
張居正が政治を執って国が富強に近づいた前半と、深宮にこもって大臣にほとんど会わなくなった後半とで治世が分かれる明の皇帝である。
日本とのつながり
1592年
文禄の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)
倭の軍が朝鮮に攻め込んで都を落とし、朝鮮王は明に救いを求めた。
原文
- 五月,倭犯朝鲜,陷王京,朝鲜王李公奔义州求救。― 明史(本紀第二十 神宗紀一)
万暦帝の人物データ
- 生年
- 1563年
- 在位
- 1572年7月19日〜1620年8月18日
- 没年
- 1620年8月18日58歳(数え年)長生き順同率45位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓朱諱翊鈞廟号神宗諡号顕皇帝元号万暦呼び名の見方
- 目立つ記録
- 反乱を起こされた 25回多い順10位
出典
- 在位
- 明史 本紀第二十・
二十一 神宗一・ 二 - 死因
- 明史 本紀二十一(神宗二)
- 即位経路
- 明史 本紀二十(神宗一)
生涯
どんな皇帝か
明史の賛は、明が滅んだのは実は神宗の代からだという論者の言葉をもっともだとする。
即位まで
隆慶帝の第三子で、母は貴妃皇帝の妃の中でも高い位の一つ李氏である。幼いころ、宮中で一人馬を走らせる父を諫め、隆慶帝は喜んで馬を下りた。1572年に父が没して即位し、翌年を万暦元年とした。
治世と最期
后妃伝によれば、母の李太后は教育が厳しく、読書しないと長く跪かせ、朝会の日は夜明け前に起こしに来た。張居正伝によれば、張居正を師の礼で遇したが、太后に張先生が聞いたらどうすると叱られるので憚り、成長すると心で嫌うようになった。1575年には嬖佞を遠ざけ飲食を節し忠言を納れるなど十二事を座右に書いて自らを戒めた。酔って歌を断った内侍に剣で撃ちかかると、太后に長く跪かされて過ちを数え上げられ、泣いて改めると請うた。ひそかに身ごもらせた宮人宮中に仕え暮らした女性たちのことを隠したが、太后に起居注を示され、1582年に恭妃に封じて皇長子が生まれた。同じ年に張居正が没すると、2年後にその家を没収し、門を閉ざされた家の者十余人が餓死した。
1585年の旱魃では歩いて南郊都の南の郊外で、天をまつる場所で祈り、旱は朕の不徳によるが役人の貪りにもよると大学士皇帝のそばで政治を助けた高い位の重臣らに言った。1589年に大理寺重い罪の裁判を調べ直す役所評事となった雒于仁が、自分の朝見は一年余りで三度だけと酒色財気を諫め、鄭貴妃への溺愛を挙げると、帝は大いに怒った。申時行伝は、上奏を留中することがこの時から始まったと記す。同じ年から親臨を減らし、1612年には南京の御史役人の不正を調べて皇帝に訴える役人が、帝は二十余年一度も大臣に会っていないと上奏したが、返答は無かった。
鄭貴妃を寵愛し、立太子跡継ぎの皇子を正式に皇太子と定めることを争う上奏が数千百に及んでも置いて問わず、党派の禍が起こった。后妃伝によれば、立太子を求めた姜応麟らを左遷した理由を太后に問われてあれは都人の子だと答え、お前も都人の子だと怒られた。ただし明史の別の賛は、この話の真偽は分からないとする。1601年に皇長子常洛を皇太子に立て、常洵を福王に封じた。1596年からは宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男を各地に送って鉱山を開かせ税を取らせた。1602年に病んで鉱税鉱山の開発を名目に取り立てた税の廃止を命じたが、翌日癒えると撤回した。1615年の梃撃の案では、泣きつく鄭貴妃に自分で太子に頼めと言い、群臣の前で太子に株連を禁じる言葉を述べさせた。1620年に病で没し、遺詔皇帝が死に際に残した命令で商税の取り立てと新設の織造宮中で使う絹織物を作らせて納めさせる仕事をやめさせた。
万暦帝とつながる皇帝

勢力図
明清交替の勢力図で見る
1616–1620年の地図に、万暦帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱25・皇后1・改元1・大赦6
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1572年7月即位に伴う大赦。
- 改元1572年7月19日元号を「万暦」とする
- 皇后1578年王氏を皇后に立てる。
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1582年皇長子(後の光宗常洛、萬曆十年八月生)誕生に伴う大赦。
- 反乱1582年杭州兵変
- 反乱1582年寧夏馬景の乱
- 反乱1585年四川建武所兵変
- 反乱1585–1586年四川松茂番の乱
- 反乱1586年淇県賊王安の乱
- 反乱1588年四川建昌番の乱(万暦十六年)
- 反乱1589年太湖・
宿松賊劉汝国の乱 - 反乱1589年雲南永昌兵変
- 反乱1589年妖僧李圓朗の乱(南雄)
- 反乱1591年四川四哨番の乱
- 反乱1592年哱拝の乱(寧夏之役)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1597年
- 反乱1597–1600年播州楊応龍の乱(播州之役)
- 反乱1600–1601年貴州皮林苗の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1601年皇長子常洛を皇太子に立てるのに伴う大赦。
- 反乱1603年播州余賊呉洪の乱
- 反乱1603年睢州賊楊思敬の乱
- 反乱1604–1605年武昌宗人蘊鉁の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1606年皇長孫(後の熹宗由校)誕生に伴う大赦。
- 反乱1606年南京妖賊劉天緒の謀反
- 反乱1607–1608年金沙江蛮阿克の乱(雲南)
- 反乱1610年河南賊陳自管の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1614年慈聖皇太后(李太后)の遺命による大赦。
- 反乱1614年建昌叛蛮の乱(万暦四十二年)
- 反乱日付不詳潮州・
恵州の賊(広東) - 反乱日付不詳四川都掌蛮の乱
- 反乱日付不詳広東羅旁瑶の乱
- 反乱日付不詳広西八寨賊の乱
- 反乱日付不詳雲南隴川賊の乱
明の歴代皇帝
歴代16人の一覧- 第1代洪武帝朱元璋1368–1398年病死
- 第2代建文帝1398–1402年諸説あり
- 第3代永楽帝1402–1424年病死
- 第4代洪熙帝1424–1425年病死
- 第5代宣徳帝1425–1435年病死
- 第6・8代正統帝1435–1449年1457–1464年(復位)病死
- 第7代景泰帝1449–1457年諸説あり
- 第9代成化帝1464–1487年病死
- 第10代弘治帝1487–1505年病死
- 第11代正徳帝1505–1521年病死
- 第12代嘉靖帝1521–1566年病死
- 第13代隆慶帝1566–1572年病死
- 第14代万暦帝1572–1620年病死
- 第15代泰昌帝1620年諸説あり
- 第16代天啓帝1620–1627年病死
- 第17代崇禎帝1627–1644年自害
年表
明・
明が