清の版図として塗りました。

地図の右下の歯車を押し、「今の都市を重ねる」を入れると今の省都などの位置が出ます。同じ歯車の「今の地名で探す」に「上海」などと入れると、その場所の城が開きます。城の欄の「Google マップで開く」は、その城の今の位置で Google マップを開きます。

年は清の暦の年の立て方に従っています。十二月の出来事はその年に入り、今の暦では翌年の1月〜2月にあたることがあります。最後の1911年だけは、清の暦の年の暮れ(今の暦の1912年2月)だと宣統帝の退位の後になるので、今の暦の12月31日の様子を描いています。

この地図の作り方

史書から、主な城と辺境の地点278か所について「その年の暮れに誰がその城を押さえていたか」を年ごとに拾い、持ち主が変わった年ごとに根拠の原文を付けました。根拠は清史稿(本紀・地理志・邦交志・籓部伝・列伝)を主に、清実録(咸豊・同治・光緒・宣統)・欽定外藩蒙古回部王公表伝・台湾通史で裏を取りました(引用は合わせて635件。すべて原文の該当行に文字どおりあることを機械で照合済み)。包囲や、その年のうちに退いた一時的な占領では持ち主を変えていません(太平天国の北伐が通った城など)。条約で割いた土地と租借地は、条約を結んだ年から相手の国の色にしました。

境界は、その城の持ち主から機械的に推定した線です。地表を4km四方に区切り、山の険しさと大河の渡りにくさを考えた「たどり着く手間」が最も小さい城の勢力に塗り分けました。どの城からも遠い土地は塗らず、色をかすれさせています。モンゴル高原と青海・チベットの高原は城が少ないので、そこの地点は平地で約480kmまで、新疆のオアシスの城は約420kmまで塗り広げています。

今のロシアの土地のうちシベリア(アルグン川より西)は、どの年もロシアの色にしました。今のカザフスタン・キルギスは、ロシアがそこの城を取った1864年からロシアの色にし、それより前はどの勢力の色も付けていません。朝鮮・越南など今のほかの国の土地は塗っていません。

同じ勢力の城どうしが離れていて色が途切れるときは、ほかの勢力の土地を通らない道筋(平地で約400km以内)があれば、その道筋に沿った帯でつなぎました。まわりをほかの勢力の土地に囲まれた城(飛び地)は、その城を中心にした半径約36kmの丸で描きました。

黄河は、1855年(咸豊五年)の銅瓦廂の決壊より前は徐州・淮安を経て黄海に入る昔の流路、1855年からは山東を経て渤海に入る今の流路で描いています。

当時の境は線ではなく帯で、この地図の線もその帯のおおよその位置を示すにとどまります。

確かでないところ

  • 1911年の暮れの各省の城は、省都が清から離れた(独立を宣した)ことは史書にありますが、省の中の城が一つずつ離れた日は書かれていないものが多いので、91か所は省都に合わせて中華民国の色にしています(城の欄に「推定」と出ます)。中華民国の成立は1912年1月1日で、1911年の暮れは各省の軍政府がまだ1つの政府になる前です。
  • ヤクブ・ベクが南新疆の城を取った年は、清史稿がまとめて同治三年(1864年)に書くだけで、城ごとの年がありません。喀什噶爾・英吉沙爾は1865年、葉爾羌は1866年、和闐・阿克蘇・烏什・庫車・喀喇沙爾は1867年に置いています(城の欄に「年は推定」と出ます)。
  • チベットは1720年に清軍がラサに入ってから清の色にしています。ダライ・ラマの政権がチベットを治め、清は駐蔵大臣を置いて兵を駐めていたので、どこまでを清の版図と見るかには今も議論があります。
  • アムール川の北と沿海州(伯力・廟街・海参崴など)、ハルハが清に帰順した直後の外モンゴル、清に帰順したばかりの新疆の城などは、清の官がまだ置かれていない年があり、城の欄に「名目上の服属」と出ます。
  • 城の点は今の市・県の位置に置きました(遺跡の正確な位置ではありません)。モンゴル・青海・チベットの地点には、盟や部の中心地・寺・駐在の大臣の居所を選んでいます。
  • 海岸線と黄河の下流を除く川は現代のものです。
  • 清はサイトの王朝の色、ほかはこの地図だけの色です。同じ色の勢力は、同じ年には並んでいません。

出典とライセンス

  • 史書の本文: 殆知閣(daizhigev20)の電子テキスト(引用は簡体字のまま)。清史稿・清実録(咸豊・同治・光緒・宣統)・欽定外藩蒙古回部王公表伝・台湾通史
  • 海岸線・川・湖・今の都市と省の境: Natural Earth(パブリックドメイン)
  • 地形の陰影: NOAA ETOPO1(パブリックドメイン)