姚興は後秦の第二代皇帝で、鳩摩羅什を迎えて経典を訳させ、晩年には子の姚弼が皇太子の位を奪おうとした。
文桓帝の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 394年〜399年
- 没年
- 416年3月51歳(数え年)長生き順同率79位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
出典
- 在位
- 晋書 巻一百十七 載記第十七(姚興上)
- 死因
- 晉書/卷118 姚興載記下
- 即位経路
- 晉書/卷117 姚興載記上
生涯
どんな皇帝か
晋書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は、強敵を破って父の業を継ぎ、賢者を求め兄弟に睦まじかったことを楚の荘王・秦の穆公も及ばないと褒め、その後は功を誇って諫めを拒んだと批判する。
即位まで
姚萇の長子で、苻堅の太子舎人皇太子に仕える側近の役人だったが、長安から危険を冒して父のもとへ奔り、皇太子に立てられた。皇太子として長安を守ったときは、梁喜らと経籍を論じ合い、戦乱の中でも学問をやめなかった。父の没後は喪を伏せて叔父や弟を要地に置き、尹緯が苻登を破ると喪を発して、394年に槐里で帝位に即いた。
史料について
十六国春秋の別伝は、姚興を姚萇の少子とする。
治世と最期
倹約で車馬に飾りをつけなかったが、狩猟を好んで農事を損ない、諫める詩や賦を褒めて賞しながら改めなかった。叔父の姚緒と姚碩徳には家族の礼をとり、朝廷の大事は必ず二人に諮ってから行った。397年に母が死ぬと礼を超えて嘆き悲しみ、葬儀の後も素服喪のときに着る、白く飾りのない服で朝に臨むよう説いた李嵩を、尹緯の反対を退けて忠臣・孝子と呼んだ。399年、災異天の戒めとされた天災や怪しい出来事が続いたとして帝号皇帝という称号を降ろし、王と称した。捕らえた東晋の太守郡を治める長官辛恭靖に、羌の賊の臣にはならないと拒まれると、怒って別室に閉じ込めた。鳩摩羅什を国師君主が師として敬った高僧の礼で迎えて経典を訳させ、州郡では仏に仕える者が十軒に九軒に及んだ。402年には北魏を討ったが、蒲坂で怖れて進みかね、柴壁に囲まれた姚平を救えなかった。
晩年は寵愛した子の姚弼が皇太子の姚泓を圧し、姚弼の誣告を信じて姚文宗に死を賜ったので、群臣は姚弼の短所を言わなくなった。姚興が病むと、姚弼が私邸に兵を伏せ、兄弟は姚泓の難に赴こうと兵を挙げたが、病が癒えた姚興は姚弼の才を惜しんで尚書令国の政務を執り行う役所の長官を免じるだけにとどめた。再び私邸に兵を集めると、党の唐盛らを殺して姚弼を囚えたが、残る党与は姚泓が泣いて願うので赦した。
病が重くなると、子の姚愔が端門宮城の正面にある門を攻めたが、病を押して前殿に出て姚弼に死を賜った。416年、姚紹らに輔政君主を助けて代わりに政治を執ることを託して没した。
史料について
降ろした後の称号を、晋書の載記晋書で、晋とは別に国を建てた君主たちの記録と資治通鑑は王とし、十六国春秋と魏書は天王天子や君主。十六国や北周で皇帝の代わりに用いた称号とする。魏書はこれを398年に置く。没年を、晋書の安帝紀は415年とするが、資治通鑑の考異はこれを年次のずれによる誤りとみる。蒲坂で進まなかったとするのは晋書の載記で、資治通鑑と十六国春秋はしばらくして兵を進めたとする。
文桓帝とつながる皇帝

勢力図
五胡十六国の勢力図で見る
394–399年の地図に、文桓帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱12・親征11・皇后2・改元2・大赦4
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。393–394年苻登(前秦残存政権)
- 改元394年元号を「皇初」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。394年
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。394年強熙・
楊多・ 竇沖(自立を図った後秦の将軍ら) - 反乱394年強熙・楊多・竇沖の乱
- 反乱394–396年鮮卑薛勃の乱(初回)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。397年鮮卑薛勃(二度目の大規模反乱、上郡・
弐川の雑胡も呼応) - 反乱397年鮮卑薛勃の乱(二回目・
大規模) - 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。398–399年東晋(弘農・
陝城・ 上洛) - 改元399年元号を「弘始」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。399年
- 反乱399–400年武都氐・屠飛・啖鉄の乱
- 反乱399–406年仇池公・
楊盛の乱(第一次) - 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。400年乞伏乾帰(西秦、当時は独立政権)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。402年北魏
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。407–408年赫連勃勃(旧配下の没奕于を殺して自立した夏国)
- 反乱407–416年赫連勃勃(夏)の乱
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。410年赫連勃勃配下の胡金纂ほか(平涼方面)
- 反乱410年乞伏乾帰の再叛
- 反乱411–412年貳県羌の乱
- 反乱412–413年遼東侯・
弥姐亭地の乱 - 反乱413–416年姚弼(広平公)・
姚愔のクーデター未遂 - 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。415年赫連勃勃(杏城方面)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。415–416年妖賊李弘・氐仇常(貳原の反乱)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。415–416年仇池公楊盛
- 反乱415–416年妖賊李弘・氐仇常の乱
- 反乱415–416年仇池公・
楊盛の乱(第二次) - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 皇后日付不詳皇后を立てる
- 皇后日付不詳皇后を立てる
後秦の歴代皇帝
歴代3人の一覧- 第1代武昭帝386–393年病死
- 第2代文桓帝394–399年病死
- 第3代姚泓416–417年処刑
年表
五胡十六国の時代を年表で見る
後秦が