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仁宗の肖像画

元第8代()

仁宗アユルバルワダ

在位 1311–1320年(8年329日)1311年4月7日 〜 1320年3月1日

日本は鎌倉時代

兄の武宗の跡を継ぎ、を始めて儒学を重んじたが、母の皇太后と、その後ろ盾を得た宰相の鉄木迭児を抑えきれなかった元の皇帝である。

仁宗の人物データ

生年
1285年4月9日
在位
  • 1311年4月7日〜1320年3月1日
8年329日長い順140位/365人即位の年齢は不詳
没年
1320年3月1日36歳(数え年)長生き順同率150位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 武宗元仁宗は武宗の弟
次代
  • 英宗元英宗は仁宗の子
呼び名
漢字音写愛育黎抜力八達呼び名の見方

出典

在位
元史 仁宗本紀一/元史 仁宗本紀三
死因
元史 巻二十六(仁宗三)
即位経路
元史 巻二十四(仁宗一)

生涯

即位まで

順宗の次子で武宗の弟であり、母は興聖太后である。1307年、成宗の喪に駆けつける途中、老農が差し出した粥を、艱難をなめなければ農事の苦しさは分からないと言って食べた。同じ年、阿忽台らが成宗の皇后のを図ると、哈剌哈孫の知らせを受けてを率いて入り、阿忽台らを捕らえて誅した。武宗が即位すると皇太子に立てられ、大学衍義を、天下を治めるにはこの一書で足りると言って刊行させた。1311年に武宗が没すると、国を誤った者をすべて誅そうとしたが、楊朵児只に諫められて特にひどい者だけを誅した。即位に先立って鉄木迭児がに任じられ、同じ年、仁宗は大都の大明殿で即位した。

史料について

鉄木迭児伝は、鉄木迭児の起用を皇太后が召したものとする。

治世と最期

1313年に科挙を行う詔が下り、1315年にはのが行われた。

1316年、鉄木迭児は地位を固めるため英宗のを図り、太后のとともに武宗の子の和世㻋を讒し、和世㻋は周王として雲南へ出された。1317年、四十余人が鉄木迭児の奸貪を劾すると、仁宗は震怒して逮捕を命じたが、鉄木迭児は興聖宮の近侍の家に隠れて捕まらなかった。仁宗は太后の意から出たことかと恐れて罷免にとどめ、鉄木迭児は1年足らずでに起用された。

1320年、不豫となって光天宮で没した。

史料について

元史の后妃伝は皇太后の淫恣が甚だしくなったと書き、新元史は、仁宗が后の意を傷つけるのを恐れて深く問わなかったと付け加える。発病の日は仁宗紀と英宗紀で異なり、仁宗紀は病名を記さない。新元史のは元の令主と称えつつ母后に制せられたと批判し、元史紀事本末の引く評は、武宗との約束を守らず英宗に位を伝えたと責める。

仁宗とつながる皇帝

在位中の出来事

反乱10・皇后1・改元2・大赦3
  1. 1311年4月7日
  2. 改元1311年10月26日元号を「皇慶」とする
  3. 1313年
  4. 皇后1313年皇后を立てる
  5. 反乱1313年諸王春丹の反乱
  6. 改元1314年元号を「延祐」とする
  7. 1314年
  8. 反乱1315年蔡五九の乱(贛州・汀州)
  9. 反乱1316年融州・賓州・柳州徭蛮の反乱
  10. 反乱1317–1318年脱火赤の乱(諸王脱火赤による反乱)
  11. 反乱1317年諸王不里牙敦の反乱
  12. 反乱1318年西番(チベット辺境)の反乱
  13. 反乱1318年播州南寧長官洛麼の反乱
  14. 反乱1318年贛州雩都県里胥劉景周の反乱
  15. 反乱1319年斡端(コータン)の反乱
  16. 反乱1319年来安路総管岑世興の反乱

元の歴代皇帝

歴代15人の一覧
  1. 第1代チンギス・カン皇帝を名乗っていない1206–1227年
  2. 第2代オゴデイ皇帝を名乗っていない1229–1241年
  3. 第3代グユク皇帝を名乗っていない1246–1248年
  4. 第4代モンケ皇帝を名乗っていない1251–1259年

年表

元・北元の時代を年表で見る

元が中国史のどこにあたるか、同じ時代の王朝と前後の時代を並べて見られます。

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