
唐第22・23代(別の数え方では第19代このサイトの番号は、王朝の歴代を即位の順に数え、2度目の即位も1代と数えたもの。中宗と睿宗の2度目の即位と、在位18日で退けられた殤帝を数えない数え方もあり、そちらで書く辞典もある。)統一王朝中国を統一して治めた時期がある王朝。
昭宗李曄
在位 888–900年 / 901–904年(復位)(16年100日)
日本は平安時代
宦官去勢されて宮中で皇帝や后妃に仕えた男に擁立されて唐の復興を志したが、藩鎮地方で兵や財を握った軍の長官とその勢力と宦官に翻弄されて一度は廃され、朱全忠に洛陽へ移されて殺された唐の皇帝である。
昭宗の人物データ
- 生年
- 867年3月31日
- 在位
- 1度目888年4月22日〜900年11月30日
- 復位901年1月23日〜904年9月22日
- 没年
- 904年9月22日38歳(数え年)長生き順同率143位/266人
- 死因
- 暗殺同じ政権の中の家臣・皇族・宦官などに殺された死。毒殺も含む。非業の死このサイトでは、暗殺・処刑・戦死・自害の4つをまとめて非業の死と呼んでいる。同じ死因92人/365人
- 即位経路
- 世襲先の皇帝が自分で跡継ぎを決めていて(遺詔・皇太子に立てるなど)、その跡を継いだ即位。のちに復位
出典
- 在位(1度目)
- 旧唐書 本紀第二十上・
下 昭宗 - 在位(2度目)
- 旧唐書 本紀第二十 昭宗
- 死因
- 旧唐書 巻二十上(昭宗)
- 即位経路
- 旧唐書 巻二十上(昭宗)
生涯
どんな皇帝か
新唐書の賛は、知勇があってもどうにもならない時に当たった不幸な君とする一方、用いた人がふさわしくなく乱を増したとも批判する。
即位まで
治世と最期
書を学んで儒術孔子の教えに基づく学問とその考え方を重んじ、大臣を礼遇して旧業の回復を志し、即位当初は内外がこれを称えた。893年、李茂貞を討たせた軍が自壊し、李茂貞が京師に迫って宰相の杜譲能の誅殺を求めた。杜譲能は自分を差し出すよう申し出て、昭宗は泣いて別れを告げて貶し、李茂貞がなお兵を解かないので、杜譲能と弟に自ら死ぬよう命じた。895年には李茂貞ら三帥が兵を率いて入朝し、その兵が宰相だった韋昭度ら二人を殺した。三帥は昭宗の廃立君主や跡継ぎを退け、別の人を立てることも謀ったが、李克用の挙兵を聞いてやめた。
897年、身を寄せていた華州で楼に登って長安を望み、自作の詞を歌わせて皆と涙した。同じ年、韓建の上奏に、そこまでのことがあろうかと言ったきり答えずにいると、韓建は宦官の劉季述と詔を偽って十一王を殺した。900年、酔って黄門宮中の奥に仕えた、去勢された男や侍女を手ずから殺すと、宦官の劉季述と王仲先が昭宗を廃して幽閉した。翌年、孫徳昭らが王仲先を斬り、昭宗は復位した。902年、李茂貞のもとで包囲された城で食が尽きると、自分と幼い皇子の衣を市で売った。
904年、朱全忠の求めで洛陽へ移る途中、万歳を叫ぶ民に、朕はもうお前たちの主ではないと言って泣いた。同じ年、朱全忠は朱友恭・氏叔琮・蒋玄暉に命じて、洛陽の椒殿で昭宗を殺させた。単衣で柱を回って逃げる昭宗を、史太が追って殺した。
史料について
895年の二人の死を、旧唐書の本紀皇帝ごとの出来事を年代順に書いた記録やその部分は貶されたのち殺されたとし、資治通鑑は昭宗が許さないうちに王行瑜らが殺したとし、旧唐書の韋昭度伝も命令が出る前に三鎮の兵が殺したとする。衣を売った話と民への言葉は資治通鑑にある。旧五代史の梁太祖紀は、昭宗が弑されたとだけ書いて下手人を記さず、同書の氏叔琮伝は朱全忠の密旨君主がひそかに下した命令によるとする。
昭宗とつながる皇帝

勢力図
唐の勢力図で見る
888–904年の地図に、昭宗が治めた国が描かれています。
在位中の出来事
反乱8・遷都1・皇后1・皇太子1・改元7・大赦10
- 改元889年元号を「龍紀」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。889年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。889年圜丘の祭礼終了後、承天門に御し大赦(改元を伴わない単独の大赦)。
- 反乱889年王建による西川簒奪
- 改元890年元号を「大順」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。890年
- 反乱891–893年楊復恭の抗命・
出奔と楊守亮の庇護 - 改元892年元号を「景福」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。892年
- 改元894年元号を「乾寧」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。894年
- 反乱895年三帥称兵詣闕事件
- 反乱896–897年董昌の羅平国僭称
- 改元898年元号を「光化」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。898年
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。898年
- 皇后898年皇后を立てる
- 反乱900年11月〜901年1月(旧暦年だけを書く所は、教科書・辞典と同じく、元号の年に当たる西暦の年で書いています。旧暦の年末(11・12月)は西暦では翌年の1・2月に入るので、日付の年が1つ後ろになります。 年の書き方 900年12月)宦官クーデター(劉季述の変)
- 皇太子901年1月28日皇太子を廃する
- 改元901年5月13日元号を「天復」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。901年5月13日
- 反乱901年12月〜903年2月韓全誨による鳳翔劫持
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。903年
- 遷都904年2月長安(西京) → 洛陽(東都)
- 改元904年5月28日元号を「天祐」とする
- 大赦国全体の罪人をまとめて赦すこと。904年5月28日
- 反乱904年9月22日朱全忠による弑逆
- 反乱日付不詳秦宗権の乱(蔡州)
唐の歴代皇帝
歴代21人の一覧- 第1代高祖李淵618–626年病死
- 第2代太宗626–649年諸説あり
- 第3代高宗649–683年病死
- 第4・6代中宗683–684年705–710年(復位)暗殺
- 第5・8代睿宗684–690年710–712年(復位)病死
- 周武則天690–705年病死
- 第7代殤帝710年不詳
- 第9代玄宗712–756年病死
- 第10代粛宗756–762年病死
- 第11代代宗762–779年病死
- 第12代徳宗779–805年病死
- 第13代順宗805年病死
- 第14代憲宗805–820年暗殺
- 第15代穆宗820–824年病死
- 第16代敬宗824–826年暗殺
- 第17代文宗826–840年病死
- 第18代武宗840–846年病死
- 第19代宣宗846–859年病死
- 第20代懿宗859–873年病死
- 第21代僖宗873–888年病死
- 第22・23代昭宗888–900年901–904年(復位)暗殺
- 第24代哀帝904–907年暗殺
- 歴代外李裕900–901年暗殺
- 歴代外李承宏763年不詳
- 歴代外襄王李熅886年処刑
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