孝武帝の人物データ
- 生年
- 不詳年齢は
史書に 記された 年齢から 数えた - 在位
- 532年6月13日〜535年2月3日旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 534年閏12月15日まで
- 没年
- 535年2月3日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 534年閏12月15日)25歳(数え年)長生き順同率208位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 擁立同じ王朝の先代の跡を継いだが、誰を立てるかを決めたのは臣下・軍・宦官・外戚・皇太后・皇族など、先の皇帝以外だった即位。
- 先代
- 後廃帝元朗北魏孝武帝は後廃帝元朗の同族(遠縁)
- 呼び名
- 姓元諱脩字孝則別称出帝呼び名の見方
出典
- 在位
- 魏書 巻十一 出帝紀
- 死因
- 魏書 巻十一 出帝紀
- 即位経路
- 魏書 巻十一 出帝紀
生涯
どんな皇帝か
魏書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は、猜疑に惑って自ら宗廟君主や王家が祖先をまつるところを絶ち、徳に背くことが甚だしかったと評する。
即位まで
広平王元懐の第3子で、沈着で武事を好み、全身に鱗のような模様があった。530年に平陽王となった。532年、元朗が位を退くことになり、高歓は百官朝廷のすべての役人と後継を協議した。諸王王に取り立てられた皇族たちが逃げ隠れるなか田舎に潜み、高歓の使いの斛斯椿が側近の王思政の案内で来ると、顔色を変えて私を売ったのかと言った。同じ年に即位した。
史料について
譲位を、魏書は元朗が自ら申し出たとし、北史は元朗の詔策を借りた禅譲皇帝が位をほかの人に譲ることの形を取ったとする。
治世と最期
高歓を大丞相政治の全体を任された臣下の最高の称号・太師君主の師とされる、最高位の位の一つとし、高歓の長女を皇后に迎えた。532年、宴に飛び込んで祝いを述べた羽林皇帝のそば近くを守る兵の隊長唐猛を禁衛を犯したとして杖で打たせ、逆らう言葉と顔つきを見せた唐猛は階段の下で斬られた。時に肌脱ぎで側近とふざけ合ったが、王昕を見ると冠を正した。嵩山の南で16日間狩りをして朝野が寒さに嘆いた。魏収が賦で遠回しに諫めると、帝は自筆の詔で大いに褒めた。
534年、帝は高歓と対立を深め、梁討伐を名目に兵を集めた。高歓への勅の起草を温子升がためらうと、剣を抜いて怒った。河橋に陣したが、西へ逃れた。牛を殺して兵に振る舞ったが、帝が西へ出ると知った兵はその夜半数以上が逃げた。湖城では麦飯を献じた村の税役を十年免じた。
長安に入った帝は、宇文泰が帝の従妹の明月を殺させると不快を示し、君臣は不穏になった。同じ年の暮れ、酒に毒を盛られて死んだ。
史料について
対立のわけを、魏書は斛斯椿らに取り入られたためとし、北史は帝が自ら高歓を図ったとする。西へ逃れたのを、魏書は斛斯椿らに迫られたとする。資治通鑑の考異は、椿に脅かされて関中へ入ったとする魏書の斛斯椿伝の説を、北斉に媚びたものとして退ける。死を、魏書は宇文泰に殺されたとし、北史と資治通鑑は毒酒で死んだとして盛った者の名を挙げない。
孝武帝とつながる皇帝

勢力図
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532–534年の地図に、孝武帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱5・親征1・改元3・大赦4
- 改元532年6月13日元号を「太昌」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。532年6月13日
- 反乱532年8月郭遷の反乱(夏州徙民、宥州)
- 改元533年元号を「永興」とする
- 改元533年元号を「永熙」とする
- 反乱533年耿翔の反乱(青州人、膠州占拠)
- 反乱533年王早・
簡実らの反乱(東徐州城民) - 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。534年表向きは南朝梁(蕭衍)討伐だが、実際の意図は大丞相・
斉献武王(高歓)への先制軍事行動 - 反乱534年傅晶の反乱(東清河郡)
- 反乱535年2月3日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 534年閏12月15日)宇文泰による出帝弑殺
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
北魏の歴代皇帝
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