孝明帝の人物データ
- 生年
- 510年4月8日
- 在位
- 515年2月12日〜528年3月31日
- 没年
- 528年3月31日19歳(数え年)長生き順同率237位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 世襲先の皇帝が自分で跡継ぎを決めていて(遺詔・皇太子に立てるなど)、その跡を継いだ即位。
- 先代
- 宣武帝北魏孝明帝は宣武帝の子
- 呼び名
- 姓元諱詡廟号粛宗呼び名の見方
- 目立つ記録
- 反乱を起こされた 32回多い順7位
出典
- 在位
- 魏書 巻九(帝紀第九、肅宗紀)
- 死因
- 魏書 巻9 肅宗紀/魏書 皇后傳/魏書 爾朱榮傳/北史 巻13 后妃傳
- 即位経路
- 魏書 巻9 肅宗紀
生涯
どんな皇帝か
魏書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は、霊太后の専制と誤った人の用い方で四方に乱が起こったと評する。
即位まで
510年に生まれ、512年に皇太子に立てられた。515年に父が夜に没すると、寝ていたところを宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男の王温に起こされ、抱きかかえられて即位した。泣く帝に崔光らが泣きやむよう請い、帝はひざまずいて璽綬位や官職を示す印とそれを下げるひもを受けた。母の胡太后が臨朝皇太后などが朝廷に出て政治を執ることして自ら政務を見た。
治世と最期
520年、元叉と劉騰が帝を前殿に連れ出し、太后の詔を偽って胡太后を北宮に幽閉した。のちの宴で元叉が、太后が自分と劉騰を害そうとしていると外で言われていると訴えた夜、太后は帝の手を取って共に過ごしたいと連れ出し、奚康生が元叉を殺そうと謀ったが果たせなかった。524年、北辺の沃野鎮で破落汗抜陵が反し、各地で反乱が続いた。劉騰の死後、太后は帝と高陽王雍と計って元叉を退け、525年に再び臨朝した。
帝は潘充華だけを寵愛した。太后は一族の娘を皇后に立て、妃選びでは家柄の高い者を抑えた。再臨朝後の太后は、帝が親しんだ者の多くを事にかこつけて殺し、胡語のできる蜜多道人も殺させて賊を探すふりをした。
528年に潘充華が娘を生むと、禍を恐れた鄭儼が太后と計り、太后はこれを男と偽って大赦と改元元号(年の呼び名)を新しいものに改めることを行った。同じ年、帝は顕陽殿で急死した。毒を盛られたとされる。太后は娘を一度即位させたのち幼い元釗を立てたが、河を渡った爾朱栄に、太后も幼主も河に沈められた。
史料について
抜陵の反を、魏書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は524年の条に記し、資治通鑑は523年の条に置く。死の事情を、魏書の本紀は書かず、皇后伝は鄭儼・徐紇の計と言われたと書き、爾朱栄伝の上表は世間が鴆毒鴆という鳥の羽からとるとされた猛毒と言っていると述べる。北史の后妃伝と資治通鑑は、鄭儼らが太后と謀って鴆殺毒を飲ませて殺すことしたとする。
孝明帝とつながる皇帝

勢力図
南北朝の勢力図で見る
515–528年の地図に、孝明帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱32・改元5・大赦15
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。515年2月13日
- 反乱515年4月〜515年5月氐反(梁州・
南秦州、沮水・ 武興) - 反乱515年6月〜517年1月(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 516年12月)法慶(大乗教)の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。515年9月11日
- 改元516年元号を「熙平」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。516年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。517年
- 改元518年元号を「神亀」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。518年
- 反乱518年神亀元年の氐・
羌反乱(秦州羌・ 東益州氐・ 南秦州氐) - 反乱518年河州却鉄匆の乱(水池王)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。519年
- 改元520年元号を「正光」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。520年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。520年
- 反乱520年元叉・
劉騰のクーデター(幽太后・ 清河王懌殺害) - 反乱521年南荊州桓叔興の南朝離反
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。522年
- 反乱523年東益・南秦氐反(二回目)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。524年
- 反乱524–525年破六韓抜陵の乱(沃野鎮、六鎮の乱発端)
- 反乱524年胡琛の乱(高平)
- 反乱524–527年莫折氏の乱(秦州)
- 反乱524–525年南秦孫掩・張長命・韓祖香の乱
- 反乱524–525年涼州反乱(于菩提・
趙天安) - 反乱524年南秀容于乞真の乱
- 反乱524年営州劉安定・
就徳興の乱 - 反乱524年汾州正平・
平陽山胡叛逆 - 改元525年元号を「孝昌」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。525年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。525年
- 反乱525年徐州元法僧の乱
- 反乱525年齊州魏郡房伯和の乱
- 反乱525年齊州清河崔畜・
広川傅堆の乱 - 反乱525年柔玄鎮杜洛周の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。526年
- 反乱526年山胡劉蠡升の乱
- 反乱526年定州鮮于脩礼〜葛栄の乱
- 反乱526年西部敕勒斛律洛陽の乱
- 反乱526年朔州鮮于阿胡・
庫狄豊楽の乱 - 反乱526年絳蜀陳雙熾の乱
- 反乱526年齊州平原劉樹・
劉蒼生の乱 - 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。527年
- 反乱527年徐州任道棱の乱
- 反乱527年東郡趙顕徳の乱
- 反乱527年齊州劉鈞・
房須の乱 - 反乱527年相州安楽王鑒の乱
- 反乱527年陳郡劉獲・鄭辯の乱
- 反乱527年東豫州元慶和の南朝離反
- 反乱527年10月〜528年1月(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 527年12月)雍州蕭寶夤の乱
- 改元528年2月13日元号を「武泰」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。528年2月13日
北魏の歴代皇帝
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