代宗の人物データ
- 生年
- 726年727年1月9日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 726年12月13日)
- 在位
- 762年5月18日〜779年6月10日
- 没年
- 779年6月10日53歳(数え年)長生き順同率70位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓李諱豫呼び名の見方
出典
- 在位
- 旧唐書 本紀第十一 代宗
- 死因
- 旧唐書 巻十一(代宗紀)
- 即位経路
- 旧唐書 巻十一(代宗紀)
生涯
どんな皇帝か
旧唐書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は、度量が広く寛大で決断ができ、喜びも恐れも顔に出さなかったと記す。新唐書の賛は、乱を平らげて守成した李豫を、中くらいの才の君主と評する。
即位まで
粛宗の長子で、母は呉氏である。生まれて三日目には弱々しく、乳母が別の子とすり替えたが、玄宗が喜ばないので白状した。本当の孫を見た玄宗は、福はその父に過ぎると喜んだ。度量が広く寛大で決断ができ、喜びも恐れも顔に出さず、学問を好んで玄宗に可愛がられた。元帥として出陣するときは宮門を歩いて出てから馬に乗り、援軍の回紇の葉護王子と兄弟の契りを結んで、香積寺の戦いで賊を破った。758年に皇太子となった。762年、粛宗が危篤になると、張皇后が越王李係を引き入れて廃立君主や跡継ぎを退け、別の人を立てることを図ったが、宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男の李輔国と程元振が皇太子を護り、粛宗が没すると李豫は柩の前で即位した。
治世と最期
同じ年、李輔国が自邸で殺され、首を持ち去られた。雍王李适に回紇などの兵を率いさせて史朝義を討たせ、河北は平定された。
763年、吐蕃が長安に迫ると陝州へ逃れ、吐蕃は長安に入ったが、郭子儀が都を取り戻した。責めを問われた程元振を、護衛の功を重んじて斬らず、官爵官職と爵位を削って郷里に帰した。767年、娘の升平公主皇帝の娘が夫の郭曖との口論を訴えると、なだめて帰し、罪を待つ郭子儀には、痴ならず聾ならざれば家翁と作らずと言った。770年、元載らが魚朝恩を除く計を奏すると許した。宴の後に留めた魚朝恩の叛意を責めると、周皓らが絞め殺し、外には自ら首をくくったと伝えた。
寵愛した独孤氏の娘の華陽公主が774年に亡くなると数日朝政を見ず、翌年に独孤氏が亡くなると、内殿に殯して何年も宮から出さなかった。778年、民の田に水が行き渡らなくなる水車を壊させる詔を出し、訴えた升平公主にも率先して壊させた。779年、病んで皇太子に監国君主に代わって、または見張り役として国の政治を預かることを命じたその夜に没した。
史料について
李輔国を殺したのを、両唐書の本紀と旧唐書の伝は盗とし、新唐書の伝は李豫が刺客を遣わしたとする。資治通鑑の考異は、同じ説を引いたうえで旧唐書に従う。魚朝恩の死を、旧唐書の本紀と伝は自ら首をくくったとし、新唐書の本紀は自殺とし、資治通鑑の考異はこれらを退けている。旧唐書の伝は、代宗は旧恩によって責めなかったとする。独孤氏の死を、同じ旧唐書の姚南仲伝は778年とする。
代宗とつながる皇帝

勢力図
唐の勢力図で見る
762–779年の地図に、代宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱7・改元3・大赦9
- 反乱762年史朝義(安史の乱残存勢力)鎮圧
- 反乱762–763年台州の乱(袁晁の反乱)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。762年6月丹鳳楼にて即位後最初の大赦。
- 改元763年元号を「広徳」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。763年広徳改元と同時の大赦。
- 反乱763年王献忠の離反(射生将の禁軍離反)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。764年
- 反乱764–765年僕固懐恩の乱
- 改元765年元号を「永泰」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。765年永泰改元と同時の大赦。
- 改元766年元号を「大暦」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。766年大暦改元と同時の大赦。
- 反乱766–767年周智光の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。770年彗星消滅を機に大赦。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。772年旱害による刑官濫用を戒める詔の中で大赦。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。774年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。775年
- 反乱775–776年田承嗣の反乱(魏博節度使の抗命・
自立) - 反乱776年李霊曜の乱(汴州の反乱)
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
年表
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