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永楽帝の肖像画

明第3代

永楽帝朱棣

在位 1402–1424年(22年26日)1402年7月17日 〜 1424年8月12日

日本は室町時代

燕王から挙兵して甥の建文帝の位を奪い、北京へ都を移し、自らモンゴルへ5度出兵した明の皇帝である。

  • 1403年

    足利義満

    日本国王源道義(足利義満)の使いが国書と貢ぎ物を届け、永楽帝は冠服と金印を贈った。

    原文
    • 永乐元年又遣左通政赵居任― 明史(列伝第二百十 外国三(日本の条))
    • 十月,使者至,上王源道义表及贡物。帝厚礼之,遣官偕其使还,赉道义冠服、龟钮金章― 明史(列伝第二百十 外国三(日本の条))

永楽帝の人物データ

生年
1360年
在位
  • 1402年7月17日〜1424年8月12日
22年26日長い順51位/365人43歳で即位(数え年)
没年
1424年8月12日65歳(数え年)長生き順同率24位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
次代
呼び名
姓朱諱棣廟号成祖諡号文皇帝元号永楽呼び名の見方
目立つ記録

出典

在位
明史 本紀第六・第七 成祖二・成祖三
死因
明史 本紀第七(成祖三)
即位経路
明史 本紀第五・第六(成祖一・二)

生涯

どんな皇帝か

明史の賛は、倹約や災害への素早い救い、人を見抜く力を称えながら、建文の年号を消し去ったころの道に外れた行いは覆い隠せないとする。

即位まで

太祖の四男で、1370年に燕王に封じられ、1380年に北平へ赴いた。堂々とした容貌に見事な髭をたくわえ、知恵と勇気を備え、誠意をもって人に任せた。太祖の死後、建文帝がを次々に廃すると、身の危険を感じて狂ったふりをし、病と称した。1399年、北平の役人を殺して九門を奪い、斉泰・黄子澄を奸臣として兵を挙げた。1402年に都の南京が落ちると、宮中に火が起こり、建文帝は行方が知れなくなった。燕王は即位し、斉泰・黄子澄・方孝孺を殺してその一族を滅ぼした。即位の詔を求められた方孝孺が、建文帝の居所や、なぜその子や弟を立てないのかを問うと、自ら焼け死んだ、これは自分の家の事だと答え、筆を投げ捨てられると怒って磔にさせた。方孝孺にして、一族や親友が数百人殺された。

史料について

建文帝の行方は恭閔帝による。同じ本紀は、火の中から帝と后の遺体を出して葬ったと書き、地下道から逃れたという説も並べる。成祖本紀は、建文帝を葬ったとだけ記す。十族が誅されたという言い方は、明史に無い。

治世と最期

即位後も、逆らう臣には厳しかった。帰順して官に留まった旧臣の景清が刃を懐に入朝し、旧主の仇を討ちたかったと答えると、磔にして一族を誅し、連座は郷里にまで広がった。解縉は1410年に漢王の訴えで獄に入れられた。1415年、名簿を見た永楽帝がまだ生きているのかと言うと、紀綱が雪の中に埋めて殺した。

皇后の徐氏は徐達の娘で、挙兵のときは北平で将校や民の妻たちに鎧を着せて城を守らせた。民を休ませよという進言は聞き入れたが、弟の徐増寿に爵位を贈ることに反対されても聞かず、皇后の死後は皇后を立てなかった。自分に似ていると見ていた次男の高煦ではなく長男(仁宗)を皇太子に立て、のちに不法を重ねた高煦をに落とそうとしたときは、仁宗が泣いて救った。

外に向けては鄭和を西洋へ遣わし、都を北京へ移して、自らモンゴルへ5度出兵した。1405年に鄭和らを西洋へ遣わしたのは、建文帝が海外に逃れたかと疑ってその足取りを追い、あわせて国威を示すためだった。では、1410年に本雅失里と阿魯台を、1414年に瓦剌の馬哈木を破った。1420年、北京を都とすることを天下に布告した。1424年の親征は敵を見ずに引き返し、帰りに榆木川で危篤となって没した。軍が外にあったため喪は伏せられ、錫を溶かして作った棺に納めて帰路についた。

永楽帝とつながる皇帝

在位中の出来事

反乱10・遷都1・親征5・皇后1・改元1・大赦2
  1. 改元1402年8月元号を「永楽」とする
  2. 皇后1402年12月皇后を立てる
  3. 反乱1403年柳州山賊の乱
  4. 1407年天下の殊死以下を赦した。
  5. 反乱1407年潯柳蛮の乱
  6. 反乱1408–1409年簡定の乱(交阯反乱)
  7. 反乱1409–1414年陳季擴の乱(交阯反乱)
  8. 1410年韃靼(本雅失里・阿魯台)
  9. 反乱1410年哈剌馬牙の乱(粛州衛反乱)
  10. 反乱1413–1414年思州・靖州苗の乱
  11. 1414年瓦剌(オイラト、馬哈木)
  12. 反乱1415年広西蛮の乱
  13. 反乱1418年黎利の乱(交阯反乱)
  14. 反乱1420年唐賽児の乱(山東反乱)
  15. 1421年
  16. 遷都1421年南京(応天府) → 北京(順天府)
  17. 1422年韃靼(阿魯台)
  18. 反乱1422年柳州蛮の乱(再発)
  19. 1423年韃靼(阿魯台)
  20. 1424年4月〜1424年8月韃靼(阿魯台)

明の歴代皇帝

歴代16人の一覧

年表

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