
秘密の立儲次の皇帝となる跡継ぎを定めることによって位を継ぎ、鴉片をめぐる英国との戦争に敗れて五港を開いた清の皇帝である。
道光帝の人物データ
- 生年
- 1782年9月16日
- 在位
- 1820年10月3日〜1850年2月25日
- 没年
- 1850年2月25日69歳(数え年)長生き順同率17位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓愛新覚羅諱旻寧廟号宣宗諡号成皇帝元号道光呼び名の見方
- 目立つ記録
- 反乱を起こされた 36回多い順4位
出典
- 在位
- 清史稿 本紀十七〜十九(宣宗本紀一〜三)
- 死因
- 清史稿 宣宗本紀三
- 即位経路
- 清史稿 宣宗本紀一
生涯
どんな皇帝か
清史稿の論は、恭倹寛仁の守成の君としつつ、外国との貿易から戦が起こり、国の傾きはここに始まったと評する。
即位まで
嘉慶帝の次子で、母は孝淑睿皇后である。1799年、嘉慶帝は家法に従って旻寧の名を自ら書き、箱に封じた。1813年に林清の一党が紫禁城に乱入したときには、鳥銃火縄銃のことで賊2人を撃ち倒し、智親王に封じられた。1820年に嘉慶帝が熱河で危篤となると、大臣たちが箱を開いて旻寧を皇太子に立て、皇太后も懿旨を下して位に就くよう伝えた。同じ年に太和殿で即位した。
治世と最期
1828年には回疆の張格爾を捕らえ、市で磔にした。1838年の末、林則徐を欽差大臣皇帝から特別な任務を命じられて送られる大臣として広東へ送り、林則徐は1839年に英商から鴉片二万箱余りを差し出させて焼いた。
1840年に英軍が定海を落とすと、琦善を欽差大臣として広東へ送り、林則徐を罷免して琦善に両広総督を代理させた。琦善は香港を英に許しながら上奏できず、1841年に英の文書を奏すると、帝は怒って許さなかった。1842年、耆英らが英軍と停戦を議し、条約に御宝を押すことを請うた。英は銀二千百万両と香港、五港での通商を求め、条約は静海寺で調印された。
1850年、皇太后の喪に服しながら病に倒れ、危篤のなかで箱を開かせて皇四子を皇太子に立て、その日に円明園で没した。
史料について
香港を許した件と条約の中身は清史稿の邦交志が書き、宣宗本紀は条約の名も香港の割譲も記さない。
道光帝とつながる皇帝

勢力図
清の勢力図で見る
1820–1850年の地図に、道光帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱36・皇后2・改元1・大赦1
- 改元1820年10月3日元号を「道光」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1820年10月3日即位・
建元の詔と同日に発布された恩赦。 - 反乱1821年河南新蔡教匪硃麻子起義
- 皇后1822年継妃佟佳氏(のちの孝慎成皇后)を皇后に冊立。
- 反乱1822年河南虞城盧照常起義
- 反乱1826–1828年張格爾之乱(回疆)
- 反乱1829年回疆安集延回匪再侵
- 反乱1831年広東黎匪起義
- 反乱1832年湖南江華瑶族趙金龍起義
- 反乱1832年和闐回塔瓦克起義
- 反乱1832年教匪尹老須起義
- 反乱1832–1833年台湾嘉義張丙・
陳辦起義 - 反乱1832年広東曲江・
乳源盗匪起義 - 反乱1833–1838年四川越巂・
瓘辺・ 馬辺彝族起義(反復) - 皇后1834年皇貴妃鈕祜祿氏(のちの孝全成皇后)を皇后に冊立。
- 反乱1834年広東儋州黎匪起義
- 反乱1835年山西趙城曹順起義
- 反乱1836年湖南武岡州藍正樽起義
- 反乱1837年山東濰県教匪馬剛起義
- 反乱1837年福建嘉義教匪沈知起義
- 反乱1838–1839年貴州仁懐謝法真起義
- 反乱1841–1842年湖北崇陽鍾人傑起義
- 反乱1843年湖南武岡曾如炷起義
- 反乱1844年湖南耒陽楊大鵬起義
- 反乱1845年甘粛西寧番族起義
- 反乱1845年山東捻匪初期蜂起
- 反乱1846年雲南永昌回漢衝突
- 反乱1846年湖南新田王棕献起義
- 反乱1846年江蘇昭文金得順起義
- 反乱1846–1847年回疆布魯特・
安集延(七和卓)之乱 - 反乱1847年雲南雲州回匪起義
- 反乱1847–1848年湖南新寧瑶族雷再浩起義
- 反乱1847–1848年湖南乾州苗族起義
- 反乱1848年江西長寧・
崇義匪乱 - 反乱1848年雲南趙州・
保山匪乱 - 反乱1849年四川瞻対番工布朗結起義
- 反乱1849年雲南騰越・
保山界外野夷起義 - 反乱1849年福建閩県林仕起義
- 反乱1849年湖南新寧李沅發起義
- 反乱1849年湖南道州黄三起義
清の歴代皇帝
歴代12人の一覧年表
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