太武帝の人物データ
- 生年
- 408年
- 在位
- 423年12月27日〜452年3月11日
- 没年
- 452年3月11日45歳(数え年)長生き順同率105位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
出典
- 在位
- 魏書 帝紀第四章(世祖紀上・
下) - 死因
- 魏書 巻4下 世祖紀下/巻94 閹官・
宗愛傳 - 即位経路
- 魏書 巻4上 世祖紀上
生涯
どんな皇帝か
魏書の史臣歴史書を編み、その中で評を述べた人は聡明で決断に優れたと称えつつ、主語を示さずに、根本を固める備えを思わなかったのかと問う。
即位まで
408年に生まれ、祖父の道武帝はその体つきを見て、わが業を成すのはこの子だと喜んだ。物心ついてからは母の話になると泣き、父が病むと帯を解かずに付き添った。422年に監国君主に代わって、または見張り役として国の政治を預かることとなり病の父に代わって政務を見て、423年に即位した。
治世と最期
427年には夏の統万城に入り、赫連昌の一族や万を数える宮人宮中に仕え暮らした女性たちを捕らえた。戦では兵士と矢石飛んでくる矢や石。激しい戦いの場の間に身を置き、兵卒からも人を抜擢した。大臣の罪も許さず、誅殺に果断で後で悔いることが多かった。衣食は質素で食事は二品を並べず、恩賞も戦死者や勲功のある家に限った。都の城壁を高くする案は、徳にあって険にないと退けた。碁に夢中で奏上を聞かず、相手の劉樹を古弼に殴られたときは、聞かなかったのは朕のせいだと言って奏請を許した。
北涼遠征に反対した李順を、姑臧の水草が豊かだったことで恨み、442年に賄賂の告発と崔浩の謗りで処刑した。浩を誅したときには、殺したのは浩の讒言だと語った。魏書の釈老志によれば、崔浩の説を信じていた帝は長安の寺で武器を見つけて通謀を疑い、崔浩の進言で沙門出家した仏教の僧を誅し仏像を壊させた。太子晃の諫めも容れず、本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は446年に諸州へ広げたと記す。450年には崔浩を姻族まで誅した。崔浩伝は郄標らが国記を石に刻んだ件を発端とし、本紀の総評は帝がのちに惜しんだと記す。
宋に攻め込み、その年の暮れに長江に臨む瓜歩山に行宮皇帝が都の外で泊まる仮の宮殿を築いた。翌年、太子晃が没した。魏書の本紀の叙事は死因を書かず、宗愛伝は帝の激怒のなか憂いで没したとし、宋書は、父を殺そうとした晃を帝が捕らえて鉄籠に入れ、ほどなく殺したとする。452年に永安宮で没した。本紀の崩御条は死因を書かず、魏書の宗愛伝と資治通鑑は宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男の宗愛に殺されたとし、宋書は病死とする。
太武帝とつながる皇帝

勢力図
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423–452年の地図に、太武帝が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱21・親征15・皇后1・改元6・大赦11
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。423年12月27日即皇帝位、大赦。
- 改元424年元号を「始光」とする
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。425年柔然(蠕蠕)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。425–426年柔然(蠕蠕)
- 反乱425年慕容渇悉鄰の乱(北平)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。426–427年赫連夏(赫連昌)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。427年赫連夏(赫連昌、統万城)
- 改元428年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。428年田于河西の後に大赦。
- 反乱428–429年定州丁零(鮮于台陽・
翟喬)の乱 - 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。429年柔然(蠕蠕)
- 反乱429年上党李禹の乱
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。430年
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。430年赫連夏(赫連定)
- 反乱430年雲中・
河西敕勒の叛(一) - 反乱430年敕勒万余落の叛(二)
- 改元432年元号を「延和」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。432年
- 皇后432年立皇后赫連氏(夏国建国者赫連勃勃の一族出身)。
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。432年北燕(馮文通)
- 反乱433年金崖の乱(安定)
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。434年
- 反乱434年金当川の乱(金崖残党)
- 反乱434年秦王赫連昌の叛
- 反乱434–437年山胡白龍の乱(西河)
- 改元435年元号を「太延」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。435年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。438年
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。438–439年柔然(蠕蠕)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。439年北涼(沮渠牧犍)
- 反乱439–440年禿発保周の乱(張掖鮮卑)
- 改元440年元号を「太平真君」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。440年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。443年武都王楊保宗謀反に際し大赦。
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。443–444年柔然(蠕蠕)
- 反乱443年楊保宗・
楊文徳の乱(仇池氐羌) - 反乱445年吐京胡の叛(一)
- 反乱445年郝温の乱(酒泉公、杏城)
- 反乱445–446年盧水胡蓋呉の乱
- 反乱445–446年河東蜀薛永宗の乱
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。446年盧水胡蓋呉・
河東蜀薛永宗の乱(内乱) - 反乱446年金城辺冏・天水梁会の乱
- 反乱447年吐京胡・
山胡曹僕渾の乱(二) - 反乱447年高陽易県民の抵抗
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。448年
- 反乱448年潞県叛民の一件
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。449年柔然(蠕蠕)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。449–450年柔然(蠕蠕)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。450年劉宋(懸瓠方面)
- 親征皇帝が自ら軍を率いて戦場に出ること。450–451年劉宋(瓜歩・
長江方面、大規模南征) - 改元451年元号を「正平」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。451年
- 反乱452年2月中山南来降民の謀叛
- 反乱452年3月〜452年3月11日宗愛の弑逆(宮廷クーデター)
北魏の歴代皇帝
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