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徽宗の肖像画

北宋第8代

徽宗趙佶

在位 1100–1125年(25年329日)1100年2月23日 〜 1126年1月18日 ( 1125年12月23日まで)

日本は平安時代

兄の哲宗の跡を継いで蔡京を用い、花石綱で民を苦しめ、金に北へ連れ去られて五国城で没した北宋の皇帝である。

徽宗の人物データ

生年
1082年11月2日
在位
  • 1100年2月23日〜1126年1月18日 1125年12月23日まで
25年329日長い順33位/365人19歳で即位(数え年)1125年に欽宗に位を譲り(内禅)、10年後の1135年に没
没年
1135年6月4日54歳(数え年)長生き順同率62位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 哲宗北宋徽宗は哲宗の弟
次代
  • 欽宗北宋欽宗は徽宗の子
呼び名
姓趙諱佶呼び名の見方
目立つ記録
  • 大赦 26回多い順2位

出典

在位
宋史 本紀十九 徽宗一(即位)/本紀二十二 徽宗四(内禅)
死因
金史 本紀四(熙宗)
即位経路
宋史 本紀十九(徽宗一)

生涯

即位まで

神宗の第十一子である。1100年に哲宗が子の無いまま没すると、宰相の章惇は哲宗と同母の簡王を推したが、向太后は順序から端王を立てるべきだと退けた。太后が、先帝は端王に福寿があり仁孝だと言っていたと述べると章惇は黙り、端王が召されて即位した。

史料について

章惇が端王を軽佻で天下の君にはなれないと言ったのを、宋史ではと章惇伝には無く賛にだけあり、清代の続資治通鑑は即位の場面に置いて曾布に叱られたとする。

治世と最期

初めのころ、宮苑の珍しい鳥獣を諫められて放し、去らなかった白鷴を追った杖に、諫めた江公望の名を刻んだ。1102年に蔡京を宰相とし、父と兄の志を継ぎたいがどうすべきかと問うた。同じ年に元祐の旧臣ら120人の名を自ら筆を執って端礼門に刻ませ、1104年には309人に広げて刻み直させたが、1106年に彗星が出るとの碑を壊した。花石を好み、蔡京は朱勔を通して浙中の珍品を献じさせ、その船団は花石綱と呼ばれた。の林霊素に上帝の長子だと説かれて喜び、1117年には道教の文書に限って教主道君皇帝と称させた。1120年、花石の害に苦しむ人々に乗じて、青渓で方臘が兵を挙げた。

金軍が二手から攻め込むと、どうしたらよいかと宇文虚中に問い、勧められて自らを責める詔を下した。花石綱を罷め、皇太子に位を譲った。

1127年、金軍に北へ連れ去られた。道中、襟に、すぐ位につき父母を救いに来いとしたためて子の康王に届けさせ、自分のことは気にかけるなとも伝えさせた。金から昏徳公に封じられ、1135年に五国城で没した。

史料について

方臘が苦しむ人々に乗じたとするのは宋史の童貫伝である。北へ発った日を、宋史の徽宗本紀は、欽宗本紀では青城へ連れ出された日とする日に置く。宋史の本紀も金史も死因を書かない。本紀の賛は、正しい士を退けて姦臣を近づけたことを国を失った理由とし、玩物喪志の最たる者と評する。

徽宗とつながる皇帝

宋・遼・金・西夏の勢力図(1100年)

勢力図

宋・遼・金・西夏の勢力図で見る

1100–1125年の地図に、徽宗が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱7・皇后2・改元6・大赦26
  1. 1100年2月即位に伴う特別な恩赦。
  2. 皇后1100年3月順国夫人王氏(後の顕恭皇后)を皇后に立てる。
  3. 1100年5月
  4. 改元1100年12月元号を「建中靖国」とする
  5. 改元1101年元号を「崇寧」とする
  6. 1101年改元決定と同日の恩赦。
  7. 1103年
  8. 1104年圜丘祭祀に伴う恩赦。
  9. 1105年
  10. 改元1106年元号を「大観」とする
  11. 1106年星変(彗星出現)を受けた恩赦。
  12. 1107年
  13. 1107年大饗明堂に伴う恩赦。
  14. 1108年元圭受納の儀に伴う恩赦。
  15. 改元1110年元号を「政和」とする
  16. 1110年
  17. 1110年改元決定と同日の恩赦。
  18. 皇后1110年貴妃鄭氏を皇后に立てる。
  19. 1111年病気平癒による恩赦。
  20. 1112年冬至の元圭受納儀に伴う恩赦。
  21. 1113年圜丘祭祀に伴う大赦。
  22. 1115年皇太子冊立に伴う恩赦。
  23. 反乱1115–1116年瀘南晏州夷の反乱(卜漏)
  24. 1116年上帝徽号宝冊奉上に伴う恩赦。
  25. 1116年圜丘祭祀に伴う恩赦。
  26. 1117年大饗明堂に伴う恩赦。
  27. 改元1118年元号を「重和」とする
  28. 1118年
  29. 1118年改元決定と同日の大赦。
  30. 改元1119年元号を「宣和」とする
  31. 1119年圜丘祭祀に伴う恩赦。
  32. 反乱1120–1121年方臘の乱
  33. 1121年
  34. 反乱1121年宋江の乱
  35. 1122年圜丘祭祀に伴う恩赦。
  36. 1124年燕雲十六州回復を記念する恩赦。
  37. 1125年圜丘祭祀に伴う恩赦。
  38. 反乱1125年河東義勝軍の叛乱
  39. 反乱日付不詳淮西の盗乱
  40. 反乱日付不詳張萬仙の群盗
  41. 反乱日付不詳賈進の群盗(山東寇)

北宋の歴代皇帝

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年表

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