東魏(南北朝)第1代分裂期の王朝中国がいくつもの政権に分かれていた時代に、その一つを占めた王朝・政権。
孝静帝元善見
在位 534–550年(15年211日)534年11月8日 〜 550年6月7日
日本は古墳時代
東魏の元善見は534年に高歓に立てられ、550年に高洋へ位を譲り、551年に死んだ。
孝静帝の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 534年11月8日〜550年6月7日
- 没年
- 552年1月21日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 551年12月10日)28歳(数え年)長生き順同率197位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 擁立同じ王朝の先代の跡を継いだが、誰を立てるかを決めたのは臣下・軍・宦官・外戚・皇太后・皇族など、先の皇帝以外だった即位。
- 先代
- 孝武帝北魏孝静帝は孝武帝の同族(遠縁)
- 次代
- 文宣帝北斉文宣帝は孝静帝の外戚
- 呼び名
- 姓元諱善見呼び名の見方
- 目立つ記録
- 遷都 1回多い順同率9位
出典
- 在位
- 魏書 帝紀第十二(孝静紀)
- 死因
- 魏書 巻十二 孝靜紀
- 即位経路
- 魏書 巻十二 孝靜紀
生涯
どんな皇帝か
北史の論は西魏の恭帝とともに、天禄天から授かる、君主としての位と運が尽きて堯・舜の禅譲皇帝が位をほかの人に譲ることにならって退いたと評する。
即位まで
治世と最期
文学を好んで容儀が美しく、石の獅子を抱えて垣を越える力があり、射れば必ず当てた。宴でよく臣下に詩を作らせ、孝文帝の風があった。
544年に高澄が大将軍将軍の中でも特に高い位となった。のちに父の跡を継ぐと、帝を忌んで崔季舒に見張らせた。狩りで帝が馬を駆けさせると、監衛の都督軍をまとめて指揮する長官が、天子は馬を走らせるな、大将軍が怒ると叫んだ。宴で帝が古来亡びない国は無いと嘆くと、高澄は朕、朕、狗脚朕と怒り、崔季舒に帝を三度殴らせた。翌日、慰めに来た崔季舒が高澄の指図で絹を一段しか受け取らないと、帝は百匹を束ねて、これも一段だと言って与えた。帝の意を知った荀済らが宮中から地下道を掘る謀を立てたが、発覚した。兵を率いて謀反を責めた高澄に、帝は王こそ謀反しようとしているのだと言い返し、高澄は叩頭して謝った。帝はまもなく含章堂に幽閉され、元大器・元瑾らは市で煮殺された。
550年、高洋に位を譲った。後宮に別れを告げたいと求め、皆がすすり泣いた。雲龍門を出るとき、今日の自分は常道郷公や漢の献帝と変わらないと言った。退位後は中山王となり、もとの皇后が毒見をして守ったが、551年に毒を盛られて死んだ。
史料について
絹を、北斉書は四百匹とする。北史の荀済伝では、荀済は詔を奉じて高澄を誅そうとしたのだと答え、焼き殺された。死を、魏書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分はその条では書かず、末尾で毒によるとして盛った者を名指ししない。資治通鑑は文宣帝が人をやって毒殺させたとする。
孝静帝とつながる皇帝

勢力図
南北朝の勢力図で見る
534–549年の地図に、孝静帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱11・遷都1・皇后1・改元4・大赦11
- 遷都534年11月洛陽 → 鄴
- 改元534年11月8日元号を「天平」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。534年11月8日
- 反乱534年12月〜535年3月兗州刺史樊子鵠・
南青州刺史大野抜の瑕丘拠反 - 反乱535年前青州刺史侯淵の反乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。536年
- 反乱536年陽夏太守盧公纂の南叛
- 反乱536年陽平人路季礼の反乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。537年七帝神主を新廟に遷すのに伴い大赦、内外百官普進一階。
- 反乱537年滎陽人張倹らの反乱(西魏に内通)
- 反乱537–538年河間人邢摩納・
范陽人盧仲礼らの反乱 - 改元538年元号を「元象」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。538年大赦、改元(天平から元象へ)。
- 改元539年元号を「興和」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。539年皇后高氏冊立(甲戌)の翌日に大赦。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。539年興和元年冬十有一月癸亥、新宮完成に伴い大赦、改元(元象から興和へ)。
- 皇后539年高氏を皇后に立てる。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。540年新宮に遷るのに伴い大赦、内外百官普進一階。
- 反乱541年梁州人公孫貴賓の反乱(自称大王)
- 改元543年元号を「武定」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。543年大赦、改元(興和から武定へ)。
- 反乱543年北豫州刺史高仲密の虎牢拠西叛
- 反乱544年徐州人劉烏黒の反乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。545年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。547年
- 反乱547–548年侯景の乱
- 反乱547年荀済・
元瑾・ 華山王元大器らの高澄打倒計画と高澄による孝静帝幽閉 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。549年大赦、内外百官並加二級(高澄急死後の混乱収拾のための大赦)。
年表
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