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康熙帝の肖像画

清第4代

康熙帝玄燁

在位 1661–1722年(61年318日)1661年2月5日 〜 1722年12月20日

日本は江戸時代

の乱を鎮め、台湾を降し、ロシアとの国境を定めた清の皇帝である。

康熙帝の人物データ

生年
1654年5月4日
在位
  • 1661年2月5日〜1722年12月20日
61年318日長い順1位/365人8歳で即位(数え年)
没年
1722年12月20日69歳(数え年)長生き順同率17位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
次代
呼び名
姓愛新覚羅諱玄燁廟号聖祖諡号仁皇帝元号康熙呼び名の見方
目立つ記録
  • 皇后を立てた 3回多い順同率5位
  • 皇太子を廃した 2回多い順同率2位

出典

在位
清史稿 本紀六(聖祖本紀一)・本紀八(聖祖本紀三)
死因
清史稿 巻八(聖祖本紀三)
即位経路
清史稿 巻六(聖祖本紀一)

生涯

どんな皇帝か

清史稿は、学問が深く儒学を尊び、政務の合間にも物事の理を究めたことを、古今に例が無いと称える。

即位まで

順治帝の三男である。幼いころ父に望みを問われ、兄が賢い王になりたいと答えたのに対し、父のようになりたいと答えて驚かせた。順治帝は遺言で康熙帝を皇太子に立て、索尼・蘇克薩哈・遏必隆・鰲拝の4人に補佐させた。1661年に順治帝が亡くなり、幼くして即位した。

治世と最期

を始めた年、鰲拝はの蘇克薩哈の一族を死罪とする案を、康熙帝が許さないのに何日も迫って通した。康熙帝は力の強い少年の侍衛たちに相撲の遊びをさせておき、参内した鰲拝を取り押さえさせて獄に入れた。

1673年に呉三桂らのの願いを聞き入れると、呉三桂はその冬に挙兵し、乱は1681年に孫の呉世璠が自殺するまで続いた。ジュンガルのガルダンを自ら兵を率いて攻め、1697年にガルダンが毒を仰いで死んだと知らされた。の帰りの舟で夜更けまで本を読み、休むよう勧められると、5歳から毎晩読んでいるが楽しいので疲れないと答えた。祖母のが病むと歩いて天壇に祈り、亡くなると辮髪を切り、宮殿へ戻るよう群臣に請われても許さなかった。1710年、全国の税を3年かけて免じると決め、同じ月、江南の税の欠けは自分の度重なる南巡で地方が流用したためかもしれないと述べた。1717年の詔では、三藩や漠北を平らげてもみだりに一人も殺さず、国庫の金も出兵と飢饉の救済のほかにはみだりに使わなかったと振り返った。

1708年に胤礽を廃したときは、乱暴でみだらな振る舞いを20年耐えてきたと泣いて地に伏し、6晩眠れなかった。胤礽の悪行は呪いのせいだったと述べ、廃したことを悔いる言葉も漏らし、翌年皇太子に戻した。1712年に胤礽を再び廃し、その後は太子を立てなかった。1713年には戴名世が著述を咎められて処刑され、1718年には胤礽の復位を上奏した朱天保を自ら問いただして処刑させた。1722年に病んで暢春園に戻り、世宗本紀によれば、危篤の日に皇四子の胤禛(雍正帝)が呼ばれて位を継がせる詔が宣され、その夜に没した。の書き換えや毒殺の話は清史稿のの該当条にも隆科多の伝にも無い。伝は、危篤の聖祖に召されてを受けたと書き、のちの罪状では、そのときそばにいなかったのに匕首を帯びていたと偽ったと挙げる。

康熙帝とつながる皇帝

清の勢力図(1684年)

勢力図

清の勢力図で見る

1684–1722年の地図に、康熙帝が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱14・親征3・皇后3・皇太子2・改元1・大赦11
  1. 改元1661年2月5日元号を「康熙」とする
  2. 反乱1661年10月山東于七の乱
  3. 1665年星変・地震を機とした肆赦。
  4. 皇后1665年赫舍里氏(輔政大臣索尼の孫女、後の孝誠仁皇后)を皇后に冊立。
  5. 1667年上(14歳)の親政開始に伴う恩赦。
  6. 1670年孝康章皇后(生母)の尊謚追加・太廟升祔に伴う恩詔。
  7. 反乱1673–1681年三藩の乱
  8. 反乱1675年察哈爾布爾尼の乱
  9. 反乱1675年麻城土寇鄒君升の乱
  10. 1676年皇子胤礽を皇太子に立てたことに伴う恩赦。
  11. 皇后1677年貴妃鈕祜祿氏(後の孝昭仁皇后)を皇后に冊立、同時に佟佳氏を貴妃とした。
  12. 1682年三藩の乱平定(雲南平定)を受けての恩詔。
  13. 1687年仲夏の旱害を機とした恩赦。
  14. 反乱1688年湖廣督標裁兵夏逢龍の乱
  15. 皇后1689年貴妃佟氏(後の孝懿仁皇后)を皇后に冊立。
  16. 1690年旱害を機とした恩赦。
  17. 1690年噶爾丹(準噶爾)
  18. 1696年平陽(山西)地震を機とした複数省の逋賦免除に併せた恩赦。
  19. 1696年噶爾丹(準噶爾)
  20. 1697年噶爾丹(準噶爾)
  21. 反乱1698–1699年湖南山賊黄明・陳丹書の乱
  22. 反乱1700–1701年四川打箭爐土蛮の乱
  23. 反乱1701–1702年広東連山瑤の乱
  24. 反乱1702年貴州葛彝寨苗人の乱
  25. 1703年万寿節(数え50歳)に伴う恩赦。
  26. 反乱1707年貴州三江苗人の乱
  27. 皇太子1708年皇太子胤礽の廃位を天下に布告。
  28. 反乱1708年浙江大嵐山賊張念一・硃三の乱
  29. 皇太子1712年復立されていた皇太子胤礽が再び廃された。
  30. 1713年万寿節(60歳)に伴う恩赦。
  31. 反乱1721年山東塩徒王美公等の乱
  32. 反乱1721年台湾朱一貴起義
  33. 反乱1722年4月福州駐防兵譁
  34. 日付不詳雲南平定を告廟祭陵した際の大赦。

清の歴代皇帝

歴代12人の一覧
  1. 第1代ヌルハチ皇帝を名乗っていない1616–1626年

年表

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清が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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