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金第8代

宣宗完顔珣

在位 1213–1223年(10年114日)1213年9月22日 〜 1224年1月14日 ( 1223年12月22日まで)

日本は鎌倉時代

胡沙虎に担がれて即位し、モンゴルと和を結んだのち都を汴京へ移したが、南の宋と争いを開き西の夏の侮りを招いて兵力を分けた金の皇帝である。

宣宗の人物データ

生年
1163年
在位
  • 1213年9月22日〜1224年1月14日 1223年12月22日まで
10年114日長い順130位/365人51歳で即位(数え年)
没年
1224年1月14日( 1223年12月22日)61歳(数え年)長生き順同率33位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
次代
  • 哀宗金哀宗は宣宗の子
呼び名
女真名吾睹補呼び名の見方
目立つ記録
  • 反乱を起こされた 26回多い順9位
  • 遷都 1回多い順同率9位

出典

在位
金史 本紀十四 宣宗上(即位)/金史 本紀十六 宣宗下(崩御)
死因
金史 巻十六(宣宗本紀下)
即位経路
金史 巻十三(衛紹王本紀)/巻一百二(徒単鎰伝)

生涯

即位まで

顕宗の長子で、世宗が宮中で養った。1213年に胡沙虎が衛紹王を殺させると、彰徳府から迎えられて即位した。胡沙虎を除くよう請われても擁立の恩を思って許さず、術虎高琪が胡沙虎を殺すと、これを赦してとした。

治世と最期

同じ年、皇太子の守忠に、宮中で何事も削っているからお前も節約せよと諭し、を放った。1214年、衛紹王の娘をチンギス・カンに嫁がせて和を請い、反対のを退けて汴京へ遷った。1215年、没した皇太子の殯所では、辰の日は哭さないとの奏に、父子は至親だと退けて弔った。同じ年に中都が陥落した。

高琪の権が重すぎると密奏した游茂には、委任した以上は権も重くなると答えた。刺繍の衣を作らせたときは陳規に知らせるなと戒め、あの者の言葉は畏れていると嘆いた。民が疲れていると内城の修築を一度は退けたが、1219年には築かせ、民を煩わせぬよう、煉瓦五十万を納めた者の官を一つ上げる募集をした。同じ年に宋を伐つ詔を下した。1220年の初め、妻を殺させた高琪を誅し、晩年には、天下を壊したのは高琪と彖多だと言った。皇太子の守緒には、夜に思いついたことは燭を求めて書き留め、夜が明けるとすぐ行うと語った。

1224年の初めに寧徳殿で没し、皇太子が柩の前で即位した。

史料について

最期を、金史のは没したのちに皇太子の異母兄の守純を見張らせて同じ夜に皇太子が即位したとし、荊王守純伝は喉の病で危篤のさなかに守純が見張られ、その夕に没して翌日に即位したとする。金史の賛は、治に励む志はあったが猜疑心が強く側近を信じ、擁立の私恩から胡沙虎を宰相にし、胡沙虎を殺した高琪も罪せず宰相にしたと責める。酷吏伝は、宣宗は刑罰を好み、はしばしば笞打たれたと書く。

宣宗とつながる皇帝

宋・遼・金・西夏の勢力図(1213年)

勢力図

宋・遼・金・西夏の勢力図で見る

1213–1223年の地図に、宣宗が治めた国が描かれています。

在位中の出来事

反乱26・遷都1・皇后1・改元3・大赦9
  1. 改元1213年9月30日元号を「貞祐」とする
  2. 1213年9月30日至寧元年(即位当時の年号、後に貞祐に改元)九月壬子。
  3. 反乱1213年11月蘭州訳人程陳僧の叛
  4. 1214年貞祐二年三月丁丑。
  5. 1214年
  6. 皇后1214年貞祐二年七月(日次不明)。
  7. 反乱1214–1215年李友直の乱(京兆・華州)
  8. 遷都1214年中都 → 南京(汴京)
  9. 1215年貞祐三年八月戊申。
  10. 反乱1215年北京(大寧)軍乱
  11. 反乱1215年楊安兒の乱(紅襖賊)
  12. 反乱1215年劉二祖の乱(紅襖賊・大沫堌)
  13. 反乱1215年張汝楫の再叛計画
  14. 反乱1215年周元兒の乱(紅襖賊・深祁州)
  15. 反乱1215年蒲察七斤の大元投降
  16. 反乱1215年蒲鮮萬奴の自立(遼東・大真国)
  17. 反乱1216年郝定の乱(紅襖賊・僭号)
  18. 改元1217年元号を「興定」とする
  19. 1217年興定元年九月壬午。
  20. 反乱1217年石海の叛(真定拠点)
  21. 反乱1217年宋子玉の叛(孟州経略司)
  22. 反乱1217年南陽五朶山盗
  23. 反乱1217年平定州閻德用の乱
  24. 反乱1217年済南・泰安・滕・兗州群賊
  25. 反乱1217年蘭州水軍李平の乱
  26. 反乱1217年花帽軍の乱(滕州)
  27. 1218年興定二年十一月庚午。
  28. 反乱1218年萊州曲貴の乱
  29. 反乱1218年石州馮天羽の乱
  30. 反乱1219年王善の叛(中山府)
  31. 反乱1220年滄州陥落・益都賊張林
  32. 反乱1220年時青の帰順(紅襖賊)
  33. 反乱1221年碭山県義勇軍の叛
  34. 改元1222年元号を「元光」とする
  35. 1222年元光元年六月癸未。
  36. 1222年元光元年八月甲申。
  37. 反乱1222年恒州軍変(呼延棫)
  38. 1223年元光二年二月丁亥。
  39. 反乱1223年陰坡族骨鞠門の西夏帰属
  40. 反乱1223年納合六哥の乱(邳州)

金の歴代皇帝

歴代10人の一覧

年表

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