宋・ 遼・ 金・ 西夏の勢力図
960〜1279年・この地図について
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960年
この年の動き
地図の城の点か、下の城の名前を押すと、その城の持ち主の移り変わりと根拠の原文が出ます。
この地図について
趙匡胤が宋を建てた960年から、崖山の戦いで南宋が滅ぶ1279年まで、その年の暮れにどの城を誰が押さえていたかを史書から拾い、そこから勢力の範囲を描いた地図です。年を動かすと境界が動きます。城の点を押すと、その城の持ち主の移り変わりと根拠の原文が出ます。
描いたのは、宋(北宋・
色の濃い帯が勢力どうしの境です。色がかすれて消えていく所は、城の支配が届いていたと言えない土地(遊牧の地・
国名の下には、その年の暮れに在位していた皇帝の名前を出しています。モンゴルは世祖クビライ(1260年に即位)からで、チンギス・
960〜979年は五代十国の勢力図と重なります。この20年は、2枚の地図で同じ城・
この地図の作り方
史書から、主な城241か所について「その年の暮れに誰の知州・
王朝が替わった年(1127年の北宋から南宋・
境界は、その城の持ち主から機械的に推定した線です。地表を4km四方に区切り、山の険しさと大河の渡りにくさを考えた「たどり着く手間」が最も小さい城の勢力に塗り分けました。どの城からも遠い土地(草原・高原・山地の諸民族の地)は塗らず、色をかすれさせています。誰の城とも言えない(荒れて捨てられた)城のまわりも塗っていません。
同じ勢力の城どうしが離れていて色が途切れるときは、ほかの勢力の土地を通らない道筋(平地で約400km以内)があれば、その道筋に沿った帯でつなぎました。また、四方を勢力の土地と海に囲まれた空白と、秦嶺より南の山地で勢力の土地に深く入り込んだ空白は、最も近い勢力の色で塗りました。まわりをほかの勢力の土地に囲まれた城(飛び地)は、その城を中心にした半径約36kmの丸で描きました。
当時の境は線ではなく帯で、この地図の線もその帯のおおよその位置を示すにとどまります。
確かでないところ
- 持ち主が変わったことを直接書いた原文が見つからない変化が7つあり、前後の記事から年を推しています(城の点を押すと「推定」と出ます)。霸州が最後にモンゴルに入った年(1220年)、金が去った後に泗州が宋に戻った年(1135年)、斉に落ちた随州が宋に戻った年(1139年)、金が錦州を取り戻した年(1217年)、東夏が会寧府(金の上京)を得た年(1219年)、長安が落ちた年に華州も金に入ったとした年(1129年)、金州が元に降った年(1279年)です。
- 史書の間で年が食い違うところは、続資治通鑑の年に従いました。たとえば府州の折可求が金に降った年は、続資治通鑑では1128年、金史では1129年です。続資治通鑑に記事がない変化は、宋史・
金史・ 元史の年によっています。 - 襄陽は1239年に宋が取り返した後、1251年に「積年委棄、一旦收復(何年も捨て置かれていたのを取り返した)」と報じられるまで、実際には放棄されていた時期があります。捨てた年が原文で決まらないので、1239年から宋の城のまま描いています。光州もモンゴルに一度破られています(1237年)が、宋が取り返した年が分からないので、宋の城のままです。
- 金末(1211〜1234年)の華北は、金・モンゴル・宋に付いた勢力が城ごとに入れ替わり、同じ年に何度も持ち主が変わった城があります。年の暮れの持ち主が確かめられない城は、確かめられる最も早い年に置いています。モンゴルに降った漢人の世侯(張柔・厳実・史天沢など)の城はモンゴルの色、宋の鎮撫使に任じられた者の城は宋の色です。
- 遠い土地で、実際に治めていたか疑わしいのに名目上だけ従っていた所は、従っていた側の色で塗りました(城の点を押すと「名目上」と出ます)。河西の甘州・
沙州は、西夏に取られるまで土地の勢力(甘州回鶻・ 帰義軍)が持っていたので、灰色で描いています。 - 城の点は今の市・
県の位置に置きました(遺跡の正確な位置ではありません)。点を置いたのは主な城241か所で、置いていない州もあります。高麗は開京と西京の2つの点だけで描いています。 - 海岸線と大半の川は現代のものです。黄河の下流・
淮河の下流(洪沢湖ができる前)・ 泗水・ 洛水だけは、当時の通過地点を結んだ概略線で描き直しました。黄河の下流は後漢から1048年まで続いた流路で描いていて、1048年に北へ、1128年に南へ流れを変えた後の流路は描いていません。 - 宋・
遼・ 金・ 西夏・ 元はサイトの王朝の色、ほかはこの地図だけの色です。色の数が足りないので、年が重ならない国や離れた国どうしは同じ色のことがあります(遼・ モンゴル・ 元と呉越の青、金と南漢の紫、斉と南唐の金、東夏と北漢の赤、大理の桃、青唐と後蜀の橙。名前で見分けてください)。定難軍と小さな勢力は灰色です。
出典とライセンス
- 史書の本文: 殆知閣(daizhigev20)の電子テキスト(引用は簡体字のまま)。続資治通鑑・
続資治通鑑長編・ 建炎以来繋年要録・ 宋史・ 遼史・ 金史・ 元史。960〜979年は五代十国の勢力図と同じく資治通鑑・ 旧五代史・ 新五代史・ 十国春秋も - 海岸線・川・湖: Natural Earth(パブリックドメイン)
- 地形の陰影: NOAA ETOPO1(パブリックドメイン)