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後漢第11代

桓帝劉志

在位 146–167年(21年177日)146年8月1日 〜 168年1月25日 ( 167年12月28日まで)

日本は弥生時代

章帝の曾孫で、15歳で梁太后と梁冀に立てられ、のちにと組んで梁冀を滅ぼし、以後は宦官が権を握った後漢の皇帝である。

桓帝の人物データ

生年
132年
在位
  • 146年8月1日〜168年1月25日 167年12月28日まで
21年177日長い順53位/365人15歳で即位(数え年)
没年
168年1月25日( 167年12月28日)36歳(数え年)長生き順同率150位/266人
死因
同じ死因169人/365人
即位経路
先代
  • 質帝後漢桓帝は質帝の同族(遠縁)
次代
  • 霊帝後漢霊帝は桓帝の同族(遠縁)
呼び名
姓劉諱志廟号威宗呼び名の見方
目立つ記録
  • 改元 7回多い順同率10位
  • 皇后を立てた 3回多い順同率5位
  • 反乱を起こされた 31回多い順8位

出典

在位
後漢書 巻七 孝桓帝紀
死因
後漢書 巻七 孝桓帝紀
即位経路
後漢書・本紀第八章 孝桓帝紀

生涯

即位まで

父は蠡吾侯翼で、母の匽明は父の側室だった。父の死後に侯を継いだ。146年、梁太后の妹を娶るため夏門亭にいたところ、質帝が梁冀に毒殺された。宦官の曹騰らが梁冀に、蠡吾侯を立てれば富貴を長く保てると説いた。帝は南宮に迎えられたその日に即位した。

治世と最期

147年、清河の劉文が反して国相を殺し、劉蒜を天子に立てようとして誅され、劉蒜は自殺した。前の李固・杜喬も梁冀に陥れられて獄死した。150年、梁太后は政を返して没した。太后が没すると梁皇后への寵は衰えた。子の無い皇后は恨み妬み、身ごもったが無事に済むことはまれだったが、帝は梁冀を恐れて咎めず、召すことを減らした。

159年に梁皇后が没すると、帝は厠で宦官の唐衡に梁氏と不仲の者を問い、単超ら五人と謀って単超の腕を噛んで盟い、邸を囲ませてを取り上げ、梁冀夫妻は自殺した。一族は老若なくされ、旧吏や賓客の免職は三百余人に及んだ。単超ら五人は同日に県侯に封じられて五侯と呼ばれた。

李雲が、帝は物事をつまびらかにしたくないのかとすると、帝は激怒して捕らえさせ、李雲は獄死した。爰延に自分はどんな君主かと問い、陳蕃に任せれば治まり宦官が関われば乱れる中主だと答えられると、面と向かって誤りを言ったと受け入れ、に任じた。宮女を五六千人集め、165年には郭貴人と讒言しあった鄧皇后を廃した。166年の暮れ、李膺ら二百余人がとして投獄され、翌年の大赦で赦された。167年冬に病に臥すと、寵した田聖ら九人をとし、同じ年の暮れに徳陽前殿で没した。

史料について

梁冀を除いたきっかけを、宦者伝は梁皇后の死の後のこととし、梁冀の伝は、梁冀が鄧貴人の母を殺そうとしたことへの帝の怒りとする。党人の赦しを、はをことごとく除いたとし、党錮列伝と資治通鑑は、郷里に帰されたが終身禁錮とされたとする。

桓帝とつながる皇帝

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在位中の出来事

反乱31・皇后3・改元7・大赦14
  1. 改元147年元号を「建和」とする
  2. 147年
  3. 皇后147年皇后を立てる
  4. 反乱147年清河劉文の乱(清河王劉蒜擁立未遂)
  5. 反乱147年陳留李堅の反乱(自称皇帝)
  6. 148年
  7. 反乱148年白馬羌の広漢属国侵寇
  8. 改元150年元号を「和平」とする
  9. 150年
  10. 反乱150年扶風裴優の乱(自称皇帝)
  11. 改元151年元号を「元嘉」とする
  12. 151年
  13. 反乱151–153年武陵蛮の乱(第一次)
  14. 改元153年元号を「永興」とする
  15. 153年
  16. 154年
  17. 反乱154年蜀郡李伯の反乱(太初皇帝僭称)
  18. 反乱154–156年泰山・琅邪賊公孫挙の乱
  19. 改元155年元号を「永寿」とする
  20. 155年
  21. 反乱155年南匈奴の反乱(美稷侵寇)
  22. 157年
  23. 反乱157–160年九真・日南蛮夷の乱
  24. 反乱157–160年長沙蛮の乱(第一次)
  25. 改元158年元号を「延熹」とする
  26. 158年
  27. 皇后159年皇后を立てる
  28. 反乱159年焼当等八種羌の反乱(隴右侵寇)
  29. 160年
  30. 反乱160年焼何羌の反乱(張掖侵寇)
  31. 反乱160年泰山・琅邪賊労丙の乱
  32. 反乱160年勒姐羌の允街包囲
  33. 反乱160年泰山賊叔孫無忌の乱
  34. 反乱160年武陵蛮の乱(第二次)
  35. 161年
  36. 反乱161年犍為属国夷の反乱
  37. 反乱161年零吾・先零羌等の反乱(三輔侵寇)
  38. 反乱162年鳥吾羌の反乱(漢陽・隴西・金城侵寇)
  39. 反乱162–164年長沙・零陵・桂陽・蒼梧・南海・交阯の大反乱
  40. 反乱162年武陵蛮の乱(第三次)
  41. 反乱162–163年滇那羌の反乱(武威・張掖・酒泉侵寇)
  42. 163年
  43. 反乱163年武陵蛮の乱(第四次)
  44. 反乱164–165年当煎羌の反乱
  45. 165年
  46. 皇后165年皇后を立てる
  47. 反乱165年罕姐羌の反乱
  48. 反乱165年桂陽胡蘭・朱蓋の反乱
  49. 反乱165年勃海妖賊蓋登の乱(太上皇帝僭称)
  50. 反乱166年沛国戴異の乱(太上皇僭称)
  51. 反乱166年南匈奴・烏桓の反乱(縁辺九郡侵寇)
  52. 改元167年元号を「永康」とする
  53. 167年
  54. 反乱167年先零羌の反乱(三輔侵寇)
  55. 反乱167年当煎羌の反乱(武威侵寇、第二次)

後漢の歴代皇帝

歴代14人の一覧

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