隆慶帝の人物データ
- 生年
- 1537年
- 在位
- 1567年2月4日〜1572年7月5日旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 1566年12月26日から
- 没年
- 1572年7月5日36歳(数え年)長生き順同率150位/266人
- 死因
- 病死病気や老衰による死。同じ死因169人/365人
- 呼び名
- 姓朱諱載坖廟号穆宗諡号荘皇帝元号隆慶呼び名の見方
出典
- 在位
- 明史 本紀第十九 穆宗
- 死因
- 明史 本紀十九(穆宗)
- 即位経路
- 明史 本紀十九(穆宗)
生涯
即位まで
嘉靖帝の第三子で、母は杜康妃である。1539年に裕王に封ぜられたが、兄の荘敬太子が没した後も父は立太子跡継ぎの皇子を正式に皇太子と定めることを遅らせ、晩年は方士不老不死の術や占いなどを行う人の言で裕王とも景王とも会わなかった。1567年の初めに父が没して即位し、遺詔皇帝が死に際に残した命令によって先朝の不便な政令を改め、獄中の海瑞を釈放した。
史料について
実録皇帝一代ごとの出来事を日を追ってまとめた記録の巻首は、邸に出てから裕王は季節ごとに参内し、会えないことが多くても小心に子の道を守ったと称える。
治世と最期
言官皇帝や役人をいさめ、不正を訴える役目の官の過激な言葉に耐えかねて処分を命じても、徐階に請われると罪にせず、その諫めは十のうち八九が行われた。1568年、近ごろの怠りと遊びを戒めた給事中皇帝の命令や役所の仕事を点検し、いさめる官の石星を、廷杖朝廷で役人を棒で打たせた刑罰のうえ民に落とした。陳皇后は子が無く病が多く、別宮に移った。1569年、皇后を戻すよう求めた詹仰庇に、帝は子が無く病のためと答えて罰しなかったが、同じ年に浪費を劾した詹仰庇を廷杖のうえ除名した。
1570年に俺答の孫の把漢那吉が来降すると、廷臣が反対するなか帝は手厚く慰撫するよう命じ、翌年には俺答を順義王に封じて三鎮の貢市貢ぎ物の献上と、それに伴う国境での交易が成った。
1572年に発病し、高拱・張居正・高儀に後事を託して没した。このとき帝は口がきけず、諸臣を見つめてうなずいた。
史料について
皇后を別宮に出した理由を、詹仰庇伝の地の文は声色に耽った帝が諫めた皇后を出したとし、后妃伝と実録の帝の答えは子が無く病のためとする。衆議を排して封貢相手を王に封じ、貢ぎ物と交易を許すことを推したのは高拱と張居正だったと高拱伝はする。高拱伝は、帝の意は閣臣内閣に入って政治を担った重臣だけに託すことにあったとし、馮保伝は帝の病中に馮保が張居正に遺詔を起草させたとする。実録の総評は、好物のロバの腸を供えれば毎日ロバを一頭殺すことになると退けたと書く。明史の賛は、封貢を許し減賦で民を休ませたと称えつつ、寛恕は余りあるが剛明が足りなかったと評する。
隆慶帝とつながる皇帝
在位中の出来事
反乱4・皇后1・改元1・大赦2
- 改元1567年2月4日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 1566年12月26日)元号を「隆慶」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。1567年2月4日(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 1566年12月26日)
- 皇后1567年3月19日皇后を立てる
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。日付不詳
- 反乱日付不詳広東賊(曾一本)の乱
- 反乱日付不詳陝西賊の乱
- 反乱日付不詳古田僮(壮族)の乱
- 反乱日付不詳山寇の再蜂起
明の歴代皇帝
歴代16人の一覧- 第1代洪武帝朱元璋1368–1398年病死
- 第2代建文帝1398–1402年諸説あり
- 第3代永楽帝1402–1424年病死
- 第4代洪熙帝1424–1425年病死
- 第5代宣徳帝1425–1435年病死
- 第6・8代正統帝1435–1449年1457–1464年(復位)病死
- 第7代景泰帝1449–1457年諸説あり
- 第9代成化帝1464–1487年病死
- 第10代弘治帝1487–1505年病死
- 第11代正徳帝1505–1521年病死
- 第12代嘉靖帝1521–1566年病死
- 第13代隆慶帝1566–1572年病死
- 第14代万暦帝1572–1620年病死
- 第15代泰昌帝1620年諸説あり
- 第16代天啓帝1620–1627年病死
- 第17代崇禎帝1627–1644年自害
年表
明・
明が
