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徳宗の肖像画

唐第12代()

徳宗李适

在位 779–805年(25年258日)779年6月12日 〜 805年2月25日

日本は奈良・平安時代

李适は唐の代宗の長子で、楊炎の奏請したを行い、長安の兵変で奉天へ逃れた皇帝である。

徳宗の人物データ

生年
742年5月27日
在位
  • 779年6月12日〜805年2月25日
25年258日長い順34位/365人38歳で即位(数え年)
没年
805年2月25日64歳(数え年)長生き順同率26位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 代宗唐徳宗は代宗の子
次代
  • 順宗唐順宗は徳宗の子
呼び名
姓李諱适呼び名の見方

出典

在位
旧唐書 本紀第十二 德宗上/本紀第十三下 德宗下
死因
旧唐書 巻十三(徳宗紀下)
即位経路
旧唐書 巻十二(徳宗紀上)

生涯

どんな皇帝か

旧唐書のは、即位当初の李适が政治に励んで直言を受け入れ、後宮の女性を出し、鷹犬を解き、献じられた象を放ったと称える。同じ史臣は、盧杞のへつらいを受け入れ続け、延齢の謀を取って陸贄を宰相から退けたと責め、新唐書の賛は、猜疑深く刻薄で正論に屈するのを恥じたと評する。

即位まで

742年に生まれ、764年に皇太子に立てられた。779年、代宗が崩じると太極殿で即位した。

治世と最期

旧唐書の楊炎伝によれば、両税法は楊炎の奏請によるもので、住む所で籍に付け、夏と秋の二度に徴した。旧唐書の后妃伝によれば、安史の乱で行方が知れない母の沈氏を、李适は780年に遥かに皇太后と尊び、すすり泣きを抑えられなかった。新唐書の后妃伝は、母と取り違えて迎えられた高力士の娘を李适が許し、百回欺かれようとも一度本物を得たいと言ったと書く。

783年、救援に向かう涇原の兵が、ねぎらいの食事の粗末さに怒り、宮中の財宝を奪おうと長安へ引き返すと、李适は太子らと奉天へ逃れた。乱兵は朱泚を迎えて帥とし、奉天は包囲された。李适は渾瑊と向き合って泣いたが、囲みは李懐光の軍が近づいた夜に解けた。784年、李适は奉天で自らの非を認める詔を下して興元とし、李希烈らの罪を洗い流したが、朱泚だけは赦さなかった。まもなく李懐光も背くと梁州へ移り、朱泚が斬られたのちに長安へ還った。

旧唐書の后妃伝によれば、皇后に立てた王氏がまもなく没すると、李适は謚冊を非礼として、廟の楽章を拙いとして書き直させた。旧唐書の張建封伝によれば、が物を買いたたくは改められず、李适は張建封の奏上を嘉納しながら、蘇弁の言を信じてその後は宮市を言う者を聞き入れなかった。805年、李适は崩じた。資治通鑑は、らの賀に皇太子だけが病で来られず、悲嘆したことがもとで李适も病み、日ごとに重くなったとする。

徳宗とつながる皇帝

あわせて読む唐の後宮の位皇后から采女までの位と定員、実際にいた人唐の勢力図(779年)

勢力図

唐の勢力図で見る

779–805年の地図に、徳宗が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱15・皇后1・改元3・大赦8
  1. 779年即位直後に丹鳳楼にて大赦。
  2. 改元780年元号を「建中」とする
  3. 780年郊丘での親祭当日、還宮して丹鳳門にて大赦。
  4. 反乱780年劉文喜の反乱(涇原)
  5. 反乱781–782年李惟岳の反乱(成德)
  6. 反乱781–784年田悦の反乱(魏博、四王の乱の一角)
  7. 反乱782–784年硃滔の反乱(盧龍/幽州、四王の乱の一角)
  8. 反乱782–784年王武俊の反乱(成德、四王の乱の一角)
  9. 反乱782–785年李納の反乱(淄青/平盧、四王の乱の一角)
  10. 反乱782–786年李希烈の反乱(淮西/淮寧)
  11. 反乱783–784年硃泚の反乱(涇原兵変・自立帝、奉天の囲み)
  12. 改元784年元号を「興元」とする
  13. 784年興元改元の詔とともに大赦。
  14. 784年長安へ還ったのち、丹鳳楼にて大赦。
  15. 反乱784–785年李懐光の反乱(朔方)
  16. 反乱784年田希鑑の反乱(涇州の乱)
  17. 改元785年元号を「貞元」とする
  18. 785年貞元改元の詔とともに大赦。
  19. 785年圜丘での親祭後、丹鳳楼にて大赦。
  20. 皇后786年淑妃王氏を皇后に冊立する旨の詔が出され、3日後の丁酉に正式な冊立の儀(冊皇后王氏)が行われた。
  21. 788年丹鳳楼にて大赦(大辟以下の罪をことごとく赦除)。
  22. 反乱788年邠寧軍の反乱(貞元四年)
  23. 反乱792年襄州軍の反乱(貞元八年)
  24. 793年圜丘での親祭後、丹鳳楼にて大赦。
  25. 反乱794年汴州軍の反乱(貞元十年、李万栄に対する反乱)
  26. 反乱799年汴州軍の反乱(貞元十五年、陸長源殺害)
  27. 反乱799–800年呉少誠の反乱(淮西)

唐の歴代皇帝

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